哀れな道化とわかれみち
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かはっ、と小さく、吐息のような声が空気を揺らした。腹部を押さえる手は赤く染まり、ついには地面を染め始める。
「——ッ、お前ッ!」
咄嗟にラウラはリボルバーを抜き、それを両手に構えて目の前の男に対峙した。俺は彼の残忍な行動に驚くより早く撃鉄に指を当てた。
「そうだよ。僕は昔から変わらずがらんどうさ。その空洞を埋めるためだけに引き金を引ける。三年前だってそうさ。僕は僕のために——引き金を引いた」
言い聞かせるように言い終えると、彼はワルサーP38を俺へと向けた。眉間にしわを寄せる俺をよそに、パティーが大きく前へ踏み出す。彼女は俺とジャックの間に立つと、血塗れの手でナイフに触れた。銃を持つ彼の手が震える。
パティーはジャックを責めるように見つめる。
ジャックは母親に怒られた子供のように表情を強ばらせた。
「貴方は本当に変わりませんね。三年前から……ずっと。あの時も貴方は自分以外の誰かを守るためにその“誰か”を傷つけましたね。ちょうど、あんな風に」
パティーは視線でフェルトを示す。腹部にはパティーのスカーフが巻かれ、意識も朦朧としているようだ。目を開けているのもやっとといった様子だった。黒ずみはじめた左手は未だに傷口を押さえている。こちらのことを認識できているのかも曖昧だった。
「な、何——」
「貴方はあの人たちによく似ている。あの人たちも、自分が傷つくことで誰かを守ろうとした。それが間違っていたとは、言いませんが」
彼女は何でもないようにナイフを構える。刃先はジャックに向けられてはいない。鋭利な刃先は、彼女自身に向けられていた。
「少なくともパティーには——貴方の思考が、理解、できません」
「うるさい!」
ワルサーP38の銃口がパティーに向けられる。直後、鈍い音と共に引き金が引かれた。弾丸はパティーの足下の地面をえぐっている。しかし彼女はそのことを気にもとめずに前進していた。
彼女はもう何も言わない。
「ジャック……俺はお前を、もっとまともな奴だと思ってたよ。何であんなとこで情報屋なんてやってるんだか分からないぐらい、普通な奴だと思ってたさ」
俺の言葉に、ジャックの顔から表情が消える。いつもとは明らかに違った様子の彼は、どこも見ていないようだ。ラウラは憎らしげに顔を歪めた後、何も言わないパティーを見て戸惑うように表情を変えた。
いつ違ってしまったのかという問題ではない。俺と出会った二年前の彼は、すでに人を殺めていた。故に今のこの状況は、俺がジャックを変えられなかったことを意味する。この二年間、彼はずっとこの闇を抱えていたということになる。
俺は唇を噛み締めた。
直後響き渡る、哄笑。
「あっ……は。あははははははははははははははははははっ! ッはぁ……」
彼はヒステリックに。狂ったように、壊れたように高笑いした。そしてふらふらと体を揺らして俺の方を向いた。銃口がこちらに向けられる。
彼は笑っていない。
「普通? この僕が? 馬鹿言うなよ、保身のために殺した僕が、誰でもない僕が、普通なわけがないだろう。始めっから壊れてたんだよ、僕は。きっと、そうだったのさ」
「ジャック……」
先程のヒステリックな哄笑からは想像もつかないほどに冷えきった声に俺は言葉を失う。自己嫌悪の塊のようなその声音に、その場にいた全員が絶句していた。
「……」
嫌な沈黙が続く。それを破ったのは意外な少女だった。
「なぁ、あんたさ」
少女——ラウラ・アストルガは、怒りとも悲しみとも分からない表情をその幼い顔に浮かべ、リボルバーを握る手の力を強めた。
ジャックはただただ目を見開いて、気まずそうに目を逸らした。
「あんたは、ボクの何なんだ?」
君は二人を殺して何を守れた?
その子は喜んでたかと、彼女は泣きそうな顔でそう言った。
「ッさい……うるさいうるさいっ! 僕は! ジャックは、何にもなれないんだよ——!」
震えた両手が放つ弾丸は当初の標的を大きく外れて放たれた。銃口の先の彼女に手を伸ばす。
ダメだ、間に合わない。
その白を赤く染めて、少女の体は空に投げ出された。
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