ep.87
どれほど待っただろうか。
いや、セシリアさんが現場に入ったのだから、実際には何時間と経ってないはずだが、元の病室で待つだけというこの時間は私にとってほとんど永遠に近かった。
心の中に関してはもはや言うまでもない。良いも悪いも様々な想像が頭をよぎっては、次の想像に押し出されて消えていく。もしかしたら、今日で念願叶うかもしれない。もしかしたら、今日で全てが壊れてしまうかもしれない。分からないのだから、考えても仕方がない。概ねこんなことが浮かんでは消えていく。
椅子に腰かけ、前かがみに蹲るようにして進展を待っていると、ガラリと部屋の扉が開かれた。
反射的にそちらを見てしまって、自分の迂闊さに後悔する。もし、その目に映る光景が耐え難いものだったなら、少なくとも気持ちの準備はしておかなければ壊れてしまう。
一息つくべきだったと、心の底から後悔し、そんな心中だからか途端に襲いかかってくる嫌な予感に反して、目に飛び込んできたのは依然としてどちらか分からない、というような風景だった。
ラズさんはここを出た時とほとんど同じように移動式のベッドに横たわっていて、その後ろにはガブエラさんとセシリアさんが読めない表情で立っていた。
真偽を問うように二人を見つめると、ガブエラさんが口を開く。
「とりあえず、一命は取り留めたよ。セシリアが来てくれたから、体は健康そのもの。ただ、意識は...見ての通りだよ。」
「そう...ですか......」
「正直なところ、なんとも言えないんだ。今この瞬間に目を覚ます可能性も十分にあるし、その逆もある。一つ言えるのは、今まで一つだって変わらなかった状況が良かれ悪しかれ動いたってことかな」
「...ガブエラさん。ありがとうございます」
状況はガブエラさんが言う通り、ハッキリとはしないものになったけれど、何かを間違えれば命を失っていたかもしれないところからここまで来たのだから、私としては心底ほっとしていた。
「それを言うならセシリアだよ」
「い、いや、私は大したことしてないし...ていうかあの感じだとガブエラだけでも何とかなったでしょ?」
「医療の現場に百パーセントなんてないのは君も知ってるでしょうに。分かんないよ?僕だって失敗することはあるし。実際今日だいぶ眠かったし」
「あ...あんたがその程度でミスるわけないでしょ!」
「さー?なんのことでしょーねー。って事で、後は二人で存分にお話して貰ってね。僕はお仕事に戻りますよっと」
「ちょ、ちょまっ......」
どことなく息の合った会話を聞きながら、病床のベットに浮遊魔法でラズさんを移動させていると、ガブエラさんは話すことは話したといわんばかりにスタスタと部屋を後にしてしまった。
そもそも、今日セシリアさんがあれほどの規模の討伐に参加していたのは、ガブエラさんがあまりにも忙しく、今日はほとんど時間を作れないからだったため、むしろここまで時間を使ってくれたことに感謝しかない。
ドアのほうを向いて、しばらくは名残惜しそうに腕を持ち上げていたセシリアさんだったが、私が声を掛けようと息をのんだその瞬間にため息と供に振り返って私を見た。
「その......なんていうか...ごめんなさい」
「え...?」
急に謝られるものだから、思い切り虚を突かれて目をぱちくりとさせる私と、何故かそんな私をみて困惑するように首をかしげるセシリアさんとの間で、一瞬、沈黙が流れる。
「あの...どうして謝罪を...?」
「え...いや、私、君のこと避けてたし...嫌だったかなって」
「避けてた...のはまぁ、そうなんでしょうけど、ちゃんと理由があってのことだと思いますし...。というより、私はただ、何度かお世話になっていると聞いた時からお礼がしたかっただけです」
「いやいや、治癒魔法持ってたらそうするのも当たり前っていうか...そんな大層なことじゃないよ。うん」
慌てたように否定するセシリアさんを見て、私は少し頭を捻った。この音は、心の底から言葉通りの事を思っている音だ。あれだけの事ができるというのに、どうしてかセシリアさんは自己否定に走っていて、そこに優越やら驕りやらの類がこれっぽっちもない。
...何故だろう。
少し考えても、その理由は分からなかった。
どうやら考え込んでしまったのがいけなかったらしく、途端に黙り込んでしまった形の私をみて、セシリアさんは小さくなってしまって、居心地が悪そうだ。
とにかく何か話さなければと思い、ごちゃごちゃの頭の中をそのまま口に出してみる。
「えぇっと...凄いことをされたから感謝するわけじゃなくて、私のために何かをしてくれたから感謝したいんです。何気なく飲み物をもらったら、自然にありがとうと言ってしまうようなもので、事の大きさに関わらず、私に施してくれたといいう事実そのものが嬉しくて、だから感謝したいんです。......だめ、でしょうか...?」
何度かつっかえながらも、どうにか言葉にしてみたが、それでもセシリアさんの表情はどこか曇ったままで、「私も...”言うな”なんて言える立場じゃないんだけどさ」と回りくどく肯定してくれた言葉は、やはり苦渋の色が透けて見えた。
「じゃあ、改めて...セシリアさん。私を助けてくれてありがとうございます。多分、私が知らないところでも助けてくれたんだと思います。いまこうして、少しだけど、前を向いて生きていけているのはあの時セシリアさんが命を救ってくれたからです。本当に...ありがとうございます」
ずっと、こうして伝えたかった。
フェリアも、ガブエラさんも、本当に本当に感謝しかない程、私を助けてくれたのは間違いない。けれど、全ては命あってのもので、その命を救ってくれたのは他でもないセシリアさんなのだ。あの時、あの事故でそのまま私が死んでしまっていたら、今日こうしてラズさんに変化が訪れることもなかっただろうし、もしかすると責任感や喪失感でフェリアも壊れてしまっていたかもしれない。すべてが良い方向に進みだしたきっかけは、あの日にこそある。
言い終えると同時にぺこりと頭を下げると同時に、ごくりと生唾を飲み込む音がした。私が頭を上げるのと反対に、セシリアさんは深く俯いてしまって、表情が見えない。
「なんで...そんなに......」
「え、えっと...?」
「...ねぇ」
「は、はい」
「ラズのこと、好き?」
「...はい。何よりも」
唐突な質問に多少驚きはしたが、自分の中では揺らぎようのない答えがある問いだったために、返答するまでそれほど時間は要さなかった。
ハッキリと答えると、セシリアさんは頭を上げて、へらっと笑った。
「勘違いしないでね。あんな朴念仁の出不精、私のタイプじゃないからさ」
「...えっと......」
「でもね、あいつのさ、才能に威張らないで努力するところは嫌いじゃないんだ。私」
何と言っていいか分からずに、私はただ言葉を濁す。
「私はね、あいつとは違って本当に弱かったからさ、治癒魔法があるのをいいことに、だらだらだらだら生きてきたんだよ」
「そんなこと―
「まあー、勿論負傷者をあちこち飛び回って治していくっていうのは大変っちゃ大変なんだけどさ。そんなの比較にならないぐらい、ラズも、ガブエラも、努力してたんだ」
懐かしむように遠くを見ていたセシリアさんの視線が、私に向いた。
先ほどと同じようにへらりと笑った顔には、透明なしずくが一滴、伝っていた。
「だから、丁度いいんだよ。君みたいに、ひたむきな子があいつの傍にいるのは」
「セシリアさん......」
茫然としていると、セシリアさんの頬を伝った涙が、革のブーツに落ちて、派手な音を鳴らしながら弾けた。
そこではじめて自分が泣いていることに気づいたらしいセシリアさんは、目を擦った指に乗る水滴を見て、顔をくしゃりとゆがめた。
「最っ...悪」
私じゃない。
こんなにも強い言葉だというのに、私の動悸は一切上がらなかった。
むしろ、烈火のような自己嫌悪に、なにかできることはないのかと反射的に思ってしまうほどだ。
しかし、この状況で私が何を言おうとも、その全てが裏目に出てしまいそうで、何も言えなかった。
少し、時間が経った。
セシリアさんはふぅっと細く息を吐き、切り替えるような声音で話し始めた。
「ラズの状況なんだけどね」
「は、はい」
「正直私にも分からなくて。でも、前に見たときは全部の情報が遮断されてたんだけど、今は体の情報は読み取れるようになったから、事は間違いなく進んでるよ」
「そう、ですか」
「治る、とは明言できないけど、少なくとも、あのまんまってことはなかっただけ良かったんじゃないかな」
突然テキパキと必要な事を事務的に話し始めたセシリアさんは、一通り言い終えるとぱっと席を立ち、「それじゃ」といって扉のほうへ向かって行ってしまう。
私は反射的にその手を取っていた。
「...えっと、まだ何かあった?」
「あのっ!!」
手を掴んだは良いものの、何か意図があったわけではない。ただ、本能がそうしろといったから、それに従ったというだけだ。私は変な体制のまま、その根源を考えた。
見つけた答えはこの上なく単純で。
「今度、お茶しませんか!」
「え...」
「セシリアさんが知ってるところでもいいですし、なければないで私のおすすめのところでもいいんです。なんならお会計も持ちますし―
「ま、待って待って。そういうのは良いんだけど.........私とお茶したっていいことないよ、きっと」
「違うんです。良いとか、悪いとかじゃなくて...このまま終わるのが嫌なんです。セシリアさんとちゃんとお話ししたいんです」
「.........」
勢いのまま伝えると、セシリアさんはかくんと口を開け放って呆けたのち、こらえきれないといったようにくすくすと笑いだした。
「なによ、それっ...ふふっ」
「あ、あの...」
「いいよ。わかったわかった。お茶でも買い物でもなんでも付き合うよ」
「ホントですか!」
「うん。また、ね」
「はい。また!」
言質を取れて、顔いっぱいに笑う私をセシリアさんはどこか呆れたような、それでいて慈しむような眼で見てから、部屋を後にした。
(あれ...なんか、見覚えが...)
既視感の正体を探るのに精いっぱいだったからか、部屋を出たセシリアさんの「なるほどねぇ」というつぶやきは、ついぞ私の耳に入ることはなかった。
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