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昏き眠り(4)

 文芸部で「この終わり良くね?」と言われたので投稿してみた、だったりします。実際にこれまで書いたもの、数少ない完結済み作品の中でもこれはベストなんじゃないかと思っていたりする(自文自賛

 芳村がちらちらと自分の方を見ていることに気付いたルゥリンは「どうしたの」と聞く。これまでにはなかったことだと思って簡単に聞いたのだが、彼はなかなか答えない。


「……俺は、あんたを半分ほど信じている」

「ありがたいことね」


 彼は少し首をひねり、少し眉をしかめてから「もっと信じてもいいのか」と言った。


「半分じゃなく……七割、八割ほど」

「えっと、どういうことかしら」


 彼は非常に言いにくそうに、または言葉として固まっていないかのように、悩ましげな表情でこめかみに軽く丸めた拳を当てる。


「この仕事がいつまで続くかは知らない。ただ……いつかはこの被災地での仕事も終わるだろう。そのときに、あんたに着いていくのが正解なのか? あんたを信頼さえしていればいずれ罪を解消できる、救われる日が来るのか?」


 これは天使にとって、非常に難しい問いである。半分ほどは簡単に回答できるが、残り半分には答え難い、深遠な問題が含まれているのだ。


「この仕事は……天使見習いと言ったけれど、天使の仕事はいくつかある。その中でも戦いを通じて罪の欠片を回収することだと、あちこちを転々とすることになるわね。だから、いずれと言わず今週中にでもここを離れることになる」


 回収任務は優先度順に配分されているため、この明花市での任務は暫定完了ということで手を打ち、すぐ次の場所へ向かわねばならない。


「そうか……」

「寂しいの?」


 青年は「いや」と、沈み込むように低い声で答える。


「俺は、俺の中に残されていた過去の記録を閲覧した……俺に良くしてくれる人は、この街にはもういない。俺が殺したのでもあり、紅蓮に殺されたのでもある。寂しいが……だが、……もともと、誰も俺を見てはいなかったんだ」


 宮本という数少ない例外はすでに死んでいる。それ以外には裏切りの記録だけだ。信頼していた父親は、どうやらすでにこの世にいない。


「寂しい……だからもうこの街からは、少しでも早く去りたい」

「そうね……そういえば、あなたに渡したいものがあったの」


 彼女が取りだしたのは、ごく小さな本だった。


「教典?」

「ええ。あなたも天使見習いとして、きちんと認められたってこと」


 青年は目を見開いて、沈黙する。


「そう、なのか?」

「もちろんよ」


 ルゥリンは、今までに見たこともないほど晴れやかな笑顔をしている。今までの陰鬱、険悪な雰囲気がウソのように、彼女は微笑んでいた。


「あなたが人のために生きることを決めたのなら、あなたは私たち天使の仲間。これからはもっと協力していくことになるわ」


 教典を開くと、そこには日本語の文字列が並んでいる。


「正しきもののために身を捧ぐ……か。どれだけ身を尽くせば、罪が晴れるのかもわからないくらいに……たくさん、死んでいった。半死半生のやつがどう転ぶかは、本人次第だろうし……ここで俺ができることは、もうない」


「まだもう少しだけ、残ってる」

「そうなのか」


 彼女が「ほら」と指した方向には、手を振る人たちがいた。




 話を聞いてもらってずいぶん助かった、と口々に言っている人たちを、芳村は困惑した面持ちで見ている。何も大したことはしていないのに、とあくまで自分のした仕事を小さく評価している彼を、人は「そんなことないさ」と褒めそやす。


「誰かに聞いてもらえるってだけで、ずいぶんストレスが減ったよ」「うちの息子が、一皮剥けたように思えるの」「本当に、人の優しさが沁みた」「ありがとう、いてくれて」


 天使はにっこり笑って「ほら」と青年の背中を押す。


「……光栄です」

「まったくカタいなあ、最近の若いもんは……。もっと誇っていいんだよ」


「はあ……」


 囲まれたり大勢に話しかけられたりするのは得意ではないようだが、ルゥリンはそれを見守っている。彼の人間的な成長がなければ、彼女に与えられた任務の遂行率は低いままなのだ。そしてなにより、扱いにくいまま暴走の余地を残すことにもなる。それは何としても避けたいことだった。


「どうあれ、あなたはこの街を救ったのよ。それだけは事実なの」


 たとえこの街を壊滅させたのが彼自身だとしても、そして街に潜伏していた怪人全てが彼の正体に敵対的だったとしても、それ以外の脅威を退けたのは事実である。自分から救うという奇天烈なものであれ、それは同じだ。


 彼は戸惑いつつも、その過剰とも言えるような褒め言葉を聞き始める。ほとんどお世辞が混じっていないのが分かったのか、ゆっくりと警戒が解けていった。一目で分かるようなものではないが、彼は確かに笑顔を浮かべている。それを見つけたルゥリンも、思わずにこりと笑った。交わす笑顔を見た周りの人々も、笑顔になっていく。


「よく分かりませんが……笑顔って、いいですね」


「そうだろう? そんな硬い顔でうつむいてちゃあ辛くもなるよ、もっと明るく生きにゃいかんよ。否定はしないけんども。いいことがあっても分からんのは辛いよ」


「そう、ですね」


 それは、玉響が芳村の記憶を閲覧したときの感想と似ていた。


 幸せなことを「ああ、幸せだったな」と思うことができていれば、少なくとも今よりは病んでいなかったのだろうに、感性が歪んでいた芳村にそんなことはできなかったのだ。彼にとって過ぎ去った時間はすべて濁り澱み腐ったもので、見るべき価値もないものだった。どうしたらそこまで塗りつぶせるのか分からないほど黒い絵画、それが彼だったのだ。


 そうと知っていても、罪は消せない。あくまでそれは過去の記録を客観的に見た感想であって、変更可能だった地点はとうの昔に過ぎている。


「ああ、そういえば今日お別れだったね」

「ええ、名残惜しいですけど……。前から決まっていたことなので」


 言われてしまうと、なんだか寂しいような気持ちになる。決して寂しさなど覚えておらずむしろドライに別れを告げようと思っていたのに、取ってつけたように悲しい顔をしてしまう。


「そうか、君たちがここにずっといてくれるなら、いいとこを探してあげようと思ってたんだがなあ。美男美女だからね」


「あはは……」


 見た目ほど暇ではない。そして、ひとところには留まれない。


「荷物はまとめましたから、取りに行ってきますね」

「ああ、行ってらっしゃい」


 適当に抜け出せるテクニックはさすがだな、と感心しつつ玉響もそれに続く。


「そういえば、荷物消し飛んでたわね」

「えっ? ……え?」


「どうして二回言うのよ」


 四神級と天級の攻撃が至近距離で炸裂したため、彼らに与えられていた市役所の一角はほとんど消滅していた。もともと玉響は荷物らしいものを持っていなかったが、ルゥリンのスーツケースも目の前に焼け焦げ両断された無残な姿で転がっている。


「紅蓮爆龍剣と、私の拳のせい……かしら」

「ぐれん……なぜわざわざ言うんだ」


 いいじゃない、とルゥリンが笑う。その陽性の笑顔に、玉響は戸惑うような顔をした。


「まあ、なんとでもなるわ。見送りしてくれるみたいだし、行きましょう」

「……ああ」


 人々の口々に言うことは、本当のことだ。別れが寂しいのも、ルゥリンと玉響に話を聞いてもらって助かったのも、地元に居付いてくれそうな若者が行ってしまうのがちょっと困るのも、困ったらいつでも来ていいのも。


「いつかまた、ここへ来ます」

「ああ。いつでも来てくれていいよ」


「……それじゃ」

「また来るんだよ」


 芳村は、人を知らなかったのだ。彼の記憶には、こんな暖かい場面がひとつとしてない。魔物として作り出されたはずの玉響の方が人間らしいなどという皮肉が、ここまで通用していいものだろうか。


「宮本さんは……その、どう」

「荼毘に付したよ。あんまりひどかったもんで」


 玉響の人格は、その場所をあまり破壊しないように努力していた。しかし玉響でも芳村でもない、あのときの獣のようなものには、そんなことに構うような心はなかったらしい。せめて魔を動かして遺体を移動させてくれればよかったものを、紅蓮爆龍剣の発動に伴う爆炎やルゥリンの拳の衝撃波、闇の汚染にすべて巻き込まれてひどい有様だったようだ。


「いい人だったのに……」


「いい人だろうと、怪人は容赦せんさ。天使とかいうのががんばってくれりゃ、こんなこともなかろうもんだがね……そこまで無茶は言わんよ」


 天使は本当にひどい地区にしか現れないともっぱらの評判だそうである。


「あんたらが怪人に会わないように、お祈りしとくよ」

「俺も、二度とこの地区に怪人が現れないようにお祈りしておきます」


 暴走してはいけない。それに、この地区にはもう来るべきではないのだ。


 別れを済ませたらしいルゥリンと合流して、高台の駅へと歩く。


「どうだった?」

「どう、って」


 彼女は、前を向いている。


「何か救うためには、何か捨てないといけないから」

「捨てる……か。俺に聞いたが、俺は死んだんだそうだ」


「そうでしょうね。急速に再生したけど、生きているはずはないもの」

「なぜ知っていて平然としていられるんだ?」


 天使は、何も答えなかった。


「過去の失敗を何もかも帳消しにできたらいいわね……私が無駄にした五百年を、すべて意味のあるものにできるかどうかは分からないけれど」


「五百年?」


 ルゥリンは「そう、五百年」と微笑む。


「私はあるものを殺した。五百年、煉獄で焼かれていたのよ」

「あるもの――って、いったい」


 彼女は唇をぺろりとなめて「神」とだけ言う。


「あなたは幸せ者なのよ? 神殺しと一緒に仕事ができるんだから」

「天使が言っていい言葉じゃないな」


 応えるように妖しく笑う鈴・ルシウス・千里は、とても天使には見えなかった。


 駅に着いた二人は、そこで初めて後ろを振り返る。


「……ひどくなってるな」

「仕方ないわね」


 この街から、大きな禍根は消えた。もう魂を狙った連続殺人事件は起こらないだろう。そして「病者の心臓」を与えられた死者も始末され、平和になったのだ。


「どこか、何かが間違っていたような気がするんだ」


「そう育ってしまったのよ。間違いに気付いて正せるのは、今よりも後のこと。昔はどうやっても変えられないわ」


 クレーターは増え、見えていた建物がいくつか溶けたり崩れている。


「これでも、復興していくんだろうな」

「特殊災害は少なくないから、そうなるわね」


 ここで途切れた線路もいずれ修復され、崩れたり消し飛んだりした建造物もすぐ建て替わるに違いない。


「俺は、好きだった女の子がひどいやつだって知って、どうしても辛くて……当たり散らしたんだ。何もかも憎くて……。友達に頼んだんだ、自分が作った、誰より仲の良かった友達に……。頼んじゃいけなかった。俺を好きでいてくれる人も、いたんだ」


 知らなかったんだ、と玉響は声を震わせる。


「分からなかったんだ……嘘ばっかりのオバサンに、忙しくて約束が守れない父さんだったから。みんな俺にひどいことをするって、毎回それを確かめるようなことばっかり起こるから。ほんとは好きだった女の子だって、ちっとも信じてなかったよ。待ち合わせに毎回遅れるから。人ってそういうものだって、思ってたんだ」


 下を向き、膝をついて、やがて顔をうつむけ、謝罪するかのような格好になっていく。


「殺して、壊して……ごめんなさい。またここへ来て、償うから……」

「玉響真、命令が入ったわ」


 唐突にルゥリンが腕輪を見ながら、足早に歩き出す。


「このコンビに任される任務だから、急を要するわね」

「……ああ」


 真っ赤な顔から涙を拭い落として、玉響は立ち上がった。




 天使は「教典を取り出して」と言って、駅から遠い街を見る。


「1ページ、天使の宣誓を読み上げるわ」

「俺もか?」


「あなたが天使見習いになるためよ」

「そう、だな」


 人は誰もいない。驚くほど朗々とした声で天使はそれを暗誦する。


「傲慢なる幸福に終止符を・」

「悪辣なる猟欲の片翼を断ち・」


 すべての怪人は被害者だ、というのは天使の考えであるべきだとされている。宣誓の意味はそれと真逆だ。それでも、罪の欠片を回収するだけで放っておく彼らは充分に優しい。


「正しきものの恒久の繁栄を願う・」

「我ら天使すべて・」


「正しきもののために――」


 最後の言葉が、電車の騒がしい音に掻き消される。この街へと降りてくる人は一人もいないのか、ただ扉が開いただけで人の気配がなかった。


「乗りましょうか」

「ああ」




 電車が揺れる。


「ここに山があって――トンネルを抜けると、明花市は見えなくなるんだ」

「そう」


 天使は疲れもあってか、こくり、こくりと揺れ始める。


「湖はあんまりきれいじゃない。でも、泳げるところもある」

「うん……」


「そういえば、北の方にもうひとつ湖があるんだ。あそこの水はまずい」

「…………」


 寄りかかってきた少女を、青年は支える。すう、と寝息を立てる少女に困ったような苦笑を浮かべて、青年は窓の外を見た。


「……さよなら」


 そして電車は長いトンネルに入った。

 次回とその次は用語紹介と人物紹介です。参考文献などは次回に。

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