俺と加茂さんと後輩と
「こんにちはっ」
加茂さんの頭を撫でていると、聞き覚えのある声が耳に入ってくる。
「昨日ぶりだな」
「そう、ですね」
俺に声をかけてきたのは、昨日階段で出会った後輩だった。
彼女は俺と加茂さんを交互に見た後、苦笑いを浮かべて少し硬い声で言う。
「こんな公衆の面前で、先輩ってなかなか大胆ですよね」
「え?」
俺は撫でる手を一旦止めて、周囲を軽く見回してみた。
廊下を歩く人の視線の多くが、俺達に向けられていることに気づく。
その視線も様々で、一番多いのは微笑ましいものを見るような生温かい視線。次に呆れ、ごく少数からは嫉妬のようなピリついた視線が……。
「――っ!?」
「…………(あばばばぁ!?)」
俺は加茂さんから手を離し、彼女は顔を真っ赤に染めて俺から距離を取る。
「……見せつけていたわけではなかったんですか?」
「んな訳あるかっ」
不思議そうに訊ねてくる後輩に俺は即答する。
文化祭だから、俺も無意識に浮ついた気持ちになっていたのだろうか。
こんな場所で何してんだよ俺は……穴があったら入りたい。ないなら自分で穴掘って埋まりたい。気を抜きすぎた。
「声かけてくれてありがとな……」
『ありがとう』
「あ、は、はいっ。どういたしまして……?」
自分の顔を片手で覆いつつ、俺達は後輩に礼を言う。
もしも彼女が指摘してくれなかったら、俺達はもうしばらく痴態を晒すことになっていただろう。だから、本当に、心から感謝した。
加茂さんをチラッと見やる。
彼女はホワイトボードで顔を隠している。しかし、俺は横から彼女を見ていたため、未だに真っ赤な顔で恥ずかしそうに俯いているのが分かった。
多分、俺の顔も似たようなことになっているのだろう。どうにかしてこの熱を冷ましたいものだが、どうしたものか。一旦、水道で顔洗うか……?
「先輩達って、お化け屋敷やってるんですか?」
未だ治まらない顔の熱に頭を悩ませていると、後輩が訊ねてきた。
「ああ、よく分かったな」
「いや、見れば分かりますよ。それ、特殊メイクですよね。凄いリアルですし」
後輩は加茂さんを見ながら言う。
そういえば、加茂さんがやってるんだったか。絶妙に怖くないからすっかり頭から抜け落ちていた。
加茂さんがボードにペンを走らせる。
『怖い?』
「いえ、そんなことは全く」
「…………(しょぼん)」
「えっ」
「後輩、そこは嘘でも怖いって言うべきだったぞ。これでも一応、お化け役なんだ」
「…………(ぐさっ)」
「ほら、こんなにショック受けてる」
「今のは先輩がトドメ刺しましたよね……っていうか、そんな話はどうでもいいですっ」
「…………(ぐさぐさっ)」
「え、あ、すみませんっ、どうでもよくはなかったですけど! この話は一旦置いといてっ!」
そこで後輩は一拍置いてから、俺に向かって言った。
「後輩って呼ぶのやめてくださいよっ。私には日向詩音って名前がありますっ」
「カッコいい名前だな」
「あ、分かります? この名前、結構気に入ってるんですよね……えへへ」
俺が名前を聞いた率直な感想を口に出すと、彼女は分かりやすく顔をにやけさせる。
そんな彼女をよそに、加茂さんはこそこそと俺にボードを向けてくる。
『いまさらだけど二人って
知り合いだったんだね』
「知り合ったのは昨日だけどな。それより、加茂さんはこの後輩「日向詩音!」……日向さん「呼び捨てでいいですよ?」……日向のこと、知ってたんだな」
呼び方を誘導された気がするが、まあいい。
加茂さんは俺の言葉に返答するように、俺達にボードを向けてきた。
『昨日、軽音楽部のバンド
やってた子だよね
すごいよかった!』
「あ、ありがとうございます。えっと……加茂先輩?」
「…………(ほわぁ)」
加茂さんは先輩と呼ばれたのが余程嬉しかったらしい。"先輩"と言われた瞬間、頰がゆるゆるになった。
彼女の気持ちは分からなくもない。部活に入っていない俺達にとっては、"先輩"という言葉は特別感があるのだ。
「あの、加茂先輩ってもしかして、喋れなかったり……?」
日向が訊ねてくる。
その疑問は持つのは、当然と言えば当然のことだった。
俺は加茂さんの様子を窺う。彼女の反応次第では、俺から話そうと思ったからだ。
しかし、彼女は特に迷うような素振りも見せず、ボードにペンを走らせた。
『しゃべれるよ』
「……喋らないのは何か理由が?」
日向に純粋な疑問をぶつけられた加茂さんは、困り顔で俺の方をチラ見してくる。
俺は加茂さんの代わりに、日向に答えた。
「日向、そこはあんまり触れないでくれ」
「あ、すみませんっ」
『大丈夫だよ
むしろごめんね』
「いえ、私の方こそ……」
加茂さんと日向がお互いに謝り合うと、暫しの沈黙が流れる。
俺も口を挟みにくくて黙っていると、先に沈黙を破ったのは日向の方だった。
「あの」
改まった様子で口を開く日向を見る。
彼女は何故か緊張した面持ちで、俺達を交互に見ながら訊ねてきた。
「お二人はどういったご関係で……?」
ここで俺はようやく気づく。日向もまた、勘違いしていることに。
そんな彼女の質問に、俺より先に加茂さんがボードで答えた。
『親友です!
\(๑╹ω╹๑ )/』
「………………親友?」
「……まあ、そうなるよな」
俺も逆の立場だったら同じ反応を返すと思う。
日向は予想の斜め上の返答に戸惑った様子を見せながらも、続けて確認してきた。
「恋人、とかではなくて?」
「違う」
『違うよ』
「……そう、でしたか」
日向は悪くない。
勘違いさせてしまったのも恐らく先程の加茂さんとのやり取りが原因だろう。だから、非は100%こちらにあるのだ。
……勘違いのせいで、もしかすると今も気を遣わせてしまっていたかもしれない。そう考えると、少し申し訳ない気待ちが込み上げてきた。
「ごめんな。気、遣わせただろ」
「いえ、大丈夫です!」
日向は笑みを浮かべ、元気な声でそう言ってくれた。
それから、彼女はポケットからスマホを取り出して提案してくる。
「赤宮先輩、加茂先輩、ライナーの連絡先交換しません? これも何かの縁ということで」
「ああ、いいぞ」
『d(๑╹ω╹๑ )』
俺達もスマホを取り出し、ライナーの友達登録画面を開く。
そして、三人揃ってスマホをふりふりすると、まだ登録していない日向の連絡先が俺のライナーに追加された。
「……ありがとうございます」
日向は自分のスマホを大切そうに胸に抱え、俺達に礼を言ってくる。その後、更に続けて言った。
「私はこの辺で失礼しますねっ! 友達待たせてるのでっ」
「あ、ああ。じゃあな」
「はい! ではまた!」
そうして、日向は忙しない様子で去っていく。
俺がその背中を見送っていると、隣から視線を感じてそちらを見る。
『またね!
ヾ(´ω`)』
「……間に合わなかったんだな」
加茂さんは悲しい表情のまま、ゆっくり頷いたのだった。
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名前、ちゃんと知れた。クラスは聞きそびれちゃったけれど、それ以上の収穫があったから気にしない。
それはライナーの連絡先交換。まさかこんな簡単に交換できるなんて思ってもみなかった。勢いで言ってみて、本当に良かった。
でも、結局、赤宮先輩が加茂先輩のことを撫でていた理由は分からずじまい……というか、聞きづらくて聞けなかったけれど、私が想像していたような関係じゃないってことは分かった。
二人は付き合ってるわけじゃない――それが分かって、私は希望を持つことができた。
嬉しいこと尽くしで、先輩達に背を向けた瞬間に緩みきってしまった。
だから、私は歩き始めた後、振り返ることができなかった。こんな顔、見せられなかった。
私は軽い足取りで、背中を押してくれた三人の元へと戻った――。





