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停滞

少なくてもそう思いこもうとしていた。

そうすれば、歩を進めることになるのかもしれない。


今まではショックが大きすぎて、それを塞ぐように心理が動いていた。

現実は解っているのだが、それを認める部分が抜けているのだった。

ボールが投げられているのだが、それは身体を素通りしてしまう。

捕るなり、逃げるなり、何かするような反応にならないんだ。

そしてできるだけ衝撃を和らげるように身をかがめている。

そしてそれは身体をすり抜けてしまう。


はるかに会わなくてはいけない、と感じた。


そう思うまでにずいぶん時間を食ったことになる。

本当ならもっと先まで逃げていたいんだ。

ずっとこのまま眠っていたいんだ。

そして塩をかけられたナメクジのように溶けてしまうんだ。


まだはるかを手放したくない、というような下卑た感慨が起こってきた。

はるかの身体が実感を持って甦ってくるのだ。

手なれた悦びが肌を粟立てる。

ぞくぞくとして勃起してきた。

どこかで倒錯した気持ちが生まれたような気がしていた。



松本さんは、よく弘樹を誘ってくれた。

なじみの店があって、彼はひとりでも行くのだが、いつも一人は彼の中では許せなくて、たぶん、そのために誰かを連れて行った。弘樹が誘いやすいのかもしれない。Mという女の人が彼のひいきで、長い付き合いだと言っていた。

彼女はずいぶん年上に見えた。松本さんは40歳ぐらいで小学生の子がいる。


松本さんは金ばなれが良くて、給料だけではやっていけないように弘樹には思えた。

部署には接待費や取材費のようなものがなかった。だから自腹で飲んでいることになる。

なぜそんなことを言うかといえば、弘樹にお金を払わせなかったからだ。

いつもニコニコしていて楽しそうだった。

弘樹は社会勉強をしていることになった。

ただ、彼の回りにはバリアがあって、容易に寄せ付けない何かがあった。

それは若さゆえの構えだったのかもしれない。


なんだか面白くなさそうな顔して飲んでいるのね、

と直接言ってくる店の子もいた。

心底酔いきれない、自己規律だった。ただそれも酒が回り切るまでだ。

酔いが進めば、気持ちが緩んで船で大海を行くような気分になった。


酒に酔うタイプはいろいろあってそれを観察しているのも面白いものだった。

自分も酔ってくるのだけれど、観察している時間が人より多かったのだろう。

たぶん弘樹は酒が強く、容易にその状態になることは少なかった。

酔っ払って自分をなくしてしまうことにまだ嫌悪感があって、抵抗していたのかもしれない。


クラブというといろいろな意味で使う。それによって年代がわかるかも知れない。あまり分からないから特定するため、それになんか付けなくてはならない。ただディスコクラブはクラブと平坦なアクセントをすれば通じる。

キャバクラは、キャバレーとクラブをくっつけて省略したものと思うが、それだけで形態が特定できることになる。そのように命名されていくのだろう。


弘樹が連れて行ってもらったのは、こんな店が今でもあるのだろうかというぐらい広いところだった。ビルの、イメージ的に言えばデパートのワンフロアをぶち抜いたような空間だった。


そしてその中に、人がいっぱいいて、皆楽しそうに歓談しているし、先のフロアでは踊りをしている人がいる。たぶんそのために衣装を選び、練習を積んできたのだろう。

そこにはスポットが当たっているが、他は柔らかい照明でぼんやりとした翳のようになっている。

ざっと見ても、2、3百人はいそうだった。もっといるかな。

グランド・キャバレーと呼ばれるものだろう。


ここに一人で来るのはやはり気後れしそうだった。

席に着くとすぐMさんが来て、連れてきた若い女の人とお酒を作ると、失礼みたいな感じで、どこかへ行ってしまった。

たぶんこの間が持たないこともある。

マイクでは、だれ誰さん何番テーブルへというようなコールがひっきりなしに入っている。


会話はあまり二人の間ではなくて、隣に座った女の子とポツリポツリ話す。

このトークが稼ぎのもとなんだと思う。

もちろん好みの子が座ればそれだけで満足なんで、だから指名をするということになるんだけど、奢ってもらっている状況もあって弘樹は指名などしなかった。

ただ、MさんとそのAとかHはチームというほどではないんだけど、ヘルプに入ることが決まっているように見えた。年齢が近ければ代わり番ということにはなるのだろうけれど。

だから何度かに一度は、あるいはその日のうちに一度は席に来ることになる。

たとえば、ゆっくりその子と飲みたいと思えば、時間を買わなくてはならなかったのだろう。

ここでは時間が金を生み出していた。

そのために、肌を磨き、髪をセットし服を買い、その日の服や装飾品を選んで出勤することになるのだ。


Sは中国の留学生であると言った。

ドレスを着て、それはじゅうぶん似合ってはいたけど、

どこか借り物のような気がした。

言葉はたどたどしくはなかった。

語彙は少なくても何度も会話をしてきた安定感があった。


クラブとは飲食の接待をされるということが、条件なんだろうか。

接待する従業員がいるということになる。だからそれが男子ならホストクラブになるわけだと思う。

風俗系に進めばテレフォンクラブ(テレクラ)とか、出会い系の前の形態なのかもしれない。


もともとクラブということばは、社交的な組織があって、

その意味で今使われているのはマージャン倶楽部かな。

カントリークラブと言えばゴルフ場だ。

夜の社交場的な意味合いで、ナイトクラブができたのだろうか。

もともと酌婦を使って接待するというものは東洋的な発想、習慣なんだと思う。

だから英語のホステスは家庭の主婦ということになる。


この接待というのは難しいんだろうね。

自分がホストになったと考えればいい話で、出来るなら遠慮したい。

でもあっている人がいると思う。

そういう人がその店のナンバーワンになるのだろうか。

弘樹は、酒を飲み周りを見回し、どうでもいいことを考えていた。


飲んで帰ってきて、ごろりとそのまま寝てしまえば、

少なくともその後の時間について悩むことはない。

そのために正体不明になるまで飲んでいるのかもしれない。

そうなってしまえば、ろくでもないことを考えないで済む。

そんなときに考えることは最低のことだし、

まして次の日になれば覚えていない。


酔って誰かに会いたくはなかった。

そう考えているうちはまだ本当に酔ってはいなかったらしい。

次の日は覚えていないのだが、どこかの店に寄ることがあるらしかった。

まだ飲み始めに訪れた店で、

露骨に嫌な顔をされたり、にやにやされることに気付いた。

この間は、ご機嫌でしたねとママさんに言われたりした。

この間っていつだ、と思うのだけれど思い出せはしない。

あ、そう、とか言ってごまかすしかなかった。


いつだか、玄関のドアに入ったつもりで通路に寝ていたことがあった。

日がかなり高くなるまで寝ていたから、

その階の人にだいぶ見られたかもしれない。

それはたまたま一回の汚点ではあるけど、それに類することはかなりあった。


自分が酔っている間に何をしでかすかについて、

ひどく不安に感じてはいても、飲むことを止めることはなかった。

ただ、飲酒の運転だけは止した。

その責任がとれそうもなかったからだ。


それに自分が喧嘩をするタイプでないこともわかった。

それは多くひとりで飲んでいるせいかもしれない。

近所によく行く居酒屋ができて、

そこで酒を飲むのだが、そのつまみが食事代わりになった。

はるかともよく行っていて、

以前から仕事が不規則だったので外食は多かった。


高級ではなく、それほど値の張ることのないおいしく小奇麗な店を探した。

二人のときはかなりの量を食べたはずだが、それが少なくなって酒の量が増えた感じだった。


部屋に帰ってすぐ寝つけないことがある。これが最悪な状態だった。

いろんな音がする。

なまじ静かなせいで、ちょっとしたモーター音とか、

遠くを走る車の音などが気になった。

頭を押し付けてくるような気がした。

さらにたぶん周波数が高かったりして、

聞こえないはずの音も耳を震わせてくる。

静かさの振動が鼓膜を刺激してくるのだった。


そのまま気が遠くなりそうなくせに、

指先の鈍い痛みのように伝わってくるものがある。

それが、眠りを妨げているのだった。



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