03 モブ、聖女の独善に激怒するⅡ
その笑みを目にした一瞬で、オレの背筋に甘い電撃が走る。脳から伝わる快楽が腕を狂わせ、その首を断ち斬るはずだったロングソードはそれていった。
「もう、大人しくわたしに愛されればよいのに」
聖女の妖精が妖しく笑って、わたしの頬に手をそえる。
まるで猛毒にひたされたかのように頬からピリピリとした官能が己の身を喰いやぶろうと入りこんでくる。オレはすぐさまナイフで頬をそぎ落した。
激痛によって気をたもちながら、ロングソードをかまえる。
そのままその胸めがけてつきたてようとしたその時、オレは嫌な気がしてすぐさま後ずさった。手をひろげた聖女の妖精の背後から後光がさす。
まるで神聖な礼拝堂にさしこむ日の光のように美しく重々しいその光は、その実ありとあらゆるものの脳を犯す堕落の闇であった。
光の先にいた羽虫が、あまりもの快楽にその身を吹き飛ばして弾ける。心などもたぬはずの岩は初めての絶頂に身もだえして砕け散った。
「どうしてお話を聞いてくださらないのですか。こんなにわたしがお慕いしているのですから、冷たくなさらないで」
聖女の妖精がわたしに甘えるような流し目をくれる。
とたん、右目がたえ難いほどにかゆくなり、オレは迷わず目を指でほじくりかえした。聖女が悲しげに目を沈ませる。
その背に、鋼鉄の拳がつきささった。
イングラシウスが赤熱の蒸気を身にまといながら、その拳をふりぬいている。戦いだしてから初めてよろけた聖女の妖精に、オレはロングソードをふりぬいた。
その鋼の刃が、しっとりとした聖女の妖精の肌に食いこむ。その身をほのかに照らす光でロングソードの刃はどんどんと崩れ落ちていく。
だが、すっかり壊れてしまうより先にロングソードはその腕を斬り飛ばした。
砕け散ったロングソードを聖女の妖精になげつけながら、オレはまた腰から新たなロングソードをひきぬく。イングラシウスが手負いの敵を追った。
「あらあら、痛いですよ。ひどいですね」
血をダラダラとたれ流す肩に、聖女の妖精はニコニコと笑う。そして、神に祈るように手を組んだ。
「天よ、わたしに慈悲を頂けないでしょうか」
まばゆいばかりの光が頭上からさしこみ、聖女の妖精がビクビクと震える。
「ああ、天はいまだわたしを愛してくださる。そうです、わたしはこの世で苦しむ衆生を救わねば、それが思いをよせるお人ならなおさらに」
神々しい光が、失われたはずの腕を聖女の妖精にもたらす。頬を赤く染め、荒い息をこぼしながら、聖女の妖精は大笑した。
「ああ、英雄ミッカネン! しばし失礼することをお許しください、邪心が入りこんでしまった今のわたしではあなたほどの大罪人をお救いできない!」
聖女の妖精は、そのまま地を足で蹴り、坑道の縦穴に落ちていった。
追いかけようとして、とどまる。あまり望めないが倒れている狩人のうちにいまだ助かる命があるかもしれない、それがゆえにオレは足を踏みだせなかった。
◆◆◆◆◆
「いまだ息があるのは三人のうち一人だけでした」
暗い顔で狩人の脈を測り終えたラディムは暗い顔をしていた。その目がチラチラと一人の亡くなった狩人によせられている。
いまだ若い狩人だ、やけにラディムが気にするということは……。
まったく初めての軍務からこれはなかなか辛いだろうな、胸のうちで舌うちする。オレはラディムに歩みよって語りかけた。
「友人か」
「軍大学でいろいろと教わりました。お世話になった上級生です」
かつて生きてラディムに笑いかけたのだろうその狩人はすでに死んでいる。傷はついていないが、頭のなかがすでに喰われているのだ。
今ぴくぴくと震えているのは未だ聖女の妖精の魔術が働いているからにすぎない。
「悔しいです、ミッカネンさんとイングラシウスさんはすぐにあの妖精を殺そうと飛びかかっていった。でもボクはあまりにも恐ろしくて足がすくんでしまった」
ギリギリとその歯が砕けんばかりに噛みしめられる。
「あまり思いつめないほうがいい。あれは聖女の妖精、厄災を越えた考えうる限りもっとも恐ろしい妖精のうちのひとりだ」
「聖女の妖精って、戦史にでてくるあの妖精ですか。王都を一晩で落としたという、あの伝説の……」
聖女の妖精。
およそ五百年の昔から戦地に現れた、バケモノ。救いと口にしながら快楽で人を壊して楽しみ、オレが生まれた時に人類が滅びかけていたその遠因のひとつ。
だが、聖女の妖精はオレがたしかにこの手で首を落としたはずだ。
王都をふたたび人類のものとするために軍がしかけた大攻勢、そのなかでオレとイングラシウスは死にかけながら手足をもぎ、聖女の妖精を殺した。
その後に残った肉は軍が魔術でもって焼きはらったはずである。
「でも、聖女の妖精はミッカネンさんが殺した、そのはずですよね」
「それは違いない。オレだけの思いこみでなくて、ほかの狩人やその後に軍もきちんと疑いが残らないようすみずみまで調べあげた」
だが、なぜか聖女の妖精は生きて、こうして人を喰らっている。
なんのからくりでこの世に生きて帰ってきたのかはわからない。だがその首をつなげて目と鼻の先に現れたのならオレがすることはひとつしかない。
「それならそれでここで殺せばよいだけの話だ」
「……ミッカネンさんはすごいな、ボクだったら心が折れてしまいそうです」
暗く笑うラディムに、オレは目をつぶった。
もちろん、思うところがないわけがない。王都での聖女の妖精との戦いではまわりの兵がかなりの数死んでしまったし、戦友の狩人もあれに殺されている。
だが、戦地で絶望してしまえば死んでしまうのだ。
「オレとて歩き続けることは苦しいとも、これからも辛いことばかりの戦地ではなおさらだ。だが、胸のうちに秘めた思いこそが一歩を踏みださせるものだ」
ラディムに笑いかける。
たしかにオレも初めはプレイヤーキャラだから狩人の才があるだろうと思っていた。だがこうして話をするたびに気づくことがある。
「ラディム、君はきちんと胸に憧れを、希望を抱くことのできる人だ。それだけでも、オレは君がきちんと歩き続けられる力があると信じられる」
初めて会った時から、ラディムは常に明日のことを思えていた。
それは極めて細かく聞こえて、その実とても大きなことだ。この絶望が人の心をおおい隠している死にゲーではそういう風に考えられる人はあまりいない。
そして、そういう者はたとえ膝が砕けたとしても歩み続けようとするものである。
「君がオレなどはるかに越えた優れた狩人になることを信じているとも。だから、ほんのすこしだけでも勇気をふりしぼってくれないかね」
ラディムが顔をあげる。
かすかに光っていたその瞳をぬぐい、まっすぐな目つきが蘇った。これが人類を救うことになる勇者か、オレは心のうちで舌を巻く。
友人や知人の狩人の死を嫌でも目にして、心を病んでしまう。新米のみならず熟練の狩人でもあることだ、だというのにラディムはすぐに起きあがった。
もしかするとオレの言葉もいらなかったのかもしれない。
「ありがとうございました。もう、だいじょうぶです」
ラディムがその口もとをキュッとひきしめた。
◆◆◆◆◆
生き残った狩人については、ブランケットでつつみこんでここに残していかなければならなかった。息も落ちついてきたことも鑑みての判断だった。
今のオレたちにオグダネル城跡まで運ぶことはできない。そうしているうちに暴れられてこの地峡から人類が後退するようなことにでもなれば目もあてられない。
そもそも命が助かっただけマシだと考えるべきだろう。
「かならず、ここで聖女の妖精は殺す。ラディムは戦わなくともよいから、もしもオレたちが敗北しそうだと思ったならオグダネル城跡まで走って帰れ」
「はい」
ラディムが短くこたえた。
聖女の妖精が落ちていった縦穴をのぞきこむ。さらに奥深くにのびていく坑道は巨大な地下の湖まで続いている。
魔術炉を燃やしながら、オレたちはその穴を飛び降りていった。




