第1話:役立たずの『収納』スキル
湿った空気が肌に纏わりつく。
洞窟特有のカビと土の匂いに混じって、微かに血の臭いが鼻腔を掠めた。先ほどまでここで繰り広げられていた戦闘の名残だ。
俺、ノアは、荒い息をつくパーティーメンバーたちから少し離れた場所で、フードを目深にかぶり直し、背負っていた大きな革袋をそっと地面に下ろした。
「ちっ、オークキングにしちゃあ、ドロップが渋いな」
パーティーリーダーであり、聖剣に選ばれた勇者カイトが、吐き捨てるように言った。彼の金色の髪は土埃で汚れ、自慢の白銀の鎧にも返り血が付着しているが、その立ち姿には依然として自信が満ち溢れている。若くして勇者に選ばれた彼の才能は本物で、その傲慢ささえも人々には頼もしく映るらしい。
「まあ、数が出ただけマシでしょう? ノア、さっさと片付けて」
冷ややかな声は、パーティーの紅一点である魔法使いのセリアだ。彼女は杖の先で自らのローブについた汚れを払いながら、ちらりとこちらを一瞥した。その目には、他のメンバーに向けるような仲間意識は欠片も含まれていない。まるで、道端の石ころでも見るかのような、無関心で、それでいてどこか侮蔑的な色があった。
「……はい」
俺は小さく返事をして、オークキングが消滅した後に残された魔石や素材に歩み寄る。これが、勇者パーティーにおける俺の主な役割だ。戦闘にはほとんど参加できず、もっぱら戦闘後のドロップアイテム回収と、皆の荷物持ちを担当している。
俺の持つスキルは、【収納】。ただそれだけだ。
アイテムを異空間に格納できる、それだけのスキル。確かに容量はほぼ無限で、理論上はどれだけでもアイテムを仕舞い込める。しかし、欠点があった。アイテムを出し入れする際に、数秒の集中と、ちょっとしたモーションが必要なのだ。
「おい、ノア! まだかよ!」
戦士のゴードンが、大剣を肩に担ぎながら苛立った声を上げる。筋骨隆々の彼は、パーティーの物理的な壁役であり、その性格も見た目通り短気だった。
「す、すみません。今やります」
俺は慌てて右手を前に出し、意識を集中させる。
『収納』
心の中でスキル名を唱えると、右手の先に僅かに空間が歪むような感覚が生まれ、オークキングの魔石が淡い光に包まれて、すうっと消えていく。次に牙、そして皮。一つ一つ、同じ手順を繰り返す。
「はぁ……マジで使えねぇスキルだよな、それ」
セリアがわざとらしくため息をつく。「戦闘中は完全に無力だし、こうやって片付けるのだって、普通の袋に入れるのと大して速度が変わらないじゃない。むしろ、いちいち集中してる分、遅いくらいよ」
「まったくだ。他のパーティーのアイテムボックス持ちは、もっと瞬間的に出し入れできるって話だぜ? なんでウチの荷物持ちは、こんなハズレスキルなんだか」
ゴードンが同調する。
彼らの言葉は、鋭い棘のように俺の胸に突き刺さる。もう何度、同じような言葉を聞いただろうか。慣れることなんて、到底できそうにない。
確かに、他の高レベルな【アイテムボックス】スキル持ちは、もっと高速で、戦闘中にアイテムを投げ渡すようなサポートもできると聞く。それに比べて、俺の【収納】は出し入れに数秒かかる。戦闘の激しい流れの中では、その数秒は致命的な隙になりかねない。だから、俺は戦闘に参加することが許されない。
(分かってる……俺のスキルが、みんなの期待するような便利なものじゃないってことは……)
唇を噛みしめ、黙々と作業を続ける。彼らの言う通りかもしれない。容量が無限だとしても、出し入れが遅ければ意味がない場面の方が多い。冒険者として最も重要な戦闘において、俺は完全に無力だ。
フードの下で、自分の存在価値のなさを痛感する。それでも、パーティーに入れてもらえているだけマシなのだと、自分に言い聞かせてきた。孤児院で育ち、特別な才能もコネも持たない俺にとって、勇者パーティーの荷物持ちという仕事は、生活していくための唯一の綱だったのだから。
ようやく全てのドロップアイテムを収納し終えると、俺は再び大きな革袋を背負った。これはスキル【収納】とは別に、水や食料、各自の着替えなど、すぐ使う可能性のあるものを入れている袋だ。これも含めて、俺がパーティーの荷物の大部分を管理している。
「よし、行くぞ。このダンジョンの最深部まであと少しだ」
勇者カイトが号令をかける。先ほどの不機嫌さはどこへやら、彼の瞳にはダンジョン攻略への強い意志が宿っていた。
俺は黙って、彼らの後をついていく。パーティーの最後尾。それが俺の定位置だ。
ダンジョンの階層が深くなるにつれて、出現する魔物も強力になっていく。戦闘は激しさを増し、カイトたちの連携もより高度なものになっていった。聖剣が閃光を放ち、セリアの魔法が炸裂し、ゴードンの大剣が敵を薙ぎ払う。彼らは間違いなく一流の冒険者だ。
その輝かしい姿を後ろから眺めながら、俺は自分の無力さを改めて噛みしめる。もし俺に、彼らのように戦える力があったなら。せめて、【収納】スキルがもっと役に立つものだったなら……。
そんな叶わぬ願いを抱きながら進むうち、俺たちは比較的広い空間に出た。どうやら中ボスがいた部屋のようだ。先客がいたのか、あるいはカイトたちが以前に攻略したのか、今は魔物の気配はない。
「少し休憩するぞ。ノア、水と食料を出せ」
カイトの指示に、俺は頷き、背中の革袋を下ろして配給の準備を始めた。
水筒と、携帯食料である干し肉や硬いパンを人数分取り出す。こういう時だけは、俺もパーティーの一員として扱われる。
「それにしても、ノア」
休憩しながら、カイトが不意に口を開いた。どこか探るような、値踏みするような視線がこちらに向けられる。
「お前のその【収納】スキル、本当にそれだけなのか? 何か隠してる能力とか、実はもっと凄い使い方があるとか、そういうのはないのか?」
「え……?」
突然の問いに、俺は戸惑った。隠している能力なんてない。俺自身、このスキルがもっと役に立てばと、何度も願ってきたのだから。
「い、いえ……本当に、アイテムを仕舞えるだけで……その、出し入れが少し遅いだけで……」
しどろもどろに答える俺を見て、カイトは失望したように深くため息をついた。
「そうか……やっぱり、ただのハズレか」
その言葉が、決定打だったのかもしれない。
カイトは立ち上がり、俺の前に仁王立ちになった。他のメンバーたちも、どこか予感していたような、それでいて冷淡な表情でこちらを見ている。
「ノア」
勇者の声は、先ほどまでの苛立ちとは違う、冷徹な響きを帯びていた。
「お前には、このパーティーを抜けてもらう」
「…………え?」
思考が、一瞬停止した。
今、なんと言った? パーティーを、抜けてもらう?
それはつまり……追放、ということか?
「な……なんで、ですか……? 俺、荷物持ちとして、ちゃんと……」
声が震える。必死に理由を問うが、カイトの答えは非情だった。
「理由は分かるだろう? お前のスキルは役に立たない。荷物持ちとしても、出し入れの遅さで効率を下げている。正直、お前がいない方が、俺たちはもっとスムーズに、もっと速くダンジョンを攻略できるんだ」
「そ、そんな……」
絶望が、足元から這い上がってくる感覚。これまで、どんなに辛い言葉を投げつけられても、パーティーにいられればそれでいいと思っていた。ここを追い出されたら、俺には行く場所も、生きていく術もない。
「俺たちも、もう初心者じゃない。もっと高みを目指すには、パーティー全体の能力を底上げする必要があるんだ。悪いが、お前はその基準に達していない」
カイトは淡々と、まるで業務連絡のように告げる。
「待ってください! 俺、もっと頑張りますから! スキルの使い方だって、もっと工夫すれば……!」
食い下がろうとする俺を、セリアが冷たく遮った。
「無駄よ、ノア。工夫したって、元がハズレスキルなんだから限界があるでしょ? それに、私たちだっていつまでもあなたの面倒を見ていられるほど暇じゃないの」
「そう言うこった。お前の代わりなんて、いくらでもいるんだよ」
ゴードンが嘲るように笑う。
彼らの言葉一つ一つが、俺の心を容赦なく抉っていく。
代わりはいる。役に立たない。足手まとい。
俺の存在価値は、この瞬間、完全に否定された。
「……分かり、ました」
絞り出した声は、自分でも驚くほどか細く、力なかった。抵抗する気力も、もう残っていない。
フードの下で、涙が込み上げてくるのを必死にこらえる。ここで泣いても、彼らの侮蔑を深めるだけだ。
「物分かりが良くて助かるよ」
カイトはそう言うと、俺が持っていた革袋の中から、最低限の水と食料、そして粗末な短剣を一つ取り出し、足元に放り投げた。
「これだけくれてやる。まあ、こんなダンジョンの奥で、お前みたいなのが生き延びられるとは思えんがな。せいぜい、魔物の餌にでもなるんだな」
それは、最後の情けというよりは、突き放すための形式的な行為に過ぎなかった。
俺は震える手で、地面に転がったそれらを拾い上げる。
「じゃあな、ノア。達者で暮らせよ、とは言わん」
カイトは背を向け、他のメンバーもそれに続く。誰も、一度も振り返ることはなかった。
彼らの足音が遠ざかり、やがて完全に聞こえなくなる。
広い空間に、俺は一人取り残された。
ひんやりとした空気と、完全な静寂。そして、どこからか聞こえる、魔物のものらしき遠吠え。
さっきカイトが言った言葉が頭の中で反響する。
『魔物の餌にでもなるんだな』
「……これから、どうすれば……」
呟いた声は、虚しく洞窟の壁に吸い込まれて消えた。
絶望的な状況。役立たずと罵られ、全てを失い、危険なダンジョンの奥深くに置き去りにされた。
持っているのは、僅かな食料と水、粗末な短剣、そして……誰もがハズレだと見なす、【収納】スキルだけ。
(終わった……俺の人生も、ここまでか……)
冷たい石の床に、膝から崩れ落ちた。フードの下から、こらえきれなかった涙が静かに流れ落ち、地面に小さな染みを作った。
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