盗んでもいい?その心
流れ星を見たことがある? と、訊いてきたのは、少し、フクザツな関係にある女の子からだった。
急に話題が変わったのは、ちょっとした気分転換のつもりだったからかもしれないし、BGM代わりに流していた深夜の映画が天気予報に変わっていたからかもしれないし、それとも、なにかもっと深い理由があったからかもしれない。
俺は……。
ずっと昔、星が流れるのを見た。
それは、夏休みの始まりの出来事で……自由研究とかそういったことの一環としてだったと思う。
細かい部分は思い出せない。
ただ、空を見上げたのははっきりと覚えている。ちらちらと、目を凝らせば余計に見えなくなるような、淡い星々と――弧を描いた、一筋の光が……。
あれが――中学校? ああ、いや、小学校高学年の頃だったかもしれないけど、いずれにしてもずいぶんと昔の事なので、夢か現かよく分からない。
「そういうのって――」
「うん?」
「ちょっともったいないよね。一生モノだっていいはずなのに」
もったいない、と、言われても反応に困る。窓の外を見上げれば、一月の零度の空気の中、ただただ真っ暗な東京の空が映っていた。
多分、きっとそんなものなんだと思う。星空とか、流星なんていう物は。
若いときに必死で探して――、探し続けて、でも、見つけられないままに時が過ぎて、いつかそういうものだと納得してしまう。
しかも今は、大学の後期の単位認定試験の目前だ。
カップ麺の出来上がる三分間の話題としては、文学的過ぎる話題に、俺は肩を竦めて……弟子、というか、なんというか、解釈に困る同級生の異性を見た。
「今は、星空よりも、もっと現実的な問題が目の前にあるだろ」
受験生は、この土日でセンター試験。
学部生の俺達は、センター試験が終わると同時に単位認定試験だ。一月のこの時期は、お気楽に過ごすというわけにはいかないらしい。大学二年になった今でも。
「私、試験って苦手なんだ」
と、言った琴音。
まあ、分からなくもない。
昨今、大学では減り続ける学生をなんとか留めようと、色々な作戦を練りはじめ、ついにウチの大学にもエルダー制度なる、劣等生の面倒を優等生が見る制度が出来てしまった。
俺が二年になって、成績上位者特権の学費変換と引き換えに引き受けたのが、この佐々木 琴音という女子生徒。しかし、講義を受ける姿勢やノートに全く問題は無く……具体的な改善策も伝えられないまま、後期を終えようとしていた。
前期の単位認定試験の感じから、テストって雰囲気というか緊張感が苦手なのかな、と、分かりはじめてはいたけど、そういうメンタル的なものは、ぽっとでのエルダーなんかにはどうしようもない問題で……。
形式ばかりの試験対策を一緒に行って、少しでもリラックスというか、安心して試験を受けさせられるように時を使うことしか出来ていない。
「ああいうのって、どうすればいいんだろ?」
他人の家のコタツで丸くなっている、ちょっと子供っぽい琴音に、上目遣いに見つめられ、若干返事に困る。
ちなみにだけど、間違いが起こらないように、エルダー制度では、普通は同性でペアを組まされる。俺達は、あまりもの同士みたいな感じ。あまりもののペアということで、親近感は湧かなくもないが、それ以上に、なんというか、独特の緊張感も感じてしまう。
「俺は、普通の授業よりもテストの方が好きだから……」
昔っから、先生の話を訊いて、黒板を描写して、宿題をやってとかそういうのよりも、さっさと次々物事を進めたくて、普通の授業より、優劣を競えるテストが俺は好きだった。
「変だよ、アンタ」
と、変人代表のような琴音が呟く。
ドテラ……半纏? まあ、どっちでもいいけど、そのぼてっとしたのを上に来ていられると、手を出そうって気にならないから不思議だ。着膨れして見えるせいだろうか? 昔の人も、こういう目的で着て――は、いないんだろうけど、でも、やっぱりなんか、厚着するなら、かっこいいコートとかそういうので決めて欲しかった。
ジャージと半纏、コタツのコンボなんて、間違いを起こそうって気にはならない。
「私ってさ、むかしっから、緊張に弱かったんだぁ」
「そうなのか?」
「うん。運動会とか、合唱コンクールとか、皆に迷惑掛けてたなぁ」
あ――、それは、ちょっとフォローし難い。
俺って、足引っ張ったやつを非難する筆頭みたいな感じだったし。
カップ麺の蓋を開けようとして――、琴音に止められた。
「まだ早い」
「三分たたなくても、食えるぞ」
むしろ、ちょっと早めに開けた方が、アルデンテっていうか、麺がぐずぐずになっていなくて俺は好きなんだが……。
「いーの、三分って書いてあるんだから、待ってあげるの」
そういうことらしい。
変わったこだわりだ。
まあ、彼氏でもない男の部屋――いくらエルダー制度で面倒を見てもらっているとはいえ――に、試験勉強対策とはいえ、無防備で上がりこみ、楽だからとジャージと半纏に着替えるだけのことはある。
色気を少しぐらいだせってんだ、こんちくしょう。
はふぅ、と、勉強でこもった頭の中の熱を吐き出すように溜息をつき、両手を畳に衝いて、煤けた安アパートの天井を見上げる。
「だから、ね」
うん?
「流れ星って、そういうことだと思うんだ」
……ううん?
ああ、最初の話題に戻ったのか。
分かり難い話に、半目で適当に相槌を打つ。
「見たい人じゃなくて、見えなきゃいけない人にしか見えないんだって」
見たい人=琴音、見えなきゃいけない人=俺、らしい。でも、見えなきゃいけない人ってなんだ?
少しだけ小首を傾げると……、琴音にアイアンクローをかまされ、床に押し倒された。
「……お前な、もうちょっと考えて行動しろよ?」
男を床に押し付けて無事ですむと思うなよ、と、額の手をどけると、琴音の黒目がちな目が俺を覗き込んで――、というか、蛍光灯と俺との間に入るように琴音が顔を突き出してきた。
「アンタってさ。別に、この先も一人でやっていけるんだろうけどね。それだけじゃもったいないっていうか……」
「……まあ、確かに、ここで変な女に引っ掛かったら、俺の人生もったいないな」
琴音の動きが止まり、半目で睨まれた。
しらこい顔で見上げる俺。
つんつん、と、琴音が俺の左胸をつついた。
「盗まれたでしょ?」
「全然。耳を押し当ててみな、しっかりと鼓動してるのが聞こえるから」
「…………」
「…………」
「ハートは私が奪い取った」
「お前にか? 冗談」
「…………」
「…………」
「盗んでもいい? その心」
「無駄な足掻きは、やめておけ」
「…………」
「…………」
「おろかもの、おろかもの、おろかものー!」
ばふん、と、俺の腹の上に琴音が飛び乗って暴れ始めあがった。
「お前がだからな!?」
くそう、マウントポジションを取られた。
同じ日に成人式を迎えたはずの二十歳児に、組み敷かれないようにと抵抗を試みる俺。
俺を押さえようとする手をつかみ返しながら、コイツ、俺が居ないと本当にダメだよな。なんて思ってしまうが、まだ一歩が踏み出せない。
そうだな、次に星が流れるのが見えたその時には――。
もうちょっとだけなら、優しくしようかな、なんて考えていた。