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少女と道化とホムンクルス

「ねぇ、今——なんて言ったの」

 震えた声で、ラウラがか細く呟いた。消え入りそうなその声は、驚くほど深く沈んだ空気の底に響く。誰もが沈痛な面持ちで二人の少女を見ていた。

 驚いているのは、何もラウラだけではなかった。俺も相当困惑して、思考の糸が絡まった。

 ジャック。

 ジャック・アストルガ? ならばこの男は、ラウラの兄だとでもいうのか。そんなはずはない、と感情は猛り叫ぶ。しかし、この男がラウラの兄でない証拠がどこにあるというのだ。今ここに、パティーという生き証人がいるというのに、疑うなんてどうかしている。そうは思っても、どうしても現実に反抗しようとする俺がいた。

「アストルガ……って、なんだよ、それ。それじゃ、なんなんだ! ボクの家族の仇が、ボクの家族だっていうのかよ!」

 少女の声が痛切に響いている。

 ラウラは絶望に顔を歪ませ、両手を広げて天を仰ぐ。その体は震え、語調には怒りにも似た感情が含まれていた。無理もない。ラウラは今まで復讐のために様々なことをやってきた。家族のために手を汚し、家族のために平和な日常を捨てた。しかし、今のパティーの言葉はつまり、ラウラの仇はラウラの家族であり、彼もまた家族のために手を汚し、家族のために平和な日常を捨てたということを意味している。簡単に受け入れられるはずもない。

「何が同罪だよ! 殺したのはそいつ、ジャックだ! なんっでパティーが、罪を犯したことになるってのさ! おかしいよっ……そんなのボクは認めない! パティーを撃って、こんな奴……ッ!」

「ラウラ、落ち着け」

「これが落ち着いてられるか!」

 俺の制止を、ラウラは乱暴に振り払った。瞳には大粒の涙が浮かんでいる。その雫が一粒、パティーの青白い頬に落ちた。

「あ、るじ……? 泣いて、いるのですか?」

 ラウラははっとなって息を呑んだ。もう喋らなくてもいいとパティーに言い聞かせる。それでもパティーは聞かなかった。

「いいのです、あるじ。パティー、もう、ここまで。これで、いいんです。あなたを、まもれた。きょうだいで、ころしあいなん、て、ぜったいに、だめ、です」

 途切れ途切れの言葉。何度も吐血しながら、それでもパティーは微笑みを浮かべていた。唇を噛み締める。パティーはきっと、ずっと自分を責めてきた。夫妻を見殺しにしたこと、もっと早くジャックのことを伝えなかったこと、そして、自分が生まれてきた事実さえも。その全てが彼女を苦しめていたに違いない。それなのに、気づけなかった。あんなに傍にいて、俺は一度もパティーの苦しみに寄り添ってやらなかった。こんな時になって思う。どうして自分はこんなにも無力なのか。日雇いの仕事の、今までの人生の何がパティーのためになったろう。何の罪もない、ただ自分の使命のために必死に生きた少女のことを守ることもできない。ジャックのことにしたって、そうだ。パティーは初めからジャックのことを知っていた。ジャックの正体にもっと早くに気づいていれば、パティーを置いていくこともできたはずだ。

 間違いばかりだ。頭が痛い。こんなときばかり、役に立たないこの身を恨んだ。

「何で……こんなはずじゃ、僕は——」

 消え入りそうなジャックの声。ラウラはそんな声は耳に入らない様子で、茫然とパティーを見てうなだれている。俺はジャックの顔を睨みつけた。ジャックがびくりと体を震わせる。そのまま緩やかに首を振って、目をきつく閉じた。涙が落ちるのが見えた。

 哀れな姿に耐えきれず、俺はパティーに視線を映した。致命傷は避けている。出血も、致死量ではないように見える。しかしそれは人間であった場合の話だ。作りものの体を持つホムンクルスに、人間の常識は通用しないだろう。悔しいことに、俺にはホムンクルスに関する知識がない。どうすることもできない我が身を呪うことと、この行き場のない怒りを誰かにぶつけることしかできない。もどかしい。こんなとき、フェルトの意識があったらどんなに心強いだろう。いや、たとえあったとしても無駄だ。彼女はパティーを殺そうとしていた。助けるはずがない。しかし、そんな希望にすがりたくなるほどに、絶望的な状況だった。

 何よりもどかしいのは、パティー自身がジャックを許していることだ。

「おい、そんなこと言うんじゃない。頼むから、生きてくれ」

 こんなことしか言えない自分に嫌気が差す。辛そうに微笑んで、申し訳なさそうに首を振るパティーを見て、さらに自分への苛立ちが高まった。

 俺はもう、ジャックのことはどうでもよくなっていた。ただ、この少女が、主の命令というただそれだけのものに縛られ、死んでいくのが許せなかった。もちろん、ジャックに対して憤りがないというわけではない。パティーを撃ったのはジャックだ。ラウラの両親を殺したこと、そして、パティーを撃ったこと。その両方とも、俺には許せそうになかった。

 誰より彼を許せないのは、ラウラだ。

「お前……ふざけるなよ。殺す気もないのに撃ったのか。それとも、本気でボクを殺すつもりだったのか? それなら、もっとちゃんと狙ってよ。ボクは、死ぬかもしれないなんてこと、分かっててここまで来たんだ。ずっと、一人でやってきたんだ。お前に復讐するために。それなのに……なんだ? 今になって、事情がありましたって、兄貴面するわけか」

 ふらつきながら、立ち上がって、叫んだ。

 静かな怒りだった。混乱して、それでも何とか激情を押さえ込んだような、低いうなり声だった。

 ラウラは、何かを覚悟していたようだった。はじめから、どんな結末でも受け入れようとしていたのかもしれない。年相応の子供のように振る舞いながらも、心のうちでは、周囲の人間全てに親殺しの犯人である可能性がある中で生きていたのだ。実の兄の存在も、両親の狂気も、きっと彼女の中では既に提示されていた結末のうちの一つにすぎなかったのだろう。そう思うほどに、彼女の怒りは、一点に集中していた。

 ジャックは、はっとなって顔を上げ、おそるおそるラウラの顔を見た。その顔は絶望と、少しの希望に彩られていた。

「ッざけんなよ!」

 掠れた涙声が荒野に響く。

「お前のせいで、パティーはっ……! 今ボクは、それで怒っているんだ! ボクを守るため? ボクの兄貴? いいさ、パティーの言ったことだから、全部信じてあげるよ。でも、でもさ! パティーを撃ったことは、絶対に許さない! ボクの友達を、お前は奪ったんだ!」

 拳銃を構える。

 その震えた手に、安心したような、救いを求めるような、かつての親友の姿。

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