落語 「西行鼓ヶ滝 」 歌心の神はかく言ヘリとぞ聞く。
エー
むかしむかし
西行法師というたぐいまれなる歌人がおりました。
漂泊の歌人
放浪の歌人ともいわれております。
このお方、もともとは北面の武士でありましたが
故あって刀を捨てて出家、漂泊のうたびととならっしゃったのであります。
さて西行法師の若かりし頃のまだ歌道に入門したての頃のお話であります。
摂津の国の「鼓ヶ滝」という滝の名所に来たのであります。
早速その滝の美しさに感動して一首詠みました。
『伝え聞く 鼓が滝に来てみれば 沢辺に咲きし たんぽぽの花』
我ながらよい歌ができたものよと、満足してしばらく風景に見入っておりましたが
山の日は暮れやすいとことわざ通り気が付くとあたりは夕闇が迫っていたのでした。
西行法師「やれやれ今日はここで野宿かいのう」と
思案して山道をたどってゆくとかなたにぽっと灯がともった山家が見えてきたのです。
「やれうれしや」と近づいて今夜の宿を乞います。
心よく招き入れられて夕餉もいただきましたが、
この家は爺と婆と孫娘の三人暮らしの様子。
西行夕餉のお礼にと、先ほど読んだ和歌を披露いたしましたとさ。
『伝え聞く 鼓が滝に来てみれば 沢辺に咲きし たんぽぽの花』
それを聞いた爺さんが、
「はて、、旅の人、
こう直したならもっと良くなるのではないかな?」
といって
「音に聞く 鼓が滝に来てみれば 沢辺に咲きし たんぽぽの花』
と直したのでした。
西行「ううむ、こんな田舎爺さんに直されるとは、、」
しかし、、
確かに、「鼓」、、ですからそれにかけて、「音に聞く」、、とした方が一層興趣が深まったことは否めません。
西行、心の中で「ううっむ、確かに的を得ておる」と感心したのでした。
するとさらにおばあさんが出てきて
「旅の人、どうでしょう
こう直したらもっと味わいが深まるのでは?
といって、
『音に聞く 鼓が滝を打ちみれば 沢辺に咲きし たんぽぽの花』
と、直されたのでした、
二度も直されて、、
西行さすがにいささかむっとしたがぐっとこらえて、
「確かに「打つ」、、、と、、「鼓」、、で、かかっていて(かかり言葉)この方がよいではないか」と感心するのでした。
ところが、、さらに孫娘までもが出てきて、、
「私にも直させてくださいな」といってスラスラと紙に書いたのが、
『音に聞く鼓が滝を打ちみれば、川辺に咲きし白百合の花』
小娘いわく
「この滝にはタンポポではなくて似合うのは白百合でしょう?そしてこの辺りは川辺郡と呼ばれていますから沢辺ではなく川辺の方がおよろしいのでは?」
これではもう原型をとどめていませんね。
完全に修正されつくされてしまったのです。
「こんな小娘にまで直されてしまうとは、何たることよ、しかも原型もとどめないほどに、、」
西行、、そのこみあげてくる怒りを必死に、抑えて、、、振り返ってみれば、、。
でも?確かに、、この方が西行の最初の和歌よりもずっと良いのです。
西行深く感じ入って、「まだまだ歌の道の修行が足りないわい」と
慢心を抑えて、反省したそうです。
するとその時一陣の風がひゅーと吹き抜け、、、、
あらら、山家もじいもばあも娘も消え失せて、、
気が付けば西行は一本の松の大樹の根元に寄りかかって居眠りしていたのでした。
西行思うに
これは私の慢心を諫めるために
和歌の神様が3人に姿を変えて夢に現れたに違いないと、、、、。
それより後には
西行、
いいよ和歌の道に精進して
のちには日本一の大歌人となったというお話です。
おそらくは
じいさまが住吉明神、
ばあさまが人丸明神
孫娘が玉津島明神
だったのでしょう。
ちなみにこのお三方は「和歌3神」といわれる神々なのです。
と、、
そこへたまたま一人の木こりが通りかかりました。
西行、今の話を木こりにかくかくしかじかと語り
「和歌の神様に失礼はなかっただろうか」と
木こりにいうと、
木こりは
「大丈夫だあ。この滝は鼓で、バチ(撥)はあたらないよお」
というオチ。
おあとがおよろしいようで、、、。
西行のような大歌人でも、初心者の頃には、歌の道の修行の道は厳しく遠いという
お話でした。
西行の和歌
『願はくは花のもとにて春死なむ その如月の望月の頃』
『年たけてまた越ゆべしと思ひきや 命なりけり小夜の中山』
『さびしさに堪へたる人のまたもあれな 庵ならべむ冬の山里』
「ねかはくは 花のしたにて 春しなん そのきさらきの もちつきのころ」