01 モブ、「追放」を望む
ガレキの街を、ひとりの新兵が走っていた。
「はぁ、はぁ、はぁ……!」
荒い息をしながら、銃を手にする。そして飛びかかってきた黒い狼のような獣に狙いをつけた。
耳をつんざくような銃声が人ひとりいない路地に響く。
新兵の放った銃弾は獣の頭に吸いこまれる。が、鋼のような毛に守られた獣はわずかの傷も負わなかった。
十ほどを数える新兵の戦友たちはみなこの獣に喰われている。そして飛びかかられて地に縫いつけられた新兵もまたその生に終わりを告げようとしていた。
生臭い息とともに、新兵の目と鼻の先で獣が口をひらく。
「ひ、ひぃ!」
すべてを諦めた新兵がぎゅっと瞳を閉じたその時だった。
風が駆けぬけた、そんな気がした。恐る恐る顔をあげた新兵が目にしたのはバラバラに斬りきざまれて虫の息の獣と、そのそばにたたずむ一人の軍人だった。
「あの人は、まさか……」
新兵はその顔を知っていた。かつて三晩に渡って妖精たちの侵攻を食いとめた、これまでで殺した妖精の数は千を越えた、伝説を数えればきりがない。
「……しまった、パーティーとはぐれてしまったな」
人類の誇る大英雄、ミッカネン。それが新兵の命を救った者の名であった。
「かなりの傷があるな。肩を貸す、そばの陣地までがんばれるか」
「はい、お手数をおかけしてすみません……」
傷を負っていることに気がついたミッカネンが、新兵の手を肩にまわす。もうしわけなさそうに謝る新兵にミッカネンはふと笑った。
「そんなことはない、君のおかげで人類は妖精と戦えているのだ。ゆっくり休んでからまた会おう、焦らずともオレが戦地から逃げることはないからな」
そう語るミッカネンの瞳があまりに美しくて、新兵はそんな英雄に人類の希望をみた。
◆◆◆◆◆
「いつになったらこの戦地から逃げられるんだよ、クソが……!」
夕食を終えてベッドに潜りこんだオレはシーツに顔をうずめて胸の奥からこみあげてくる叫びを殺した。
え、あの新兵にかけてた言葉は嘘なのかって?
もちろんだ、むしろ信じるほうがおかしいだろう。ゴキブリもかくやと死神がうろつきまわってる戦地での暮らしを喜ぶやつなんているはずがない。
でてくる飯はゴムみたいで味のしないジャーキーにほとんど水のスープ、夜にはひっきりなしの襲撃で寝つけないときた。
英雄だなんだと煽てられてるが、そんなことはどうでもいい。オレの頭にあるのはこんな戦地からとっとと逃げだすことだけだ。
それにオレにはここから遠ざかりたい訳がもうひとつあった。かつてはディスプレイ越しに目にしていた、忌まわしい狩人のコートを脱ぎすてる。
「よりにもよってここはあの伝説の死にゲーなんだ。これからどんなイベントに巻きこまれるかもわからないってのに」
生まれてからしばらくして、オレは己がゲームに入りこんでしまったのだと気がついた。耳にする地名や歴史を知っていたからだ。
なによりもオレを絶望させたのが、そのゲームがよりにもよってあの『妖精たちの狩人』だったことだ。
人類と妖精とが千年もの長きにわたって血みどろの戦を続けている世。人肉を食らう妖精を殺す狩人となってプレイヤーはいつ終わるとも知れない地獄に身を投じる。
そんな『妖精たちの狩人』は死にゲーだった。
バグとしか思えないほど難しい敵が山のように現れ、嫌らしいギミックがあちこちにしかけられている。ファーストステージすらクリアできない人もいた。
そんなゲームにおけるオレみたいなモブの末路など知れているだろう。
ほとんどが戦死、もしくは敵にミンチにされて食われる。そういえば恐怖のあまり首を吊ったり毒を飲んだりするモブもいたはずだ。
かといって軍から許可なしに逃げることもできない。そうすればオレは軍法に背いた犯罪者になってしまう。というかそれで捕まって銃殺されたモブもいたし。
冗談じゃない、ここまで生きてきて死ぬなんて嫌だ。軍を辞めて銃後でぬくぬくと暮らす、それだけを考えて戦ったのだから。
だが、すべての望みが失われたわけではない。
「とにかく追放さえしてくれれば軍を辞められるんだ……」
そのほとんどがろくでもない悲劇で人生を終えるゲームのモブたちだが、そのうちにたったひとりだけ命を落とさずにエンディングまでたどりつけた者がいる。
そのモブ、無謀な戦いばかりする無能なパーティーリーダーとほかのモブたちとの命運をなにがわけたのか、それははっきりしていた。
そのモブキャラは、「追放」されたのである。
プレイヤーがそのモブのパーティーにいたヒロインにアドバイスすることでそのモブは軍の上官に告発され、そのまま軍から追われて実家に帰ったのだ。
ただのゲームならそれはモブにとってバッドエンドなのだろうが、こと『妖精たちの狩人』においてはもっとも幸運なモブと評されていた。
エンディングでは家の畑を耕しているところに、プレイヤーが妖精との戦争を終わらせたことを耳にして追放されたことを悔しがるという一幕すらあるのだ。
そもそもヒロインですらほとんどが戦争の終わりまで生き残ることができなかったことを考えると、それがどれほど幸せなことかよくわかるだろう。
だから、ファンのうちでは笑い話としてゲームで生き残りたければ「追放」されればいいと語られていた。
さて、ゲームをプレイしているうちは冗談だと笑っていたが、いざゲームに放りこまれると「追放」はオレにとって最後の望みであった。
「だから、ずっと無茶なことばかりしてきた。軍が退くなかオレのパーティーだけで妖精の群れにつっこんだりしたし、メンバーのヘイトを集めるよう努力した」
だが、まてども暮らせども誰もオレを「追放」しようとしない。
パーティーメンバーのほとんどはオレのことを嫌っていることは疑っていない。だが怖気づいているのか誰もオレの馬鹿みたいな戦法を上官に告発しないのだ。
「ここまでくればもう手段を問いはしない。メンバーを勇気づけてやるのもリーダーの務めだ」
ベッドに横になりながら、オレは決断した。
果報は寝ていてもやってこなかった。ならば、ここからは上官に告発してオレを「追放」するよう自ら説いてまわるほかない。
◆◆◆◆◆
「イスファーナ。ちょうどいいところにいた、話がある」
幸運なことに、すぐにでもオレを「追放」してくれるぐらいオレを嫌っているメンバーには心あたりがあった。
「手短にしろよ。貴様のような凡人に耳を傾ける時ほど無駄なものはないからな」
談話室でひとりチェスに興じていたイスファーナは、オレを目にすると顔をしかめた。パーフェクトだ。
その短くそろえられた美しい金の髪はさらさらと肩の上を漂っている。血を凝り固めたような赤い瞳は北の大地のように凍りついていた。
「初めに聞いておくが、おまえはオレを嫌っているな」
「はっ、もちろんだ。魔術の天才たるわたしを影に追いやり、賞賛を一身に集める貴様を好ましく思ったことなど一瞬たりともない」
イスファーナが嘲笑する。オレは心のうちで胸をなでおろした。
イスファーナは己のほかはすべて凡人と馬鹿にしている。そんなイスファーナが英雄とヨイショされているオレを嫌悪するのは道理というものだ。
「ならば、オレにはいなくなって欲しいと願っているだろう」
「貴様は能無しか、そんなわかりきったことばかり聞いてくるな。軍規さえなければ貴様などとっくの昔に血祭りにあげている」
勝った。オレはすでに「追放」の後に思いをはせていた。
軍での働きで山ほど金はあるのだ。王都のはずれにこじんまりとした家でも借りて、ワインとチーズを友に静かな暮らしを楽しもうか。
「それで、話とはなんだ。まさか今さらわたしに嫌われていることが気になったか」
「いや、実は軍を辞めようと思っていてな。どうだ、オレが軍から追放されるのを手伝ってくれないか」
そう口にした後にイスファーナの瞳に目をやったオレは、なにかがおかしいことに気がついた。
いつもは情というものがぬけ落ちているはずのその赤の瞳が、震えていたのだ。
「嘘、だろう?」
イスファーナの手にしていたクイーンの駒が砕ける。その音を耳にしながら、オレはなぜかとても嫌な気がした。