13.幸福の家 7.覚悟の宣言
御嶽の執務室。
それは前の施設長の応接室とはあまりに違っていた。
無駄に綺羅びやかな調度品はない。
だけど洗練された雰囲気の部屋だ。
緑色の蔦が幾何学模様のように印字された壁紙。
それらに埋もれるような森の木々を思わせる木製の家具。
それと。
ーーーー救急箱の匂い。
暖かな空間にそぐわない薬品の香り。
それが御嶽の執務室の香りだった。
岸が一瞬顔をしかめた。
鼻に一瞬ツンとくる刺激臭だ。
りんには馴染みの香りだけど、この香りは御曹司の岸にはかぎなれない香りだろう。
大きめのソファーに招かれた。
「話を聞く気になったのは、どうしてかな」
穏やかな眼差しで低めのテノールが語りかける。
なんとも落ち着く声色だ。
幸福の家での夜より彼の格好がラフだからだろうか。
頭からつま先まで真っ白なことは変わらないけど、雰囲気が違う。
ここに訪れるときの彼はカジュアルな装いだ。
たぶん。
あの夜の彼は武装していたのだろう。
そんなことを考える余裕ができるくらい間を置いて。
りんはやっと口を開いた。
「先日。役所の方がーーー」
「おい。聞いてないぞ」
横槍が速かった。岸らしい。
ヘラリとりんは笑った。
隣に座る岸が怪訝な顔をしている。
「岸、チビ達相手してる時間だったから」
渋い顔で御嶽を睨む岸にため息をつきながら呟いた。
「戸籍がない私たちへの話だったからね」
岸の眉がピクリと動く。
喉の奥に出かけた言葉をりんは飲み込んだ。
ーーー岸には関係ないよ。
そんな言葉が言いたくなくて黙っていた。
2回も岸を傷つける言葉を紡ぎたくなかったから。
「《日本人》として生きていくか。
かのお方の国で養子になるか。選ぶようにと」
「かのお方………」
「御嶽さんの雇い主のお国は日本じゃないんだって」
岸とりんの視線を受けてから御嶽は顎を擦りながら呟いた。
「ゆうげんーー」
「ん?」
御嶽の視線が少し揺れた。
りんと御嶽の首を傾げる動きが重なった。
「ん。ユーゲン国イーキョウ地方。
あ。調べても無駄。
非公式国家だから」
「ッ………りん。逃げるぞ」
「どこに?」
ガタリと立ち上がった岸を見上げながらりんは笑った。
「私と岸だけならなんとか………。なりそうだけどさ」
背後の扉を見る。
遠くで子供達の笑い声がした。
「子供達は散り散りになる。
私達が逃げると、日本人にあの子達がなる未来が確定する」
「ですよね?」とりんが問うと、御嶽の眉は下がった。
「勿論。かの方は不遇の子は見捨てないさ。でも」
「それは《日本の法に則った》合法的な救けしか出来ない」
呟いたりんを見てから御嶽は一拍置いて頷いた。
「今の待遇は結構破格。
普通の公的な施設なら、ここまで手厚くない」
「ッ………それは」
岸が言葉に詰まる。
そうなのだ。
それは《提案》じゃない。
《交渉》なんだ。
「烏滸がましいのは十分承知なんですけど」
「うん。聞くよ」
りんは唇をぺろりと舐めた。
立ち上がる。
顎を上げて胸を張った。
「私の一番は子供達です」
「うん。そうだね」
「子供達の意見は聞きたい」
「うん」
「ッ………。貴方のような勇者信仰の信者になる気もない」
「ん?うん?」
御嶽の笑顔が一瞬固まる。
「あの子達の笑顔を奪わないと約束してくれませんか」
「偽善でも悪でもいいです」
「結果あの子達が笑顔に暮らせるならいい」
「それが、君の答えかな?」
御嶽の目が細まる
隣の岸の顔色がどんどん悪くなる。
「なりますよ。
王子様でも勇者でも魔王でも神でもなりますよ。
それなら」
「知らない国の養子になるくらいなんてことないです」
「いやいや………。大ごとだろうがよ………」
頭を抱える岸を置き去りにりんは御嶽に手を差し出した。
「え、ちょ、待て待て待て」
岸が慌てて割って入ろうとする。
「今それ握手する流れ!?
サインとかは!?
契約書とか挟まなくて大丈夫!?」
りんは振り返らずに言った。
「岸。静かにして」
「そうだよ。物語なら重要な山場だから」
「物語って言うな!!」
「や〜い。くうきよめないおとこは、もてないんだよ」
「しっ………。聞かないふり聞かないふり」
「「「あ」」」
背後の扉には子供達が張り付いていた。
「これ………聞いたら」
ギシギシと音を鳴らしながらりんは御嶽に振り向いた。
彼はにっこにこである。
「なかった未来には出来ないね?」
りんと岸が青ざめる中、御嶽に入室を許可された子供達の笑い声が響く。
「日本の役人役立たずだし」
「ぜいきんどろぼう〜」
「今の施設長優しいし」
「シスターまりないないの寂しいけど」
子供達は好き勝手な理由を並べ立てた。
どれも、ここでの生活が「安全」だという証拠だった。
「三食昼寝付き、ふかふかおふとん!」
「ここ好き〜」
「施設長、りんお姉ちゃん殴らないし」
ひゅっとりんの喉が鳴って視界が歪む。
守っているつもりだった。
施設長の暴言からも暴力からも。
でも子供達はやっぱり良く見ているのだ。
「君が幸せになる手伝いをかの方はしたいんだ。
信じて。
君にはその覚悟がある。
僕らは君達の安全に責任を持つ」
御嶽がそっとりんの肩を叩いた。
「君はどうする?」
「あぁ?俺はここの子供だぞ。
りんが行くとこに行く。忠犬だからな」
岸に御嶽が話を振る姿をじっと見たりんはふと疑問に思った。
「岸は犬よりはリスだよ?」
「「小動物なの?!」」
「木登り上手なんだよ。岸は」
「逃げ足も速いし、パン食べる顔もかわいい」
「ばッ………。か、かわ………」
「きし、かおまっか〜」
クスクス笑うりんに岸は呆れ顔だ。
「岸。ありがとう」
「おう。相棒」
冗談を言い合ういつもの雰囲気に戻りりんは思う。
もう、岸に親御さんのことを聞くのはやめようと。




