蒼紅の夕竜・紅蓮(1)
本編開始。異能バトルって言ってるわりに、これまでの戦闘を見ると物理率が高いような……。タグにも「物理なんとか」って書いているので明白なんですけどね。
夜陰に紛れて山道を走るがさがさという音に、鳥が飛び立った。月明かりはあるが、それですら人の求める最低の明るさにも達しない。加えて足元も良いとは言えず、とても走ることができるような道ではなかった。
しかし、どうやらその走る人影は一般的な理屈や人智の当てはまるところではないようだ。麻の色の、木の根のようにごつごつしたシルエットは見る限り人間ではない。少し離れた位置を同じように走る者も、ウイスキーを固体にしたような奇妙な色彩を全身に纏い、ぼろきれを連ねたような毛皮に包まれている。
「クロイアとユグランス、同時に」
「欠片は」
「心臓の上」
「了解」
それを負う二人の人影も、姿こそより人に似てはいても、どうやら人ではない。どうやら青年らしく見えるものが黒い何かを伸ばし、瞬時に二体の怪人を捕らえた。後ろから現れた少女は「よくやったわ」と言って静かに立ち止まった。
「すぐ?」
「ええ」
見れば、夜闇にまぎれて無数の触手や腕、蛇や竜のような細長いものがざわめいている。このようなことができるものが、まさか人間であろうはずもない。
手は怪人たちに伸び、もがく彼らを強引に地面に縛り付けた。そして数本の触手が怪人の胸に食い込み、ごりごりという生々しい音を響かせる。口を開けてうめき、手を痙攣させながら必死に抵抗する怪人の胸から、どろどろした液体にまみれたものが出てきた。手は律儀に少女へそれを向け、触手にぺたぺたと液体を拭わせてから、ぽいと投げる。
「拭わなくていいんだけど」
「汚いだろう」
そして二体の怪人は、時間を少し置いて人の姿に変わった。同じ社章をさげたサラリーマンの二人組である。何か特筆すべき特徴があるわけでもなく、人ごみから彼らを確実に見つけ出せる手がかりも、見ている限りない。
「……清々しいくらい、まったく普通の人間だな」
「あなたもね」
「言うな…… 帰ろう」
いつの間にか魔の群れは雲散霧消し、不気味に平和で静かな夜だけがあった。山道をゆっくり歩きながら、不可思議に思えるほど美しい少女は、闇に溶けそうな青年に尋ねる。
「それにしても―― あなた、言われるがままに働くけど。プライドとか反骨心とか、まるでないのね。こんなに素直な人、初めて見たわよ」
「逆らう部下が欲しいのか」
「そうじゃないわ、違うけれど…… 人間としての心が欠けていると思うの」
「この仕事を始めてずっと疑問だったんだが」
青年は、面倒臭そうに首を横へ向け、黒い目をいっそう暗くして少女の顔を見る。
「俺は人間か?」
「天使見習いよ」
即刻、それ以上の言葉を切断するように少女は言った。
「あんたは?」
「天使よ。あなたの指導役」
青年は首をかしげ、うなる。
「俺より…… 俺の「泉」より強いのか?」
「あなたは並みの天使よりよほど強い。でも、私は地上に派遣されている天使でも最強。うぬぼれではないの。この前も天級怪物を止めたところ」
空中に想像図を配置したのか、指を順繰りに動かしていった青年が止まる。どうやら途中でわからなくなってしまったようだ。
「……等級分け、もう一回説明してもらっていいか」
「ええ、いいわ」
天使と名乗った少女は、にこりともせず、ごまかしも誇張もせず語りだした。
「一番弱い等級は「人」。その下に「狐」があるのは野狐から天狐まで広がりがあるから、不明の方ね。下の方の等級「人」「虎」はさほど強くない。それより上の「鬼」「魔」になってくると、天使にも対抗するくらい強いわ」
彼女はそこで言葉を切り、少し声を低める。
「さらに上、最上級…… というより、ある種の神に近付いてくると「四神」「天」になる。ここまで来ると、強すぎて並みの天使は殺されてしまう。そこで私たちの出番が来る、ってわけ。この前の天級は強すぎた…… 怪物の誕生だけで街ひとつがなくなり、身じろぎしただけで五千人以上死んだ。近くにいた私が、辛くも倒してなんとかなったわ」
「そいつはどうなった?」
「不明。おとなしくしてるけど、いつまた暴れだすかわからないから監視付きね。欠片を五つも吸収してて、しかも半分あさっての方向に吹き飛ばしちゃったから捜索中」
何かを疑うような表情だが、青年はそれを言葉には出さなかった。
「……それじゃ、次に行きましょうか」
「ああ…… どこへ行くんだ?」
少女は、眉をしかめて「電車に乗るの」と言う。
「遠いのか」
「ええ。ずいぶん遠くまで逃げてしまったから」
夜は、ひとりこっそりと更けていった。
◇
特殊災害と名付けられた例の災害から避難してきた人が、近くの学校や自治会館に集っていた。仮の避難所となっている場所だ。たった五日ではあるが、疲れ切った顔や苛立ちを抑える顔、不安におびえる親子など、災害に付きまとう何もかもが見られる。
ただし、それはあくまで普通の人間に限った話である。人の不幸を飯の種にする者、プライバシーがなくなることを喜ぶ者、そして罪に染まりし化け物どもは、この未曾有の大災害を喜んでいた。
紅蓮は自分の幸運に感謝している。五日前の大災厄から逃れられたのは、ひとえに幸運だったからだ。あのようなものがこの世に存在することは知っていた。かつ、拡大解釈としてあのようなものが存在していておかしくないとは思っていた。
(だが、あれは―― 別格だ)
別格と言おうか別物と言おうか、とにかく、彼が想像しうるそれの限界を何十段階も一気に飛び越えて、あってはならないものとして存在していた。あんなものがいるということ自体が、彼らの力をこれ以上ないほどに強く訴えかけている。
今ならば、世間は彼に注目して来ないだろう。住民の関心事項はもっぱら、あの災禍の中心で何があったかであり、新たに起きている事件には目が向いていない。ある種、チャンスなのだ。彼の本能に従った行動を為すのにちょうどよい機会である。
すっと歩み寄ってきた男は、実に美味そうに見える。さぞやたくさんの記憶を蓄積しているだろう、多くのものを見てきたらしい目をしていた。中年男だが、近寄ってきて不快感がないあたり、なかなか老練の相手だ。
「すみません、週刊薫丹のものですが……」
「はい?」
こういうインタビューがあると、被害者に紛れやすい。
「避難所の生活は……?」
「やはり辛いですね。持ち家が潰れてしまって……」
つらつらと、ここだけは本当のことを述べる。実際、高級な家具や快適な家、その他いろいろに使えるものやちょっとしたペットのようなものまで置いてあったと言うのに、すべてが崩壊してしまった。銀行の支店は他にもあるので金の心配はないが、住むところを失ってしまったという損失は非常に大きい。
「しかし、本当に何があったんでしょうね?」
「離れていたのでよく分からなかったんですが…… なにか黒いものがもやもやと湧き上がって…… それで、何もかもが吹き飛んだように見えました」
「黒いもや……?」
嘘は一切言っていない。何があったのかは本当に分からないのだ。怪人の覚醒が最悪の形で起こったのだろう、ということは察しが付く。あれは罪のエネルギーだ。しかも覚醒直後の超越的にあふれ出すパワーと見てほぼ間違いない。どうやってあそこまでパワーを増幅したのか定かではないが、ストレスの増加と相場が決まっている以上、その理由を推測するのはひどく難しいことではない。
「ええ、黒い…… ちっとも見通せない、もやでした」
「何だと思いますか?」
「何…… 何なんでしょうね」
紅蓮が覚醒したときにも、数十人単位の死者が出たように思う。力の性質も相まってただの火災として片付けられたようだが、彼の心の内には今でも記念すべき日として刻まれていた。いい意味でも、悪い意味でもある。ストレスが極限に達したために覚醒したのだから人生最悪の日だ。しかし、新たな目覚めを得たという意味では人生最高の日でなければならない。街ひとつを消し去る力ならばいずれ邪魔にもなろうが、紅蓮にはそこまで大袈裟な力をわざわざ止める理由を持っていなかった。
死人が出ても、副次的な災害のように扱われている。これは非常にうまい状況なのだ。何もかもの罪をかの黒い怪物になすりつけ、のうのうと暮らしていられる。そのうえ、怪物の存在はあまり知られていない。今なら何でもやり放題なのである。
「そういえば怪人や怪物が出没しているという噂がありますが、どう思いますか?」
「怪人……?」
怪人という名前を使っているのは、どのような意図があってのことか。単に超人、もしくは不審人物を表しているわけではないだろう。
「あれは、怪物の仕業なんでしょうか」
「最近、そういうものの目撃例が多発しているんですよ」
聞くと、情報が寄せられるところは多岐にわたり、警察機関や報道機関、保健所にまで相談が寄せられているのだという。
「人間には見えないものを見ただとか、人間がもやもやっとして怪人になっただとか。俄かには信じられないような情報ばかりなんですが、どうも嘘じゃない…… というか、明らかにそれらしい映像がね……」
「へえ…… よく捉えましたね」
そう簡単ではなかったろう。犠牲者も出たかもしれない。人間もなかなか侮れないものである。怪人も元々は人間だ、それくらいのミスはあって当然かもしれぬ。
「興味あります? どうです、見ますか」
「ええ、ぜひ」
誰が撮影されたのだろう。
「…………」
「すごいでしょう、ここまで鮮明に取れるなんて思いもしませんでしたよ。人間に擬態しているのかしていないのかは分かりませんが――」
宝石を削って牙のように加工したものをふたつつなげたような双剣、イチゴの赤からラベンダーの青紫にまで渡る色彩、ところどころに浮き出た恐竜の化石のような装飾、獲物を喰らったのち力に変えたことを示すような角や牙や甲殻の意匠。全体的には赤と紫と青にまたがる色彩の、双剣を手にした、恐竜をモチーフとした怪人だった。どう見ても、紅蓮の姿だ。
双剣を振るって女性の背中をばさりと切りつけ、血を噴いて倒れた女性に向かってしゃがみこんでいる。何か色のついたものを抜き取り、その場で美味そうに食っていた。
「何をしているんでしょうね」
「私の推測ですが、何か彼の求めるものを持っていたんじゃないでしょうか。この、色のついたもの…… 何か特殊な……」
なかなか鋭いようだ。
紅蓮は、殺す予定の人間を一人増やすことにした。
クロイア=ウミケムシ
ユグランス=オニグルミ
ですかね。学名のカタカナ読みです。メインは分かりやすい学名、というか学名で呼ばれるのが通例な生き物なので心配ありません。
紅蓮のモデルは「グレングラファイトバグスターLv99」です。というか文字で書かれた姿はどう見てもそのままなんですけど。色と武器は変えてあるからギリギリ…… チャンバラ? いやセーフですか。