蒼紅の夕竜・紅蓮(3)
被災地での生活については、親族から詳しく聞いていました。というわけでそれを半端に活かしたような形で書いています。善行の自慢ほど醜いものもありませんね、やらないよりマシですが。
おにぎりに豚汁、またはカップラーメンと缶のお茶。被災地で出る糧食などたかが知れている。湖は淡水で山に囲まれていて、大した名産物もないとくればまずまともな食事など期待できないのが普通だ。明花市北部で起きた「大規模爆発事故」爆心地にほど近い、山裾の体育館に缶詰めになっている人間どもはそう思っているに違いない。
――もっとも、怪人も食事なしでは持たんわけだが。
新鮮な食材を使った滋養たっぷりの豚汁、と説明すれば美味そうにも聞こえるが、それが二日に一回ほども続けば二週間目になる前に飽きる。捕食者などと名乗っておいて獲物の肉は口に合わない贅沢ものの紅蓮には、命をそのままかじるより高次の食事が必要であった。もっとも紅蓮の狩る獲物はさまざまな意味でひどいゲテモノで、とても食えたものではなかった。栄養として摂取するのではなく、悦楽として享受するものでは腹が膨れることはない。その意味では、彼は極めて文化的な捕食者と言えよう。そのせいで人間としての食事を強制されるとしても、だ。
「ふぅ……」
「いやぁ、染みますね。これから冬に向かっていくと思うと、のんびりとはしてられないんでしょうね……。人体に有害な汚染がないだけマシですよ、本当に」
獲物を探すために避難所の入り口近くに陣取っていたが、めぼしい女はいない。来たのは殺す予定の記者だけだ。馴れ馴れしい態度を取る記者に、紅蓮はふと気になったことをぶつけてみる。
「虚しくはならないんですか」
「何に?」
「いや、失礼だが……助けもせず、ただ話を聞いて……今日来たグリーフケアとかいうものみたいに、助けもしない。虚しくないのですか」
紅蓮は丁寧な言葉で手ひどい皮肉を包んだ。しかし、記者は嫌がりもせずに、まっとう正直に答えてみせる。
「単なる興味とか野次馬根性でやってる記者もいますよ。私にも半分くらいそれはあるんだと思う。ですが、義務感というか……どうしてもこれを伝えなきゃ、見せなきゃならないという使命感があるんです」
紅蓮には理解不能だ。
「これを知ることで誰かが変わることができる、少しでも優しくなれる。そういうことなんだと思います。災害の報道は特にね。あとは、本当に支援を必要としているんだってことを伝えるためでもあります」
「思ったよりも、いい仕事ですね」
「あはは……。批判的な意見をいただくのも勉強のうちです。なんせ、自分がいまどう見られてるかが客観的に見られるわけですから」
お世辞をしっかり受け取るどころか、底知れぬポジティブシンキングだ。
「あ、でも復興支援が必要だってことは分かってもらわないといけないんです。災害にもなめられたらおしまい、みたいなところがありましてね、大したことないなということになると募金とか物資とか少ないんですよ。けっこうな被害が出てるのに震度だけ低い地震とかあると、もう大変らしくて」
この手の人間は、大きく話して自分を正当化したがるだけなのだろう。べつだん紅蓮の考え方がひねくれているわけでもなく、一般的にそう思われて仕方がない程度に、彼らは野次馬だった。
違う視点で見てみようとばかりにボランティアに取材をする、被害者のうち数人に集中して記録を続けてみる、復興の様子を毎日写真で記録する、泣き顔さえカメラに収めるなどの行為は、どうやっても好かれる類のものではない。紅蓮の抱く「迷惑だからとっとと消え失せろ」という思いは、言葉をもう少しマイルドにするとしても、ごく普通である。
「まあ、でも……言い訳させていただくなら、ボランティア団体もわりあいひどいんですよね。来ちゃいけない種類の人間を連れてくるとかよくありますし、あっ、ほら……弱い立場の女の子をナンパしたり。証拠写真……と」
デートに行く高校生のような少女が、よく日焼けした男に言い寄られている、ように見える。傍目に見て嫌がっているようだから、間違いでも問題ないだろう。
「止めに行きますよ」
「ええ、いいですよ」
当然ながら、捕食者に博愛精神はない。
――実に美味そうな……極上の果物の色をしている。
見つけたのは、まれに見る美味そうな獲物だった。
「ありがとうございました」
「いえいえ、いいんですよ。こんな可愛い女の子がひどい目に遭ってるところなんてね、黙って見ちゃいられませんから」
「もう、お世辞言わないでくださいよぉ」
言いながら頬を染めているあたり、まんざらでもないのだろう。おべっかを言う才能だけはあるらしい、と妙なところに感心しつつ、いや本当に良かったなどと心にもない文句を笑顔で言ってのける。軋轢に耐えてきた会社員、仮面の使い分けは記者にも負けない自信があった。
「すいません、お礼できなくて」
「いやぁ、その可愛い困り顔もじゅうぶんお礼だなぁ」
歯が浮くような馬鹿馬鹿しい会話だ。そう思いながら、紅蓮は適当にあいさつを交わして避難所に戻った。
◇
笑顔を隠しきれていない玉響真(偽)と、彼の天使の先輩であるルゥリンは朝食の雑炊をすくいすくい口に運んでいる。そこまで噛む必要のないものをもくもく噛んでごくりと飲み込んだあと、偽玉響は昨日聞いた馬鹿のような言い訳を反芻した。
「それにしても、銀髪のハーフだなんて上手い言い訳だな」
「鈴・ルシウス・千里。本物の戸籍もあるわ。もっとも、天使は全員そういう戸籍を持っているから特別でも何でもないけれど」
センリ・スズという戸籍は、法律に則って作られた本物だ。ただしその人物は実在しておらず、精査していけばそれが明らかになる。大抵はその情報が漏れる前に記憶の操作を施されて何をしていたか忘れるため、天使は本物の人間としてふるまっている。存在しない人間がいることが明らかになっても、もともと戸籍が必要とされるような機会はほとんどないため、大きな支障は生じない。記憶操作と戸籍作り直しはそれなりの手間だが、人智の及ばぬところにある彼らにはたやすいことだ。
それはそうと、と少女は雑炊をすくい、ふう、と吹いた。
「みんなは飽きてるけど……これ、けっこう美味しいわね」
「ああ。飽きているんじゃなくて、見通しが立たないのが嫌なんじゃないか」
しっかりとだしを取った、具材も大きくよく煮込まれた、三つ葉など入っている贅沢な雑炊である。作っているのはボランティア、それも料理の修行を積んでいる人々だった。素材の足りないところがあって続く品目もあるが、基本的には飽きないようなローテーションを組んでいる。昨日来たところだからのんきな感想が出ているのかもしれない、と偽玉響は自戒する。
なぜか大量に余っているのでおかわりを一杯もらい、平らげたところで窓際に向かってペットボトルのお茶を飲む。長話をえんえんと聞かされ、腰が痛くなるまで椅子に座り続けるうえ食事休憩も異様に短いが―― こんな職場なら、自分でも働けるのかもしれない。偽玉響がかなり的外れなことを考えていると、何かが爆発的に自分の中を通りすぎていった。思わずお茶を噴き出し「汚いわよ」とやんわり怒られる。外には誰もいなかっただろうかと確認してから「そんなことない」と反駁した。
「どうしたの」
「今、誰かが罪を広げた……怪人になった」
『その通りだ。付近に怪人がいる、等級は四神級』
「気配だけで……!?」
雰囲気だけで強さがわかる、というのもある種の才能である。その稀有な才能はこうして発揮されているが、上司の言葉にはいっさいの焦りがない。確信するほどに経験を積み重ねてきているのだ。
「たぶん、こっちだ」
偽玉響が示した方向には、確かに奇妙な気配がある。黒いものを呼び出してそこを覗かせてみると、それはたちまち炎を帯びた斬撃に打ち払われた。
「何だ……? 誰だ、この狩人の邪魔をしようというのは」
声は、三十代も後半だろう男性のものだった。
赤から紫、青へと移り変わる色彩を持った怪人だ。夕焼けと夜闇の色が混じったようでもある。手に持っているのは剣と剣の持ち手をつなげた、まるで宝飾品のごとき美麗な双剣。見ているだけでその原始的で、シンプルかつ単純な強さが伝わってくるような骨の装飾をつけている。
「四神級……確かに強そうだ」
少女の腕輪から『愉悦、殺人の二つ以上だ』と警告が発される。
「相乗効果……ここでも」
最初から本気を出すつもりなのか、天使ルゥリンはいかにも大学生のボランティアですとでも言ったような、優しそうな擬態の服装を解く。局所的に鎧で守られた短めのワンピースのどこにも汚れやほこりはない。それだけ確認して安心したらしい少女は、一言ぼそりと「反逆」とつぶやいた。
「四神級、確かにね……でも、自分より弱いものしか狩ったことのない捕食者なんて、取るに足らないものだわ」
「ほざけ」
双剣と篭手が激突して、激しい火花を散らす。罪の中でも表には出にくい「殺人の罪」は武器を作り出すため、強化されると非常に厄介だ。自分と同等の攻撃力に耐えるということは、捕食者を名乗るこいつの経験人数は少なからぬ量に達している、という事実を示唆している。
少女は、突如押し合いから後ろに飛んで逃れた。
「……そう都合よくはいかんな」
双剣の刃となる、宝石を削って作った牙のようなものが赤熱している。このまま押し合いを続けていれば焼かれていた。接触は一瞬、できる限りよけて本体に直接の攻撃を叩き込まねばならない。「愉悦の罪」は即時殺害対象として認定されている。弱いものをいたぶっていた末路として、ふさわしい終焉をもたらしてやらねばならない。
しかし、怪人の剣さばきは少女の予想を超えていた。普通の剣ならばまだしも、ここまで特殊な武器をうまく使いこなしている相手にはそうそう出くわしたことがない。体術もかなりの水準に達しているようだ。
蹴りを受け止め拳をかわし、切りつけ、縦に回して威嚇する。少女の行動を読んでいると言えるほどではないが、彼女も決定打にならない攻撃ばかり繰り返しているのは事実だ。今は腹の探りあい、本気を出すには今しばし時間が必要だろう。
ところが、窓の外を見た怪人は何かに気付いた様子を見せ、剣を全力で振り下ろす。大きく後ろに跳んだ少女へ、怪人は大胆にも宣言した。
「今日のところはここまでだ……紅蓮、爆龍剣!」
中年に差しかかった男とも思えないような小っ恥ずかしい技名を叫び、怪人は爆炎を炸裂させて突然逃げ出した。爆炎を黒いもので防いだため、図らずも逃亡を助けた形になってしまった。偽玉響は謝りながらも「それで」と少女のほうを向く。
「ぐれん……何だって?」
「紅蓮バクリュウ剣だそうよ」
「そうか……」
彼がたいそうしらけた顔になっていたのは、言うまでもないことである。
紅蓮爆龍剣!! すいませんかっこよかったからやってみたかったんです。