開発開始
1934年1月15日
-帝都-
「ここに、新航空会社『飛鳥航空工業』の開業を宣言します」
この日、日本に新たな航空会社が開業した。社長の大山邦彦が自費で創業し、社員を募って会社を成立させた。
「おめでとうございます、社長。晴れて、開業ですね」
航空機設計部門の主任設計者に着任した私事『大野忠利』は言う。
「ありがとう大野君。これで、日本は先見性の高い航空機を造る事ができる。これで、日本航空機は外国のコピー機などと言わせないぞ」
1934年当時、まだ日本の航空産業は遅れていた。造られる飛行機も、全て外国のコピー機だった。社長の大山はそれが許せず、新たに会社を興して航空産業の発展を訴えた。
「社長、しかし我々には設計が出来ても製造するノウハウはまだありません。ですので、どうしましょうか?」
「中島飛行機の知久平君とは海軍時代に知り合いでな。彼に頼んで、技術者を一時的に中島飛行機に入れて貰って、製造ノウハウを与えてくれるよう頼んでおいた」
当面は設計を行うため、製造を行う者は暇だった。だから、その間にノウハウを得るために中島飛行機に派遣されたのだろう。
「それは良い考えですね。それでは、社内初の試作機はどうします?」
「そうだな。取りあえず、海軍からこう言う要求が来ている。まずはこれに取り掛かってくれ」
発信元は海軍航空本部第二部からだった。航空機の開発・設計を担当する部署から発信である。
「競合会社は手強いぞ。中島飛行機に三菱航空機。どちらも日本有数の航空会社だ」
「はい。頑張ります」
こうして、飛鳥航空工業は最初の設計・試作機に海軍航空本部の要求に従った機体となった。
1934年3月10日
「う~む。従来の航空機では新米の我が社の航空機が採用される可能性は低いな」
ドラフターに機体の大まかな形を書いては製図用紙を丸めてゴミ箱に捨てるを繰り返した。
「主任、もうこんな事を続けて2ヶ月になりますよ。いい加減、大まかな機体製図だけでも終わらせないと」
「そう言ってもなあ。従来の機体設計では駄目なんだ。我が社はこういう会社ですって示さないと、今後の信用にも関るからな」
「そう言えば主任、これをご存知ですか?」
設計者の一人が持ってきたのは、海外で発行された航空専門誌であった。その中には遠心式ターボジェットについて書かれていた。
「構造が簡素で高出力。これだ!!」
「主任?」
「これを我が社の試作1号機に採用しよう。まだこんな物を採用している会社は無いから、注目を浴びるぞ」
こうして機体設計と並行してこの先進エンジンの開発も行われた。