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ep.90

(久しぶりだなぁ)


私は感慨に浸りながら冷蔵庫の扉を開ける。

昨日、目を覚ましたラズさんに縋りついて寝入ってしまった後、結局私が目を覚ましたのは三時間と少しが経ってからだった。意識が浮上すると同時に、ずっと求めていた温もりに包まれていた私は、寝ぼけたまま、強く抱き着いてみたり感触を確かめたりしてしまったのだが、しばらくそんなことをやっていると上から『弟子』と、懐かしい、やや呆れたような半笑いの声が降ってきて、慌てて飛び起きた。

あの時の恥ずかしさったらない。

昨日は結局、久しぶりすぎるのと寝起きに醜態をさらしてしまった恥ずかしさでまともに目も合わせられないわ話せないわで散々だった。

どことなくぎこちない雰囲気を連れて帰路につき、『おやすみ』と言われて泣いてしまいそうになり、『おやすみなさい』と返して泣いてしまった。ラズさんは当たり前の様に寄り添って宥めるように頭を撫でてくれたのだが、恥ずかしくて目すら見れないというのに、頭を撫でられるというのは完全にキャパオーバーだったようで、恐らくは耳まで真っ赤になっていただろう私は逃げるように自室に引っ込んでしまった。

と、こうして振り返ってみるとやはり散々で目も当てられないのだが、一頻り寝てスッキリとした頭で考えてみると、これすら一種の感慨のように思えてしまう。

遠い昔、こうしてラズさんが起きてこない時間帯に一人悶々とすることはよくあった。それは、昨日の後悔だったり、やり残しだったり、今回のような恥じらいと反省だったり。種類は様々だが、ほとんどの時間を共有していたからこそ、この朝の時間は私にとって必要不可欠なものだった。

そして、朝考え込みながらやる事といえば朝食づくりだ。

包丁がまな板を叩く音や、食材が焼ける音、はたまた煮える音を背景に、ああでもないこうでもないと考えるのが私の日課だった。

さて、今日は何を作ろうか、と中を見れば、昔とは少し異なる食材がほどほどに入っていているのが分かる。なにせ、食材を買ってきてくれた、ないし持ってきてくれたのはフェリアで、その内容もフェリアの好みに寄っているので、中身が昔と違うのはむしろ必然なのだ。

流石は大商人の一人娘なだけあって、入っている食材は洩れなく質のいいものになっている。私は、少し悩んで、厚切りのハムと卵、スープ用に玉ねぎを取った。料理は少し前からできるようになってはいるが、それでも昔のように慣れ切っているというわけではないので、リハビリの意味も込めて簡単なものにとどめておいた。

丸々と大きなハムを適量切って、残りは冷蔵庫にしまう。まな板に転がして、二等分したところで、はっとした。今日作る相手は普通よりも少し小食な女の子ではなく、無尽蔵の胃袋を持つ青年なのだ。

これじゃまるで足らないという事で、仕舞ったハムをもう一度取り出し、先ほど切り取った量の倍を追加し、冷蔵庫に戻す。


「ふふっ」


この感覚もかなり懐かしいものだ。

最初のころは、『これぐらいかな?』と調整しても、毎度ぺろりと平らげては私の食事風景を眺めてくるものだから、ラズさんの胃袋事情にはかなり頭を悩ませていた。その癖、量が足りないと言うわけでもなく、なんなら『お腹空いた』と自発的に言ってくることもないので本当に良く分からないのだ。

いつしかそれにも慣れて、程よい量を出せるようになったのだが、もう何年も経ってしまった今となっては憶えているはずもない。

今日は何となくの目測で作っているが、恐らくはさっさと平らげられてしまうのだろうと考えると、なぜだか、頬が綻んで、温かい気持ちがした。

やや苦労しながらも、せっせと朝食を作っていき、あとはスープを作るだけ、というところで一息つく。

こうして偶にすると感じるが、案外この炊事というのは体力がいる行為なのだ。と、そこまで考えたところでフェリアの事を思い出す。

自分は魔学院に通いながら、魔法院からくるかなり難儀な依頼をこなし、それでいて毎日毎日朝ごはんと夜ご飯を作ってくれた彼女。昨日は余裕がなくて気づかなかったが、いつの間にかほとんどの形跡を消していなくなっている。

...思い返してみると、フェリアがこの家に持ってきたものといえば、それこそ食材の類と、寝間着、歯ブラシ、ブランケットぐらいだろうか。あれだけの期間この家にいたというのに、同居していた形跡が殆どないのは、フェリアが事情を知って片づけたというのもあるのだろうが、それ以上に元より持ってきていたものが少ないという事のほうが大きいだろう。

恐らくは彼女なりの気遣いなのだろう。ラズさんが戻ってきたときに、昔とできるだけ変わるところがないように。すぐにでも、”日常”に戻れるようにと、多少の不便を甘受してでも環境を壊すまいとしてくれた。とは言っても...


「いたっ......」


少し寂しいなぁ、なんて考えていると、手元が狂ったのか、指先を少し切ってしまった。戦闘時であればなんてことはないのだが、平時で起こるとかなり痛いのだから不思議だ。

ぎゅっと指先を圧迫して止血し、ちょっとだけグロッキーになってしまった玉ねぎをしっかり水で洗って沸いたお湯の中に入れる。一緒にコンソメを始めとした調味料も入れて、あとは程よく煮るだけ、とキッチンでぼけっと立っていると、ラズさんの部屋の扉が開く音がした。

少しして、がちゃりとリビングの扉が開かれ、ラズさんとぱっちり目が合う。

やはり、少しだけ気恥ずかしさもあったのだが、昨日ほどではなく、私は目を合わせたまま微笑んだ。


「おはようございます」

「...あ、お、おはよう」


何故か呆気にとられたようなラズさんを不思議に思ってから、そういえばラズさんの感覚ではあの日からほとんど時間が立っていないのだと気づく。そりゃあ寝ぼけた頭でリビングに居座る成長した私を見たら、驚くのも無理はない。


「もう少しで朝ごはんできますけど、すぐ食べますか?」

「おう。冷めても何だしな」

「分かりました」


スプーンで玉ねぎを突いてみると、しっかりと煮えたようで、とろっと崩れてしまう。これならラズさんでも食べられるだろう、と火を消し、出来上がった朝食をお皿に盛っていると、ラズさんがとことことキッチンまで来た。


「運ぶよ」

「...ふふっ。ありがとうございます」

「...なんだよ」

「いや、懐かしいなと思いまして」

「あー...まぁそう、か」

「はい。そういえば、師匠ってそういう人でしたよね」

「......これ、持ってくぞ」

「お願いします」


あぁ、懐かしいな。

この照れ隠しの音。

この音が聞きたくて、昔はわざと明け透けにし話していたりしたっけ。

いや、或いは、ラズさんの前だとどうやったって明け透けになってしまうのかもしれない。ラズさんからしたら昨日の今日かもしれないけれど、私にしてみれば三年ぶりのやり取りなのだ。だというのに、こんなにも自然に昔とおんなじ会話ができるのだから、そういう事なんだろう。

拗ねたような表情で朝食を運んでいくラズさんの顔が、記憶よりずっと幼く見えて、最初は微笑ましさに頬を緩めていたのだが、次第にある事に気づいて、私は首をひねった。

私は現在、イレギュラーという称号までいただいて、魔法院の中ではそれなりの地位にいるわけだが、それでいて公の階級は見習いの一級ということになっている。師匠であるラズさんが昏睡状態だったために、見習い卒業の許可が出なかったからだ。しかし、魔法院もそこまで頭が固いわけではないらしく、特別措置、という形で私を見習いから昇級させるという話も出たのだが、それに関しては私が個人的なわがままで断った。ここまで師匠第一で通してきた私が、ラズさんの許可なく昇級するというのは考えられなかったからだ。

全ての問題が一旦片付いた今、私はどうなるのだろうという疑問が浮かび上がってくる。

ラズさんに話せば、すぐにでも弟子を卒業させてくれるのだろうが、弟子を卒業した後が不安なのだ。

以前であれば、ラズさん本人に確認したということもあって、弟子を卒業した後もここに居ていいのだと思えたのだが、こうも体が大きくなってしまうと、あの時の約束をそのまま適応していいのかすこし躊躇してしまう。

ぼーっと立ち尽くしていると、テーブルに腰かけたラズさんが「弟子ー?」と声をかけてくる。


(...まぁいっか)


別に急ぐような話でもないし、自分から話す必要はないのかもしれない。ラズさんからそうやって話が来ても、今度は現状を踏まえたうえで、もう一度お願いすればいい話だ。どちらにしろ、私にはラズさんしかいないのだから、どうにか懐に忍び込む以外に道はない。となれば、不安になっても仕方がないじゃないか。


「今行きますー!」


私は残りのお皿をテーブルに持っていって、ラズさんの向かいに座った。

どちらが合わせるでもなく、目くばせした訳でもなく、自然と同じタイミングで「いただきます」を言い、その事に遅れて驚いた私達はぱちくりと目を合わせて、同時に笑った。

もしこれが夢だったら立ち直れないかも、なんて考えて、そういえばさっき指を切ったときちゃんと痛かった事を思い出し、その想像の馬鹿らしさに体温が僅かに上がったような気がする。

まずはスープからにしたらしいラズさんが、一口飲んだ後、ほっとしたように息をついてから、しみじみと「うまい...」とこぼしたのを聞いて、顔がだらしなく緩んでいくのを感じた。顔を見られないように少し俯いて、頬をぐにーっと引っ張る私に、ラズさんは何も気づいていないようにあっけらかんとした様子で言う。


「久々に食ったけど、やっぱ一番うまい」

「久々...ひさびさ......?」

「あぁ、なんだかんだいって三日か四日ぶりだぞ」

「み、三日って...ふふ」


私と違い、ラズさんはつい先日に昔の私のご飯を食べているだろうと疑問に思ったのだが、どうやらラズさんにとってはその数日でさえ久しぶりといえる時間だったらしく、あまりの認識のズレにたまらず吹き出してしまった。

くすくす笑っているとなんだかいつもと頭部の感覚が違う気がして、気にしてみると、料理のために結んでいた髪がそのままだったらしい。なんとなく、髪が痛むかもしれないと思って外すようにしていたのだが、今日は考え事をしていたせいか解くのを忘れていた。

高めの位置でポニーテールにしていた髪を解くと、ラズさんが珍しく食事の手を止めてじっとこちらを見ていた。

何かあったのかと首をかしげると、ラズさんははっとしたかと思えば、気まずそうに明後日のほうを見る。


「...あの、何かありました?」

「い、いや......」


ラズさんはかなり言いよどんだが、私が辛抱強く待っていると、次第に口を開いた。


「髪。伸ばしてたんだな」

「...そう、ですね。切るのも勿体なかったですし、それに...」


少し躊躇ったものの、ラズさんには素直でありたくて、包み隠さずそのままを伝えることにした。


「師匠が、綺麗だって言ってくれたので」

「......そっか」

「...その...どう、ですか...?」


これはやりすぎだろうか。勢いに任せて行ってしまったことをやや後悔しながらラズさんの言葉を待っていると、少しの間悩んでいたラズさんは、吹っ切れたように真っすぐ私を見て、笑って言った。


「綺麗だよ」

「なっ......!!」


耳にまで羞恥が昇るのを感じながら、そういえば、と思い出す。

何も照れさせるのは私からが全てじゃなかった。

ラズさんの『してやったり』という悪い笑みを見ながら、余裕なんて微塵もない頭で、ただ、大事に伸ばしてきてよかったと、それだけを思った。

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