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二 予感

 土曜日の夕暮れ時、通常でも最も込み合うときだが、さらにここ数週間つづく賑わいに、森と湖を背にした近郊型高級リゾートホテルはその格式を保てるぎりぎりかそれ以上の人数の来客の対応に追われていた。

 下界の街並みを見下ろす高台に変形の巨大なプールとそれを囲む屋外のカフェ・バーが構えられ、さらにそれらを見渡せる高さに広々としたメインロビーとラウンジが広がっている。プールサイドで日の入りと同時に始まり夜中まで毎時ちょうどに行われる著名ミュージシャンのライブは、頻繁にアーティストが交代ししかも短時間だが、無料ライブとしては驚くような顔ぶれであるのが評判となり、日増しに来客が増している。

 フロントで、和泉は忙しく立ち回りながら、今日必ず現れるであろう警備会社のふたりの警護員のことを考え始めていた。その時間帯に無理を言って休憩時間を当ててあるが、万一ということもある。

 果たして、予想より早めに二人の姿を和泉は見つけ、隣の正社員のフロント係へ声をかけた。

「あの、すみません、一番行ってきます。」

 化粧室へ行く、という意味である。

「はい、どうぞ。」

 和泉は顔を伏せるようにして、奥のスタッフ用出入り口から姿を消した。

 夕日が差し込むロビーのラウンジの、フロントと反対側のガラス扉から、茂と月ヶ瀬が室内へ足を踏み入れていた。

 昼間のうちに月ヶ瀬にチェックしてもらった事前準備の書類や図面は携帯端末に落とし込んであるが、実際の現場でルートマップをもとに歩いてみるのは、葛城がやっていたような細かさでやると一晩かかっても終わりそうにない作業だった。茂はときどき立ち止まり、少し戻ってやり直したり試行錯誤する。

「あまり不自然な歩き方をしないでね、河合さん。不審人物だと思われてしまうよ。」

 月ヶ瀬がめんどくさそうな口調でささやく。

「はい、すみません。」

「ライブが始まったらクライアントの位置を想定して実際の立ち位置にいてもらえる?」

「はい。」

 ひととおりロビー内の下見をした後、茂はラウンジのひとつのテーブルに座り、月ヶ瀬は離れた周回警護の位置取りをし、ライブの最初の数分間、実際の視野や騒音の状況を確認する。予想以上の人出だ。見通しは悪くないが、動きづらい。

 ラウンジのテーブルを離れた茂のところへ、月ヶ瀬が合流する。

「タクシーでクライアントが到着して、車寄せからここまで、そして食事終了時刻はホテルの情報だともっと人が増えてる。襲撃は必ず起こりそうだね。」

 茂は少し驚いて月ヶ瀬の、蒼みがかったような白い肌のその顔を見た。月ヶ瀬は楽しそうに笑っていた。

 襲撃が起こりそうだということが、嬉しいかのようだった。

「こんなにひと目があると、やりにくいのではないでしょうか。」

「そうだね。でも素人っていうのは、人が多いほうが自分が目立たないと思うんだよ。それはある意味事実なんだけど、それは熟練した襲撃者にとってだけの話だ。」

「はい。」

「スーパーマーケットで、万引きする客って、店に入った瞬間からだいたい分かるんだそうだけど、警護員にとっての襲撃犯もおんなじようなもんだよね。河合さんもその辺は大丈夫なんでしょ?」

「あ、はい、たぶん・・・。」

「そしてこういう場所で、もしも犯行に及んだら、素人の犯人が逃げ切れることはない。必ず押さえるよ。いいね?」

「はい。」

 月ヶ瀬はさらに楽しそうな表情になった。冷たい顔の人間が楽しそうにすることほど、ぞっとすることはないと、茂は思った。

 二人はロビーの出口、車寄せのほうへ歩く。

「ルートマップ、そこまで細かくする必要はないよ、河合さん。」

「・・・・」

「たぶん葛城は、襲撃の機会を絶対につくらないための、精密なマップを作っているんだと思うけど。それをそのまま真似する必要はない。」

「・・・そうなんでしょうか。」

「襲撃の機会がない、ということはとても大事なことだけど、それは同時に、襲撃の先送りにしかならないこともあるからね。」

「え・・・・」

「まあ、本番に期待しよう。そして、もしもやってくれるなら、派手にやってくれたほうがいい。」

「?」

「派手にやってくれたら、こちらも派手にやれるわけだからね。」

 茂は再びまじまじと月ヶ瀬の横顔を見つめた。



 短い休憩時間に入り、ホテルから少し離れた路上の軽自動車で、和泉は携帯電話の先の相手が妙に楽しそうなことに当惑していた。

「和泉、お前まじで、ドМやな、ドМ。」

「いいかげんに怒りますよ、酒井さん!」

「だってほんまに・・・」

 電話の向こうの男性は、ゆるやかな関西弁で答えかけ、可笑しさに耐えかねたようにしばらく笑っている。

「今回、仕事はまったく何の関係もないんですから、問題ありません。たまたま現場が重なっているだけなんですから。」

「でも、大森パトロールさんのところの警護員、あの河合さんやで。もう一人、今回ついてるのは葛城さんやないけどな。」

「そうですね。それも吉田さんからうかがったとおりでした。本番は一週間後というのも情報どおりのようです。」

「それまでに仕事終えて、なるべく顔合わさんようにするのは、やっぱり無理か。」

「たぶん無理です。」

 和泉はため息をついた。

「・・・いくらお前でも、潜入したばっかりのホテルで、顧客情報を盗み出すのは、実働三日や四日じゃ無理やな。確かに。」

「フロント係に入ることができただけでも、褒めてくださいね。」

「そうやなあ。」

 ホテルのプールの方向から、ライブの音が風に乗って届いていた。

「例の企業の関係者は、社名を変えて複数回このホテルで会合を持っています。宿泊も相当回数に上ってますから、お客様の会社以外にも関係する会社はかなりの数になりそうです。情報を選び出している時間はないですね、いずれにせよ。」

「・・・作業は、くれぐれも気いつけや。」

「大丈夫、ホテル側の監視は予想通り甘いです。」

「ホテルはもちろんやけど、例の企業のほうもや。暴力団まがいのひとたちやから、注意点は二つ、恭子さんが言ってはったやろ。」

「はい。ひとつは、私と同じことをしているかも知れないこと。そして・・・」

「もうひとつは、そのことで万一お前のことに気がついた場合は、暴力を使う恐れがあるということや。まあ、これは恭子さんも心配しすぎかもしれへんっておっしゃってたけどな。だが、今回俺が参加する理由は、それやからな。」

「わかってます。」

数秒間の沈黙の後、酒井が付け足すように言った。

「それじゃ、今度はデータ持ち出し日に現地で。俺もお前と顔会わさんで済むことを祈るけど。それから、ルールC、念のため復唱してみ。」

「縁起でもない」

「いつやったか、京都の絶景ポイントで、お前があの新人警護員さんにうちの会社をお勧めするために色々自慢したことがあったけど、あれ、厳密には説明不足やからな。」

「ええ、まあ。」

「うちの会社はエージェントを大切にするし、去る者は追わない。裏切ろうが脱退しようが制裁などしない。それは嘘いつわりのない事実や。けど、じゃあ会社に尽くす者は『絶対に見捨てません』かといえば、それは不正確やな。きっちり例外がある。」

「はい。」

「今回、お前もその対象やし、そして、俺もやからな。」

 そして和泉は一言一句違わず規定文を暗唱した。



 月曜から平日夜の、クライアントの勤務先から自宅までの移動時警護が始まってから、茂は葛城と話がしたいと日増しに思うようになっていたが、なぜか警護帰りに事務所に寄っても、ぱったりと顔を会わせなくなった。高原は火曜と木曜には事務所にいたが、葛城の動静を聞いても高原も知らないという。

 勤務や出張の予定が事務室内に掲示してあるが、しばらく仕事の予定も入っていないようだった。

 そして金曜夕方、茂が平日昼間に務める会社の自席で帰り支度をしていると、斜め向かいに座っている三村英一が興味深げにこちらに視線を投げていることに気がついた。

「・・・・なにか用か?三村。」

 英一はどんな女性も魂を奪われるような端正で凛々しい、しかしやや古風なつくりの顔を茂のほうへ向けたまま、すぐに視線を外した。しかし顔が明らかに不審げだ。

「お前、たしか今、警護業務の真っ最中だよな。」

「業務上の秘密だけど、そうだよ。」

「警護の仕事が進行しているときに、お前がそんなにつまらなそうな顔をしているのは、珍しいと思ってね。」

「・・・・そうか?」

 平日昼間の会社の仕事に加えて大森パトロール社の警護業務が入っているときは、茂は決まって睡眠不足と疲労で英一の前では概ねぐったりしているのだが、確かに普段は、体はつらくても気持ちには張りがある。今はそれがない、ということなのだろうか。茂はうつむいて考え込んだ。

「高原さんがおっしゃっていた、初めて組む先輩と、うまくいかないとか?」

 茂は英一以上に不審げな顔になり、横目で英一を睨む。

「お前、まさかとは思うけどさ」

「なんだ?」

「高原さんから、俺の様子を聞いてくれとか、頼まれてないよな?」

「何を意味のわからないことを言っている。」

 茂は再びうつむき、ため息をついた。

「ならいいけど・・・。たしかに、楽しくはないかな。仕事だし修行なんだから楽しくなくて当たり前なんだけど。月ケ瀬さんとはまだそんなに長い時間は過ごしてないし。土曜日の一日を除けば、日曜日もクライアントの短時間の買い物に同行しただけだし、平日はもっと時間は短いし、あとはメールで書類のチェックをしてもらっているだけなんだけど・・・。でも、月ケ瀬さんの一言一言が、全部なんだかぐさっと来るんだ。」

「きついことを言われるとか?」

「いや。そうじゃないんだけど。今まで当たり前だと思っていたことを、次々否定されるみたいな感じなんだ。」

「ふーん・・・・」

「だけど、一番イヤなのは、」

「・・・?」

「一番イヤなのは、その一言一言に、実は俺自身、なんか妙に、同意してしまっているところなんだ。」

「・・・・・なるほどな。」

 茂は思わずしゃべりすぎたことに気がつき、かばんを持って席を立った。

「じゃ、俺は今日も警護があるからこれで。あ、今日は高原さんは事務所にはいないっておっしゃってたよ。念のため。」

「気遣いありがとう。俺はしばらくは行かないから大丈夫だ。高原さんもボケのお前の過剰反応にいちいち邪魔されずに仕事したい日もあるだろうからね。」

「・・・・もう!」

 その日も自動車通勤のクライアントの乗用車にオートバイで並走しながら、茂は少し後方をやはりオートバイで追走している月ヶ瀬のことを考え、その度に葛城のことを思い出している自分に気がついた。思い出している、というより、正確に言うならば、月ヶ瀬の一挙手一投足を、葛城のそれと比べてしまっている。

 そして、月ヶ瀬の動きの無駄のなさや、取る位置の的確さ、そして茂がミスを犯しそうになったときの指示の迅速さは葛城と同等かそれ以上であることは認めざるを得ないと感じつつも、茂は葛城とペアを組んでいるときとは似ても似つかぬ感じに、慣れることができない。

 しかし、それはつまり、自分が警護員としていかに未熟かということを示しているとも思った。警護員のペアは基本的にはあまり変えないことが望ましいといわれている。が、これから様々な仕事をしていくにあたって、単独案件も増えるし、さらに、その業務の特性に合わせて様々なタイプの警護員と組めるようにならなければ多くの仕事をこなしていくことはできない。

 それに、葛城のような敏腕の警護員とは、仕事上もあるいは訓練上でも、ペアを組みたい警護員たちは大勢いる。

 茂だけがいつまでも葛城とだけ組むようなことでよいはずもない。

「この先しばらく、波多野部長がそうおっしゃるなら、月ヶ瀬さんとペアを組ませてもらうことも、俺にとっては必要なことなのかもな・・・」

 バックミラーで後ろをちらりと見る。ヘルメットで顔は見えないが、月ヶ瀬がきっちり視界に入って追走してきている。

「・・・でも、月ヶ瀬さんが、迷惑かもしれないな。」

 クライアントの家の前で警護を終え、二人はバイクを降りて挨拶する。

 クライアントは、中肉中背の、あまり外見が良いとはいえない男性だ。考えてはいけないが、茂は、どうしてこんな男のために命を絶つような女性がいるのだろうと、疑問に思ってしまう。

 そしてそれ以上に、仮にも人がひとり亡くなっているのに、クライアントの様子にまったく悪びれたところがないことが疑問だった。明るくも暗くもない、ごく平常心の様子で、「また明日もよろしくお願いします」と言って家に入っていく後姿を、茂は眉間にしわを寄せて見送った。

 警護を終えて、茂と月ヶ瀬は事務所のオートバイを返しに今度は事務所まで一緒に戻る。ヘッドフォンから月ヶ瀬の声が入る。

「お疲れ様、河合さん。初日も思ったけど、君はバイクの運転はなかなかうまいね。」

「ありがとうございます。」

「明日はまたあのホテルまでちょっと長距離だけど、天気もよさそうだし、楽しもうよ。」

「はい。」

 月ヶ瀬の声は特に楽しそうではない。しかし月ヶ瀬はそれ以上に楽しそうでない茂の声の様子に気づいているようだった。

「・・・河合さん、いくつか理由があるんだろうけど・・・君があまり気分が良くないのにはね。でもそのひとつは、クライアントだよね。」

「・・・は、はい。」

 マイク越しにも、月ヶ瀬が低く笑ったのがわかった。

「波多野さんは君を育てたいみたいだから、僕もちょっとは協力する。だから言うよ。・・・クライアントをね、人間として見るのは、やめたほうがいいよ。」

「え・・・」

「プロらしいちゃんとした仕事をしたいのならね。」

「・・・・」

「クライアントは、襲撃犯の、襲撃対象。それ以上のものじゃない。そして、犯人の襲撃を阻むために必要な限りにおいて、その対象であるクライアントの特性や習性をよく理解することは重要だけど、それ以上の何物も、クライアントについて考える必要はないんだよ。」

「・・・・」

「この単純で重要なことが、できているようでできていないのが、葛城であり、山添であり、そして高原なんだよね。僕が無駄というのは、こういうこと。わかるかな。」

「・・・よ、よくわかりません。すみません。」

「いいよ。僕はただ、言っただけ。理解するかどうかは君次第だから。」

 しばらく沈黙が続いた。

 事務所の建物が近づき、最後に月ヶ瀬が言った。

「そしてこのことが当てはまるのは、クライアントだけじゃないよ。・・・襲撃犯についても、同じこと。」

 茂は自分の心を見透かされたような気がして、唇を前歯に挟むように少し噛んだ。

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