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13 博士が英雄に瞳を焼かれた日

 拙が初めて実に疑うということを学んだのは学生の時であった。


 それまで拙はいわゆる優等生で、教師の言うことをそのまま信じる馬鹿だった。だから妖精を実験しているラボを訪れた時、なにも疑わなかった。


 ラボの学者は、妖精を閉じこめる地下の守りを戦地の陣地よりもたしかだと胸をはった。だから、拙は信頼した。


 その日の昼に、トイレから這いだしてきた妖精がラボを生き地獄とした。


 つまるところ、それは学者の根拠なき甘い考えのせいであった。


 このラボの下水パイプを伝って妖精が逃げだす恐れは知られていた。そのために己の身を細くできる妖精やちいさな妖精には気がはらわれていた。


 ただ、誰も巨大な獣の妖精がその身をそぎ落とし頭だけになってまでパイプを伝うとは思いもよらなかっただけなのだ。


 拙が生き残ったのはまったくの幸運であった。


 棚のうちに隠れ、学友や慕っていた教師の断末魔を耳にした。拙はただ震えて身を縮めることしかできなかった。


 ラボのそばにいた狩人がくるまでの時は、実に長かった。



 ◆◆◆◆◆



 その日から、拙はすべてを疑うようになった。


 あの日、ラボにてその身を貪られた友や学者たちは学問のために死んだ。その教訓を抱え歩き続けるために求められるのは、常識すらも疑う心だと考えるのだ。


 ただ、悲しいことに拙の心はそこまで勇敢でなかった。


 大学のトイレで、恐怖とともに胃のうちをぶちまける。いつものように吐いた後の拙の顔はまるで死人のようであった。


 なにもかもを疑うということは、つまりいつもは考えないようにして逃げている恐れに目をむけるということである。


 あの日のように妖精がいつトイレから飛びだしてくるやもしれない、死後があったとして今は亡き友は生き残った拙を恨んでいるやもしれない。


 そうした考えから目を背けず、鋼の論理でもって歩いていかなければならない。


 恥ずかしながら、あの日救いを求める人から逃げた臆病な拙にとって、それは実に困難な道であった。


 かつて友に美しいと讃えられた黒髪はくすんでボロボロ、みる影もない。骨だけとなったこの身は軋んで実にみすぼらしかった。


 それでも、歩みを止めるわけにはいかないのだ。


 拙が挑んだ常識は、そもそもなぜ妖精が人を食うかという謎であった。妖精学における長年の難問である。


 その時のほとんどの学者の考えは、人や獣のように生きる糧とするためというものであった。しかし、これはあまり良い説ではない。


 たとえば妖精は人のほかはどんな獣であろうと口にしない。もしも栄養を欲しているのなら鹿でも犬でも食えばいいではないか。


 たとえば妖精は人の脳にこだわって狙ってくる。果たして脳が人の身でもっとも豊かな肉と言えるだろうか、なぜ腸や足を食わないのか。


 ゆえに、拙はそれを疑うこととした。


 妖精を火であぶって殺菌したビンに詰め、エタノールをそそぐ。そうしてありとあらゆる栄養をあたえずに、拙は妖精がいつ死ぬのかを試した。


 三日後、かわらず妖精は拙をにらんでいる。一か月後、かわらず妖精は拙をにらんでいる。まったくかわらないので、一年後に拙は実験を終えることにした。


 はて、これはどういうことか。


 もしも学会の権威が言うように妖精も獣の類でしかなく、人を喰らって生き長らえているというのならば、いったいどれだけ飢えさせれば妖精は死ぬというのか。


 この時、考えられることは三つあった。


 ひとつ、実験において細菌が混入したか謎のエネルギーがあったかで妖精はそれで食いつないだ説。ふたつ、妖精は人を一年口にせずとも飢え死にしない説。


 そしてみっつ、そもそも妖精は生きるのに栄養を求めない説。


 すべてを疑って拙は実験を続けた。妖精をまるごと入れた箱に石こうを流して固めてみたり、妖精の胃のうちを常に吸いだしてみたり。


 だが、嫌になるまで栄養をやらぬよう試みても妖精は死ななかった。そうして、終わりに拙がした実験が閃きをもたらした。


 妖精が食することが知られている生きものとして、人のほかにかなり優れた脳をもつ猿の種がある。拙は、その猿の脳をいじくっていろいろと育ててみた。


 ある猿からは運動野をうばい、ある猿からは記憶野をうばった。目をうばったものも耳をうばったものもいる。


 そうした猿のどれを妖精が食うかを調べて、拙はひとつ気づくことがあった。


 妖精は、脳の心情についての肉をそいだ猿だけは食わないのである。逆に、拙はウサギで心情のところを肥大させたものを妖精に喰わせることができた。


 妖精が食べなかったものを食わせ、食べるものを食わせないようにする。


 それは妖精学の長い歴史でも初となる大いなる一歩であり、拙にとって心から喜ばしかった一瞬だった。勇んで学会にて学者たちに実験のすべてを伝える。


 そうして拙が耳にしたのは、ごうごうたる嘲笑だった。


 言うにことを欠いて妖精が心を食っているなどとは詩人になったつもりか、われわれは学者なのだぞ……。心というあいまいなものを、学者は笑い飛ばした。


 ひとつだけ、拙が疑わないでいたのがある。戦友であるはずの学者だ。


 そして、それは実に馬鹿なことだった。


 拙はほら吹きと笑われて、大学から蹴りだされた。妖精学の学者として軍に入れと、そう命が下ったのである。


 拙はもうどうでもよかった。


 この世すべてを疑い続けて、ありとあらゆる恐れに目を背けずにいて、それで血を吐くような思いをして、それで手に入れた探求の果てが、これか。


 拙の実験に疑いの目をむけあちこちまで調べつくしてくれるというのなら、なんら文句はない。それで拙が違っていたとなれば喜んでさえやる。


 だが、頭ごなしに笑われるというのは考えもしなかった。


 拙のすべての探求は終わった。軍では大学でのようにずっと実験に時を費やすなど許されるはずがない、むしろ軍務に駆りたてられる日々だ。


 もちろん論文など書けやしない。書いても誰も読んでくれるはずがない。


 そうしてすべてを諦めてしまった拙が流れついたのが、英雄ミッカネンのパーティーだった。軍務に心から努めているわけでもないのに指名とはと拙は首をかしげる。


 だがともかく軍人は命に逆らえない。


 拙は大英雄と名のあるミッカネンのパーティーメンバーとなった。



 ◆◆◆◆◆



「初めまして、拙はオグド・アルハンゼンと言います」


「ミッカネンだ、初めましてだな」


 初めてミッカネンに会った時、やけにその手に握られていた紙きれが気になってしかたがなかった。なぜかひどく懐かしい思いがして、目がそらせなかった。


「オレが君を指名した訳はこれだ」


 その紙は、かつて学会で笑われた妖精の心の捕食についての論文だった。


「な、なんで……」


「どうした、君の書いた論文なんだろう。いろいろと調べている時にふと読んで、実に優れていると思ってな。ぜひとも君にきてもらいたいと思った」


 ありえないはずだった。拙の論文は学会誌から追いやられ、大学の三文雑誌のはしに嘲笑とともに縮こまっているだけ、そのはずなのだ。


 いったいどうやってみつけだしたのか。


「とくに論理の筋がいい。ありとあらゆる可能を疑い、それらをひとつずつ有無を言わせぬ実験で黙らせて結末を弾きだしている」


 駄目だ、やめて、そんなことを言わないで。


 そんなにキレイな目で、そんなに楽しげな口調で、純粋に讃えられたら。もう拙は信じるしかない、この男が心から拙の探求を追ってくれたのだと。


「君が軍にいると知った時は腰をぬかしたものだ。てっきりどこぞの大学で学長でもしているのかと思っていたのでね」


 にっこりと笑うミッカネンが握る拙の論文にはあちこちに走り書きがある。


 恐らくは大学もでていない軍人であろうミッカネンが豊かな知識をもととした学者の論文を読むことの困難を考えて、拙の心は今にも暴れだしそうだった。


「アルハンゼン先生、君はなぜ軍にいるのかね」


 拙の名に先生とつけられたのはずいぶんと久しいことだ。


「拙の論文は学会から笑われたのである。妖精が人の心を食うなど、そんなメルヘンなことがあるかと、読まれることもなかった」


「そうか」


 ミッカネンが黙りこむ。そして、拙の目をまっすぐにみつめた。


「アルハンゼン先生、オレはこの探求を終えるのはあまりに惜しいと思う。素人だと笑ってくれてもいい、オレはアルハンゼン先生に諦めて欲しくない」


「あ、あ……」


 ミッカネンがニヤリと笑う。


「軍務のほうはオレがきちんとごまかしてやる。アルハンゼン先生をここまで追いやった学会の学者どもをぎゃふんと言わせてやろうではないか」


 ずっと苦しかった。


 この世のすべてを疑い続けることは拙の考えていたよりもはるかに辛くて、なにもかもが嫌になりそうだった。


 なのに、ああ、ずるい、ずるすぎる。


 このミッカネンという男は、こんな狂った拙を信じてくれるのだ。こんなもの、頭がおかしくならないはずがない。


 そうだ、これからこの世にたったひとつだけ疑わないでいる人を作ろう。どうしてこんなにも頼れるのか、訳がわからないけれど。


 拙はミッカネンだけは疑わないでいるのだ。



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