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06 聖女が英雄に瞳を焼かれた日

 この世に生まれた時、わたしは実に空虚でした。


 楽しいと思うこともなく、ただひたすらに人の脳を食らう。命をつなぐためだけに人と戦い、殺す。それは生きるというより死なないでいると言うべきでしょう。


 人に憧れがありました。


 笑ったり、泣いたり、怒ったりできる、そんな人のことがうらやましくてしかたがなかった。どうして妖精であるわたしが、人のように生きられないのか。


 ずっと頭を悩ませていたことでした。


 でも、そんなわたしの苦悩は幸運なことにある日とてもあっけなく終わりを告げることになります。わたしに、天の教えが降りてきたのです。



 ◆◆◆◆◆



 妖精というのは、人と違ってゲッシュが求められることはありませんが、魔術が初めから身についている訳ではないことは違いません。


 初め、人がただ単に妖精と口にするもっとも幼い妖精であるうちにだんだんと魔術が育ち、そして大妖精となった時にその魔術が花咲くのです。


 そのためにはより長く生き、よりたくさんの人を殺さなければなりません。


 わたしが大妖精となったのは、とある牧師の一家を食っている夜でした。その時に、わたしはわたしの運命を知ったのです。


 いつものようになにも考えず、牧師の娘の頭にかじりついていたわたしは、己が魔術を手にしたことに気づきました。


「やめろ、この妖精が、バケモノが! わたしの娘になにをする!」


 ろくに戦えもしないくせに、牧師がわたしを殴りつけてきます。もちろん大妖精になったばかりのわたしは傷ひとつもつきません。


 ですが、羽虫というものは気に食わないものでしょう。


 なので、わたしはこの牧師に手に入れたばかりの魔術を試してみることにしました。牧師の頬に手をそえ、にっこりと笑いかけてみます。


「な、なにをする! あ、へ、あ、へぇぇぇえええ……」


 牧師の顔がゆるんでいきました。


 とろんとした瞳に、びくびくと震える手足。だらしない口もとからはよだれがダラダラと垂れています。ともかく牧師は静かになりました。


 わたしはそのまま娘の脳を食らっていきます。


 やがて牧師の娘も妻も胃におさめたわたしは、終わりに牧師を口にすることにしました。牧師の頭をかかえ、口をひらけます。


 その時、わたしは牧師がなにやらブツブツ呟いていることに気づきました。


「かみしゃま、ありがとう、ありがとう、きもちいい、きもちいい」


 牧師は、泣きながら笑っていました。


 わたしの魔術によって、暖かく美しい幸福を牧師は手にしたのです。わたしの官能によって、牧師は嬉しがっているのです。


 これだ、と思いました。わたしの天命とは救世にあるのだ、と。


 わたしには人の心はわかりません。ですが、わたしのささやかな魔術で人を喜ばせ幸せにできるというのなら、これこそが楽しいということではないのか。


 わたしは、これが人で言うところの喜びであると疑いませんでした。


 牧師があまりもの快楽にのけぞり、そのまま背骨を折っていきます。バキバキと音をたてながら、それでもニヘラと笑う牧師が愛おしく思わず口づけをしました。


 ズルズルと飲みこむにつれ、脳の甘美な味わいが舌にひろがります。


 ああ、これほどの美味は今まで口にしたことがありません。牧師も白目をむいて喜んでいます。これこそがわたしの生きる道なのです。


 こうして、わたしは己の生をかけて救世をなすことにしました。


 それから、わたしは数えきれないほどの人を救ってきました。


 王都に入り、哀れなことに勝てるはずもない戦争にしがみつく人の心をほぐしました。誰もがわたしにすがりつき、救いを求めました。


 ああ、よろしいのです。わたしが、わたしこそがみなさんを救ってあげましょう。


 わたしは官能に沈んだ王都でただひたすらに救世をしてさしあげました。ビクビクと震え、泣きながら人はわたしの胸もとで天に帰っていきます。


 これこそが人の幸福なのです。わたしはそう信じてやみません。


 王都をまるごと救っただけでは駄目なのです、この世には山のように苦しんでいる人がいらっしゃるのですから。ちいさな領土に閉じこもった生き残りが。


 どんどんと村を、街をお救いしてさしあげていきます。


 これが、これこそが救世、天に命じられたわたしの旅はそのまま誰ひとりたりとも残さず救いきるまで続く、そのはずでした。



 ◆◆◆◆◆



 初めにその名を耳にしたのは、とある優れた妖精が討たれたという一報でした。


 あまりその手法は好みませんでしたが、それでもわたしとおなじぐらい人を殺してきたその妖精の力を良く知っています。


 なので、たったひとりの狩人に首を斬られたと聞いて、耳を疑いました。


 すでに人類の狩人にはわたしたちに敵う者などいません。ということはつまり、ただの新米に殺されたということなのです。


 その者の名は、英雄ミッカネン。


 初めわたしはその戦功をただ単なる幸運と気にかけませんでした。


 すでに人の救世はほぼ遂げられつつあるのです。神の慈悲を断った罪人が一人いたとしてそれがなんなのでしょうか。


 ですが、わたしは己の甘さをすぐに思い知らされることになりました。


 どんどんと妖精が攻めこまれ、討ちとられていきます。わたしをふくめ人類への大攻勢、その礎となっている四人の妖精が続けざまに殺されていきました。


 わたしとて、その悲劇からは逃れられません。


 かつてのわたしの救世の旅、その頂ともいえる王都に、人類の軍は雪崩れこんできました。わたしの作り上げた極楽、幸せなる神の国が脅かされたのです。


 もちろん、わたしは死にもの狂いで戦いました。


 いまだ闇に瞳を閉ざされた人の兵を一人ひとり救っていきます。やがて人類の軍の指揮官までたどりついたわたしは、困難をはねのけまた人類を救世するはずでした。


「ミッカネン、あれが聖女の妖精だ。なにがなんでも殺してこい、あれが息をしている限り、この惨劇は終わらん」


「承知しました」


 黒髪の下で、ゴウゴウと激情が燃え盛っています。キラキラと輝くその瞳はまるでこの星をギュッと煮詰めたよう。


 英雄ミッカネンの心は、実に美しいものでした。


 その手に握られたロングソードがわたしの肌を傷つけていきます。生まれて初めて痛みというものを知ります。


 それでも、わたしはミッカネンの輝きに魅入っていました。


 こんなにも激しく美しく生きる人を目にするのは初めてで、ではこのミッカネンという人が救われたならどれほど喜ばしいかと考えてしまいます。


 わたしの魔術をもろともせず、文字どおり己が身を斬りながら駆けてくるミッカネンに、息が荒くなります。


 この人は、わたしを、わたしのもたらす幸福を断ったのです。そんなことは生まれてから初めてで、まるで純朴な娘のようにわたしの心は踊りました。


 救世がすぐそこにあるのに、己の心の輝きだけでもって踏みとどまる。そんな哀れな、そして愛しいこの人を救うことができるのはこの世にわたししかいません。


 この人を救うためにこそ天は、神はわたしに魔術をさずけられたのだ。


 もはや頭には英雄ミッカネンのことしかありません。己が魔術をギリギリまで追いこみ、かつては考えもしなかった深みへと足を踏みだします。


 ですが、それでもミッカネンは遠い。


 手足をいったいどれほど斬り落とされたでしょう。どれほど深く胸を斬りつけられたでしょう。


 わたしは敗北していました。


 思えば、生まれてからずっと己のギリギリを攻めたことはありませんでした。いつも魔術に頼りきってダラダラと人を救ってきました。


 ならば英雄が現れれば敵うはずがありません。


 ああ、なんと恥ずかしいことか。愛するほどに恋するほどに救いたいと願った人を、己の怠惰で救えないこと。


 冷たい刃が首にかかります。


 わたしは後悔にさいなまれながら、五百年もの生に幕を降ろしました。

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