ep.15
家の扉を開けると、数時間前に見た惨状は跡形もなく消し去っていた。ラズさんの知り合いの家に仕えているらしいメイドさんは、急な頼みだったのにもかかわらず見事に仕事をこなしてみせたようだ。
改めてみると相当に広い。よくもまぁこの広い家を窮屈に見せていたものだと感嘆もとい呆れる。
「綺麗になりましたね」
「流石だな」
「...もしかして常連です?」
「......まぁ」
この際ため息は隠さないでもいいだろう。少々、いやかなりバツが悪そうに答えたラズさんは、私の責めるような視線に小さくなっている。そうやって小さくなれば廊下が狭くなったところで気にならなそうだ。
「私が来たからには常にピカピカにしますからね。部屋にゴミや書類を置いておくのを止めはしませんが、勝手に片付けるので紛失しても知りませんよ!」
「肝に銘じとく...っていうかお前が来たんだし流石の俺も片づけるぞ?当番制と場所で分担するの、どっちがいい?」
「いえ、家事は私がやる約束ですので」
「......いやいやいや。流石に任せっきりってのもどうなんだよ。いやダメだろ」
どうやらラズさんは家事を任せるという条件をそれほど重く見積もっていなかったらしい。私は自他ともに認める頭カチコチ人間なので、前提の話を蔑ろにするなんてことは考えられない。
「何がダメなんです?私は弟子入りするときに師匠に言ったじゃないですか」
「あー......んなこと言ってたなぁそういえば...」
尚も頭を抱えて唸っているラズさんに、こればかりは譲れないのでとどめを刺す事にした。
「師匠、家事をやるというのは師匠が出した条件ではありませんよ」
「...そうだな」
「師匠が私に家事をすることを条件にしたのではなく、私が師匠に家事をさせてもらうことを条件にしたんです。家事をさせていただけないのは約束の反故と同義ですよ師匠」
屁理屈ではあるが私にとってこれは筋の通った立派な反論だ。元々私はラズさんに貰った大恩を返すつもりでいたし、そのはけ口として家事をさせてくれと願ったのだ、一つとして嘘はついてないし誇張というわけでもない。
ラズさんの善性を逆手に取った形になるが、こればかりは素直に施されないラズさんが悪い。
ガキと食事に行くのに会計を分けるバカがいないなら、師匠の家に住まわせてもらっておきながら家事を分ける弟子もいないだろう。
「...生意気な......」
「生意気で構いません。それに私ほどの歳であれば生意気なぐらいが可愛いのです」
内容そのものにはぐうの音も出なくなったのか、ラズさんは恨めし気な声を上げる。
そういえば生意気と言われたのは初めてかも知れない。
近所では礼儀正しいで通っていたばっかりに新鮮な響きだ。
どうやら私はラズさんの前では生意気にもなれるらしい。何故かはわからないがラズさんには歯に着せる絹の在庫が切れている。といっても何でもかんでもというわけではなく、いうなれば『自分をよく見せよう』『悪く思われたくない』と言ったたぐいのものだけがまるきり入荷待ちなのである。
周りの空気を読んで、よく考えてから発言する普段の私からは考えられないことだが、私の晴れやかで軽やかな心中から察するに、こちらの方が自然体なのかもしれない。
「はぁ...分かった、家事は仕事として全般お前に任せる。が、その分の小遣いは払わせろ。オズのケーキでも食ってこい」
ここまで言われてもタダでは食い下がらないらしい。
一瞬断ろうかとも思ったが、されっぱなしというのも男の矜持?が廃るのだろう。
それにオズのケーキは是非制覇したい所である。
「わかりました。それは有難く貰います」
「ん」
姿勢を正して深く腰を折りお礼を言うと、「こちらからもよろしく」とぺこりとお辞儀を返された。
お辞儀をするのは慣れていないのか、両手が前に来ているし、背が丸まっていたりで何とも締まりがないが、これはこれで可愛らしいので何も言わないでおく。
ラズさんが顔を上げると、取り繕ったつもりだったが顔に出ていたらしく、「なんだよ」と胡乱な目を向けてくるので「何でもないです」と誤魔化したがあまり効果はなかったらしい。
「今日は疲れただろうしもう寝ろ。家具はお前が見てたやつをざっと注文しといたから明日には届く。今日のところは―」
「待ってください!今なんて!?」
「ん?あぁ、お前家具屋でそれしか買わなかっただろ?結局買わずじまいだったから道中お前が見てた家具注文した。もしかして、他に欲しかった家具あったか?」
「いえ!十分ですからそれ以上は勘弁してください!!借りが清算できなくなります!ていうか現時点でほぼ無理ですからこれ以上増やさないでください!!」
寝ろと言いながら眠気を吹っ飛ばして来るのはどうなんだろうか。
届くまでわからないが、道中私が見ていた家具と言えば天蓋付きのベットやら椅子やら机だが、そのすべてが理解したくない桁だったので値札は視界に映さないようにしていた。
いや、しかしこの件に関しては私に大分非がある。
可愛すぎるくまのぬいぐるみに思考の大半を持っていかれ、満足して店を出てしまったのだから迂闊という他ない。
だからといって眺めていた家具を一式買ってしまうのもどうかとは思うが。
まだ何か買い与えようとするラズさんを慌てて止めると、「遠慮しなくても大丈夫だぞ」などと言っているが大丈夫なわけがない。主に私の精神状況が。
一日の疲れがどっときてラズさんに最初に言おうとしていた事の続きを促すと、今日のところは俺はソファで、お前は俺のベットで寝ろ、とのこと。
当然のことながら逆だろうと抗議したのだが、ソファで寝るのには慣れているからと言われ、抗議する体力も残っていなかったためにしぶしぶ了承した。
「玄関から数えて二番目が俺の部屋な。疲れただろ、もう寝ろ」
「はーい。おやすみなさい...」
急激に眠気が襲ってきて、どうにかそれだけ返してふらつきながらもラズさんの部屋に入った。
視界にベットが入った途端、我慢できずにダイブするとフカフカでありながらも沈みすぎない極上の感触に包まれる。
どこぞのメイドさんがやったのか、キッチリ整えられた布団の中に入って口元まで引き上げるとほのかにラズさんの香りがした。
耳が良い代わりに人よりも鼻が利かない私だが、この香りは本当に落ち着くという事だけは言わせてもらおうか。結局香りの事については何一つわかっていないが、落ち着くものは落ち着くのだ。
どうやら部屋の電気は入り口で操作するらしく、ベットのまりょくに絡めとられてしまった私では最早どうすることもできない。
幸い今の眠気は部屋の明るさなど気にならないほどなのでこのまま寝てしまおうと思っていると、扉を開けっぱなしにしていたからか、入り口からひょっこりとラズさんが様子をうかがってきた。
「電気消してもいいのかー?」
「お願いします...」
自分がどれだけ喋れたのかすら全く分からなかったが、少し間を開けて電気が消えたので概ね意味は伝わったらしい。
「ししょー」
「ん-?」
「おやすみなさい」
最後にどうしても言いたくなって、本日二回目となる睡眠のあいさつをすると、ラズさんはふふっと笑った後「おやすみ」と返してくれた。




