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ep.93

黙々と食べ続けること半刻。

あれほどいっぱいに入っていた食材はすっかり消え失せてしまって、あんぐりと口を開ける鍋もどこか寂しげにこちらを伺っていた。


「まだ食べますよね?」

「え、まだあんの?」

「はい。足りないかなと思って、食材は切っておいてありますよ。出直す形にはなりますが」

「マジか...まだまだ食うわ。なんか食欲ヤバいし」

「たっぷりの野菜で体が喜んでるんじゃないですか?」

「かもなぁ...」

「ふふっ。...じゃ、持ってきますね」


しみじみとつぶやくラズさんについ笑ってしまってから、私は鍋を持ってキッチンに引っ込んだ。

まな板の上やらボウルの中にどっさりと残っている食材たちをざっくり目分量でバランスのいいように鍋に入れていく。葉物が中途半端に残っていて、無理やり入れてみると鍋のキャパをかなり超えてしまったが、まぁ煮込めば縮んでくれるだろう。

山盛りになった鍋をやや苦労しながら運ぶ私を見て、ラズさんはかたんと席を立った。


「やけどしますよ」

「いや浮かせる」


あっという間に鍋の下には魔法陣が出来ていて、かなり重かった鍋がふわりと宙に浮いた。


「...ん?何してんだ?行こうぜ」

「......あ、は、はい」


いとも簡単そうにやってのけてはいるが、実際の重量が分からないものを吹き飛ばさないよう調整しながら浮かせる、なんて芸当は風魔法一本で行うには荷が重すぎる。流石に安定を取ってわざわざここまで歩いてきてくれたのだろうが、持ってすらいないので難易度にさして変わりはない。

やっぱり化け物なんだよなぁ...としみじみ再確認しながら後をついていき、私が持つより何倍も安定した動きで机に置かれる鍋をみて、ふわっと懐かしい感覚に抓まれる。ラズさんの人間離れした魔力制御を見ると、一魔法使いとしてはどうしても悔しくなってしまう。しかし、相手がラズさんということもあって、その感情は尊敬だったり憧れだったりに変換されて、日々のモチベーションになるのだ。

二人とも席に座り一息ついたところで、野菜から出る水分で味がぼやけてしまうのを想定し、調味料をいくつか追加した。

早々に味を調えなおした私は、鍋が煮えるまでのなんとなく気まずい雰囲気を、嫌に大きいコトコトと鍋の煮える音を聞きながらかちかちと爪をいじってみたり、髪を触ったりと、落ち着きなく過ごした。その間考えていることと言えばもちろんラズさんの事なのだが、先ほどからちょっとだけ胸の詰まるような、もどかしいような変な心地がして堪らないのだ。

それをどうにか取り繕って、鍋の水面をボケっと見ていると、同じくそうしていたラズさんが、いかにも全くなんにも気にしていませんよというような、ごくありふれた声音で口火をきった。


「俺が居ない間はどうだった?」


私はなんとか平静を繕いながら答える。


「どう...というと?」

「生活費とかさ......あ、階級はどうなったんだ?」

「見習いのままですよ?」

「え、マジ?」

「はい。だって師匠から了承貰ってないですし」

「いやいやいやいや。そんだけ実力もあって功績もあるなら特例で魔導士飛び級が妥当だろ」

「そうしようって話はあったにはあったんですけど...なんというか私のなかで違うなって思っちゃって...」

「違う...?」

「逆に聞きますけど、私がそうすると思います?」

「......まぁ、そういわれれば、ない...か」


事実、何度かそのたぐいの打診はされてきたし、それを私が頑として拒むのを見かねて作られたのが”イレギュラー”という通称もとい称号だったりする。

私としては、そもそもラズさんの承認なしに階級を上げるなんてもってのほかだし、話に出るまでは考えてすらいなかった。それに、見習いの中で階級が上がるならまだしも、そこを飛ばして魔導士なんて論外中の論外だ。これだけお世話になっておきながら弟子を事実上卒業するなんて考えられないし、なにより、その門出にはラズさんに立ち会ってほしかった。

実際問題、魔導士として与えられる依頼なんかは積極的にこなすようにしていたし、極北関係の研究にも協力していたのはそのわがままを通すためだ。


「もちろん恩義の類もいっぱいありました。けど、何というか...過去になっちゃうのが怖かった...というか嫌だったんです」

「...過去ってのは?」

「師匠と歩むはずだった未来を過去にしていくのがどうしても怖くて」

「あぁ...そういう...」


何も考えずに喋ってから、少しだけ後悔した。気づけば部屋の中はまた静寂で満ちていて、鍋や時計がコトコトカチカチと静寂を際立たせている。


「...なぁ、弟子」


少しして、ラズさんがそっと私を呼ぶ。

私はいつの間にか俯けていたらしい頭を上げて、正面に座る、柔和な表情をうかべた青年を見た。


「近いうち、卒業テストしようか。お前のお陰で俺は元気だし、言うまでもなく、お前の実力は見習いじゃ役不足だからな。それに、...もう二度と離れないって誓うよ。お前が嫌になるまで、一緒に生きよう」


自分自身で噛みしめるように、それでいて抱えきれない程の熱を乗せて紡がれた言葉に、私は思わず息をのんでしまった。頭が少しぴりぴりして、体のそこかしこが強張って、目の奥がじんと温かくなる。

ずっと欲しかったものならたくさんある。そして、まだ間もないというのにラズさんはその幾つもを私にくれた。

多分これだってその一つだけど、他とは全然、全然違った。


「あの...師匠、ちょっと、いいですか?」

「ん?」


かなり躊躇ってから絞り出した声は後から聞き返せば笑ってしまいそうなほど、ほそぼそと消え入りそうだった。


「ぎゅって、してほしい...です」

「......おう」


多分耳まで真っ赤になっているし、瞳だってすっかり湿っていて情けない姿の私は、言ってしまった事とそれが今から現実になるという二重の緊張で心臓を跳ねさせていた。

ラズさんはどこか愉しそうな声で返事をしてから、ゆっくりと近づいてきて、俯きながらカチコチに固まっている私をしっかりと包み込み、私の様子にふっと笑ってから安心させるように頭を撫でる。私も私でラズさんには耐性が殆どないものだから、そんなふうにされれば、端から力が抜け落ちて行ってしまった。

椅子の上でくてんと脱力して、ラズさんに凭れ掛かりながらされるがままに撫でられていると、すこし前にはごちゃごちゃとしていた心の内も次第にすっきりとしてくるのだから不思議だ。


「...ははっ。なんか、お前がそうやって甘えてくんの珍しいな」

「あ、あまえ......ましたけど、なんかこう、もっとオブラートに包んでくださいよ...」

「いや、別に恥ずかしがることでもないよ。少なくとも、今のお前には必要だろ。もちろん、俺もお前にやれることをやってやりたいし」

「...ありがとうございます」

「ん」


凄く凄く大切にしてくれているのは分かってはいるのだが、なんだか昔と同じように子供の様に扱われている気がして、私は不満を表す様に頭をぐりぐりと体に押し付けた。私は座っていて、ラズさんは隣に来るためにわざわざ立ってくれているので、私の頭は丁度みぞおちのあたりだったのもあってか、ラズさんは「うっ」と苦しげな声を上げる。

目元に張っていた涙の膜も引いてきたことだし、ここが好機と言わんばかりに私はばっと顔を上げた。


「師匠!」

「な、なんだよ」

「あのですね、もう私、師匠と二つしか変わらないんですからね!子供みたく思ってたら痛い目見ますよ!」

「えぇ...元はお前がやってくれっていうからこうしてんだろうに」

「そうじゃなくて、ほいほい子供みたいにおちょくれると思わないでくださいってことです」

「おちょくってねぇよ。全部本心ですけど」

「んぅんぅぅ...!!!分かってないですよ...絶対」

「あのなぁ、だーーれが一番驚いたと思ってんだ。確かに昔から整った顔はしてたけど、急に大人びてえらい美人になってんだから当時の困惑ったらなかったんだぞ!」

「なっ...!?」

「ちゃんとわかってるっつーの。...お前は成長したよ。お前からじゃ俺は変わってないように見えるかもしんないけど、俺なりにいろいろあるんだわ」


違う。やっぱりラズさんは全然分かってない。

そうやって、昔からラズさんは私の事を真っすぐに評価して、頑張った分だけ褒めてくれて、当たり前のように信頼してくれていたけれど、もう私は昔の様に子供じゃない。ラズさんの真っすぐすぎる賞賛を正面から受け止められるほど、純粋じゃないのだ。今だって、ラズさんはなんのけなしに美人だなんて言ってくれて、ラズさんからしたらそれ以上でもそれ以下でもないのだろう。でも私からしたら違うのだ。そんな風に言われたら、どうしたってその先の事が気になってしまう。もしかしたら、だなんて期待ばっかり膨らんで、ずっと求めていたはずの今に満足できなくなってしまう。

昔だって、きっとちゃんと恋をしていた。

けれど、体が相応になってくると、恋というものの重みがまるで違う事に嫌でも気づいてしまうのだ。昔の様に、光をまるっと弾く純白ではいられない。もっと一緒にいたい、私を見てほしい、どこにもいかないでほしい。こんな感情がぶわっと抑えようもなく溢れてきて、きゅっと胸が締まるような思いになる。


「...分かってません。...覚悟しておいてください」


いつか絶対に、この余裕綽々な青年を真っ赤にしてやろうと心に決め、今はいったんこのもやもやを払拭すべく、私はラズさんの胸に頭を押し付けた。

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