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ep.105

窓の外でチュンチュンと鳥が鳴いているのを、頭の一番ぼんやりしたところでなんとなく捉える。次第に意識が戻ってきてしまって、なんだかんだと朝になってしまったことを悟った。ルーミエさんと話した後、結局寝付けなくてこのザマだ。


「......」


俺は起き上がり、なんとなく手のひらを見つめた。昨日のことが、風に吹かれた辞典のようにバラバラと捲りあがり、決意と勇気と、ほんの少しの怖気を残して過ぎていく。


『弟子を......マリエルさんを―』

『えぇ。あなたになら―』


俺はふぅっと一息吐いて、厭に鳴る心臓をなだめる。そうこうしていると、小さな足音が近づいてきて、扉をこんこんと叩いた。


「師匠?起きてますか?」

「あぁ」

「入りますね」


いつものようにこちらの許可を待たずに入ってきた弟子は、お盆を持っていた。その上にはやや大きめのマグカップらしきものが二つ。中身がこぼれないように、器用に片手でバランスを取っている。


「おはようございます」

「おはよう。それは?」


弟子の持ってるマグに目をやりながら聞くと、弟子は何かを思い出したみたいにくすっと笑って、「ポタージュです。朝ごはんに」と返した。


「わざわざ持ってきたんだな」

「リビングでお母さんが潰れてて。起こしちゃっても可哀そうですから」

「あぁー。なるほど」


弟子はそういうと俺の布団が敷いてある場所の奥の、窓際にあるローテーブルにマグを置き、向かい合わせの椅子の片方に腰かけた。俺もそれにならって、対面の席に座る。マグには黄色の液体が入っていた。色からして、コーンかかぼちゃ辺りだろうか。几帳面に同じ弧を描いている生クリームが、向かい合ったマグの上に浮かんでいて、少し奮発した場所での食事に見えなくもない。


「......んふふっ」


ぼさっとその模様を目で追っていると、正面からなにやら楽し気な笑い声が聞こえた。寝不足の頭の中で、笑い声をころころと転がしながら弟子を見ると、弟子はマグを取り、スプーンでくるりと中身をかき混ぜてしまった。そのまま、こちらには目もくれず、「冷めちゃいますよ」と言ってポタージュに口をつける。

どうしてか、弟子を見ていると、周りのものまで美しく見えてくるのだから不思議だ。やけに眩しいだけの冬の日差しも、飾り気のないマグも、なんでもない所作一つ一つも、なんだか生涯をかけて描くべき風景のように思える。


「ししょー?」


はっと顔を上げると、弟子が今度は少し心配そうな顔をして、俺を覗き込んできていた。


「どうしたんですか?熱でもありますか?」

「いや、なんでもない」

「本当ですか?じゃあ今日はやけにねぼすけですね」

「ちょっと寝付けなかったんだよ。それだけ」

「ふむ」


弟子は少しの間考え込むような仕草をしていたので、俺はその隙にポタージュを大半飲んでしまった。どうやらかぼちゃのポタージュだったようだ。どっしりと濃厚な味で、程よくお腹に溜まる。

飽きのこないまま飲み干して、ちらりと弟子をうかがうと、まだ何事か考えている様子だったので、視線の先で手のひらを振ってこちらの世界に引き戻した。


「大丈夫だって。そんな心配しなくても、旅行に影響はねぇよ」

「...ならいいんですけど」


俺はぐいっと体を伸ばし、意識を醒まして腹に力を入れて「よし」と切り替える。


「弟子。どこに行きたい?」


―――――――――


乗合馬車で半刻ほど東に進んだ場所には、このあたりではかなり大きな町があった。私の記憶を頼りに案内した場所で周辺の地図やおすすめの旅先を調べると、東の町から私の実家の延長線上にある西の辺境にかなり大きな湖があるらしく、売店で買った雑誌によると、のどかで空気が澄んでいるとのことだった。

ここに来たのと同じように馬車での移動も考えたが、かなり距離があるのと、私が高所恐怖症を克服したこともあって、魔法で飛んでいくことにした。私はラズさん程風魔法を器用に扱えないので、特異魔法を使っての移動になる。ラズさんとしては、あまり特異魔法を使ってほしくないようだったが、今となってはラズさんもピンピンしていることだし、私はあまり気にしなかった。

ふよふよと森や町の上を飛んでいる最中、ふと気になって、私はラズさんに問いかける。


「師匠、最近あんまり触れてくれないですよね」


少しの沈黙が流れた。聞こえなかったのかともう一度言おうとすると、ラズさんがとてもバツが悪そうに答える。


「お前もガキじゃなくなったしな。前と同じように触れていいのか分かんねぇんだよ」

「え、むしろ私が嫌がると思うんです?」

「いや、お前が良くても世間的にな...」


あぁ、それなら私にも心当たりがある。

成長して、いろんな事が一人でできるようになった反面、社会から求められるものも増えていくのだ。そんなのくそくらえだ、と振り払ってしまうこともできなくはないが、帰ってくるまなざしは冷たいものとなる。”子供”から”女性”になるにあたって、どうしたって守りたい一線ができてしまう。

しかし、私とラズさんの関係はやや複雑なので、一般論で語っていいのだろうか?例えば...


「でも師匠、そんなこといったら交際もしてない男女が二人で同居してるっていうのも世間的には説明がいると思いますよ?」

「いや、そりゃあ弟子と師匠だからな」

「あ!すっかり忘れてました。いつになったら弟子を卒業させてくれるんですか」

「まぁ、考えなしなわけじゃないからもうちょっと待っとけって」

「うーん...まぁ弟子だからといって困ってるわけじゃないですし、いいんですけど」


口では少し強気に出てみたが、やはり弟子を卒業するというのは少し勇気がいる。まさに今ラズさんがいったように、世間的な説明としてこの関係はかなり強く働いているので、それを失った後、私たちの関係がどうなるかはまだ不明だ。今の宙ぶらりんのような状況は歯がゆいが、師弟でなくなれば関係はもっと希薄になる。

正直、少し不安だ。


「―い。おい、弟子」

「わ!な、なんですか」


飛行中だというのに呆けていた私に、ラズさんは冷たい風魔法をかけた。

高度は以北地域だとしても安全に飛べるほど高く保っているのであまり危険はないが、偶に鳥が突撃してくることがあるので油断は禁物だ。

ラズさんの方を見ると、ラズさんは視線で下を見るよう促した。


「わぁ...!」


視線の先には、太陽の光をキラキラと反射する巨大な鏡面があった。


「降りるぞ」

「はい!」


ゆっくりと下降していき、湖の端にくっついている町の近くに降りると、辺りはしんと静まり返っていて鳥の呼吸する音まで鮮明に聞こえた。本に書いてあった『空気が澄んでいる』というのもあながち侮れない。なにかこう、体にとって確かに大切な何かが補充されていくような感覚がある。


「静かですね」

「だな」


私はその方がふさわしいような気がして、声を小さくした。ラズさんも私につられるように囁き声で言う。

先ほど上空から確認したので町への方角は分かっている。どうせ歩くのは森の中の獣道だし、迷ったら再度飛んで確認すればいい。なんなら体裁を構わないのならそのまま町に降りてしまってもいいわけだから、と、てきとうに歩き始める。


「おい。道はあっちだぞ」

「あ、そうなんですね。てっきり真っ直ぐ街に行くのかと」

「道ないだろ」

「いや、ありますよ?獣道ですけど」

「お前なぁ...魔法使いの事故率の十分の一は森での迷子なんだからな」

「でも私たちは飛べるしいいかなって」

「百歩譲って俺は良いとしても、お前は特異魔法で飛んでるんだからそうホイホイ使おうとするな」

「特異魔法だって師匠がいればデメリットなしみたいなものですもん」

「あーいえばこーいうか。一時的にでも気分が落ち込むんなら極力使わない方がいいだろ。誰しもすれ違いざまに悪口を言われたくないのと同じだ」

「......はーい」


むしろ私としてはラズさんに撫でられる口実ができるので、正当な理由が作れそうなら積極的に使っていきたいぐらいなのだが、ラズさんはやはり私の体を最優先に案じてくれているようだ。

そもそもの話、ラズさんが普段からもっと私を甘やかしてくれれば回りくどくする必要もなくなるのだけれど......


「弟子?」


日常的に甘やかされる関係、ないしはその光景がよぎってしまった私を見て、ラズさんは不思議そうに肩を揺らした。


「さっさと行くぞ。腹減ったし」

「は、はい!」


頬にあたる北風が、少しだけ冷たかった。

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