第14話:蝕む静寂と微かな感知
エリシアの信頼を受け、俺たちは中央の通路へと足を踏み入れた。『何かを感じ取った』というだけの確証のない道を。
カイトは「ふん、何の根拠もないくせに」と不満げに呟いたが、他に有力な手がかりがない以上、今は従うしかないと判断したようだった。ゴードンとセリアは、ただ黙って不安そうな顔でついてくる。
通路は先ほどまでの巨大な地下空洞とは打って変わって、狭く、天井も低い圧迫感のある空間だった。壁は湿った岩肌が露出し、発光する苔もほとんど見られないため、エリシアが杖で放つ淡い光だけが頼りだ。しん…と静まり返っており、聞こえるのは俺たちの足音と、壁を伝う水滴の音、そして互いの息遣いだけ。この過剰な静寂が、かえって神経を逆撫でする。
「……なんだか、気味が悪いな」
ゴードンが小声で呟く。彼の言う通りだった。ただ暗くて静かなだけではない。何か、もっと別の……まとわりつくような、不快な気配がこの通路には満ちている気がした。
「空間情報が……微妙に不安定みたいだね」
エリシアが解析ツールを見ながら眉をひそめる。「大きなバグ反応はないけど、常に微弱なノイズが観測される。これが長期的に精神に影響を与えるタイプの……」
彼女の言葉通り、しばらく進むうちに、奇妙な感覚に襲われ始めた。まっすぐ歩いているはずなのに、壁までの距離感が掴みにくくなったり、自分の足音がすぐ近くで聞こえたかと思えば、妙に遠くから反響して聞こえたりする。幻聴や、軽い方向感覚の喪失。これも『バグ』の一種なのだろうか。
「……エリシアさん」
俺は、通路の少し先を指差しながら声をかけた。
「あの辺り……なんだか、空気が捻じれてるような……気持ち悪い感じがします」
スキルを使った時のように明確ではないが、あの力の暴走の後から、こうした空間の微細な異常を『肌で感じる』ような感覚が、時折現れるようになっていた。
「空間の捻じれ……?」
エリシアは俺が指差した場所にツールを向け、慎重にスキャンする。
「……! 本当だ! 微弱だけど、局所的な空間歪曲反応がある! 私のツールでもギリギリ検知できるレベルなのに……ノア、どうして分かったの?」
彼女は驚いたように俺を見る。
「いえ、なんとなく……そう、感じただけで……」
うまく説明できない。これは、スキルの新たな力なのだろうか? それとも、暴走の後遺症のようなものなのだろうか?
「すごいよ……! もしかしたらノアのスキルは、ただ空間に干渉するだけじゃなく、空間の状態そのものを『感知』する能力も持ってるのかも! これは大きな発見だよ!」
エリシアは興奮気味にメモを取っている。彼女の探求心は、こんな状況でも尽きることがないらしい。
「ふん、感知できるなら、罠の一つでも見つけてみろ」
カイトが横から嫌味を言う。俺は何も言い返さず、ただ前方に意識を集中させた。
幸い、俺が感じた空間の歪みは規模が小さく、慎重に迂回することで通り抜けることができた。だが、この通路には、こうした目に見えない危険が他にも潜んでいるのかもしれない。
しばらく進むと、壁の一部に、他の場所とは明らかに違う、人工的なレリーフが施されているのを見つけた。風化が進んでいるが、複雑な幾何学模様と、古代文字らしきものが刻まれている。
「これは……!」
エリシアが駆け寄り、食い入るようにレリーフを調べ始めた。
「間違いない、古代の記録媒体の一種だよ! かなり破損してるけど、一部だけでも読み取れれば……!」
彼女はツールを使い、慎重に表面をスキャンし、文字の解読を試みる。俺たちも固唾を飲んで見守る。何か、この状況を打開するヒントが見つかるかもしれない。
「……ダメだ。ほとんどの情報が欠落してる……。読み取れたのは……『……星々の……道……開く……大いなる……力……しかし……深淵もまた……』……? 何のことだか……」
エリシアは悔しそうに呟く。断片的な言葉は、むしろ謎を深めるだけだった。
希望が萎みかけた、その時。俺はレリーフの一部――中央にある奇妙な結晶のような模様から、微かに、しかし確かに、あの『気配』を感じ取った。下層に入ってから、俺が通路を選ぶきっかけとなった、あの感覚だ。
「エリシアさん、その……真ん中の模様……何か、感じませんか?」
「え? この結晶の模様?」
エリシアは訝しげにツールを当てるが、特別な反応はないようだ。
「ううん、エネルギー反応も、バグ反応も特にないけど……」
「でも、何か……ここから、あの通路の奥と同じような……『感じ』がします」
俺の言葉に、エリシアは真剣な表情になり、改めてレリーフを観察し始めた。
そんな俺たちの様子を、カイトは腕を組んで冷ややかに見ていた。そして、不意に口を開く。
「……おい、ノア。お前のそのよく分からん『感じ』とやらで道を選ぶのは結構だが、いつまで保つつもりだ? 俺たちの食料も水も、もうほとんど残ってないぞ」
カイトの言葉は、冷酷な事実を突きつけてきた。俺が持っていた最低限の食料と水、そしてエリシアの携帯食を合わせても、もはや一食分あるかないかだろう。勇者たちも、おそらく似たような状況のはずだ。
「……それは……」
俺が言葉に詰まると、カイトは畳み掛ける。
「お前のその【収納】スキルとやらは、腹の足しにはならんのだろう? このまま進んで何も見つからなければ、飢え死にするだけだぞ。本当にこの道で合っているという保証はどこにある?」
「……今は、これを信じるしかないでしょ」
エリシアが、俺を庇うように言った。
「それに、食料がないのは皆同じ条件だよ。文句を言う暇があるなら、少しは探索に協力したらどうかな?」
「ふん……協力、か」
カイトは意味ありげに笑うと、それ以上は何も言わなかった。だが、その目には、焦りと、そして何か別の企みを秘めているような光が宿っていた。食料が尽きかけるという状況は、この歪なパーティーの結束(というより、かろうじて保たれていた均衡)を、容易く崩壊させかねない。
重苦しい空気の中、俺たちは再び歩き出した。俺がレリーフから感じ取った『気配』を頼りに、通路の奥へと進む。それは、エネルギー源(エーテル結晶)の気配なのか、それとも別の何かなのか……。
やがて、通路の先に、これまでとは違う、人工的な光が見えてきた。ぼんやりとした青白い光ではなく、もっと規則正しく明滅する、機械的な光だ。そして、空気中に漂うエネルギーの質も、明らかに変化しているのを感じる。
「……!」
エリシアも何かに気づいたように、解析ツールを構え直す。
「この反応……間違いない! この先に、稼働中の古代施設がある! しかも、強いエネルギー反応……エーテル結晶かもしれない!」
ついに、目的地の手がかりを掴んだのかもしれない。俺たちは、疲労も忘れ、足早に光へと向かう。
通路を抜けた先は、ドーム状の広大な空間になっていた。そして、その中央には――
巨大な、青白い結晶体が、脈打つように明滅しながら浮遊していた。
その周囲には、複雑な機械装置のようなものがいくつも配置され、細かな光の粒子を放っている。あれが、高純度エーテル結晶……!
俺たちは、その荘厳で、しかしどこか危険な光景に息を呑んだ。
だが、安堵する間はなかった。
結晶体の周囲を守るかのように、複数の影が蠢いているのに気づいたからだ。それは、制御室で遭遇したバグ・スライムよりもさらに大きく、禍々しい気配を放っていた。
そして、それだけではない。
俺たちの背後で、カイトが、静かに聖剣の柄に手をかけていた。その目は、エーテル結晶に向けられているのか、それとも……。