04 モブ、天才の乱心に苦しむⅢ
陣地に続くハッチをひらけたとたん、血の滴る生首が転がりこんできた。
イスファーナが眉をぴくりともさせず、恐怖に震えたまま絶命したその頭を脇の死肉の山に投げつける。そうしてオレたちが上がったのは地獄そのものだった。
「お、俺の腕がぁぁぁっ! くそ、くそ、死にやがれこのクソ妖精ども!」
「おい、おまえ……。肩から下、どこいっちまったんだよ……」
背後の砲兵陣地から絶えることなく鉄のかたまりが唸りをあげて飛んでくる。泥でベトベトになった兵たちが狂ったように銃を撃っていた。
常に鳴り響く爆音と悲鳴に耳がおかしくなりそうだ。
だが、それでも妖精たちの歩みはとまらない。
森で目にするような獣や、実に命を冒涜した歪んだ人のようなもの、ずりずりと地を這う黒い影まで、ありとあらゆる姿をとった妖精たちは人をもてあそんでいた。
人肉を食らう妖精たちが、宴を楽しむ。絶望の叫びがあちこちから聞こえた。
「い、嫌だ! 死にたくない!」
腰にかけたロングソードをぬき、ぶくぶくと牛のように肥え太った豚の首のような妖精を斬り殺す。足がないところを食われかけていた兵がほけたように呟いた。
「狩人さまだ……」
「この隊の上官はどこにいる。手短に教えてくれ」
その兵の胸もとをつかんでオレは問いかけた。気のきいた慰めを口にしたいのはやまやまなのだが、妖精に陥落しかけているこの陣地がそれを許してくれそうにない。
「あ、あちらのトーチカに大隊長がいらっしゃるはずです。友軍がやってくるまで陣地を守れと命があった後から沈黙しておりますが……」
「わかった、ありがとう」
「え、えっ!」
オレはその兵をトロッコにつながるハッチのあったあたりに投げた。
あまりこういうことは考えたくないのだが、今の陣地からみてあの兵を助けているひまはない。せめてほかの誰かが後ろに運んでくれるのを祈るほかなかった。
トーチカにむかって駆けだす。そんなオレたちにいかせまいと妖精たちが群がってきた。
しかし悲しいかな、オレたち狩人がそれしきで足をとめることはない。
「おい、そこの妖精どもは死んでおけ」
イスファーナが魔術炉からもれだした黄金の蒸気とともに指図した。すると、あたりの妖精たちはその命に忠実に従い、己の命を絶っていく。
イスファーナが口にした命がとどけば、その者はかならず従わなければならない。それが天才にあたえられた悪魔のような魔術の力だった。
その背後からヘドロのような臭気をはなつ巨人がのしかかってくる。命を失おうがイスファーナを道連れにしようとしたその妖精の末路は無慈悲だった。
「ちょうどいい。そこの巨人の妖精、わたしの盾となれ」
たまらずイスファーナをかばうようにして膝を地につけた巨人を背後のひとつ目の妖精が放った閃光が吹き飛ばす。妖精らしい、誤射も辞さない戦法だった。
すさまじい威力のその光は巨人の肉だけでは食いとめることができない。
巨人を殺してもなお勢いがおさまらず、そのまま目と鼻の先までせまる閃光にイスファーナはつまらなさそうに鼻を鳴らした。
「そのやたらまぶしい光はとっとと回れ右して術者を殺してこい」
黄の光が、まるで命あるようにくるりとねじ曲がって下手人の妖精の胸をえぐりとった。
「ふむ、あの遠くでこっちを狙ってる妖精は僕が遊んでおいてあげよう」
そう呟いたモルグレイドの身から花びらが舞い飛ぶ。
まるで雲のようにふわふわとしたその純白の花びらはそのまま遠くの妖精たちを囲い隠してしまった。花吹雪が晴れると、しおれて枯れた妖精が崩れ落ちる。
そんなモルグレイドの頭を、音もなく忍びよった黒い妖精が握りつぶした。
骨だけでできているのではないかと思えるほどやせ細っているその妖精が、あっけなく死んだようにみえるモルグレイドを嘲笑するようにカタカタと震える。
「おやおや、驚いてしまったじゃないか」
そんな妖精の首に雪のように白いモルグレイドの腕がまわされた。
頭をつぶしたと思ったモルグレイドの身が赤い花となって風に散っていく。やがてその花びらは妖精の背後に集まってモルグレイドの姿をとった。
モルグレイドに抱きつかれた黒い妖精はまるで砂の城のようにサラサラと崩れる。
そうして飛びかかってくる妖精を殺して道を作りながら、オレたちは大隊の司令があるというトーチカに飛びこんだ。
若い士官がぎょっとした顔をする。
「あ、君たちはもしかして頼んでいた……」
「はい、遊軍の狩人です。大隊長はどなたですか」
いささか失礼ではあるが、今はのん気に話をできそうにない。オレはトーチカに集まった兵たちに目をやった。
けが人ばかりだ。片腕がないのにもかかわらずマシンガンに食らいついている者すらいる。これでは指揮の能力はあまり望めないだろう。
トーチカに入った時の士官が慌てて敬礼をした。
「わ、わたしがここの指揮を執っている。大隊長、その下の士官はみな戦死してしまって、小隊長ではあるがわたしが大隊の責を負うこととなった」
「ではこの陣地の防衛のため貴官に従います。すぐさま指揮を願います」
いくら狩人が戦力に優れているといっても、やみくもに戦わせて戦果があげられるほど妖精も甘くない。狩人は戦地の指揮官に従うことになっていた。
「馬鹿な、上はまだこの陣地を守れというのか!」
「そういう風に聞いておりましたが」
オレの言葉に指揮官が悲鳴をあげる。とはいってもここの防衛のためとして命じてきたのは上官であるのだからオレにはどうしようもない。
「軍はこれほど馬鹿だったのか、たかが数人で戦地をひっかきまわせるならこの大隊は崩れかけていない!」
頭をかかえる指揮官に、オレは気がついた。たぶん、この小隊長あがりの人は戦地では日が浅くて狩人の戦いぶりを知らないのだ。
こう言うのもなんだが、ゲームでもリアルでも狩人は人類のなかでも選りすぐりのモンスターばかりである。かつての世で言う爆撃機とかミサイルとかだ。
だから、これぐらいの絶望はひっくりかえせる力がある。
「われわれ狩人は妖精殺しの精鋭です。よほどのことでは死にませんから、いったん実現できるかは考えず望むがままに命を頂ければと思います」
「しかし、いくらなんでもむちゃくちゃだ」
「われわれはそういう無謀な作戦になれておりますから」
しぶる指揮官につめよる。青ざめた顔の指揮官は震える手で遠くにみえる恐らくは大隊が防衛の柱としていたのだろうコンクリートの陣地を指さした。
「き、君たちだけであのトーチカまでの妖精を殺しつくしてくれないか……」
「承知いたしました」
なんだ、それぐらいでこの陣地が守れるのならば今日の軍務はたいしたことがなかったようだ。
◆◆◆◆◆
「なんだ、あれは……」
指揮官は口をぽかんとあけながら、己がなかば自殺めいた命を下した狩人たちの戦いぶりをながめていた。
「あの狩人たちはほんとうに人なのか。わたしたちがあれだけ死にもの狂いで戦ってそれでも食いとめきれなかった妖精どもをあんな赤子の手をひねるように……」
銀の髪の女が花びらを飛ばすたび、百は数えようかという妖精たちがあっというまに生気をうばわれて死んでいく。
軍の砲撃など気にもかけないような巨大な妖精も堅固な妖精も、逃れられはしない。みなしおれてくたびれて殺されていくのだ。
赤い瞳が印象に残った女はもっとひどい。口でなにやら言うだけで妖精がひとりでに死んでいく。
指揮官が先ほどまで話をしていた、どうみてもただの男にしかみえなかったパーティーのリーダーは、もはや訳がわからなかった。
腰にさしているロングソードがきらりと光ったかと思えば、まわりの妖精たちが肉片となって飛び散っていくのだ。
指揮官にとって、それは妖精とかわりない、いやそれよりもはるかに恐ろしい人ならざるものとしか思えなかった。
「よかったよかった、これで生き残れましたな。小隊長どのもすこしはお休みになればよろしいですよ」
己の小隊にいる老兵が、やれやれと言った風に腰をおろしている。妖精との戦いについて己よりもはるかに詳しく頼りにしている者に、指揮官は問いかけた。
「あれは、いったいなんなのだ」
「人類の英雄ミッカネンさまと、そのパーティーですよ。この戦争でこれいじょう頼りになる狩人はいないでしょうな」
老兵の言葉をうけて、指揮官はあらためて妖精の亡骸の山にたつ狩人たちに目をやった。ぼそりと、知ったばかりの名を口にする。
「人類の英雄、ミッカネン……」