第16話:結晶の輝きと亀裂の音
カイトが放った渾身の「聖光斬」によって、バグ・スライムの一体が完全に消滅した。だが、その代償は小さくなく、カイト自身も肩で大きく息をつき、聖剣を持つ手が微かに震えているのが見て取れた。敵はまだ3体残っている。状況は依然として厳しいままだった。
「…やるしかない、か」
ゴードンが盾を構え直し、覚悟を決めたように呟く。セリアも唇を噛み締め、残り少ない魔力を杖に込めている。
「エリシアさん、指示を!」
俺は、まだ残る頭痛と倦怠感に耐えながら、冷静に状況を見極めようとしているエリシアに声をかけた。今の俺にできることは少ない。だが、彼女の目となり耳となり、そして、いざという時にスキルで僅かでも時間を稼ぐことならできるかもしれない。
「うん!」
エリシアは力強く頷くと、鋭い視線で残りのバグ・スライム3体と、消耗しているカイトの様子を素早く観察する。
「カイトさんは無理しないで! ゴードンさんは防御、セリアさんは牽制を! あの3体、動きは速いけど、核を破壊すれば倒せるのは分かった! 私とノアで隙を作るから、そこを狙って!」
エリシアの的確な指示が飛ぶ。カイトは一瞬、指示されたことに不快そうな顔をしたが、現状では反論できないと判断したのか、黙って頷いた。
戦闘再開。
3体のバグ・スライムは、仲間がやられたことに怒り狂っているのか、先ほどよりもさらに激しく、予測不能な攻撃を繰り出してきた。触手を鞭のようにしならせ、粘液弾を飛ばし、時には体を半透明化させて壁をすり抜けようとする。
「させない!」
ゴードンが雄叫びを上げ、巨大な盾で攻撃を受け止める。セリアも、威力は低いながらも氷の魔法で敵の動きを牽制した。
「ノア、右のやつ、一瞬だけお願い!」
エリシアの声が飛ぶ。
俺は右のバグ・スライムに意識を集中し、スキルを発動する。
(空間固定、最小限…!)
ピシッ! 右手に痛みが走るが、狙い通り、敵の動きが一瞬だけ硬直した。
「今!」
エリシアが光弾を放ち、硬直した敵の核を狙う。同時に、カイトも消耗した体に鞭打って踏み込み、聖剣を振るった!
エリシアの光弾とカイトの剣撃が、ほぼ同時にバグ・スライムの核らしき部分を捉え、断末魔の叫びと共に一体が霧散した!
「よし、あと二体!」
エリシアが叫ぶ。だが、安堵する間はない。残った2体が、まるで最後の抵抗とばかりに、その不定形な体を膨張させ始めた!
「まずい、自爆する気!?」
エリシアが叫ぶ。二つの中心核が、禍々しい赤黒い光を激しく明滅させている。あれが二つ同時に爆発すれば、この空間全体がただでは済まないだろう。
「くそっ…!」
カイトもセリアもゴードンも、もう動けない。俺も、連続したスキル使用で、立っているのがやっとだった。
(やるしかないのか…? でも、また暴走したら…!)
俺は右手を構え、覚悟を決める。あの白い光を、もう一度…?
いや、違う。あの力は危険すぎる。もっと別の方法…『収納』…? いや、あんなエネルギーの塊を収納できるか?
思考がぐるぐると巡る中、エリシアが叫んだ。
「ノア! スキルを使うなら、あいつらの『情報』を乱すイメージで! 完全に消そうとするんじゃなく、不安定なバグ情報をさらに掻き乱して、自壊させるんだ!」
『情報』を乱す…? 自壊させる…?
エリシアの言葉が、俺の中で一つのイメージを結んだ。
収納でも、削除でもない。ただ、対象の内部にある不安定な『バグ』という情報に干渉し、それを増幅させ、内側から崩壊させる…!
俺は最後の力を振り絞り、膨張する2体のバグ・スライムに右手を向けた。
『収納――情報過負荷!!』
心の中で叫ぶと同時に、スキルを発動する。今度は白い光ではなく、俺の右手から放たれた不可視の何かが、2体のバグ・スライムの核へと同時に突き刺さったような感覚があった。
すると、2体の膨張がピタリと止まり、その体表のノイズが嵐のように激しく明滅し始めた。そして、次の瞬間、まるで内部から破裂するように、音もなく霧散していったのだ。後には、わずかな黒い塵のようなものが残っただけだった。
「……はぁ……はぁ……」
俺はその場に完全にへたり込んだ。暴走はしなかったが、やはり消耗は激しい。だが、今度ばかりは確かな手応えがあった。力を制御し、望んだ結果を引き出せた、という感覚が。
「……やった……やったね、ノア!」
エリシアが駆け寄り、俺の肩を叩く。彼女の顔にも、安堵と興奮の色が浮かんでいた。
勇者たちも、呆然とその光景を見ていたが、やがて安堵のため息をついた。
脅威は、完全に去った。
俺たちはしばしその場で休息を取り、エリシアが俺やカイトの傷の手当て(彼女は簡単な治癒魔法も使えるらしい)をしてくれた。
「さて、それじゃあ……」
少し落ち着いたところで、エリシアが立ち上がり、部屋の中央に浮かぶ巨大なエーテル結晶へと視線を向けた。
「いよいよ、あれを調べてみようか」
俺たちも立ち上がり、息を呑んでエーテル結晶へと近づいていく。
近くで見ると、その巨大さと、内側から放たれる青白い光の神秘的な美しさに圧倒される。結晶の表面には、古代文字とも違う、複雑な紋様が絶えず流れるように明滅していた。そして、周囲に配置された機械装置は、結晶から供給されるエネルギーを受けてか、低い駆動音を立てていた。空気中には、濃密なエネルギーが満ちており、肌がピリピリと感じるほどだ。
「すごい……これだけのエネルギーがあれば、転送装置どころか、都市一つ動かせるかもしれない……」
エリシアは感嘆の声を漏らしながら、解析ツールを結晶に向ける。
その時だった。
「――よし、もらった!」
カイトが、出し抜けに叫び、誰よりも早くエーテル結晶へと駆け寄った!
「なっ!?」
エリシアが制止する間もなく、カイトは結晶に手を伸ばす。その瞳は、完全に結晶の力(あるいは価値)に魅入られていた。
「待て、カイト! 迂闊に触るな!」
ゴードンが慌てて止めようとするが、もう遅い。
カイトの手が、青白く輝くエーテル結晶の表面に触れた、その瞬間。
ビキィッ!!
結晶の表面に、亀裂のような鋭い光が走った。
そして、部屋全体が激しく振動し、結晶から放たれる光が、禍々しいほどの輝きを増し始めた!
「きゃあああっ!」
セリアが悲鳴を上げる。
「まずい! 結晶のエネルギーが不安定になってる! 暴走する!!」
エリシアが叫ぶ。解析ツールが、これまで以上の危険を示す警告音を発していた。
カイトは、自らが引き起こした事態に気づき、恐怖に顔を引きつらせながらも、結晶から手を離せないでいるようだった。まるで、結晶に捕らわれたかのように。
希望の光に見えたエーテル結晶は、今、俺たち全員を飲み込もうとする、制御不能な厄災へと変貌しようとしていた。
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