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加茂さんは撫でやすい

 俺は受付前の順番待ちの椅子を一つ借りて、そこに加茂さんを座らせた。


「少し休むか」


 休憩を提案すると、加茂さんは慌ててボードにペンを走らせる。


『平気だよ』

「嘘つけ」


 椅子に辿り着くまで、たった数メートル。その間の彼女の覚束ない足取りを見れば、まだまともに歩けないのは明白だった。

 俺は加茂さんの隣に立ち、壁に寄りかかる。それから、秀人に訊ねた。


「俺はしばらく加茂さんとここに居るけど、お前はどうする?」

「んー。じゃあ、俺は鈴香のところ行って先に執事服拝んでくるわ」

「分かった」


 そうして、秀人は一足先に神薙さんのクラスに向かった。

 彼の後ろ姿を軽く見送っていると、加茂さんのボードが視界を横切るように現れる。


『赤宮君も行っていいよ

 私は後から向かうから』

「……はあ」


 加茂さんが書いた文字からは申し訳ないという気持ちが滲み出ていて、俺は思わずため息を吐いてしまった。


 こんな状態の加茂さんを誰が置いていけるというのか。無理だろ。

 それに、加茂さんを置いていけば、絶対神薙さんに怒られる。最悪、竹刀で滅多打ちにされると思う。つまり、選択肢なんて最初から存在しない。


「俺が好きでここに居たいんだよ」

「…………(うっ)」


 加茂さんは言葉に詰まったような表情を見せた後、言葉に迷うように、ゆっくりとペンを走らせた。


『気使わないでいいから』


 ……"気遣い"の漢字が間違ってるのは一旦置いとく。

 加茂さんがそう言ってくるのは読めていた。だから、俺は予め、その言葉に対する返答を考えていた。


「加茂さん、ブーメランって知ってるか?」

「…………(うぐっ)」


 加茂さんは再び言葉に詰まったらしい。ペンを持つ手が完全に止まる。

 俺は敢えて、気遣っていることを否定しなかった。否定しても、彼女はどうせ信じない。だから、否定せずに()()()()()()()


「俺、居ない方がいいか?」

「…………(ふるふる)」


 続けざまに訊ねると、加茂さんは首を横に振る。


「なら、居させろ」


 俺がそう言うと、加茂さんは言葉を返さずに俯く。

 少し意地悪だったかもしれない。でも、他に彼女を納得させる(すべ)を、俺は思いつけなかった。


「…………(しゅたっ)」

「加茂さん?」


 突然、加茂さんが勢いよく立ち上がる。


「…………(あわわっ)」

「おっと」


 そして、バランスを崩してこちらに倒れてきたので、俺は咄嗟に彼女を胸元で受け止めた。


「急に立つな。大人しくしてろ」

「…………(えへへ)」


 軽く小言を言うと、加茂さんは俺を見上げて愛想笑いを浮かべる。

 ふと、彼女が片手で持つボードが視界に入った。


『私、もう平気だよ!

 行こ!(๑╹▽╹๑ )』

「……どこがだよ。俺のこと馬鹿にしてんのか」

「…………(びくっ)」


 イラッときて反射的に口から飛び出した俺の言葉に、加茂さんの体が跳ねる。

 ……落ち着け、俺。口が悪すぎだ。怯えさせてどうする。平常心平常心……。


 俺は自分の心を落ち着かせてから、未だに俺の胸元を支えにしている加茂さんに言う。


「あんまり心配させんな」

「…………(こくん)」


 加茂さんはバツが悪そうな顔で、ゆっくり頷く。

 俺はそんな彼女の頭を、さらさらの髪に手を滑らせるように軽く撫でた。


「…………(びくっ)」


 彼女はいきなり俺が頭を撫でたことに、驚いたように体を震わせる。

 しかし、彼女は嫌がる様子を見せず、抵抗のようなものも一切してこない。撫でられるがまま、だった。




 彼女特有のさらさらの亜麻色髪は、なかなかに触り心地が良い。

 結構、癖になる。手に吸い付くような、軽い中毒性がある気さえする。




 頭を撫でたのは、ただの衝動だった。

 こちらに倒れ込んできたことによって間近に迫った加茂さんの頭を見ていたら、不意に撫でたくなってしまったのだ。




 ――その後も、俺は暫く彼女の頭を撫で続けた。




 ▼ ▼ ▼ ▼




「次どこ行こう?」

「小腹空いたかも……」

「この辺って食べ物何かあったっけ」


 軽音楽部のバンドのメンバーと文化祭を回っていて、次にどこに行くかの話題になる。

 私は個人的な理由で、三人の陰に隠れるように少し後ろを歩いていた。


 ……キョロキョロと視線を彷徨わせながら。


「――詩音(しおん)っ」

「へっ?」


 バンドのドラム担当である(あかね)の、私の名前を呼ぶ声でハッとする。


「な、何?」

「もー、やっとこっち見た。さっきから挙動不審すぎだよ」

「そ、そうかな」

「私達が居るから、怯えなくても大丈夫だって。時間もあんまりないし、楽しも?」

「……うん」


 茜には、私が怯えてるように見えてしまったらしい。

 まあ、後ろを歩いている理由はそれなんだけど、私が視線を彷徨わせている理由は別にある。


「誰か探してる?」


 その理由を、バンドのベース担当の千尋(ちひろ)に言い当てられてしまった。


「ちちちちちがうよっ」

「詩音ちゃんって、嘘下手だよね……」


 咄嗟に(とぼ)けたけれど、少し間を空けてしまったせいであっさりと見破られてしまう。


「あ、昨日言ってた先輩でも探してるとか?」

「…………うん」

「お、おお。半分冗談で言ったんだけど……見つかるといいな」

「……うん」


 バンドのギター担当である(さく)の質問に、私は正直に答える。


 私は、昨日出会った先輩が忘れられなかった。名前もクラスも分からない先輩のことが。

 また会いたい。会って、今度はゆっくり話してみたい。


 私が男の人にそんな感情を持ったのは初めてだった。


 そのためにも、偶然でも、まずは先輩に会わないといけない。先輩を見つけなければいけない。

 文化祭を回っていれば会えるかなと、私はそんな淡い希望を抱いて先輩を探していた。


 ――でも、現実はそう上手くは行かなくて。


「……あ……」


 始まったばかりの二日目の文化祭で、私は先輩をようやく見つけることができた。


 見つけてしまった。


 優しげな表情で、知らない女の人の頭を撫でている先輩の姿を。


「詩音?」

「もしかして、あれがその先輩なんじゃ……」

「……あちゃー」


 その人は私と同じぐらいの背丈で、少し見慣れない珍しい髪の色。あと、何故かホワイトボードを片手で持っていた。

 顔は見えないけれど、嫌がるような素振りも見せずに先輩の胸元に収まっている。


 どうして公衆の面前で二人がそんなことをしているのかは分からない。周りの生温かい視線もお構い無しに二人の空間を作ってしまっている。

 それを見てしまった私は、ただただ胸が締め付けられた。思わず、顔を背けそうになった。


「詩音」

「……何?」

「まだ、そうと決まったわけじゃない」

「決まってるよ」


 茜は私を応援しようとしてくれているんだろうけど、あんなの見せられたら、無理だよ。


「直接先輩に聞いた?」

「……聞いてない、けど」


 聞いてはないけど、見れば分かるじゃん、あんなの。

 あれでお互いを想ってないのなら、教えてほしい。他に、何があるの?


「それなら、ほら、行った行った!」

「えっ、ちょっ、茜っ!?」


 背中をぐいぐいと押されて、私はそれに抵抗するように足で踏ん張る。


「まだ決まってないなら、せめて聞いてから諦めたって遅くはないと思うよ」


 ……それはそうだけど。


「女は度胸だよ」


 茜はそう言って、背中を押す力を弱めた。でも、私の背中からは離さずに触れたまま。


「そうそう、当たって砕けろだ」

「咲ちゃん、砕けちゃ駄目だと思う……」


 咲と千尋も、私の背中に触れてくる。


「でも、私も茜ちゃんと同じ意見だよ」

「詩音、いつもみたいに真っ直ぐぶつかってみりゃいいじゃん」

「やらぬ後悔よりやって後悔、ってね」


 そうして、私は三人に押し出された。


「――うん」


 押し出された私は、止まらずに歩き出す。


 それから、先輩に向かって真っ直ぐに向かっていった。


 迷わず。


 振り返らず。


 臆さず。


 周りの視線も、もう気にしない。




 ありがとう、皆。


 背中を押してくれて。


 私、頑張ってみるね。




 先輩の目の前まで来て、私はそこでようやく声をかける。


「こんにちはっ」


 勢いだけで近づいたから、かける言葉は何も考えていなかった。

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