悪意の循環4
暗い倉庫の中、一番奥に積まれた荷物の裏に息を殺して潜む一人の男の影があった。
男は仲間と倉庫に入る前にはぐれてしまい、今にも一人でいるという不安に押し潰されてしまいそうだった。
その時、ガラガラと音をたて、入り口から街灯の光が差し込んできた。
(あいつか?)
仲間の男が合流したかと期待して物陰から小さく顔だけだして確認する。
(ーッ!?)
しかし実際に入ってきたのは黒い少女の方だった。
ドクンと心臓が悲鳴をあげる。
なんとか気付かれないようにと意識的に息を整え再び物陰に姿を隠す。
「あらあら、そんなに必死に隠れてしまわれなくても結構ですのに」
カツンカツンとヒールの音が近づいてくる。
(ハッタリだ……!鎌を掛けてきてやがるんだ!)
男は自分にそう言い聞かせ、叫びだしてしまいたい衝動をなんとか抑える。
ヒールの音は尚も近づいてくる。
そしてパタリと止んだ。
(早く行ってくれ……!)
だがヒールの音はそれ以上近づきもしなければ遠ざかりもしなかった。
じっ、と観察されている感覚。
いつしか息をするのも忘れてひたすらに隠れているとドサッ、という音が自分の真横でした。
恐る恐る顔を向けるとそこにはおおよそ骨格という原形を留められていない、仲間の姿があった。
(ひっ……!?)
更に驚くべきはその姿でもなお仲間の男は息を失っていなかったのだ。
「あぁ……!あ……!ああああぁぁぁぁ……ッ!」
しかし命は尽きていなくともその男の意思は既に死んでいた。
自力では首を動かすことすらできないようでその頭はぐったりと床に預けられていた。
焦点の合っていない目が男に向けられる。
そのあまりにも無惨な様に男が思わず目を瞑りそうになった時、微かな声が聞こえた。
「ごめ、ん……」
(え?)
臥した仲間に閉じかけた視線を再び向けるが既に息は聞こえず、しかしその目からは一筋の光が零れ落ちていた。
(ごめん、ってなんだよ!お前、んなキャラじゃねぇだろうが……!)
少女一人に対してあまりに無力な自分に腹が立つ。
奥歯に自然と力がはいり、その後悔はやがて少女に対する憎しみに変わる。
「クソ女が……ッ!一度逃げ切ったら絶対に仕返ししてやる……!女に生まれたことを後悔させてやるくらいに……ッ!」
(え……?)
思っていた言葉が耳を通して聞こえ、男は思わず自分の口に手を当てる。
それと同時に、すっと後ろから首もとに冷たい手が当てられる。
男の抱いた強い憎悪の念がその一瞬で急速に冷めていく。
「……ぁ……、ぁぁ……!」
男の声にならない叫びに答えたのは「ふふっ」という若い女の声だった。
「……みーつけた。」
少女どころか人間とは思えないような力で首を掴まれる。
そのまま少女は片手で男を放るとくすくすと口元を覆った。
「どうです?似てましたでしょうか?声真似をしてみたのですが」
男は腰が抜けてしまい、ただ足を震えさせることしか出来ない。
「だ、誰か……ぁ!」
コツリ、コツリと少女が歩き出す。
「それでも仕返しされるのはあまり愉快なことではありませんわ。例え貴方のような羽虫でも構うのは手間なことですし」
男の前で立ち止まると誘うような仕草でその顎を持ち上げ、瞳を覗き込む。
「……ここで死んでいただくと致しましょう」
「ああああああああああああああぁぁぁあああああ!!!!」
男の恐怖は理性の限界を振り切り爆発した。
「クソッ!クソッ!クソがァァ!!」
叫びながら闇雲に少女を殴りつけようとするもののその拳は立体映像を殴ろうとした時のように空を切る。
それでも理性の箍が外れた男にはそんな異常事態を異常ととる判断力すら残っておらず、ひたすら拳を振るう。
「誰か!誰か俺を助けろよォォ!!なんで誰も来ねえんだチクショウがァァ!!」
そんな様を殴りつけられながらもそれを全く意に返さず楽しげに見下ろしていた少女は目を細めた。
「あらあら、完全に壊れてしまわれましたね。少し恐怖を与えすぎたのかもしれませんわ。人が壊れる瞬間は何度見ても愉快なものですが、こうなってしまわれるともう遊べませんわ」
くすっ、と笑いながら少女は人差し指を口元に当てウインクして見せた。
「では、仕上げに入りましょう」
少女の像がゆらりと消え代わりに男の後ろから少女の細い腕が回される。
「ぁ……!?」
そのまま口元にハンカチが押しつけられ、男の体は命令をきかなくなった。
「心配しなくても大丈夫ですわ。微量の麻酔ですから意識は保てますし、喋ることもできます。痛みに対しては残念ながら鈍感にこそなりますが感じることもできますから。むしろ痛みによって意識が飛ぶ可能性を減らせていますわ」
ぱんっ、と少女が手を叩くと何もなかったはずの空間がゆらりと揺れ男にも心当たりのある三人の女性たちがでてきた。
「言い忘れましたが、叫んでも助けは来ませんよ?むしろここでは貴方の遊び相手が増えるだけでしたね。まあ、これも社会勉強だと思って諦めることをお薦めします。……社会に戻れるかどうかは知りませんが」
ニヤアと口の端を釣り上げて笑うと少女は女性たちに向き直った。
「では依頼通り貴女方にこの男をいたぶり殺す為の場を用意いたしました。報酬も先に頂いていますし、私はこれで失礼いたします。この後この男をどうするのかは貴女方が自由に決めて行ってしまってください。その結果殺してしまったとしても服を着替えて建物ごと放火し、事前にお話したルートで逃げていただければ証拠も残りませんし、貴女方は何を気にする必要もなく元の日常へと帰れます。」
若干ながら少女の口調が変わったのは彼女らに対しては高瀬穂波として話しているからだ。
よくよく見ると彼女らの視線も少女の頭より少し上の所へ向けられている。
彼女らには少女の姿もまた高瀬穂波として映っているのだ。
「でも、そんな……やっぱり殺すだなんて……」
「ここまで来て躊躇いを捨てきれないのですか?お優しいですね」
それはまるで目の前のオモチャが壊れるのを愉しげに見つめる無邪気なこどものような顔で、
「先程も言いましたが殺すも殺さないも貴女方の自由です。ですが、言っておきます。法の力だけでこの男を殺すのはハッキリ言って難しいでしょう。そしてこれはあくまで私の個人的な意見なのですが、貴女方にはこの男を殺す権利があります」
駄々をこねる子どもを優しく諭す大人のような声色で背中をとん、と押す。
「法は全ての人の上に平等に存在し、全ての人によって不平等に実行されるものです。
そもそも自分の利のために同族すら殺せるようなヒトという生き物が作りだしたものなのです。それが完全な平等性などを持っているわけがないでしょう」
その先が落ちたら二度と戻ってくることのできない崖であると彼女たちはまだ知らない。
「罰金?懲役?そんなもので貴女方の怒りは収まるのですか?いえ、たとえ死刑だとしても収まらないでしょう。この男は貴女方の人生を壊したのです。20年間、貴女方が大事に大事に積み上げてきた大切なものを、その身勝手で汚ならしい欲望をもって台無しにしてしまったのです。
これから先も貴女方は恋をするかもしれません。大切な人ができるかもしれません。ですが、そこにはずっと、死ぬまでこの汚点がついて回ることでしょう。
それはきっと、死ぬより辛い」
彼女達の体は震え、その胸中には怒りと絶望、そしてドロドロとした黒い何かが湧き出てきた。
笑いを堪えているかのような表情で少女が最後の一押しをする。
「あぁ、そうそう。写真の件ですが、既にネットへ流出していましたよ。この男は最初からそのつもりだったようですね。」
「うあああァァァァ……!!」
一人が誰かが置き忘れたであろう床に落ちていたハサミを逆手に持ち、男の太股に突き立てる。
「ガァッ……!?」
つられるようにして後の二人も側に落ちている鈍器を拾い上げる。
「よくも、私たちを……!」
「殺す……!殺してやる……!」
肉を裂き、骨を砕く暴力的な音と男の悲鳴はそれから2時間も続いた。
「あははははははっっ!!」
倉庫を後にした黒い少女はついに堪えきれないと声をあげて笑った。
「なんと人間は醜く、美しいのでしょう!」
大きく手を広げ、まるで神に感謝をしているかのように少女は叫ぶ。
もっとも、この少女に神などを信じる敬虔な心など宿ってはいないが。
だんだんと冷静さを取り戻してくると少女は今出てきた倉庫を振り返る。
中からは未だに聞こえるのは男の悲鳴だけのはずだが、少女には依頼人である彼女達の心の悲鳴も聞こえていた。
それをまるで音楽鑑賞でもするかのように目を閉じて楽しんだ後、ぽつりと呟きをもらした。
「殺せば晴れて日常に戻れるなんて言うのは甘い幻覚です。一度壊れてしまえば貴女方ももう元の人間に戻ることはできないでしょう」
まあ、せいぜい頑張って。少女はくすりと笑ってからその姿を闇へと消した。
どうもmshミクネギです。
前作―と言ってもまだまだ完結していませんが―とは一風変わった小説を投稿させてみていただきました。
投稿の不定期性と遅さは未だ改善されておりませんが、今後も続編を書き次第順次投稿していきたいと思っておりますので、もしこの小説を僅かでも気に入ってくださる方がいらっしゃいましたら、図々しいことは承知の上で次回投稿を気長にお待ちしていただけたなら幸いです。