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ep.89

弟子に泣き付かれる事、早二時間弱。

薄々そうなる気がしていたのだが、案の定、弟子は俺にもたれかかって、疲れきった子供のように寝入ってしまっていた。

俺の記憶では二日前に見た弟子の姿と比べると、今の弟子は見た目こそ特徴的な部分を残しているので変化が少ないが、纏う雰囲気が格段に大人びている。

しかし、こうして安心したような顔で寝ている分には、記憶の中の弟子とそっくりで、あの弟子がこれほどまでに綺麗に成長したのだという実感と、その過程を何一つ見ることができなかったという激しい悔恨が俺を襲った。

弟子に流れる魔力は俺と出会った当初のようにボロボロに擦り切れていて、事情を聞くまでもなく、俺が戻るまでの期間に無理をしていたことが分かる。

俺の胸で泣いていた時、弟子は何一つ語らなかったが、その実、語れなかった、というのが大きいのだろう。昔から、弟子は感情に機敏な子供だったし、特異魔法の皺寄せがきている時はよく泣いてしまっていた。加えて、弟子は...俺のことがかなり好きだったから、喋れないほどに泣いてしまっても何ら不思議ではない。

...今なら、いいだろうか。

弟子はすっかり寝落ちてしまって、俺の声なぞ聞こえないだろうから、むしろ今しかない。


「...ごめんな」


一瞬、躊躇ってしまったのを押さえ込み、白磁の頬をさらりと撫でながら、俺は呟いた。

これは弟子に聞かせるような言葉じゃない。弟子に言わせてはならないのだ。『謝られるためにやったんじゃないんです』だなんて。けれど、それとこれとはまた別だ。何よりも大切で、何よりも守りたかったものを傷つけた。その事実は、俺を罪で塗りたくるには充分だった。

罪悪感と、悔しさが頭の中でガンガンと響く。あの時こうしていたら、というろくでもないタラレバがどうやったって頭に根付いて抜けなかった。


「ごめん......ごめん...」

「わぁー...ホントに戻ってるじゃん」


うわ言のように呟いていると、突然ドアからひょっこりと、見覚えに塗れた男が出てくる。

先日見た時でさえ酷い有様だったというのに、それを煮詰めて絞り出したかのような有様に、全てをさておいてまず心配になってしまった。


「お前...寝てる...?」

「あのねぇ、ラズからしたら二日かそこらぶりかもしれないけど、こっちからしたら二年以上も意識不明の友人との再会なんだから、もっとなんかあるでしょうよ」

「...いや、なんつーか、お前そんぐらいしか変わんないし...」


目もとの隈と疲労感こそあからさまに”次の段階”に行っている感が否めないが、それを除けばガブの姿は前に会った時とまるで変わらない。

かなり大人びた弟子との差に少し困惑しながら言うと、ガブははぁとため息をつきながら手頃な椅子に座った。


「そりゃ成長期のマリエルちゃんと比べれば僕の変化なんて微々たるもんだろうよ」

「...で、これはどういう状況?」

「色々あったよ...まず、あの日から二年強経った。...もうあと少しで三年かな。原因は氷の概念魔法」


三年。

俺は視線を落として、弟子の姿を見た。

薄々気づいてはいたが、あの日から計算すると、弟子はもうすっかり成人していることになる。そうでなくても、三年というのは俺たちが過ごしてきた年月をゆうに超える果てしない時間だ。そして、まだまだ幼かった弟子にとって、それは何よりも貴重で代え難い時期である事は今更確認するまでもない。


「...弟子は...どうだった」


ガブは少し言い淀んでから口を開く。


「...かなり、......かなり、苦しかったんだと思う。心ここに在らずって様子がしばらく続いたし、...自ら命を絶つような動きもちらほらあった」

「......そう、か」


そこまで、とは思わない。

弟子なら、そうなってしまうかもしれない。良くも悪くも、俺が居ないとこの子は駄目なのだ。

形容しがたい、無数の負の感情がぐるりととぐろを巻いて俺の胸に居座った。思考が次に進まなかった。その時の弟子のことを考えると、過去から目が離せなくなる。


「...マリエルちゃんにそんな顔見せないでよ」

「.........あぁ。わかってる」


弟子は謝られたいわけじゃない。俺が戻ってきて、昔の様に楽しく暮らす。それだけを夢見て、この長い長い間、弟子は耐えてきたのだ。俺はそれに応えなければならない。

少しの間、吐きたくなるような後悔に俯いていると、ガブははぁ、とため息をついて話し始める。


「あのねぇ...付き合いも長いし今のラズが考えそうなことならある程度分かるけどさ。ハッキリ言うけど、おかとちがいだよ」

「...は?」

「責めてるんだろ?自分の事」

「...そりゃ、俺はあの日何もできなかったし。俺がしくじらなきゃ、こんなことにはなってなかった」

「あー、はいはい。もう違う全部違う。頭っから違うよ」


俺は無意識に生唾を飲み込んだ。ガブがこうやって話すときは、大抵心底怒っている時だからだ。


「君は知らないだろうけどね、あの場所に張ってあった魔法は、恐らく君意外の誰にも壊せなかった代物だよ」

「張ってあった、魔法...」


思い出すまでもない。ジャッジメントを弾き飛ばした魔力障壁のような何かのことだ。


「結界魔法。自分の魔力はもちろん、他人の魔力や生命エネルギーを変換して展開できる魔法で、触媒が多ければ多いほど魔法の性能が上がっていく。触媒の最大持続時間は約五百年。ラズの感覚に合わせて言うなら最近、以北地域で失踪が相次いでたろ?多分、五百年間以南地域の人たちを触媒にして貯めてたんだろうけど、ついに制限が来たからってことで魔力のある以北地域の人間も攫い始めたんだろうね。失踪者の中には一級魔法使いも何人かいる。そして、そのほとんどが元宮廷魔法師だ」

「な...」

「ま、今ラズが考えた通りだろうよ。十年前のオルゼルドに干渉できるのなんて宮廷魔法師くらいだろうし、そいつらを誘い込んで社会的に孤立させた後、少しずつ攫って強力な触媒にしようって魂胆だったんだろうね」


十年前、俺があの暗い監獄から救われたあの日。

後に聞いた話によれば、俺が監禁されているという話はなぜか以北地域に知れ渡っていたそうだ。

王は、ギフテッドを救い出すという事に前向きではなかった。なにせ、ギフテッドは政治の面では王にとって邪魔者以外の何物でもなく、魔獣の被害に目を瞑れば、その状況はまさに求めていたものそのままだったからだ。

王直属の部下である宮廷魔法師も、その意を汲んで、この件には知らぬ存ぜぬで通していたらしい。

しかし、その状況を良しとしなかったのが、当時宮廷魔法師の機動隊隊長だったグラードさんと、その部下だった。

勿論、王の意向に反したとして宮廷魔法師からは追放されたのだが、ギフテッドの救出という公には非難しにくい案件だったため、処刑まではされなかった。

グラードさんを始めとして、元機動隊の面々は並々ならない実力を有していた。彼らは触媒として考えるのならば下手な魔導士よりもよっぽど効率が良かったのだろう。


「...ってことは、十年も前からあの日のために準備してたってことか...?」

「十年なんてもんじゃない。オルゼルドの跡地で見つけた書類だから真偽は分からないけど、それによれば、オルゼルドがギフテッドを封印しようと企み始めたのは七百年も前だ。五百年前から結界魔法を蓄えてたんだからそれ以上前なのは当たり前でしょ?」

「い、いや...確かにそうだけど......」

「計画書をざっと読んだけど、くどい位にはギフテッドの対策に塗れてたよ。それをすり抜けて、あの結界魔法を割ったってのがどれだけの事か分からない訳じゃないでしょ。五百年の日数分の人の寿命と、宮廷魔法師十人分の結界を一撃で壊したんだよ?もっと胸張っていいんじゃない?」

「......そうだな」


事実としては納得できた。確かに、それだけの魔力がこもった代物は、あの時の弟子にだって壊せなかっただろう。あれを破壊できたのが俺以外にいなかったのであれば、あれを破壊した時点で俺は役目を達成していたのかもしれない。

しかし、そうはいっても弟子が傷ついてしまったという事実はそこにあり続ける。

これは胸の内に閉まっておいて、墓場まで持っていこう。

そう決意し、ガブに『もう大丈夫だ』というようにへらっと笑うと、ガブはつかつかと歩み寄ってきて、びしっと俺の眉間を弾いた。


「いっっっってっ...!」

「そ!も!そ!も!ラズは自分のせいでとか思ってるんだろうけど、悪いの全部オルゼルドだから!ホント何を勘違いしてるのさ。ラズとマリエルちゃんのお陰で以北地域で起こってたよく分かんない争いも無くなったし、以南地域への差別もぐっと少なくなったし、みんな感謝してるんだよ?ラズは英雄であって悪役じゃ―


ものすごい剣幕でまくしたてるガブに呆気にとられていると、今までは一定のリズムで上下していた弟子の背中が、強張ったようにぐぐっとたわみ、「んぅ...」と不満を訴えるようなくぐもった声を漏らした。

全く同じ素振りで、ぐっと首を縮めた俺たちは、先ほどと比べてかなり声量を落として話始める。


「......ガブ」

「...ん」

「ホントに、今度こそ分かったわ。...そうだよな。あいつらが全部わりぃや」

「...ふふっ。そーだよ。ぜーーんぶあいつらが悪いんだから、そんななよなよした顔マリエルちゃんに見せないでもらっていい?」

「うるせぇうるせぇ。...あのなぁ、こんなぼろぼろで、しかも成長しちゃった弟子見たらセンチメンタルになんのも分かるだろ?」

「いーーや分かんないね。『こんなに可愛くなっちゃてぇ!』ってわしわし頭撫でてあげればいいじゃん」

「...逆に俺がそうすると思うのか?」

「ま、照れてやらないだろうね。なっさけねぇやぁ」


いつもの三割増しでウザいガブに、辟易したといわんばかりに手を払いながら言うと、ガブは一頻り笑った後、少しまともな表情で「まぁ」と続けた。


「さっきのは冗談だけどさ、実際本当に可愛くなったよね、マリエルちゃん」

「...そうだな」

「いや、昔から整った顔だなとは思ってたけど、こう大人になってみると完成度が違うというかなんというか...」


ガブが弟子に可愛い可愛い言っていることに少し落ち着かなさを感じつつ、それでいて何故か俺まで気恥ずかしくなっていると、ガブは途端ににやーっと嫌な笑みを浮かべる。


「あ、マリエルちゃんは変わらずラズの家に住んでるからね。...そんな可愛い子と一緒に暮らしてて、いつまで理性を保てるかな~?」

「......ねぇよ」

「ははっ。せいぜい頑張りたまえよ。マリエルちゃんもマリエルちゃんでぐいぐいだろうし、覚悟しなー」


ガブは悪い笑みで言うだけ言って、ひらひらと手を振りながら部屋を出て行った。

確かに、三年も眠っていた俺が起きたその瞬間に立ち会ったということからも、恐らく弟子は俺に付きっ切りで、一人立ちなんて余裕はなかったのだろう。となれば俺の家に住んでいるのもなんらおかしいことではない。

ではないが......


(俺、この子と住むの...?)


昔ですらまぁまぁ危うかったというのに、未成年という最強の一線を失った上、見たことがないレベルの美貌まで備え付けてきた弟子に、はたして俺の理性はどこまで抗えるだろうか。


「あれ...」


というか...


戦う必要はあるのだろうか?

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