第20話:閉ざされし扉
重く巨大な石の扉が、俺たちの行く手を阻んでいた。
ようやくたどり着いた上層への道。しかし、その扉はまるで俺たちを拒絶するかのように固く閉ざされ、表面には複雑怪奇な紋様がびっしりと刻まれている。強力な封印が施されていることは、素人目にも明らかだった。
ジジ……ザザ……
さらに悪いことに、扉の向こう側からは、断続的に不快なノイズ音と、金属が擦れるような音、そして微かな人の叫び声のようなものが聞こえてくる。俺たちが目指していた制御室のある区画は、決して安全な場所ではなくなっているようだった。
「……この扉、ただの物理ロックじゃないね」
エリシアは扉に手を触れ、解析ツールをかざしながら険しい顔で呟いた。
「古代の高度な魔法と技術による複合封印だ。空間そのものを固定してるみたい。私のツールだけじゃ、解除はかなり難しいかも……」
エリシアが扉の解除困難を告げると、カイトが掠れた声で呻いた。
「……解除、できない……だと……?……どう、する……つもりだ……」
彼の右手はまだ痛むようで、顔は苦痛に歪んでいる。意識は戻ったようだが、その声には力がない。その表情には焦りと不機嫌さだけが浮かんでいた。
「……じゃあ、どう……する、つもりだ……ここで、立ち往生……か……?」
「……最悪、別のルートを探すしかないけど……」
エリシアはツールから目を離さず、扉の向こうの音に耳を澄ませる。
「向こうの状況も気になる。戦闘音みたいだけど……誰が、何と戦ってるのか……。それに、強いバグ反応もある。制御室がバグに侵食されてる可能性が高いよ」
「もう嫌……早くここから出してよ……」
セリアが力なく座り込み、涙ぐんでいる。ゴードンも、カイトを支えながら、疲労困憊といった様子で黙り込んでいる。食料も水も尽き、体力も精神力も限界に近い。このままでは、本当に危険だ。
俺は、扉に刻まれた複雑な紋様を見つめていた。
あの時と同じだ。遺跡の壁に触れた時、俺のスキルは文字の『情報』を読み取った。この扉の封印も、もしかしたら……。
「……エリシアさん」
俺は意を決して声をかけた。
「俺のスキルで……何か、分からないでしょうか?」
「ノアのスキル?」
エリシアが顔を上げる。
「確かに、壁の文字情報を読み取れたみたいだけど……この封印はもっと複雑だよ。下手に干渉したら、どんな反動があるか……それに、ノアの体調も……」
彼女は心配そうに俺を見る。
「でも、他に方法がないなら……試してみたいです」
俺は、まだ完全ではない体に力を込めて立ち上がった。ここにいても状況は悪くなる一方だ。わずかでも可能性があるなら、それに賭けたい。それに、俺のこの力が、本当に皆の役に立てるのか、確かめたい気持ちもあった。
「……分かった。でも、絶対に無理はしないで。少しでも危ないと感じたら、すぐに手を離すんだよ!」
エリシアは強く念を押すと、俺に場所を譲ってくれた。
俺は扉に近づき、深呼吸を一つする。
そして、封印の紋様が集中している箇所に、そっと右手を触れた。
スキルを発動する。今度は『読み取る』イメージ。この封印の構造、エネルギーの流れ、解除の鍵となる『情報』を。
ビリビリッ!!
触れた瞬間、これまでで最も強い痺れと抵抗感が右手を襲う! まるで、高圧電流に触れたかのような衝撃。
「ぐっ……!」
思わず手を離しそうになるのを、必死で堪える。頭の中に、膨大な情報が濁流のように流れ込んできた。理解できない古代の言語、複雑な魔法陣の構造、そして、複数のエネルギーラインが絡み合う、眩い光の奔流……!
「ノア!」
エリシアが俺の肩を支える。
「だ、大丈夫です……! 何か……見えます……!」
俺は歯を食いしばり、流れ込んでくる情報の中から、必死で意味のあるものを拾い上げようとする。
封印の核……エネルギーの流れ……特定の紋様……解除のシーケンス……!
「……紋章が……3つ……特定の順番で……エネルギーを……逆流……?」
俺は、朦朧とする意識の中で、感知した情報を断片的に口にする。
「紋章が3つ? 順番にエネルギーを逆流……?」
エリシアは俺の言葉を聞き、素早く扉の紋様と照合し始める。
「あった! この3つの紋章だ! エネルギーの流れも……なるほど、逆流させるポイントは……ここか!」
彼女の目に光が宿る。
「でも、逆流させるには、封印に使われているのと同じ質のエネルギーを外部からぶつける必要がある……そんなもの、どこに……」
その時、俺は気づいた。俺の右手から溢れ出す、あの制御不能だった力の奔流。あれは、エーテル結晶のエネルギーとはまた違う、もっと根源的な、空間や情報に作用する力。もしかしたら、この封印に使われているエネルギーと、同質なのではないか…?
「……俺の、スキルで……できる、かも……しれません……」
「えっ!? でも、ノアの体は……!」
「やるしか、ない……!」
俺は、エリシアの制止を振り切るように、再び扉に右手を押し当てた。そして、感知した3つの紋章に意識を集中し、スキルを発動する。今度は、エネルギーを『逆流』させるイメージ。封印の流れに、俺の力で干渉する!
『収納――逆流干渉!!』
ズオッ!!
右腕に、骨が軋むほどの負荷がかかる! 視界が赤く染まり、全身の血液が沸騰するかのような感覚。だが、確かに、扉の紋様が激しく明滅し始め、封印のエネルギーの流れが乱れていくのが分かった!
「効いてる! あと少し!」
エリシアが叫ぶ。
俺は最後の力を振り絞り、スキルを維持する。
ギギギ……という重い音と共に、扉の表面に刻まれた紋様の光が弱まっていく。そして……。
カチリ。
小さな音と共に、扉の封印が完全に解ける感覚があった。
同時に、俺の意識も限界に達し、その場に崩れ落ちる。
「ノア!」
エリシアが駆け寄ってくるのが見えた。
ゴゴゴ……
重厚な石の扉が、ゆっくりと内側に向かって開き始めた。
開いた扉の隙間から、強い光と、そして……扉の向こう側から聞こえていたものとは質の違う、異様な静けさが流れ込んでくる。
「やった……開いた……」
エリシアが安堵の声を漏らす。
ゴードンとセリアも、息を呑んで扉の向こうを見つめている。カイトも、苦痛に顔を歪めながらも、その視線は扉の先に釘付けになっていた。
扉が、完全に開いた。
そして、俺たちの目の前に広がったのは――
俺たちが知っている制御室ではなかった。
壁も床も天井も、まるで悪夢の中のように歪み、融け、明滅する光の粒子が空間を漂っている。そこは、明らかに『バグ』によって侵食され、変貌してしまった異質な空間だった。
そして、その歪んだ空間の中央に、人影が見えた。
いや、人影ではない。人の形をしていた『何か』。
それは、ゆっくりとこちらを向き、空虚な瞳で、俺たちを見つめていた。
扉の向こうは、安息の地ではなかった。
新たな、そしておそらくは、より根源的な『バグ』との遭遇が、俺たちを待ち受けていたのだ。