プロローグ2・万魔殿封印(1)
題名は「罪」ですが、七つの大罪とかまったく関係ないです。メジャーなものはあんまり好きじゃないので、取り入れたがらないんですね。趣味が全部マイナーなもの、というわけではないんですけども。
異常な色の日食が起こり、急速に雲が湧き、暗い色の稲妻が数千、闇空を千々に裂く。闇の中から数千、数万、いや数えても数え切れるものではないくらいに、魔物どもが現れた。雲を固めたようなもやもやしたものもあれば、真っ黒い刃を束ねたようなものもある。かと思えば獣のようなものもおり、色を違えれば天使に見えそうなものもいた。
『ゥゥウウグゥウァアアアアアアッッ!!!』
咆哮が衝撃波となって二度、三度、五度ほども周囲数キロメートルに円を描く。ガラスが割れ車が吹き飛び電信柱が半ばから千切れて宙を舞い、しまいには電車が木の葉のようにくるくると回り飛翔する始末。声とは呼べぬ声である。
声を合図に、地獄が始まった。
もやが人を包み窒息させる。黒い刃がソードオフの散弾のように散乱し、辛うじて残った信号機や看板を切断、粉砕していく。獣は人を襲って喰らい、天使のようなモノは闇を伸ばして人を捕らえ粘り気を帯びた液体に引きずり込んでいる。種々の怪物どもがそれぞれの方法に人を殺し、喰らい、暴虐の限りを尽くす。
何が起きているのか正確に理解できているものはほとんどいなかった。理解できたとしても、それは問題の解決に対してまったく寄与しない。もしくは絶望感がいや増すばかりであろう。人の身には如何ともしがたいことであると、誰もが気付いていたのだ。半ば以上人の理から外れたこの事象は、人の知る限り、力を以て解決することは叶わない。
「目標確認。害度上昇、天級に到達」
『成長が早すぎはしないか』
「停滞、後悔、背信、欺瞞、絶望、全ての罪が相乗効果を発揮しているためかと。どうやらストレスが爆発的に上昇してこうなったようです」
光を放つように白い衣装を纏った、銀髪の少女。似つかわしくないほど事務的な口調は、事実を述べてはいても、責任を果たしているとも思えない。
「最低でも昇天が始まる程度、最悪の場合だといくつかの国家の存続が危うくなるものかと思われます。即刻の対処が必要です」
『魔級までの破壊を許可する』
「お心遣い、感謝いたします」
少女は、そのまま跳躍した。
「――〈反逆〉」
真っ白い輝きの中、その瞳は濃い闇色を宿す。輝ける中の一抹の闇こそが、彼女がここにいる理由だった。
垂直距離にして50メートル超を一瞬で飛び上がった彼女は、拳を突き出した。恐ろしい数の闇の魔物どもが爆裂し弾け飛び、黒いしぶきが滝のように飛び散る。ひしめき合っていたものどもの集合に、大きなトンネルができた。
「まったく、本当に……」
敵が強ければ強いほど、彼女は強くなる。怪物百匹を同時に消滅する力は、規模にして四神級に勝るだろう。劣化コピーですらそれに達しているのだから、相対する「万魔殿」はどれだけの強さに達しているのか想像もできない。
今まで魔級、四神級、いや天級の相手すら倒してきたが、天候を変え、環境の異常を引き起こすような怪物はそう多くない。というよりも、今回のこれは強すぎる。
成長の途上に何らかの大きなトラブルを起こし、そこで挿入が発覚して怪人でなくなるのが普通のパターンである。ここまで何も起こさず、しかも突然に千人単位の死者を出すような怪物はそういない。そこに至るまでの経過をすべて飛ばして、結果だけが現れてしまっている、という危険極まりない事態だった。
もやのようなものをただの蹴りで吹き散らす。刃を拳で砕き、獣を潰し、天使を消す。ただ腕と脚のみが彼女の攻撃手段だったが、それが見えざる力や種々の武具、炎や光線や雷に劣っているとは決して言えない。
彼女の現在の力は、天級、ごく簡単に表すならば指でつつくだけで人体を四散させ得る、蹴りの一撃で高層ビルを塵芥へ返すほどに強力なのだ。本気で突きを繰り出せば、市街地など数瞬で瓦礫と砂と埃に変えることができる。しかし、許されている破壊の等級は「魔級」までで、彼女の本来の力である「四神級」はおろか、あの怪物の等級である「天級」には足元も及ばない。大きさとして例えるなら、地球と太陽を比べているようなものだ。中間に入るものが何かは考えないとしても、差がありすぎる。
せめて空へ向かってだけでも天級破壊ができれば、と拳に力をためるが、瞬間に『許可しない』と注意が入る。
「しかし……!」
『しかし、ではない。どれほどの余波があるか分からないのか』
上司の言う通り、破壊の等級が大きくなればなるほど被害は大きくなる。魔級が最大級の建造物を一撃で破壊でき、四神級はひとつの町を、天級はひとつの都市を消滅させることができるのだ。空に向かって放っても、その反動はすでに半壊したこの街を完全な瓦礫に変えてしまう。
「このままでは、この街だけではなく――」
『本当に危険になったとき、許可する。それまでは一撃で倒そうなどと考えるな。怪物を各個撃破しろ。ほかの天使も近くで奮戦している』
「奮戦?」
『いや、誤りだ。苦戦を強いられ疲弊している』
当たり前だった。
彼女が最強の天使である以上、ほかの天使は計算上、もしくは事実上それ以下の強さしか持っていないことになる。彼女の、いびつではあれ超強力な力を使ってこの状況である。ほかの天使たちが楽勝で任務に当たっているとはとうてい思えなかった。
『貴様らが何人死のうが我々には打撃にならん。しかしルゥリン貴様は別だ。目に余るほどの力、まだ失くされては困る』
「それでは――」
『このままでは貴様が死ぬと判断したときは、天級の破壊を了承する』
「そんな……」
相手に近似の戦闘能力になっているということは、よほどのことでなければ傷を負わないということだ。相手がどれだけ努力しても、自分をも害する力を持つのは非常に難しい。しかしながら、この場合だけで言えば、この怪物はそのようなことなど考えもなしに為すほど強かった。
『ところで貴様、その黒いものは――?』
「黒い?」
土汚れでしょうかと天使が言うと、この私に貴様と戯れる暇があると思うか、と上司は声を低める。
『そもそも私が何か判別できぬものの話をしているのだ。それは何だ』
上司が『裾についているそれだ』と言ったものは、確かに裾に付着していた。そして、それが何であるかの判別は付かない。
『浸食しているようだが……』
戦闘経験そのものはないが、上司は理論に詳しい。数瞬の思考で答えを導き出した彼は、はっとして叫んだ。
『しまった、浸食性の煤か! 相乗が強力すぎるッ……』
怪物の主な能力は配下となる魔物の召喚だが、それ以外の実に5つにものぼる罪が残されている。これらが何の影響も及ぼさないはずがなかった。
『絶望の罪と後悔の罪が混じり合って、浸食性の煤になっている。直接攻撃能力のある停滞の罪とさっきのふたつが、背信の罪と欺瞞の罪でさらに強化され―― なるほど……!』
刃に毒を塗りつけるような卑劣な攻撃だ。それが魔物の数だけ、影の泉から出てくる細長いものの数だけ振りまかれていることになる。生物的汚染どころの話ではない。その場所にいればいるほど毒され、空気を吸い込み、活動すればするほど毒は回っていく。
『天級破壊を了承する。完全破壊や回収は後回しにして早急に万魔殿を止めろ。汚染が広がれば面倒なことになる』
「了解」
うなずいた天使は、その両目に闇の光をたぎらせた。
全員が辛うじて命を保っている。十字架のような生易しいものはなく、全身に突き刺さる釘のようなイバラのようなものだけが十人ほどの高校生を支える唯一の枷だった。
「助けて、助けて……」「いやだいやだいやだ、やめてぐれっ」「許してくれ、なんでもするから、お願いだから、頼むよ」
死にかけが半分、まともに生きているものが残り半分だ。そのうちでも叫ぶほど元気があるものはほんの数名に限られた。しかし、どれほど叫んだところで結果が変わりはしない。遅かれ早かれ彼らは死ぬか、それよりもはるかに惨い仕打ちに逢うことになるだろう。
向こうで戦いは続いている。白いものがひらり、ふわりと舞うたびに黒血が噴き出し闇の肉片が舞い散り、影の骨が裂け泥のハラワタが撒かれた。
ひときわ丈夫だった、剣を束ねたミミズが下半身と泣き別れて落下する。闇の球体はそれに優しく手を差し伸べ、死にかかった上半身へ黒いものを投射した。すると、剣蚯蚓はおそろしい勢いで再生し、また戦場へと向かってゆく。
とてつもなく大きな球体から、ぬるりと胎児のように黒い人型が姿を現す。痛々しいほどに刺々しく、人間を失ったように五つの目を輝かせる怪人は、確かに彼らの知っている者であるはずだった。
『喰らえ』
鐘が鳴ったと聞き違えるほど重々しい声が、大切に保存されていた苦しみを解き放った。ほんの小さな針のようなものが無数に湧き出し、青年たちを順々に貫く。彼らの体がロックミシンをかけられる布地ででもあったかのように、凄まじい速さで穴だらけになっていく。すでに手足の大半を吹き飛ばされていたものや顔が剥がれているもの、体のあちこちが千切れているものが死に出した。しかし、王はそのような苦しみの終わりを許さない。
『病者の心臓を与える』
体がばらばらになり死んだものに、圧力により内臓がつぶれ血を噴いて死んだものに、王は黒い塊を投げ与える。それは「病者の心臓」と呼ばれる、人の世にはないものだ。心臓は瘴気となって広がり、死んだ体を覆い復活させた。剥げた皮膚をつなげ、破裂した臓器を補填して、血液の代わりに流れ、もげた手足を元の場所に据え、ない眼球を再生する。
地獄の現界だった。もしくはプロメテウスの受けた罰の再現であろうか。噛み千切られ、噛み砕かれて吐き出される。内側から切り刻まれ、血煙とともに爆発四散する。闇に取り込まれいたずらに部位を消去される。末端から頭部へ向かって、数回に分けて棍棒で圧縮されて潰される。どのような目に遭っても、数個を連ねて与えられた「病者の心臓」はすぐさまその傷を再生してしまう。死ぬことは決してできず、かといって与えられた力は拘束を抜け出すに足るほど強くはない。
そして、天使はそこに到着する。炸裂した白い光が、闇の瘴気を強引に吹き払った。集合しつつあった怪物はまとめて消滅し、とうとう本体へと攻撃が届く距離まで近付くことができている。拘束されていた肉体たちはどこへやら、黒い影や魔物たちも消え失せて、不健康な紫に濁っていた陽光は徐々に赤みを取り戻し始めていた。
「天級破壊を実行します」
『了承する』
もはや止めるものはなく、白い少女は一気に跳躍、闇の球体に迫る。天使の拳が、ついに闇を破壊した。
雲が裂け、光が大地を灼いた。
プロメテウスは、ギリシア神話で人類に火を与えたとされているかなり最初のほうの神のことです。人類の教育のカリキュラムとして主神ゼウスが考えていたものとは違い、山に縛り付けられ肝臓を食われるという拷問を科せられることに。でも不死身なので毎日再生、毎日内臓抜かれてぐぎゃあああという大変つらい罰になってしまいます。解放されたんだっけ、そこはうろ覚えですが。あと不死身の起源ってどこからなんだっけ……?
いちおう全11話ってことになってますが、続きが書けたらまた投げ込むつもりでいます。