異端という悪3
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(随分と懐かしい話だな。思えばあれがこちら側へくるキッカケだったのかもしれない。)
虚ろな頭の中、自身の過去を回想していた善雄は、のそのそと洗面所へ向かう。
季節は春から夏へと移り変わりつつあって夜だというのに、じめじめとしたちょうど不快な暑さが街を支配している。
顔を洗って意識を覚醒させると良雄は既に着なれた黒いジャケットを羽織り、同じく黒い革製の手袋をつける。
ジャケットの裏にはびっしりと幾何学的な模様が描かれており、魔力を流すだけで強化系の一般魔術、プロテクションが発動されるようになっている。
このような魔術的意味合いを持つ道具を魔具と呼ぶ。
同様に手袋も魔術的な意味合いを持つのだが、こちらは現象系の系統魔術、クラップフリューゲルだ。
一般魔術と系統魔術との違いは主にその汎用性にある。
魔術師において自身の血は大きな意味を持つ、血は魔術式を構成する上でも一定の定数として定義されるため、例えばAの魔術師が使った魔術式をそのままBの魔術師が使おうとしても発動すらしないのだ。
これは自身の血と対応していないからであり、Bの魔術師はこの場合、Aの魔術師が用いた血の関数部分を自分の血の関数に置き換える必要がある。
当然、式を構成する関数が変わればその式も大筋の意味は変わらずとも値が変わるためこれらはまず第一に考えなければならないことなのだ。
そしてそれぞれ違う関数を用いる魔術式はどうしても値がでない、式の成り立たない魔術式や、簡単に求まる魔術式などが存在する。
そうした中で殆どの魔術師が使える術式を一般魔術、一部の要素が含まれていなければ使えない魔術を系統魔術と呼ぶ。
例えばこのクラップフリューゲルの術式は爆発、解放、空間、膨張、翼、破裂、などの属性を持っており、術者はいずれかの属性を血に宿していなければならない。
基本的に魔術師の血が持つ属性は1つしかなく、それは色々な血が混ざることで少しずつ変化していくものの基本的に親から遺伝するものであり、家の血統によって決まる。
善雄の場合は血に『爆発』の属性を持つため、系統魔術は『爆発』の属性や要素を持つ術式しか使うことはできない。
そうした制限が出てくる分、系統魔術は使うことさえできれば一般魔術よりも遥かにユニークな魔術や強力な魔術が多く存在する。
この部分が魔術戦において鍵となるのは当然のことだろう。
さらにその上にも血統魔術や固有魔術と言った区分の術式も存在するが、これらは稀少性も秘匿性も高く、多くは世に知られることがない。
要は奥の手であり、実は善雄も1つだけこれに属する術式を持っている。
念入りに点検をしてからそれを身につける。
「今日で、全て終わる。」
鏡に映る自身の魔力の流れを視ると、スッとタイをしめる。
「待っててくれ、母さん」
主要な人物たちが集まると依頼人は説明を始める。
主要な人物といっても依頼人も含め大半はヤクザ。
そして、ヤクザでないものも善雄を含めて傭兵紛いの魔術師3人だけだ。
「今回の依頼は隣組の本拠地を潰すにあたっての敵の撹乱と、誘い出してからぶっ殺してもらうことだ。俺らが本拠地に乗り込む前にそれぞれが攻撃を仕掛けてなるべく戦力を引き剥がしてもらいたい。それから仕事の上でもう1つ注文があってな。」
依頼人はぐるりと三人の顔を見回して続ける。
「今回の戦争、うちらの組が勝てばそこそこ名が売れることになる。敵はそこそこ大きい組だからな。だが、外部のもんの力を借りたってことになるとメンツが立たねえんだ。だから他の人間に見られることなく仕事をこなして欲しい。もし見られた場合は全員殺しちまってでも秘密裏にことを進めてもらいたい。仕事の内容は以上だ。」
「次は情報の共有です。」
依頼人が話終えるとその傍らにいた着物の女性が前へでる。
(魔術師か。色々と因縁のある奴らだが、こいつは初めて見る。案外、発足から5年足らずで大きくなったこの組の隠し玉なのかもしれないな)
女は薄い魔力を帯びていた。
いや、わざと帯びさせていると言った方が適当かもしれない。
魔術とは大きな力であると同時に魔術師以外の人間からみれば良く分からない、謎に包まれている力である。
それを利用すれば裏切りも、詐偽紛いのことも容易にこなせてしまうからこそ、抑止力が必要であり今回の場合この女がそれであるのだ。
残念ながら善雄の目には女の正確な実力は掴みきれなかったが、おそらくそれなりの手練れであると思われる。
(なんであろうと構わない。どうせこれが最後の仕事なのだから)
女が一通りのことを話し、そろそろ終わるかと思われた頃、女はある人物の名を口にした。
「高瀬穂波。皆さんならご存知かもしれませんが、闇探偵を名乗るここらで有名な魔術師です。彼女は以前から隣組と繋がりを持っているとの情報を入手しています。探偵としてか戦力としてかは分かりませんが彼女が今回の闘争に介入してくる可能性は極めて高いと思われます。
また、彼女の使用する術式も詳しくは分かっておりませんので実力は未知数です。」
そして魔術師三人にすっとお札のような紙を差し出す。
「発見した場合はこれに魔力を流してください。私に位置を知らせる術式です。」
善雄と先ほどからずっと無言でいる魔術師がそれを受け取るが、もう一人の、チャラチャラとしたホスト風の男は手に取ろうともせず、ニヤリと笑みを返した。
「なに?そんな未知の相手にあんたなら勝てるって言うの?」
「それは、私の実力を疑っているということですか?」
すっと女が目を細めると同時に纏っていた魔力が膨れ上がり、鋭利なものとなっていく。
「あんたじゃあいつには勝てないよ。」
そう言って男は面倒くさそうに頭をかきむしる。
「まあ、良いけどよ。俺はその札いらねぇよ。見つけたら電話かけるとかすりゃいいだろ?」
「ほれ」とケータイの画面を女に向ける。
「これであってんだろ?」
「……依頼人を調べるのは基本と言いますが、まさか私まで調べられているとは思いませんでした。」
「ま、そんだけ臆病なんだよ、俺は。」
男はヘラヘラと笑って背中を向けるとそのまま部屋を出ていった。
「では、私もいこう……。」
寡黙な魔術師も続いて部屋をでていく。
「俺たちも遅れてらんねー!」
「早く配置につけろ!」
緊張が切れ、全員がぞろぞろと移動を始める。
そんな中、善雄は部屋の奥に座る男を見る。
「どうした、善雄」
男の口から漏れる声は重く響き、脳を揺さぶる。
この組の長であると納得のできる風格だ。
「約束通り、この仕事が終わったら母さんを帰してもらうぞ」
男は善雄の言葉に口の端を上げて答える。
「あぁ、当然だ。約束だからな。」
その酷薄な笑みを見て善雄も何も思わないわけがない。
「母さんには、本当に何もしてないんだろうな?」
「安心しろ、俺たちは何もしてねぇ。第一、旬も過ぎちまってるし金稼ぎにもならねえ。ただ、預かってるだけだ。食事だって満足にやってるさ。」
「そうか……」
小学生の時の一件以降、善雄は学門魔術しか教えようとしない父親に隠れて家の魔術本を漁り、戦闘魔術を練習していた。
中学に上がると街の不良どもにわざわざ自分から喧嘩を売るようになり、魔術だけでなく肉体面でも戦えるようになった。
そして高校生の頃、父親が死んだ。
善雄たち家族はその時まで全く知らされていなかったが、どうやら父親は相当な借金を抱えていたらしく、暫くしてガラの悪い男たちが家へ押し掛けてきた。
善雄がいないときの出来事で家に帰ると母親は既に連れ去られ、取り引きの旨だけが置き手紙として残されていた。
内容は母親の身の安全の代わりに、借金分の仕事をしろというものだった。
魔術という文字はなかったが、その存在を知っていると窺わせる文書であった。今覚えばあの女魔術師の存在を知っていたからなのだろう。
そこからおよそ五年間、善雄はこの組織の下働き続けて、ようやく今日の仕事で借金分を返済したこととなるのだ。
「……なら問題ない。」
そう言って退室した善雄の背中を男は無言で嘲笑していたのであった。