日雇いコリーと人形少女
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佳境に差しかかってきました。
あの後ラウラは「寝る」とだけ言って部屋に戻っていった。パティーに問い詰めることも、俺に八つ当たりすることもなく、だ。おそらく、感情的になるのを避けようとしてくれたのだろう。あいつにしては大人びた判断だと思ったが、すぐに自分で否定した。ラウラはこれまでとても辛い思いをしてきたはずだ。それに、先を急いでもどうにもならないことはラウラが一番よく分かっているだろう。
「なあ……パティー」
「はい、何でしょうか?」
俺が話しかけると、パティーは両手で包み込むように持っていたティーカップを置いて首を傾げた。そこに疲労の色は見えない。それどころか感情さえないように見えた。
「一つ、聞いてもいいか?」
ずっと、気になっていることがあった。本当ならそれは当事者であるラウラに伝えられるべきなのだろうが、かと言ってここまで来てしまったら俺も当事者のようなものだろう。知る権利がある。と、思った。
少しの沈黙の後、パティーは紅茶を一口飲んでから頷いた。
「お前、どうしてラウラのことを黙ってたんだ?」
パティーの手が止まる。別に彼女を疑っているわけではないが、そういう素振りをされるとつい身構えてしまう。俺は肩の力を抜いて深呼吸すると、再びパティーの目を見た。赤い瞳が静かに見据える。
「……夫妻がパティーに命令したのは、ラウラ様の身の安全を守ることだけでした。ですから——命令が全てである以上、話す必要はないと判断しました」
命令が全て、という言葉に、胸がずきりと痛む。存在意義をそれしか与えられなかった少女は、それだけを頼りに生きてきたというのか。そんなこと、あってはいけない。人並みの幸せを得られないなど、許せることではない。俺は怒りを必死に抑え、質問を変える。
「なら、何で話してくれたんだ?」
「それは」
パティーはおもむろに言葉を切ると、少し困ったような表情を見せた。初めて見る表情だ。どうやら、どう言えばいいのか分かりかねているようだった。しばらくは顎に手を当てて考えていたようだが、ついに諦めてぽつりと言った。
「主が、泣くから」
澄んだ声が部屋を満たす。温かい声音。ほんの少しの間、俺はそれがパティーの声だと分からなかった。
「パティーは、優しいんだな。それならきっと、あいつを守ってやれるさ。——ああ、でも『命に代えても』とかはやめろよ」
命令に執着している事実がある限り、パティーはなんとしてでもラウラを守ろうとするだろう。それこそ命を賭して守ろうとするに違いない。パティーにとっては、それが生きるということだろうから。
しかし、返ってきたのは意外な反応だった。
「命に代えても守るなどという大層なことはパティーにはできません。本来、命に代わるものなどありはしないのです」
静かな——それでいてはっきりとした断定。そんな言葉をパティーから聞くことになるとは思わなかった、というのが本音だった。
そんな俺を気にする素振りも見せず、パティーは話を続ける。
「もし、代わるとまではいかずとも報えるものがあるとしたら、それは心に他ならないでしょう。ですが、パティーにはその心が分からないのです。ですから——」
パティーはティーカップを両手で包み込むと、震える水面に視線を落とした。白い髪が揺れる。時間が止まったようだった。
俺だけ残して。
直後、パティーが動いた。
「生きて、守ります」
初めて、彼女の笑顔を見た。戸惑うような、困ったような微笑み。それはさながら聖女のようだった。控えめに浮かぶ笑みからは、パティーらしさが感じられる。パティーが遠回しに言おうとしたのは、これに違いないと直感した。
「あぁ、そうだな。——よし、分かった」
「? 何が分かったのですか?」
再び無表情に戻ってしまったパティーが首を傾げる。俺はそんなパティーの頭を強引に撫でた。
「お前があいつを守るなら、俺がお前を守る」
この問題に関して、俺は部外者だ。かつてアストルガ家で一体何があったのかも知らない。しかし、——信じたくはないが——ジャックがこの件に関与しているというなら話は別だ。俺も関係者の一人になるだろう。しかし、それがあろうとなかろうと、俺は。
「日雇いは廃業だな」
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次はロース=マリー・フェルトのお話しになります。




