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17 モブ、牧師の崇拝にとまどうⅡ

 マズい、と心が警鐘を鳴らした。あのイングラシウスをそのままにしておくととりかえしのつかないことになってしまう、そんな気がする。


「っ、ちょっとまってくれ」


 オレはイングラシウスを呼びとめた。


 だが、どちらかというと魔術で戦うほかの三人と違って、イングラシウスはパーティーにおいてオレと肩をならべるほどの武闘派だ。


 すこし目をそらしたうちに、すでにイングラシウスの姿はなくなっていた。


 息をはいて、オレは魔術炉を働かせる。瞳をつぶって、イングラシウスの足どりを耳にしたオレは駆けだした。


「戦地のほかで魔術炉に火を入れるのは軍規に反するのだが、しかたがない」


 石造りのオグダネル城跡を縦横に走りぬける。そうしてオレはイングラシウスが入ったとおぼしき一室までやってきた。


「イングラシウス、馬鹿なことを口にしてすまなかった。謝るから扉をあけてくれ」


 鋼鉄の扉をたたくも、イングラシウスの音は聞こえてこない。


 耳に入ってくるのはギシギシとなにかが軋むような音で、オレはとてつもなく嫌な気がした。扉から後ずさって、助走をつけれるようにする。


「今すぐになにか音をたててくれ、さもなくば扉を吹き飛ばす。3、2、1……」


 心を締めつけられるような沈黙にどんどん焦りながら、オレは勢いよく扉を蹴り飛ばした。妖精の魔術から兵を守るための鋼鉄がひしゃげてひっこんでいく。


 そうして踏み入ってうちを目にしたオレはすっと頭から血がひいた。脳みそが白に染まって、歯を食いしばって己でも信じられないぐらいの勢いで飛びかかる。


 そうして、つるした縄で首を吊ろうとしていたイングラシウスを吹き飛ばした。


「イングラシウス、いったいなにを考えている!」


 ゆるまった縄が背に落ちてくるが、そんなことなどどうでもいい。今オレの目と鼻の先で己の命を絶とうとしたイングラシウスを床におさえつけた。


 イングラシウスが泣きそうな顔をして暴れる。その手にピストルが握られているのを目にして、オレはかっと頭に血が昇った。


 銃をうばいとり、遠くに蹴り飛ばす。そしてオレはイングラシウスの胸ぐらをつかんで頭をぶつけた。


「オレが君が死ぬのを許すとでも思ったか、この大馬鹿が!」



 ◆◆◆◆◆



「……すまない、とり乱してしまった」


 頭が冷えたオレはいろいろと暴言を口にしたことをイングラシウスに謝る。イングラシウスは黙りこくったままベッドのすみで丸くなっていた。


「だが、オレは君が死のうとするのを許すつもりはない。たとえ君が死を望んでいたとしてもだ」


 訳がわからなかった。


 イングラシウスはオレのパーティーの常識人で、人の悩みをよく聞いてくれる牧師で、そしてなによりもサリウス教の信徒だ。


 己が命を絶つことはサリウス教における大罪ではなかったのか。


 オレが辞めると口にしたとして、たとえオレのことを慕っていたとして、それでも死のうとするほどイングラシウスが馬鹿だとは思っていなかった。


 ずっと顔をうつむかせたまま、イングラシウスは静かにしている。


 オレはその脇にナイフが転がっているのを目にして、すぐにとりあげた。今のオレはそれほどイングラシウスを信じられそうにない。


「この戦地で生き残ってきて、オレは数えきれないほどの戦友が道なかばで散っていったのを知っている。死のうとするのはそんな戦友たちへの嘲笑だ」


 イングラシウスのすすり泣きが聞こえてくる。オレはそんなイングラシウスにスケッチブックを渡した。


 ふるふると震えるその手に鉛筆を握らせる。


「どうして死のうなんて考えたんだ、馬鹿」


『ミステラレタ、ミステラレタ、ミステラレタ、ミステラレタ……』


 イングラシウスがスケッチブックに書くのは、ミステラレタ、それだけだった。気が狂ったように鉛筆を走らせ続けるのを、オレはとりあげる。


 ため息をついた。


 今のイングラシウスとでは話にならない。というか、今のイングラシウスにはずっと目を光らせておかないと駄目だ。



 ◆◆◆◆◆



「ほら、食わねば生きられんぞ」


 イングラシウスの口もとにスープで濡らしてやわらかくしたパンを運んでいく。口をあけて放りこむと、ようやく食べだした。


 イングラシウスはあれからすっかりいつもの親しみやすさの鳴りを潜めさせている。こうして陰気な顔で一日ずっとベッドで膝を抱えているのだ。


 これまで語りかけたが、そのスケッチブックに書かれるのはミステラレタ、ただそれだけ。まったく訳がわからない。


 オレが困り果てたのは、まるで生きる気力がなくなってしまっていることだった。


 こうして飯もオレがとらせないと食わないし、オレがベッドで寝かしつけないとずっと起きている。まるで生きるかたそのものを忘れてしまったかのようだ。


 流石にシャワーとか手洗いはアルハンゼン先生に頼んでいるが、そのほかはすべてオレがやっている。上官として戦友として、死なせるわけにはいかないからだ。


 せめて戦地を訪れた時はきちんと軍務をこなしてくれることだけが幸いか。


 だが、それもまるで幽霊がかつて生きていた時の己をなぞっているようで、このままではいけないとオレに考えこませるものだった。実に、困ったことだ。


 イングラシウスがさっとフォークを握る。


 オレはすぐさまそのフォークをはねのけた。胸もとにそれをつきさそうとしたまま、イングラシウスの腕がふらふらとゆれている。


「っ、いいかげん諦めて欲しいものだ」


 また虚ろな顔になってベッドで丸まるイングラシウスの頭を軽くたたく。だが、イングラシウスは静かにオレをみつめるばかりだった。


 そしてなにより、イングラシウスはいきなり死のうとする。


 それがもっともオレが気に食わないことだった。今でも怒りをおさえこもうと努めているのだ、己から命をすてることを許すつもりはまったくなかった。


 どうして、イングラシウスはこんな風になってしまったのだろう。


 軍を辞めるというオレの言葉だけで、あれほど狂ってしまうのはおかしい。訳を話してくれないのはもっと困っていた。


 イスファーナやアルハンゼン先生はアクションを起こしてくれた。


 だからオレはその思いを考えることができた。そこに叶えたい願いがあるからこそオレにいろいろしてくるのだから。


 だが、イングラシウスは違う。ただ死のうとしているのだ。



 ◆◆◆◆◆



「ミッカネン、そろそろ手洗いにいかせるべきと拙は考える」


「アルハンゼン先生、ありがとう」


 恐らくラボでの実験ついでによってくれたのだろうアルハンゼン先生が顔をのぞかせる。その気づかいに甘えて、オレは扉の脇にもたれて身を休めた。


 絶えず死のうとする人に目を光らせるのは、思っているより苦労するものだ。


「おい、凡人。これでも食っておけ」


 いつのまにか現れたイスファーナがくれたのは、チョコレートだった。ここ戦地ではなかなか貴重な甘味だ。


「イスファーナがオレに気をつかうとは、明日は槍でも降るか」


「馬鹿を言え、牧師につきっきりで休むひまもないのだろう。それではわたしの上官としてもさしつかえるぞ」


 チョコレートに口をつけようとしないオレをイスファーナがにらみつける。しかたないとばかりにオレは銀紙をはがした。


 パキリと音をたてて黒い菓子がオレの口に入っていく。


 そのドギツイ甘ったるさは岩のように重い今のオレの心を優しくほぐしてくれて、久しぶりに冗談を口にできるぐらいには頭が休まった。


「まあ、こうなったのもオレがやらかしたからだろうがな」


「違うぞ、わたしやあの学者モドキと牧師は違う」


 イスファーナの言葉に首を傾げる。


 恐らくはこのパーティーでイングラシウスともっとも話していたのはイスファーナだ。そのイスファーナが違うというわけは実に気になった。


「天才たるわたしや、気に食わんがあの学者モドキはたしかに貴様の馬鹿な言葉がひき金となって暴れた。だが、あの牧師は初めからだ」


 イスファーナの深い赤がオレをじっとみつめる。


「あれは、初めからすこしずつ壊れていた。いつああなってもおかしくなかった、そんな気がしていた」

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