昏き眠り(1)
紅蓮の名前が明らかに。まあ、学名で呼ぶ生き物なんて限られてますからね。標準和名がない生き物だっていくらでもいますし。図鑑にも「○○の一種」「○○の仲間」「和名はまだありません」とかけっこうあったような覚えがあります。日本にはいない生き物って案外多いもんで……
一見すると真っ黒いが、てらてらと虹色に光っている。もともとの生物の特徴の名残だろうか。成長するにつれて逸脱特徴と呼ばれる過剰な装飾が加わってゆき、何の生物であるかが見分けにくくなるが、どうやらそこだけは変わっていないらしい。
夕方の色をした双剣の竜人と、それに向かい合う黒珠の怪物。
『ユタラプトル……と、もはや何かも分からんが……。どうする』
「戦います」
プレデターを名乗った怪人も、我を忘れて暴れ狂おうとしている青年芳村も、天使ルゥリンにとって止めるべき相手だ。敵なのか味方なのかはともかく、どちらも放っておけば害になることは間違いない。
すうっと浮かび上がった数十もの黒い天使が、竜人を狙って闇の弾丸を機関銃ばりに撃ちまくる。しかし双剣を回して叩き落とし、跳ね飛ばし、たくましくも弾き返して攻撃へ転じてすらいる。芳村が襲いかかっても、経験の違いからか相手になっていない。
「どうした、ヨシムラ。お前の力はその程度なのか?」
そもそもの武器をしっかり握れていないこともあるが、振り回す力はともかく、その技術はからきし、まるでなっていなかった。振り下ろし、振り回し、突き出しなどという子供でもできるような攻撃しか繰り出さないのだ。おまけにその軌道はフェイントもなにもなく、簡単に回避でき、隙をつくことができる。
「〈反逆〉」
天使は、その両目に濃い闇を宿す。そして突撃した。
「お、っと……お前までもが」
「もとの目標はお前よ、ユタラプトル」
切り裂くようなスピードで突進したルゥリンの拳を、竜人は首を後ろに倒して避ける。
「俺の名は紅蓮だ。元の名前がなんだろうと、体の名前が何だろうとな」
「そう」
横へ滑るように移動した天使を追ってしまい、天使ごと紅蓮をぶった切ろうとした芳村の一撃をまともに受け止める羽目になる。
「力のある、子供と……いったところか」
宝石の双剣と黒い虐槍は拮抗している。力の勢いを利用してわざと剣を引き芳村を転ばせ、双剣ラプターファングに炎熱を纏って芳村のわき腹に叩き付ける。しかし肉を切り裂く馴染んだ感触はなく、鉄板を叩いたような不快感がじん、と響いた。飛んできた蹴りをどうにか受け止めて、地面に跡を引きながら体勢を立て直す。
「コンビネーションなのか?」
「利用しているだけよ」
冗談のつもりなのだが、天使は真面目に答える。
「なぜ致命的な大暴走を起こさない? みやもとの記憶では、ストレスが極限に達した瞬間に大爆発が起こっていたぞ」
「理由は二つある。ひとつは、罪の欠片が足りないこと」
紅蓮はそれを知らないらしく、首をかしげる。
「心のありように反応して人を作り変えるものよ。彼の中にはとても些細なことに反応してしまう五つもの欠片が含まれていた。あれで暴走しないはずがない。でも、殴られて左半身が吹き飛んだ瞬間、主な二つを残して欠片は飛んでいった」
半身はゆっくりと再生していく。怪人にできた傷は栄養が入ったときにとくに早く治るというデータがある。食後に姿を消すのは、グロテスクに再生するさまや痛がっているところを見られたくないからだろう。
「なるほど、お前がこいつを処理して、しかも利用しているのか。使いやすい部下だったことだろうな」
皮肉を無視し、ルゥリンは続ける。
「もうひとつの理由は、そこに人間がいるから、気遣ってのことよ」
宮本の傷は心臓まで届き、すでに死んでいるのだが、それでも遺体を必要以上に傷めたくないという思いがあるらしい。どれほど理性を失っているように見えても、行動の原因にはやはり感情が含まれている。
「笑止千万だな。死んだ人間を気遣うのか」
「あなたは遺体を大事にしないから、分からないんでしょう。人間として、遺体を安易に傷付けたり、見えないように損壊するなんて……さすがに許せないわね」
死を思わせるものの前では厳粛にすべき、というのが文化である。そこに遺体があるうえで騒いでいる、その時点でお叱りがありそうなものだ。心に根付いているものは、暴れているからといって簡単に外れるものではない。
荊が棘の代わりにカミソリを生やしたような槍が、紅蓮に向かって飛んだ。彼はそれを双剣で弾き飛ばし、一瞬で接近した天使の鋭いジャブを、同じように双剣で受け止める。体に直接のダメージが入りでもしない限り、そう簡単にやられはしない。これ幸いと両端の刃に炎を纏い、紅蓮は二人を牽制した。
「何にせよ、力を出し切れていないのならここで仕留めるまでだ。私の狩りの邪魔をするものは死んでもらう。今後の平穏な人生のためにもな」
首尾一貫していないようだが、彼の中では筋が通っているのだ。平穏なサラリーマン人生を生き、ときどき魂の美食を漁り、ときには獲物の取り合いをすることもあろう。それは彼にとって平穏無事な人生そのものである。
「平穏無事な人生を送りたいと言うのなら、あなたはその罪を拭いなさい。潔白ならばまだしも、あなたは罪を重ねすぎている。そのように大きな欠片は、この世にあってはならないのよ。人でなくなる前に、人に戻るべきだわ」
「ふん。力を捨てろと言われて、快く捨てる輩もいるまい」
ピシュン、と割り込んだ糸たちが天使を拘束してしまった。紅蓮はそれから逃れ、糸を切断して剣に纏う炎の温度を倍加する。
「ふ、ふ、ふ……来い、ヨシムラシオン。大きな獲物だろうと焼き尽くしてやる」
◇
気が付くと、玉響は暗幕に閉ざされた部屋の中にいた。
「目が覚めたみたいだね」
自分の声だが、目覚めにふさわしい爽やかなものだ。男の声で起こされるのは快いものではないのだが、どれだけ心地よい目覚めでも、このような部屋には朝は来ないだろう。
「誰だ、お前は……」
「君はすべてを知っている。僕と同じに。だから目覚めた。この顔、知ってるだろ?」
「……俺の顔だ」
「僕の顔だよ、もともと」
玉響真の前に、芳村紫苑がいる。灯りが蝋燭だけの暗い部屋でも、それははっきりと分かった。鏡で何度も見た顔を、間違えはしない。
「君は、自分の能力をどう思ってた?」
「影を操る能力」
「ははは! 清々しいくらいバカだね――いや、君には僕の記憶がないから、仕方がないのかな。ここに僕がいること自体が、そんな力じゃないって証明だろ?」
「……文脈がつながってないぞ」
分かってるさ、だからいいんだよと芳村は微笑む。自分が自分でなくなったような、とても不気味な気分だった。
「影を操るなら、もう少し……こう、影がないと使えないなんて制限があってもいいんじゃないかな? それに、いくら操るったって、自律的すぎるだろ。どうして操られているものが操られて嬉しそうにする? 絆を繋いだ思い出があっても、それはどこでなんだろう? そう考えなかったのはどうしてかな?」
暗い灯りのせいで瞳孔が拡大し、芳村は目に吸い込む闇を宿している。
「すべて君が作り出したからだよ。いや、僕が作り出したからだ」
「俺とお前が同じだと、どうして言える!」
芳村は、どこに何があるのかも分からない内装の中、唐突に出現した椅子に座る。
「僕は僕だった――だから、ときどき一人称を変えて憂さ晴らしをしていた。ブドウ色や雪色、蒼玉色の入り混じった上に黒い鎧のような外装。それが「俺」だったんだよ」
ほらこれ、と芳村はその姿を作り出して見せた。
「……見覚えがある」
「だよね! よかった、これで戻らなかったら君を捨てようかと思ってたんだ。ちなみにこれの色がほとんど真っ黒と紫になったのが、今の君かな、たぶん。なんとかストレスの解消はできてたんだ。あのときあの瞬間までは、そうやって人生は進んでいくはずだった」
君は本当に便利だ、と芳村は大きな四角い板を呼び出す。ほとんど大型テレビである。
「もしかしたらこんな自分にも恋愛ができるかもしれないって、僕は思った。叔母が馬鹿で馬鹿でどうしようもなかったから、自分は変な方向ばかりへ成長して、まともな関係が作れないと思い込んでいたんだ。宮本さんは本当に惜しかった……できるなら僕が出て行って、一緒に幸せになればよかった」
それだけで命を終えられたはずだから、と芳村はそのときだけ哀しそうに目を伏せた。
「なぜ俺は俺になったんだ?」
「僕が、耐え切れなくなったんだ。おとなしい、ストレスを抱え込む「僕」という心のありようではいけない。天級を超えて、昇天……もしくは別の可能性へと至ってしまう。自分の強さを再確認して、ストレスを発散する「俺」でなければいけなかった」
これ以上のストレスを溜めてはいけなかったのだろう。そして、多少なりともほかの怪人を倒して満足し、罪はともかくストレスは解消されていくはずだった。
「ここへは、二度と来てはいけなかったんだと思う。少なくともあのおじさん怪人は、天使に任せるべきだ。君はどうするんだ? あの天使は……君を殺し得る」
「罪を重ねることに耐えられなかったヤツが、何を言うんだ」
「……言うね?」
「お前が言ったんだろう、一心同体だと」
玉響は芳村の記憶を参照して、芳村の言葉に出ていないことを見つけた。
「なるほど、影を操ってはいない……配下でもない。友達を無制限に暴れさせて、人間を何千も殺させる……さぞや心が痛むことだろうな」
芳村は、目つきを鋭くする。図星を突かれたというよりは、彼は自分よりももう少し低い位置にあると思っていたのを裏切られたようだ。
「嘘をつくことも、ちょっとした裏切りも、思っているだけで行動しないことも、後悔することも……まして、絶望することさえ許されない!! いったいこの僕が、どうやって生きろって言うんだ!?」
好きな人に好きだと言えず、ちょっと立ち止まることが。
大丈夫だよ、と空元気を振り絞って返事することも。
すいませんやってません、と宿題を出さないことすら。
当然、こう言えば文句が減ったかな、と思い返すことでさえ。
もう嫌だと思うことは。
「彼らは僕が望むことを行う。みんな死んでしまえばいい、なんて……絶対に実現しないような望みを叶えようとしてくれた。ただ、彼らの重ねた罪はすべて僕が観測している。安全だと思っていた人々への裏切り、ぶざまに泣いていた方がマシだったと思う後悔、生き返らせることなんてできないって絶望が――僕を眠りに放り込んでしまった」
すべてが罪であり、彼の力を成長させる糧だった。
「望まない命を与えることはできる。だから嫌がらせはしたよ。ただ、僕の力は僕にとってあまりに大きすぎたんだ」
芳村紫苑の力は、彼の人生の中でずっと成長し続けた。彼は、生まれるべくして生まれた怪物だったのだ。
「君はどうするんだ? 人には戻れない。怪物としての力は大きく削がれている」
「そんなことはどうでもいい。力を失くすのがそんなに怖いのか? 相手を下に見て自分の価値を補強する、それはあの連中と同じだろう。堕ちていくことを自覚しているなら、改めればいいんだ……ところで」
玉響は、すっかり力を失ったように見える芳村をにらむ。
「教えろ。俺の本当の力は、何だ?」
次回、ヨシムラくんの本当の能力が明らかに。ラスボス特効とかのひねくれた力じゃなく、普通にめちゃくちゃ強くて応用も効く便利なやつです。デメリットは削がれましたし、これもう最強では。