第6話:歪んだ反撃と覚醒の兆し
『収納』!!
俺は、迫り来る異形の怪物――バグ・キメラに向けて、ありったけの意識を込めて右手を突き出した。狙うは、不安定に揺らめく空間そのもの。あるいは、バグによって構成されたキメラの存在情報。さっきの実験のように、空間を歪ませるイメージを、全力で叩きつける!
瞬間、右手の先に凄まじい抵抗を感じた。まるで、見えない巨大な壁を無理やりこじ開けようとしているかのようだ。額に汗が噴き出し、体中の力が右手に吸い取られていくような感覚に襲われる。
だが、変化は起きた。
ピシッ! パチパチッ!!
俺とキメラの間の空間が、ガラスにひびが入るように軋み、激しい火花のような光を散らした。そして、キメラの不定形な巨体が、その場でぐらりと大きく揺らめき、動きが一瞬、明らかに鈍ったのだ! さらに、キメラの体表の一部――特にノイズのように明滅していた箇所が、まるで削り取られるかのように希薄になり、ボロボロと崩れ落ちる。
「やった! 効いてる!」
隣でエリシアが叫ぶ。彼女はその隙を見逃さなかった。即座に杖を構え、解析ツールでキメラをスキャンしながら、杖の先端から目にも留まらぬ速さで光弾を連射する。光弾はキメラの体表で弾けるが、確実にダメージを与えているようだった。
「ノア、すごい! やっぱり空間に干渉できるんだ! でも、あれだけの巨体だと、動きを完全に止めるのは難しい! それに、弱点になってる核は別にあるみたい!」
エリシアからの情報が飛んでくる。核は別……。だとしたら、俺のスキルで直接ダメージを与えるのは難しいかもしれない。でも、動きを止めたり、攪乱したりすることはできるはずだ。
俺たちの突然の登場と、予想外の反撃に、後方で見ていた勇者パーティーは呆気に取られていた。
「ば、馬鹿な……!? あれが、ノアのスキルだと……? ただの【収納】じゃなかったのか!?」
カイトが信じられないものを見る目で俺を睨みつける。その表情には、驚愕と、理解不能なものへの困惑、そして……僅かな焦りのような色が浮かんでいた。
「な、何よあれ……気味が悪いわ……!」
セリアは顔を引きつらせ、後ずさりしている。
「おい、カイト! あいつが時間を稼いでるうちに、俺たちは逃げるぞ!」
ゴードンは既に戦意を喪失しているのか、カイトの腕を掴んで逃走を促した。カイトは一瞬、ゴードンの言葉に同意しかけたように見えたが、俺と、俺の隣で的確に援護するエリシアの姿を交互に見て、何かを考え込むように眉を寄せた。
グオオオオオォォォッ!!
その時、体勢を立て直したバグ・キメラが、怒りの咆哮を上げた。複数の目が(それが目だとしたら)俺たちに向けられ、明らかな敵意が迸る。
そして、異様な反撃が始まった。
キメラの体から伸びる金属質の触手が、鞭のようにしなり、予測不能な軌道で俺たちに襲いかかってくる。それだけではない。キメラの周囲の空間が再び歪み、何もないはずの場所から岩石が飛んできたり、床が突然隆起したりする。物理法則が捻じ曲げられた、悪夢のような攻撃だ。
「危ない!」
エリシアが杖を操作し、俺たちの前に半透明の防御シールドを展開する。飛来する岩石がシールドに当たって砕け散るが、シールド自体も激しく振動し、長くは持ちそうにない。
「ノア! もう一回、さっきのを!」
「は、はい!」
俺は再びスキルを発動しようとする。だが、連続使用のせいか、あるいはキメラが放つ異常なエネルギーの影響か、さっきよりもさらに強い抵抗を感じ、空間の歪みもわずかしか起こせない。キメラの動きを鈍らせるには至らなかった。
(くそっ……まだ、うまく制御できない……!)
焦りが募る。スキルは確かに強力な片鱗を見せている。でも、今の俺にはそれを自在に操る力が足りない。
キメラの触手が、防御シールドの隙間を縫うようにして襲いかかってきた。俺は咄嗟に短剣で受け止めようとするが、その威力は凄まじく、腕が痺れ、体勢を崩される。
「ノア!」
エリシアが光弾で触手を撃ち、俺を庇う。だが、その隙に別の触手がエリシアに迫っていた。
(まずい!)
俺はエリシアを突き飛ばし、自らが触手の直撃を受ける形になった。
ゴッ! と鈍い衝撃と共に、俺の体は通路の壁まで吹き飛ばされる。
「ぐっ……うぅ……!」
全身を打撲した痛みに、息が詰まる。視界が霞み、意識が遠のきそうになった。
「ノア! しっかりして!」
エリシアの声が遠くに聞こえる。彼女が杖を構え、一人でキメラに立ち向かおうとしているのが見えた。だが、多勢に無勢、いや、あの異形を相手に一人では……。
勇者たちは? 彼らは、まだそこにいた。しかし、ゴードンは腰が引け、セリアは恐怖で動けない様子だ。カイトだけが、忌々しげにキメラを睨みつけながらも、どうすることもできずに歯噛みしている。
(ここまで、なのか……? せっかく、エリシアさんと出会って、俺のスキルにも可能性があるって……)
薄れゆく意識の中、追放された時の絶望感が再び蘇ってくる。役立たず。足手まとい。俺は、結局何も変えられないのか……?
――違う。
心の奥底から、声が聞こえたような気がした。
俺はもう、あの時の俺じゃない。
隣には、俺の力を信じてくれる仲間がいる。
そして、俺のスキルは、ただの【収納】じゃないんだ。
霞む視界の中、バグ・キメラがエリシアに止めの一撃を加えようとしているのが見えた。
そして、俺の右手。スキルを発動する、この手が……熱い。
(そうだ……イメージだ……エリシアさんが言ってた……『情報』を……書き換える……?)
収納するだけじゃない。空間を固定するだけじゃない。
もっと根本的に、この異常な存在の『情報』そのものにアクセスする……。
俺は最後の力を振り絞り、再び右手をキメラに向けた。
今度は、空間を歪ませるイメージじゃない。キメラという存在を構成する、不安定で、バグだらけの『情報』。その中心……核となる部分を、『収納』するイメージ。いや、『削除』するイメージだ!
『――ストレージ(収納改・対象削除)』!!
自分でも何を唱えたのか分からなかった。ただ、心の底からの叫びだった。
瞬間、俺の右手から、これまでとは比較にならないほどの強い力が奔流のように溢れ出した。それは、制御された力ではない。暴走に近い、荒れ狂うエネルギー。
世界が、白く染まる――。
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