夢の終わり
夢を無限の荒野と見る者がいる。
夢をレールの先の終着点と見る者がいる。
共通するのは“いつか辿り着けるものである”という認識。
いつか大地が途切れる。いつかレールが無くなる。
それでも進み続ける者だけが、夢を見続けられる。
大事なのは道ではない。進み続けようとする心だ。
心が枯れてしまった者がいる。
荒野も、レールもあるのに、進み続けるのに疲れてしまった者がいる。
やるべきことは一つ、“道を戻る”ことだけだ。
何故、そこまで歩いて来られたのか。
何故、その夢に進もうと思ったのか。
“心”を取り戻したのなら、また進むことができる。
また同じところで心が枯れてしまうかもしれない。
そこに辿り着きすらできなくなっているかもしれない。
でも、戻るのだ。前に進めないなら、後ろに進め。
夢への未来を辿れないなら、夢の軌跡を辿ればいい。
そうやって、気づいたら進み続けている。
前も後ろもわからなくなって、進んでいるのか戻っているのかもわからなくなっていく。
それでもいい、夢の中を進み続けることができるのなら。
それでもいい、心が進むことを望み続けられるのなら。
心が枯れて、夢が嫌になって、世界が悪夢の色に染まる時もあるだろう。
その時は立ち止まっていい、好きなだけ耳を塞いで目を閉じるのだ。
その時、夢は終わる。
そして始まる、新たな夢が。
新たな心が、また進むことを求める。
前の夢によく似た景色か?
はたまたまったく違う景色か?
己の望むままに進め。
大事なのは進むこと。辛くなったら戻ること。
嫌になったら立ち止まれ。
ただ、逃げることだけはするな。
この世界に逃げ場などない。
死んだら世界から弾き出されて、救いも絶望もなく、ただ消えるのみである。
進め。立ち止まれ。戻れ。
人類よ、常に夢の中にあれ。
はー夏休み明けの自殺、ありましたねぇ。
ああいうのどうにかなんないかねえ?
べつにさ、成績悪くたって、学校居づらくたって、家居づらくたってさぁ。
ぼくがいるじゃん?
ぼくんち来ればいいじゃんよ。
わざわざ死なんでも、ちょーっと、“自分の世界”の外の世界に、逃げるなりSOS出すなりすりゃよかったじゃんよ。
あーあもったいない。
人生のコスパ最悪だね! まったくもう!
80年間、魂が生きれるとして、そのうちの60年以上も死ぬことに使っちゃうわけ?
ばっかでー!!!!!
……でも亡くなっちゃった以上は、しょうがないもんね。
ご冥福をお祈りします。
でもこの世の中、死ぬより辛いことなんていくらでもあるからね。
死ぬって、なんでもないんだよ。猿でもできるんだよ。
でも君の助けを求めるのは、君にしかできないんだよ。
仲間を助けるなんて、なんでもないんだよ。猿でもできるんだよ。
だから思いとどまってね、自殺志願者たち。
求めyo! さすれば与えられん!ヘイメーン!
なんつってね!