ep.91
朝食を食べ終え、やや熱を持った頬がやっと冷めてきたところで私達は昔のようにソファに並んで座った。
ちなみに、久しぶりに作った朝食は案の定、量が足りなかったようで、ラズさんはさっさと食べ終えてしまい、ぼさっと私の事を見ていたのだが、ひさしぶりにああされるとやはり落ち着かないというかなんというか、何なら居た堪れないを通り越して恥ずかしくなってきてしまい、ラズさんの真正面褒めちぎり攻撃で火照った頬がもう一度発火する羽目になった。
私たちはほとんど同時に一息ついた。私とラズさんとでは、一息の種類が違うのだろうが、ひとまず安心できるところまでこれたのだという一点は変わらないのだろう。
多分、何か話さなきゃいけない事があるのだろうが、この静寂がなにかひたすらに尊いもののような気がしてしまって、私はしばらく黙りこくっていた。私はよく眠る体質ではあるが、寝起き自体はいいので今も眠気があるわけでは全くない。けれど、不思議と私の眼は閉じていって、そこに還るかの如く、気づけばラズさんの方に凭れ掛かっていた。
少しの間そうしていると、ラズさんが私の髪を梳くように何度か撫でて、ほんの少しだけ体重を預けてくる。
「弟子」
「はい」
「お疲れ様。よく...頑張ったな」
噛み締めるような響きに、全部を許されたような気持ちになる。ここまで、今まで、頑張ってきてよかった。なんて一々考えるまでもなく、この幸せが表しているのだけれど。それでも、改めてそうやって言われると、縮こまってしまいたくなるほど嬉しかった。
「...全部、師匠のお陰です。師匠が魔法を教えてくれなかったら、絶対、治せなかった」
「治す...ってことは、やっぱりあの炎は俺の魔法を解くための特異魔法だったのか」
「はい。師匠がかけられたのは”セギリア”、氷の概念魔法です」
そこで、どうやって説明しようか言葉を濁す。三年で起きた事は勿論、あの日に起きたことですら、様々な事象が折り重なってしまっていて、簡潔に説明するのは難しい。
「えっと...」と詰まってしまう私に、ラズさんは変に補足しようとせず、あくまで私の言葉を待つという姿勢だ。
「”消去の火”...ありましたよね。あれは炎の概念魔法だったみたいで、炎と氷は対ですから、炎の概念魔法を習得したオルゼルドのお偉いさんがそれと同時に得たのではないかと言われてます」
「やっぱあれ概念魔法だったのか...」
あれ、が炎と氷のどちらを指すのかが少し気になりはしたものの、まずは説明を終わらせようと、軽く頷いて続ける。
「セギリアは簡単に言うと対象の時間を永久に止める、という魔法なんですが、何故か師匠のはそれに時間制限がついてまして。ただそれがまぁ膨大で、冗談めいたガブエラさんの見立てだと、千年か一万年か、そんくらい、らしいです」
「誤差ってか。ははっ。笑えねぇ...」
「セギリアは対象を”停止させる”ものなので、本来、後からの治療は一切効果がないんですが、何故か時間制限があったお陰でマギアが効いてくれたってかんじです」
実際、あの日に関しては事実が錯綜しているうえに、分かっていない事も多い。ラズさんにかけられたセギリアが何故不完全だったのか、というのも、いくつかの憶測は立っているが、これといって決定的なものがない。最有力候補の『魔導書を通して使用したから』というものも、セギリアの使い手が居ない以上、試してみることもできず憶測の域を出ないのが現状だ。
結局大事なところが抜けているせいで、どこか締まらないものになってしまい、その気持ち悪さに頭を捻る。考えても分からない事なのかもしれないが、この喉に骨がつっかえたような感覚はどうにかして解消したくなってしまうのだ。
うーん、と考え込んでいると、ラズさんはラズさんで何かを考えていたのか、少し経ってから口を開いた。
「なんていうかさ...他意はないんだけど、俺の知ってるお前なら、跳ね返り覚悟で特異魔法までガンガン使ってたたき起こしそうな気がするんだけど、...多分そうじゃない、よな?」
「はい。三年もそんな生活してたらとっくに廃人なんじゃないですかね」
「そうだよな...。なんていうか、ちょっと意外」
これまた説明に困る案件で、私は『そもそもこれは話してもいいものなんだろうか』と眉に皺を寄せた。
「あの...誓って嘘じゃないんですけど、...セラフに、会いまして...」
「.........は......?」
信じがたい、と顔に書いてあるラズさんを横目に、私は腹を決めて説明を続ける。
「転移魔法を使ったとき、その中継地点みたい感じで”魔界”ってところに飛ばされまして、そこにいたのがセラフだったんです。いくつか教えてくれたんですけど、そのうち一つに、師匠を無理やり治そうとすると取り返しのつかないことになる、っていうのがあって......」
一通り話した私自身でさえ、急にこんな話をされたらまず信じられないと確信できる。
ちらりとラズさんを伺うと、やはり困惑に塗れた表情を.........していなかった。
むしろ、にやーっと笑っているので、私としては、何が何だかだ。
「そうだよなぁ...お前はそういうやつだもんなぁ」
「...えっと?」
「セラフ云々はもう信じるしかないとしてよ...今転移魔法って言っただろ」
「あ...それも、ですね。ええっと―
「いや、大体は分かるから大丈夫。まぁ、後でどうやって実現したのだけ教えてほしいけど」
ラズさんのいっそ快活といってしまえるほどの笑みを見て、私も思い出した。
昔はラズさんの予想だにしない事を山ほどやって、そのたんびに驚かれたり呆れられたりしていたっけ。
それでいうと確かに、転移魔法というのはセラフが昔に開いた門以外に確認されておらず、実在することは確かなのに実現不可とされている特異的な魔法だ。それをあたかもついでのように話す口ぶりは、自分で振り返ってみても少し面白いぐらいには《《私らしい》》。
「で、色々あって、ゆっくり治すことにしたわけだ。まぁ、セラフから言われたんなら怖すぎて無下にもできんだろうし」
「そうなんですよね」
「頭あがんねぇなぁ......。あ、てか、セラフに会いに行けたりはしないのか?おんなじ方法で」
「それは...」
胸がちくりと針で刺されたように痛んだ。
最期に見た、見た目相応の少女のような笑みはあまりにも眩しく、彼女の暗い歴史を余計に際立たせて私の脳裏に焼き付いている。件の転移門や、その先の荒野、そこで行われたことが、後に語られる歴史においては正しかったとしても、行なった本人は罪の意識に苛まれていたのかもしれない。そして、私の耳は、そんな過去を一切悟ることができなかった。後から気になって調べに行かなければ、二度と知ることはなかったのかもしれない。それほどまでに、彼女は心の内を隠していた。だからこそ、たったあれだけの交流が、大切に思えて仕方がないのだ。
「セラフは多分、消えました。...私を助けて、その代償で」
「助けて...?そんなことできるのか?」
「だからです。難しい事...やっちゃいけない事をしたから」
「...そうか........じゃあ、俺の恩人でもあるのか」
「そう...かもです」
「なるほどね」
私が落ち込んでしまったせいで、どうしたって重い雰囲気が流れてしまった。
ぎゅっと膝のあたりで手を握りしめていると、不意に、ふわりと落ち着く匂いと温もりに包まれる。
「あ...あの!?」
遅ればせながら抱きしめられているという事に気づき、私は動悸を跳ね上げた。
そういえば昔はこんな風に抱きしめられることもままあったような気がするし、なんなら添い寝だってしているぐらいなので昔の感覚のままのラズさんが落ち込んでいる私を見て抱きしめるというのはままある事なのかもしれない。ただ、あまりにもいきなりなものだから、私は心臓が口から出ていきそうだった。
見た目よりも随分しっかりとしている胸板に埋もれながら、ちらりと顔を伺うと、心配そうな、それでいてどこか慈しむような優しい目線が返ってくる。元から早かった鼓動は更に駆けていった。
しばらくの間、ラズさんは黙っていた。
恐らく私からは多分に分からないオーラが出ていたと思うのだが、それを知ってか知らずか、ラズさんは一言も喋らないまま、ただ、私を慰めるように抱きしめて、頭をゆっくりと撫でた。
「ししょー...?」
あんまりにもそのままだったので、むしろ何かあったのかと心配になり声をかけると、ラズさんはほんのりと苦悶の透ける声で喋り始める。
「なんか...お前がこの三年、苦労したり、辛かったりしたことってこんなもんじゃなかったんだろうけどさ、なんで俺はそん時傍にいてやれなかったんだろうって」
「...にしても、大胆ですね...」
「いや俺だってちゃんと恥ずかしいわ。けど気づいたらこうしてたんだ。許してくれ」
むしろ昔の距離感のせいで慣れ切ってしまていたのかと思っていたのだが、この声を聞く限り、本心のようだ。それに、自分の鼓動がうるさすぎて気にならなかったが、良く聞けばラズさんの鼓動もいつもより早いではないか。
ラズさんは少しだけ腕を緩めて距離を作り、私と正面から目を合わせた。
「なぁ」
「はい?」
「俺さ、お前の事守りたいんだよ。...是が非でもお前に幸せになってほしい」
突然の言葉に、少し考えてから、答える。
「私もです」
ラズさんは私の言葉を聞くと、目を見開いた後、脱力したように笑った。
「うん。知ってる。だからさ、”守る”なんて傲慢は辞めた。もう、お前は寄りかかっても平気なくらい大きくなったしな」
「む...女の子に大きくなったは失礼ですよ」
「ここでいう大きくなったはそういう意味じゃないだろ...つか、分かって言ってんなお前な」
「ふふっ。バレましたか」
少しの間、二人でくすくすと笑ってから、今度は私がラズさんを抱きしめた。今なら、私がラズさんを抱きしめたっておかしくないと思えたから。
「支え合っていきましょう?もう歳もそんなに変わんないんですし」
「...おう」
心ゆくまま抱きしめながら言うと、ラズさんはなぜか苦し気にくぐもった声で答えた。
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