第二幕 12話 君が付けた仮面の『裏』
下校時刻となって俺は自分の下駄箱を見つけ扉を開ける。そこには靴が無事きちんと二足ともあったことに安堵した。
大抵の場合俺のことを妬んでいる奴らに靴は何処かへ隠されてしまうのだがどうやら今日は隠されなかったらしい……そんな毎日を過ごしていると、なるべく早めに新しい目的は達成させた方がいいかもしれないと改めて思う。
溜め息が思わず口から溢しながら外を見ると銀の糸のような物が空から沢山降って来ていたのが見えた。
「雨……」
それは唐突に現れたようで、何処か違和感だった。
例えるならいつもの雨が蛇口を捻るようにして最初は少しずつ出るのに対して、今回のは急に水の入ったバケツをひっくり返したような。
『にわか雨って奴だ、急に降り出して急に止む。気にするな』
にわか雨で納得するにしては、降り出し方が余りに急過ぎる気もするけど。
背負いカバンを開けて毎日常備している折り畳み傘を取り出す。
靴箱の周りを見渡すと、他の生徒達は傘を持って来ていなく困っている様だった。
そんなことはお構いなしに俺は折り畳み傘を開きながら外へ出ようとする。
ここで怜なら誰かに折り畳み傘を貸すのかもしれないが、それ程までに俺は善人では断じて無いので、スルーしながら玄関を出ようとしていた俺の目に映った光景を見て思わず唖然としてしまった。
──月城!?
そこには雨でビショビショに濡れたセーラー服を身にまとった状態で、空を見上げ雨が止むのを待っているかのような素振りを見せていた月城の後ろ姿があった。
……しまった。今までの人生ほぼ全ての時間を過去の目的の為に費やしてしまったおかげで、こう言う時どうすれば良いのか全く分からないッ!!
『どうするも何も、お前は大切な友達が雨に打たれているのにその横を悠々と傘を差しながら去っていくってことか?』
違うけどッ!!そこまで非道な人間にはならないけどッ!!
やっぱり此処は傘を月城に渡すのが道理ということなのか……キット、家に帰るまでには相当服が濡れるだろうな。
洗濯物が増えることに頭を抱えていた俺は困った口調で指摘された。
『……何か、勘違いしてないか?別に|傘を貸すか貸さないかの二択じゃなくて、二人で同じ傘に入ればいいじゃないか』
二人で一つの同じ傘に入る……だと?
「そんな発想は思いつかなかったよ、流石だ自称兄」
素直に尊敬の眼差しを送ってしまった。
『……確かにお前ら昔から恋愛や青春に疎い方ではあっていたが、まさかこれ程無知だったとは』
可哀想な奴だ、と哀れんでいるように言われてしまった。どうしてここで恋愛への疎さが関係するんだ。
その問いに対する答えを長々と考えているのは時間が勿体無いと思い、傘を差して月城の隣へ向かった。
突然俺が隣に傘を差して現れたことになのか、月城は少しだけ驚いた様子を見せた。
「傘……入るか?」
「えっ、いいの?……でも私が入ったら零さん雨に当たると思う」
俺が今まで見て来た人間の中でも彼女は人一倍、他人に迷惑をかけないように行動していた。
だからこの提案もやんわりと断られてしまうんだろうなと思っていた。
「一人増えたところでそれ程変わらないと思うから問題ないよ……それに雨の中友達を置いて一人その場を悠々と去る程、俺は非情な男じゃないんでね」
断られたして、そう簡単に引き下がるのもどうかと思ったのでもう一度訊ねてみる。
「零さんがいいって言ってくれるなら、お願いしてもいい?」
気恥ずかしそうな表情を見せながら頼み込んで来た月城に、何処か違和感を感じた。
「よろこんで」
そう快く引き受けた後、一つの傘の中に二人で入り、そのまま帰路に着いていった──
カタカタと靴が地面に当たる音だけが耳の中に入ってくる。長い沈黙が生んだ気まずさは、ザーザーと騒がしい音を立てて振り続けている雨が優しく包んでくれているように感じた。
「肩、濡れてないか?」
正面に向けていた目線をほんの少し近づけば体が触れてしまう程近い距離にいる月城へ移した。
「大丈夫。平気」
顔をほころばせて笑みを溢した彼女のセーラー服は水気を含んでいて体に服が逃げ場無く密着していた。
「玄関で会ったころにはかなり服がびしょ濡れだったけど、何かあったのか?」
気にしなくても良いほど小さな疑問だったが、折角の機会な訳だし会話を少しでも長くしていたいと思ってしまっている自分がいた。
「そんな大した事じゃないよ。私が玄関に着いた時にはまだ小雨だったから傘なしでも帰れると思って、けど外に出て数歩も歩かない内に、いきなり小雨が大雨になって」
慌てて玄関に戻ったけど、その時には既にずぶ濡れになっちゃったよ。と隣にいる彼女は苦笑しながらも無垢な笑顔を浮かばせながらポツリと言った
そんなを月城のことを見ていると、心の奥底からチクチクとした痛みが伝わってくるのを感じた。それと同時に、自分の正体が人殺しだと言う事を月城に伝えることへの拒絶感が著しく強まってしまう。
どうして俺はそこまで言いたくないんだろうか。言ってしまえば良いじゃないか、もしそれで月城に警察へ突き出されたとしても、組織が、政府が無造作に揉み消しているから別に罪に問われる事もない。けれど、きっと自分自身が恐れているのはそこじゃないんだって、何となく分かってしまう。
──嫌なんだ。月城に嫌われてしまうのが──
「ヘクチュン」と月城が小さくクシャミをしたのに気づいて傘を首と肩で挟みながら上着を脱ぎ、羽織らせた。
「そんな気を使わなくていいよ」
「そんなものなのか」
小声で呟いた月城の頬は少し赤らんでいるように見えた。
そんな彼女を見ていたら更に自分の正体を言いたくない気持ちに駆られる。
ただその気持ちとは反して、俺の数少ない友達に隠し事をしたくないとも思った。
覚悟を決める。今までに感じたことの無い緊張に襲われ、ここが俺の人生で初めての山場であることを直感的に察した。
大型なトラックの群れが横を過ぎる。街灯の光が不安定に道路を照らす。反対側の歩道からピンク色のボールが道路に向かって転がっていくのが見えた。
街灯は命が尽きてしまったかのように光を束の間消したかと思えば直後、小学二年生くらいの幼い子供がピンク色のボールを追って道路へと現れた。
ボールを拾おうとした子供に一台のトラックが凄まじい勢いで向かって来ていて、轢かれてしまうのも時間の問題だった。そんな急な出来事に俺はただ呆然と傘を持ちながら立ち尽くしていた。
別に助けられなかった訳じゃ無い。今立っている位置から子供のもとまでは約六メートル。トラックがもうそこまで来ているとはいえ、助け出せない事もなかった。
何故助けないのか。助けることが可能な範囲の人間を助けない非道な奴は最低だと、誰しもが言うことを知っている。だから自分がどれだけ非道な奴に当てはまるのか俺が一番分かりきっている事だしそんなこと承知の上だ。
それでも人の運命を大きく変えるという行為は行いたくない。
拉致や誘拐のように人の所為で故意的に人の運命が無理矢理変えさせられたのなら、俺はその変えさせられた運命を元に戻そうと行動すると誓う。
でもそれが事故なら、元からそういう運命だったら?それならば俺はその運命を素直に見届ける。運命を変えてしまう行為は、巡り巡って良い結果になる可能性もあるかもしれないが、時折。
底の見えない絶望的な結果になってしまう可能性だってあるのだから。
「零さん。これ、ありがとう」
にこやかに微笑んだ彼女は何処か覚悟を決めた目をしていた。
「ま、待て!!今更行ったところで間に合わな」
そう言いかけた時には既に彼女は白いフェンスを飛び越えて車道へと出て行ってしまった。
月城が死ぬ?赤の他人でもなく俺を嫌う奴らでもなく、俺と関わろうとしてくれた大切な友達が?
また消えるのか、何もできないまま、俺の大事な人が目の前から。
彼女からやや強引に受け取らされた綺麗に畳まれている上着の重みが、これが現実だということを再確認させてくれた。
ボールを拾おうと腰を屈めた子供の所に走って行く月城という人間は、後のことなんて考えず自分の命を引き換えにしてまで知らない人の定められた運命を変えようとしている。
まるで俺とは正反対な人間性の持ち主じゃないか。
手に持っていた傘と上着を適当に投げ捨てて、俺は白いフェンスに手をかけた──
気づいた時には無我夢中に私は走っていた。
その時間は異常なほど長くて、時間が止まったように感じた。いくら走ってもあの子に手が届きそうで届かない。大きなトラックがもうすぐ近くまで来ている気がして、更に足を早く動かした。
「危ない!!!」
ピンク色のボールを抱えた目の前にいる子の肩をトン、と怪我をしない程度に押す。すると不意の衝撃に身体の軸が崩れたその女の子は、歩道側へと尻もちをついた。
息を吐く間も無く、振り返ろうとした時に恐ろしい速度で向かってくるトラックと目が合った。
怖い。底なしの恐怖が私の身体を隅々まで埋め尽くしていった。
「そん、な」
動かそうとした私の足は竦んでしまっていて、思い通りに動かなくなっていた。眼前まで迫って来たトラックは、さっき見た時よりずっと大きくて、ずっと恐ろしくなったように感じた。
……無我夢中で助けに飛び出した時は、私自身がその後どうなるかなんて全く考えるよしもなかった。
私はこの世を去る事になる。でもあの子がまだ生きていていられる様になったのなら、私は助け出して正解だった思う。こうやって自分の命を天秤に乗せて他人を助けようとしたのは初めてじゃない。いつかはこうなるって思ってた。
初めて信じられる友達が出来たのに、二人は私が消えたらどう思うんだろう。どうか気にしないで欲しい!私なんか最初から元からいなかったと思っていて欲しい!!
二人に、友達になってくれてありがとうってまだ言ってないのに!!!
「紗白!!手出せ!!!」
その言葉が聞こえたと同時、今までピクリとも動かなかった身体は自然と最後の希望に全てを託すかのようにして声の方へと手を伸ばした。




