蒼紅の夕竜・紅蓮(4)
本当にキャラ萌えは書けないなあ、と思いつつ執筆中。この前だったか言ってた作品も、ヒロインがきちんと現れるのが5部だったりして、それが敗因なんだろうなあ……などと考えています。まあこの作品も怪人が出したくて書いたやつなんで、敵がかっこよかったらいいや。
仮に与えられた部屋の中で小さく縮こまる影、真っ黒い服に身を包んだ偽の玉響は、少しいらだっていた。先輩だという天使ルゥリンの言葉のいくつかに、致命的な矛盾や小さくない嘘があったからだ。
まず、自分が天使見習いだというのにも関わらず、天使には全員配られているという戸籍がなく、彼女がなにげなく取り出す保険証などもまるで持っていないことである。彼らにかかればその程度の用意はたやすいと言いながらも、やろうとはしていない。
そして、彼女が言うほどには自分は保障されていないらしい。彼女は偽玉響の本当の名前など知らず、おそらくは素性も知らない。過去がない宙ぶらりんの状態で、しかも詳しい説明を受けずにでたらめな仕事をやらされている。
極めつけは、自分とそっくりな人間を見たという宮本という少女の登場だった。とっさに偽の身分を名乗ってしまったが、明らかに嘘だとわかっている以上、本当のことが混じっているあちらのほうが信頼性が高い。そして、断片的に聞いている怪人発生の仕組みに沿って考えるならば、十分にあり得ることだ。
罪の欠片そのものは人類普遍に挿入しており、さして珍しいものではない。ただし、ここに大きなストレスを抱えた人物となると少しリスクが増す。ただ、多くの人間は自制が効くために罪を犯すことが少ない。非常に些細な罪を遺伝的に抱えてしまったり、善悪の区別が付かなかったり、という人間がここで洗いだされる。怪人に覚醒する人間は、まれとまではいかないが、全体的な罪の欠片の数からするとずいぶん少ない。
ヨシムラという青年は、おそらく遺伝的に罪とも言えないような罪を宿していたのだろう。そしていじめによる過大なストレスがそれに重なり、凶悪化した。いじめの主犯格だったという谷本という青年は、ヨシムラに殺されたとすべきだ。そしてその現場に彼女がやってきて、ヨシムラを倒したか殺したか、いずれにせよ無力化したに違いない。
「……とすれば」
自分は玉響真などではなく、青年ヨシムラなのではないか。心の暗部が増大しやすい夜に大きな力を発揮することや、黒いものを召喚して戦うというところも、証拠としては弱いが似ている。ヨシムラの知り合いが「そっくりだ」と言った以上、似ているはずだ。
不意に偽玉響は、自分の周りが暗闇に包まれていることに気付いた。
「暗幕なんて――」
ヨシムラくんも暗幕と話してたり、という宮本の言葉を思い出す。ますます確信が強くなり、そして苛立ちが胸を刺す。信頼していればいるほど、裏切られたときの衝撃は大きい。少女が何かを隠しているとして、それがもし彼のためであったとしても、彼は徐々に少女を信じなくなっていくことだろう。少女を信頼するしかないこの状況にあってそのような考えが浮かび上がってくることが、彼に耐えがたい苦痛をもたらしていた。
怪人の力がむやみと増幅されていくのは理性でわかっている。しかし、偽玉響はストレスを簡単に解消する方法を知らない。体を動かすなどの楽な方法がいくつかあるのだが、彼が持っている選択肢の中にそれは存在していなかった。
呼吸を落ちつけてどうにか外の景色に近付き、ようやく彼は部屋に明るさを取り戻すことに成功する。暗闇は確かに落ち着く。明るすぎるのは嫌いだ。だからといって真の暗闇に馴染めるかというと、そうではない。彼の力は、彼が制御するには激しすぎる。その事実を彼自身がよく分かっているのだ。
「休憩時間、そろそろ終わりよ」
「……ああ」
いつになく気のない返事とともに、彼は立ち上がり部屋を出て行った。影の暗みからはありとあらゆるものがのぞいていたが、彼がそれに気付くことはなかった。
◇
どうにか逃げおおせた紅蓮は、いつものように瓦礫に腰かけている。
あれだけ打ち合ったのは、まだ弱い怪人だったころの「武者修行」くらいだろうか。ある程度強くなってしまったあとは、ほとんど一方的だった。確かにあの少女、なぜか怪人の姿にならない彼女の言うとおりかもしれない。
「雑魚狩りばかりしている……か」
人間は弱すぎる。これは絶対的事実だ。目を剥くような力を持つ人間も、圧倒的な速さで駆け抜ける人間も、肉体的な強さという意味では彼の足元にも及ぶことはない。だからこそ目撃者をほとんど殺し、ここまで強い怪人になることができたのだ。獲物の取り合いや正義気取りの怪人と戦う羽目になったときでも、地道に積み重ねた罪を上回るほどの強さを持つ怪人はいなかった。所詮罪は罪であり「正義の罪」などという馬鹿げたものが存在しない証明である。
紅蓮も、元から良心がない人間だったわけではない。その名を自称する前には良識があり限界があった。彼らが全てそうであるように、四神級怪人「紅蓮」はただの人間だったのだ。彼が覚醒したときすべてがうまく結びついていなければ、今頃彼は殺人犯、放火犯としてごく最近まで拘留されていたことだろう。あくまで人間として、そして週末の暇なときに怪人として、彼は生活を両立していた。
「あっ、おはようございますっ」
「ああ、おはようございます……昨日のお嬢さんかな?」
「昨日はお世話になりました」
「いやいや、いいんですよ」
昨日の、高校生らしい少女だった。
紅蓮が彼女を助けたのは、果実に傷をつけないためだ。これはいい果物だと思ったのに、裏側がカビていて、それどころか虫が這い出して来たらどういう気分になるだろう。食事という娯楽には、美しさが不可欠なのだ。苦しみの味覚もしみじみとして深いものではあるが、ヒネの鶏肉のように、好みが分かれる味である。紅蓮には長く蓄積された苦しみをうまく味わう術がない。繊細な味には、明らかな雑味が混じっていてはならないのだ。
「一張羅で……早く着替えたいんです」
「そりゃ私もだ。スーツで寝るのは案外きついものですよ」
彼女の言わんとするところは視線が嫌だということだろう。露出した足は寒そうで、残暑の消えたこの季節には胸元を開けた服など論外である。刺す虫がいないから肌はさらりとしたままだが、上着が借りられなければもっと寒そうにしていたのに違いない。
「デートでも?」
「……デート……したかったです。本当はそうなると思ってたんです」
まるでデートにでも出かけるような服装だ、と思ったのは外れていなかったらしい。
「すっぽかされたとか」
「ひどい人がいて……集団で一人をもてあそんでたんです。リーダー格だって思われてる人も、ほんとはその「ひどい人」の言いなりで……。あの人がひどいことをするのは分かってました。だから、もらっちゃう予定だったんです」
紅蓮は、しばし考えた。
「いじめられている人を元気づけて、彼氏にしようと?」
「……落ち込んでいるのにつけ込むのは良くないって、分かってます。何とでも言ってください……でも、そうでもしなきゃ振り向いてくれないかもって……! 一緒にひどいことをされるかも、くらいの覚悟でいつもは着ないような服を着て、それで」
恋心は、紅蓮の知っている中でも最も素晴らしい味覚のうちに入る。その恋心に覚悟という絶妙な香辛料が混じり――さながらシナモンの利いたアップルパイのような、微妙かつ高尚、ただ獲物を貪る怪物には決してたどり着けない境地へと紅蓮を導くことだろう。
「君は実にいい子だね」
「えへへ……そう言われると照れちゃいますよぅ。でも、うまくいかなかったんです。影から見守ってはいたんですけど、その……あのことが」
話が長いあいだ膠着しそうだと思った紅蓮は、怪人の姿へと変わった。
「君のその美しい恋心、美味しくいただくとしよう」
「えっ!? え、え!?」
ゆったりと歩み寄ると、そこに希望を感じたのか立ち上がって自分を奮い立たせ、どうにか走って逃げようとする。子供のする残酷な遊びのように、逃げられるかなと相手に思わせるのが楽しいのだ。
背中に負った双剣を手に取り、勢いのままに振るう。わずかな手加減がしっかりと効き、少女は背中から血を噴き、つんのめって倒れ込んだ。いつものように、紅蓮はそばにしゃがみ込んで彼女の体を起こし、それを精査する。究極は心さえあればいいのだが、どうもそれでは味気ない。彼に残った人間の部分は、精神的な喜び以外のものも求めているのだ。
成熟した体つきは、なるほど下世話な衆目に晒されるも当然だ。捕食者という目つきで見るとそれは少し脂肪の付きすぎにも見えたが、男といういやらしい目で見るのならば、むしろ歓迎すべきなのだろう。この体がこの心を育んだのだとすれば、これはもっともっと感謝されてよいことだ。
やや力を込めて、胸に触れる。その柔らかさなど、これから味わう感動に比べれば些末なものである。意識を集中すると、そこに薄桃色の不可思議な紋様が浮かび上がった。
「ふふ、ふふふ……」
注意深くその一端の中から最も丈夫な場所を探し出し、指でつまむ。引っ張り出す力加減を間違えると、一瞬で壊れてオシャカだ。ゆっくりゆっくり、次第に強い力を込めて抜き出すと――ほら、薄っすらと光る桃、純粋な恋情。舌という、味覚というカンバスに極彩色の絵画を描く凄まじい絵の具を引き出した。
半ば陶酔しながら、その皮をめくる。ごく表層にある思い出は、さっきにも聞いたものだ。毒にも薬にもならない情報を口にするのもいいが、それよりは滴り透き通る果汁を指に取り、大きく開けた口吻で舐める。体を裂く稲妻のような、甘美なものが通りすぎた。
どれほど焦がれていたかが記されている果汁は、その始まりの日にちを正確に記載してはいなかった。どこか気恥ずかしいところがあったのだろう。しかし「高校生活最初の日」という実に分かりやすい指標が付けられている。
「すばらしい――!!」
声に涙まで混じるほど、素晴らしい味だ。
時間の積み重ねという果肉を齧るごと、焦がれる気持ちが溢れる。果肉の色が薄い色から濃い色にわたっている理由も、よく分かる。実に分かりやすく、極めて美味な果実だ。皮と果肉を食い尽くし、種を臼歯で砕く。
「むっ!?」
ぼんやりとした青臭さが口に広がる。熟しきった桃の味の中に、こんなものがあるはずがない。これは「疑念」だ。種の中に押し込めるほどだ、まったく信じられないものを見たのだろうか。
吐き出した種には、殻のかけらと仁、そして別の小さな果実がある。愉悦を高めるため食べ物については通り一遍以上の知識を持っている紅蓮だが、彼の知識の中にこんなものは存在していない。恐らく「未知のもの」なのだろう。とりあえず仁をかじりかじりしていると、なんとも単純な恋の理由が見えた。
受験会場で初めて見て、合格発表が二回目、入学式で同じクラスになってそのままずっと一緒にいた。年月とちょっとした会話の積み重ねで、いい人なのだと知っていたのだ。彼女は、彼女らしいゆったりとした恋の始まりに三年の歳月をかけていた。同じクラスになった時点で恋をしていれば男の末路も変わっていようところが、相手の青年は三年間ずっといじめられどおしだ。確かに、彼女には彼を救うことができたのかもしれない。今となってはすべてが過ぎ去ってしまっているのだが。
さて、問題は青臭い未知の果実だった。
紅蓮の味覚は彼の作り出した架空のものであって、食ったから毒を摂取してしまうだとか物理的にのどに詰まることはない。あまりの不味さに吐きそうになったり匂いのせいで気分が悪くなったりということがあるが、それは気分の問題だ。これが不味いものだったら、食べるだけ損ということになる。もっとも架空の美味を味わったところで何の得もありはしない。同じようなものだと口に入れるか、今しがた通りすぎていった極上をとどめるために放り捨てるか。大して意味のない二択だった。
よく考えれば、この「疑念」は彼の野次馬的な好奇心をはげしく刺激している。それならば味覚とともに心を読み取る力を使って、この青臭い何かを噛み砕き、真実を突き止めればいいのだ。
プチトマトの二倍ほどの大きさしかないそれを口に放り込み、奥歯で一気に両断する。ぷちりと弾けたその味覚に、彼は驚愕した。
「こ、これは――!?」
人が食べ物になってるのは、まあいつものことですよね(凶
身近でおいしそうな(紅蓮基準)人を探してみたんですが、いませんでした。考えてみれば、普通に明るい人のほうがおいしいに決まってるんだよなあ。私の周りにはあんまりうまそうな人はいません。どのみち心は食べられないんですけどね。