第15話:三つ巴の結晶と揺れる剣
ドーム状の広大な空間。中央には、脈打つように青白い光を放つ巨大なエーテル結晶。そして、その周囲には強化されたと思しきバグ・スライムが蠢き、俺たちの背後では、勇者カイトが静かに剣の柄に手をかけている――。
息を呑むような光景と、張り詰めた空気。俺とエリシア、バグ・スライム、そして勇者パーティーの歪な睨み合いが続いていた。
「……まずい状況だね」
エリシアが、俺にだけ聞こえるような小声で呟いた。彼女の視線は、前方のバグ・スライムたちと、背後のカイトたちを警戒するように素早く動いている。
「あのスライムたち、制御室のやつらより明らかに大きいし、気配も禍々しい。エーテル結晶の影響で強化されてるのかも。そして……後ろの勇者様も、何を考えてるか分からない」
彼女の言う通りだった。バグ・スライムたちは、制御室で遭遇したものより一回りも二回りも大きく、その不定形な体はより濃い影を落とし、中心部の核のようなものは不気味な赤黒い光を明滅させている。数は4体。数は少ないが、一体一体のプレッシャーは先ほどの比ではない。
そして、カイト。彼の目は、明らかに中央のエーテル結晶に向けられていた。あの巨大な結晶が持つ莫大なエネルギー、あるいは希少価値に魅せられているのか。その瞳には、危険なほどの渇望と独占欲のような色が浮かんでいる。ゴードンとセリアは、カイトの様子と前方の敵を交互に見ながら、不安げな表情を浮かべていた。
「おい、ノア、研究者女」
先に動いたのはカイトだった。彼は剣の柄に手をかけたまま、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。
「状況は理解しているな? あの結晶を手に入れれば、このクソみたいな遺跡から脱出できるんだろう? ならば話は早い」
彼は顎で前方のバグ・スライムたちを示した。
「俺たちが奴らを引き受ける。その間にお前たち――いや、ノア、お前のその奇妙な力で、あの結晶を『収納』しろ。それが一番手っ取り早い」
カイトの提案は、一見合理的にも聞こえた。だが、その口調と表情からは、俺たちを対等な協力者と見ているのではなく、便利な手駒として使おうという魂胆が透けて見えた。そして、もし俺が結晶を収納したら、その後、彼はどう出るつもりなのか……。
「……そんな簡単な話じゃないと思うけど」
エリシアが冷静に返す。「あの結晶がどれほどのエネルギーを持っているか分からない。ノアのスキルで安全に『収納』できる保証なんてどこにもないよ。それに、あのバグ・スライムたち、あなたたちだけで抑えられるの?」
「ふん、俺たちを誰だと思っている。勇者パーティーだぞ? あんなスライムもどき、数が多いだけで――」
カイトが言いかけた、その時だった。
ズシャッ!!
一体のバグ・スライムが、音もなくその体を高速で伸長させ、槍のように鋭く尖った先端でカイトに襲いかかった! 反応速度も、攻撃の鋭さも、制御室の個体とは比べ物にならない!
「なっ!?」
カイトは咄嗟に聖剣で受け止めるが、完全に防御しきれず、頬を浅く切り裂かれた。赤い血が流れ、彼の表情が驚愕と屈辱に歪む。
「こ、の……!」
それを皮切りに、残りのバグ・スライムたちも一斉に動き出した! あるものは高速で床を滑り、あるものは体から粘液質の弾丸を飛ばし、またあるものは体を薄く伸ばして鞭のように振るってくる。
「きゃあっ!」
「うわっ!」
セリアとゴードンも慌てて応戦するが、敵の予想外の攻撃パターンと素早さに翻弄され、防戦一方だ。
「もうっ、やるしかない!」
エリシアは杖を構え、防御シールドを展開しようとする。俺も、消耗した体に鞭打って、スキルで援護しようと右手を構えた。
だが、俺たちが動くよりも早く、カイトが叫んだ。
「ゴードン、セリア! 陣形を組むぞ! あのデカい結晶に近づけさせるな! ノア! お前は俺たちの後ろで、さっきみたいに奴らの動きを止めろ! 命令だ!」
彼は、この状況でもなお、俺たちの上に立とうとする。その傲慢さに腹が立ったが、今は言い争っている場合ではない。エリシアも苦々しい顔をしたが、頷いて杖を構え直した。
戦闘が始まった。
カイトは聖剣を振るい、強化されたバグ・スライムと互角以上に渡り合っている。さすがは勇者、というべきか、その剣技は確かだ。ゴードンも巨大な盾で攻撃を受け止め、セリアも必死に援護魔法を放つ。
だが、敵は強い。再生能力も健在のようで、ダメージを与えてもすぐに回復してしまう。そして、エーテル結晶が近くにあるせいか、周囲の空間も不安定で、時折、足元が揺らいだり、敵の動きが瞬間移動したように見えたりする。
俺は、後方から神経を集中させる。カイトの命令に従うのは癪だったが、今はエリシアや、場合によっては勇者たちを守るためにも、スキルを使うしかない。
(暴走はさせない……最小限の力で、動きを……!)
狙いを定め、敵の動きが止まるように、あるいは鈍くなるように、空間への微細な干渉を試みる。
ピシッ…!
右手に痺れと抵抗感。一体の動きが一瞬止まる。その隙をカイトが突く。
また別の一体を狙う。ピシッ…! ゴードンへの攻撃が逸れる。
しかし、消耗は激しい。数回のスキル使用で、目の前が暗くなりかける。
「ノア、無理しないで!」
エリシアが俺の状態を気遣いながら、杖で光弾を放ち、敵の注意を引く。
「ちっ、ノア! 何をやっている! もっと奴らを止めろっ!」
カイトから檄が飛ぶ。やはり彼は、俺のスキルを便利な道具としか見ていない。
その時だった。
一体のバグ・スライムが、勇者たちの攻撃を巧みにかわし、ターゲットを俺とエリシアに変えて、高速で突進してきた!
「まずい!」
エリシアが防御シールドを展開するが、敵の勢いは凄まじく、シールドがミシミシと音を立てる。
(くそっ……やるしかないのか……でも、また暴走したら……!)
俺がスキルを使うべきか迷った、その瞬間。
「させるかあっ!」
カイトが、突進してきたバグ・スライムと俺たちの間に、猛然と割り込んできた。そして、聖剣にまばゆい光を纏わせ、渾身の一撃を叩き込んだ!
「聖光斬!!」
閃光が走り、バグ・スライムは核ごと断ち切られ、完全に消滅した。
「……え?」
俺は、カイトの予想外の行動に言葉を失った。彼は、俺たちを助けた……?
カイトは、荒い息をつきながら俺たちを振り返った。その目には、まだ傲慢さの色は残っている。だが、それだけではない、何か別の……複雑な感情が揺らめいているように見えた。
「……勘違いするなよ、ノア。貴様がここで倒れたら、俺たちの計画が狂うだけだ。それに……」
彼は視線をエーテル結晶に向けた。
「あの宝は、俺が手に入れる。貴様らのような雑魚に横取りさせるわけにはいかないからな」
やはり、彼の行動原理は自己中心的なものらしい。だが、それでも、結果的に俺たちを助けたのは事実だった。
敵は残り3体。しかし、カイトも大技を使ったせいか、少し消耗しているように見える。
状況は依然として予断を許さない。そして、エーテル結晶を巡る、もう一つの戦いが始まろうとしていた。
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