15 モブ、博士の探求に困り果てるⅥ
「さあ、はやくミッカネンの手でなでるのである」
己の脈拍を計っているアルハンゼン先生の頭に、腕をのせる。そのままわしゃわしゃと髪をなでると、アルハンゼン先生は静かに息をついた。
「やはり、ミッカネンの手は信じられるのである。脈拍も落ちついているし、ひとりでに笑顔になる。これは拙がミッカネンを信頼する証と考える」
ぽすっと背後のオレの胸に背を預けながら、瞳を閉じたアルハンゼン先生はうんうんと頷く。頭をこすりつけてくるものだから困ったものである。
「それでは、ミッカネンは続いてそこの肉の腕をとって頭をなでるのである。これで拙の脈拍がどうなるかを計ればよいのである」
オレは先ほどのように、腕でミッカネンの頭をわしゃわしゃとなでる。しかし、アルハンゼン先生はため息をついて肩を落とした。
「駄目である、脈拍もなにもかも静かにならない。やはり拙がミッカネンを信じるのは腕が訳であるというのは違うと考える」
計ったデータをしばらくノートに書きこんでいる。そして、すぐさま新たな実験に手をつけようとするアルハンゼン先生に、オレは静かに話しかけた。
「アルハンゼン先生、ひとつだけオレは嘘をついた。頭をなでる腕は逆だったぞ」
◆◆◆◆◆
「どういうことだ、腕が逆というのは」
アルハンゼン先生が首を傾げてオレに目をむける。その口もとはまるでオレの言葉を恐れるようにかすかに震えていた。
「そのままだ、初めになでたのはアルハンゼン先生がくれた肉の腕、続いてなでたのがオレの腕だということだ」
「なぜ、そんなことを」
これは、オレなりに考えた実験だ。かつてのアルハンゼン先生のそれとくらべればとても単純で幼稚なものなのだろう、それでもやらなければならない。
「アルハンゼン先生は、いつもオレばかりを疑っている。先生がオレを信じられるのはオレのどこかに訳があるからだと考えている」
いつものアルハンゼン先生なら、きっとその思いこみを疑ったはずだ。
さて、考えてみよう。アルハンゼン先生はオレの腕と信じた時に心が落ちつき、オレの腕と信じなかった時にはどうにもならなかった。
ほんとうはそれらすべてが嘘だったのにもかかわらずである。
「では、アルハンゼン先生。これから考えられることはなんだろうか」
「や、やめろ。それは、それだけは口にしてはならないのである。それだけは証してはならないと考えるのだ!」
まるでずっと目を背けていた証拠を探偵につきつけられた犯人のように、アルハンゼン先生は首をふる。脅えたようなその瞳を、オレはまっすぐみつめた。
「時にほんとうのことは心なんていう詩人みたいなものにあるのかもしれない。そうだろう、アルハンゼン先生」
人がほかの誰かを信じられるのは、その心がその人が信頼できるとなんの根拠もなく考えているからだ。
考えればわかる。
たとえ血がつながっていても、長い時をともにしたとしても、そんなものはいくらでも疑えてしまう。人が人を信じるのは理屈ではないのだ。
「だから、アルハンゼン先生がオレを信じられる訳はその心だ。いくらオレを調べようがその訳がみつかるわけがない」
「どうして、そんなことを口にしてしまうのだ……」
アルハンゼン先生の瞳が震える。まるで己を縛りつけてオレから遠ざけるように、その身を抱きしめたアルハンゼン先生が後ずさった。
「ずっと気づかないふりをしていた。知ってしまえば拙はもうとまれなくなってしまう、ミッカネンのことをなにも考えずにただ暴走してしまう、そう思って!」
アルハンゼン先生が叫んだ。
「もしも拙の心が信頼の源なのならば、ミッカネンにかわりはいない。ミッカネンのほかに拙が信じられる誰かなどいるはずがないのだから」
いつも冷静で論理のみを重んじていたはずのアルハンゼン先生の、魂からの悲鳴を耳にするのは、これが初めてだ。その瞳に光る水滴があふれだす。
「それに気づいたら拙はもうミッカネンを逃がすことができなくなる。拙は信じられる人が誰もいないなど生きていけないのだ」
そういえばと、アルハンゼン先生のゲッシュを思いだした。
アルハンゼン先生の魔術の縛りは、疑わずにいられる誰かがいること。いつもすべてを疑っている学者が、唯一その信条を忘れられる誰かがいることだ。
「もう、嫌なのだ。誰も信じてはいけない、そんな暗闇に生きるのは!」
泣き崩れるアルハンゼン先生にオレは一歩を踏みだした。
「こないでくれ。今の拙はなにをするかわからない、もしかするとミッカネンの心を薬でねじ曲げて拙に縛りつけようとするかもしれないのだぞ」
ずっとラボでの孤独な戦いを続けてきたアルハンゼン先生の苦しみを、オレは目にしている。いつも焦った顔でがむしゃらに実験に挑むその背を知っている。
そんなアルハンゼン先生が信じられるのがオレだけだとして、その助けを求める手をとらない己をオレは許せない。
「いいじゃないか、思うがままにオレにまとわりつけばいい」
「馬鹿なことを言うな! そんな風に許せば、拙がなにを求めるか知ったことではないぞ!」
泣きじゃくって震えるアルハンゼン先生のちいさな身をオレは静かに抱きしめた。
「それはこっちのセリフだ。オレは好きに生きるから、ついてくるのは難しいぞ」
◆◆◆◆◆
「それで、貴様はわたしの時のように実に馬鹿なことをしでかしたわけだな」
夜、いつものようにベッドに潜りこんできたイスファーナがジト目でオレをにらんでくる。いいかげん寝たいオレはため息をついた。
「しかたがないだろう。アルハンゼン先生は戦友なんだから、助けを求められたら断ることなどできるわけがない」
「っ、そうだからあんな学者もどきにつけ入られるのだ! あれは人の頭に黙って細菌を植えつけるようなやつだぞ、倫理がおかしいに違いない!」
あの後アルハンゼン先生の手によって記憶が帰ってきたイスファーナはいつもにまして手厳しい。ぶつぶつ文句を口にしながらオレにしがみついてくる。
イスファーナにも困ったものだ、こんなにひっつかれるから悪夢ばかりみているのである。ほら、首が締まって実に苦しい。
……あれ、イスファーナの腕はオレの腰に抱きついているはずだが。
がばっと身を起こし、毛布をはねのける。イスファーナの逆で目をこすっているのは、その黒髪をぼさぼさにしたアルハンゼン先生だった。
「あまり夜に慌てて起きていては脳に害があると考える。脳は晩ごとにきまった時まで安らかな休息をあたえるのがもっともよいのであるからして……」
「あ、あの、アルハンゼン先生。どうしてベッドにいるのだ」
アルハンゼン先生の姿を目にしたとたん、まるで猫のようにフシャーッとうなっているイスファーナをおさえながら、オレは恐る恐る問いかけた。
「思うがままにまとわりつけばよいと言ったのは、ミッカネンであろう。拙はその言葉に従っているだけと考える」
ああ、そういえばそうですね。オレは諦めて瞳を閉じた。
「おい、ミッカネン! とっととその凡人学徒をベッドから追いだせ、この天才はミッカネンのほかと夜をともにする気はないぞ!」
「……イスファーナこそ、凡人と嘲るミッカネンのベッドからでていけばいいではないか。拙はミッカネンしか信頼できないからここにいるのである」
毛布をひっかぶって眠りにつこうとする。だが、そんなオレをはさんでイスファーナとアルハンゼン先生は静かに言い争いを始めた。
それが激しくなるにつれて、どんどんとオレを抱きしめるふたりの腕に力がこもってくる。胃がキリキリと痛んで、オレは人知れず泣いた。
死にゲーに生まれただけでなく、ベッドのなかでさえメンバーの争いに巻きこまれる。ああ神よ、オレがなにをしたというのだ。
「ふむ、なかなか暖かくて………くせになりそうだ」




