第12話:制御室の攻防と地下への階
「……まずい! 何かが、こっちに来る……!」
エリシアの切迫した声と同時に、部屋の壁の一部が、まるで水面のように激しく揺らぎ始めた。ジジジッ、と耳障りなノイズが響き渡り、空間そのものが不安定になっているのが肌で感じられる。
次の瞬間、揺らいでいた壁から、ズルリ、と半透明な影のようなものが複数、滑り出てきた。それは定まった形を持たず、アメーバのように不定形に蠢いている。だが、その影の中心部には、赤黒い核のようなものが不気味に明滅しており、明らかに敵意のようなものを放っていた。
「な、なんだ、ありゃあ!?」
ゴードンが悲鳴に近い声を上げる。
「……実体化しかけた『バグ』そのもの、みたいだね……! 遺跡のエネルギー異常に引き寄せられたのか、あるいはあの壁自体が不安定な空間への『扉』になっちゃってるのか……どっちにしても、厄介だよ!」
エリシアは素早く解析ツールをかざしながらも、即座に杖を構え直す。
影――『バグ・スライム』とでも呼ぶべきか――は、音もなく床を滑り、俺たちに向かって複数体が一斉に迫ってきた。数は5体。それぞれが人間の頭部ほどの大きさだが、その動きは不規則で捉えどころがない。
「来るよ!」
エリシアが叫び、杖から光弾を連射する。光弾が命中すると、バグ・スライムの体は一瞬怯んだように動きを止めるが、すぐにまた蠢き始める。物理的なダメージはあまり通じていないようだ。
「くそっ、邪魔だ!」
カイトは聖剣を抜き放ち、迫ってきた一体に斬りかかる。剣は相手の体を切り裂くが、まるで水や煙を切るかのように手応えがなく、すぐに元通りになってしまう。
「なっ……!?」
「物理攻撃は効果が薄いみたい! 魔法か、あるいはエネルギー的な攻撃じゃないと!」
エリシアが叫ぶ。
「ま、魔力はもうほとんど……!」
セリアが涙目で訴える。ゴードンも巨大な盾を構えてはいるが、不定形の敵を相手にどうすればいいのか分からず、後退りするばかりだ。
バグ・スライムたちは、攻撃が効かないと見るや、今度はその体から粘着性の高い触手のようなものを伸ばし、俺たちを捕らえようとしてきた。
「危ない!」
エリシアは俺たちの前に素早く半透明の防御シールドを展開する。触手がシールドに張り付き、ベチッ、ベチッ、と嫌な音を立てる。シールドはなんとか持ちこたえているが、敵の数が多い。じりじりと押され始めていた。
俺は壁にもたれたまま、この状況を歯噛みして見守っていた。体はまだ重く、頭痛も治まらない。全力でスキルを使えば、またあの暴走状態になりかねない。だが、このままでは……!
(何か……何かできることは……!)
あの時、瓦礫を『収納』した感覚。あるいは、壁の『情報』を読み取った感覚。暴走ではない、もっと制御された形で、スキルを使えないか?
例えば、敵の動きを……空間ごと、少しだけ……。
俺は右手に意識を集中する。狙うは、エリシアのシールドに張り付いているバグ・スライムの一体。その周囲の空間を、ほんの少しだけ『固定』するイメージ。
『収納……空間固定、極小範囲……!』
ピシッ……!
右手に軽い痺れと、わずかな抵抗感。そして、狙いを定めたバグ・スライムの動きが、ほんの一瞬、コンマ数秒だけ、不自然に停止した!
「……! 今……」
エリシアがその変化に気づいたようだった。
「ノア! 今の、もう一度できる!?」
「はぁ……はぁ……た、たぶん……でも、長くは……」
短時間でも、空間への干渉は消耗が激しい。だが、完全に無力ではないことが分かった。
「それで十分! 私が合わせる!」
エリシアはそう言うと、杖の先端にエネルギーを集中させ始めた。そして、俺に合図を送る。
「今!」
俺は再びスキルを発動し、別のバグ・スライムの動きを一瞬止める。その瞬間を狙って、エリシアは凝縮された光の槍のようなものを放った!
ドォン!
光の槍は、動きの止まったバグ・スライムの中心核を正確に貫き、敵は断末魔のような甲高い音を立てて霧散した!
「やった!」
一体撃破! しかし、残りはまだ4体。しかも、仲間がやられたことで、奴らの動きがさらに凶暴化したように見えた。
「くそっ、キリがない!」
カイトが斬りかかりながら悪態をつく。
「エリシアとか言ったな! 何か手はないのか!」
「探してる! この部屋の構造……さっきの紋様……中央の台座……!」
エリシアはシールドを維持しながらも、必死に周囲の状況と解析結果を結びつけようとしていた。そして、何かに気づいたように叫んだ。
「分かった! あの台座だ! あれが隠し通路のスイッチになってる! ノアが読み取ってくれた起動シーケンスとエネルギーラインの経路も、あそこに繋がってる!」
希望が見えた。だが、問題はどうやってあの台座までたどり着き、操作するかだ。バグ・スライムたちがそれを許すとは思えない。
「……あなたたち!」
エリシアは勇者たちに向かって叫んだ。
「一時休戦! 私があの台座を操作するまで、全力で敵を引きつけて! ノアも、できる範囲で援護を!」
「なっ……俺たちに命令するな!」
カイトは反発するが、ゴードンとセリアはエリシアの言葉にわずかな望みを見出したように顔を見合わせる。
「……やるしかないか」
ゴードンが盾を構え直し、セリアも最後の魔力を振り絞るように杖を握りしめた。カイトも、舌打ちしながらも剣を構える。今は、エリシアの指示に従うしかないと判断したのだろう。
「ノア、お願い!」
エリシアは俺に合図すると、防御シールドを維持したまま、中央の台座へと駆け出した。
勇者たちが前に出て、バグ・スライムたちの攻撃を引き受ける。俺も残った力を振り絞り、スキルで敵の動きを断続的に止め、彼らを援護する。
「早くしろ!」
「こっちも限界だ!」
勇者たちの悲鳴が響く中、エリシアは台座にたどり着き、その表面に刻まれた紋様に手を触れ、解析ツールをかざす。
「起動シーケンス確認! エネルギーライン接続……よし!」
エリシアが特定の紋様を杖で叩くと、ゴゴゴゴ……と、台座の横の床の一部が静かに沈み込み始めた。下へと続く、暗い階段が現れる!
「開いた! みんな、早く!」
エリシアが叫ぶ。
勇者たちは、追ってくるバグ・スライムたちをなんとか押し留めながら、我先にと階段へ飛び込んでいく。
「ノアも早く!」
エリシアが俺の手を引く。俺もふらつく足で階段へと向かう。
俺たちが階段に飛び込み、エリシアが振り返って杖で何らかの操作をすると、隠し通路の入り口が再び重い音を立てて閉じた。閉じる寸前、制御室の中が、蠢くバグ・スライムたちで埋め尽くされているのが見えた。
ドン! と扉が完全に閉まり、外の騒音が遮断される。
後に残されたのは、下へと続く暗い石の階段と、湿ったカビ臭い空気、そして不気味なほどの静寂だけだった。
「……はぁ、はぁ……なんとか、なった……かな?」
エリシアが息を切らしながら呟く。
俺も、壁に手をつき、荒い呼吸を繰り返すしかなかった。
ひとまずの危機は脱した。だが、この暗く、未知の下層区画に、一体何が待ち受けているのだろうか。安堵よりも、新たな不安の方が大きく感じられた。
もう少し展開を丁寧に書いていこうかと思います。