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誇り高くあれ勇者よ!ニートに転生したって?

作者: 楠 ゆり

                          (1)

スパトーシャ暦426年 

スパトーシャ王国の国王レオニダス8世は、第一宮殿の謁見の間に於いて、第38代勇者ガルディアンにうやうやしく命を授けた。


「勇者ガルディアンよ、国王レオニダスの名において、魔王征伐を命ず。

よって、勇者ガルディアンにはスパトーシア軍50万の総指揮権を与えることとする。

必ずや、打ち取ってまいれ」

勇者ガルディアンは、厳粛な表情でひざまづき頭を伏せて王命を受けた。そして、ゆっくりと謁見の間に響く声で、拝命に返事をした。

「王命、しかと承知いたしました」


 王命の後、王の側近であるサルジバ将軍が言葉を継いだ。

「この国に眠っていた魔王が100年の眠りから目覚めたのは、そなたの耳にも届いているであろう。魔王が目覚めた後は、地中に閉じ込められていた魔力が放たれ、北の森は枯れ始めた。そして、昨日は森の中から鳥が群れをなして飛び去り、動物は大小問わず、森から走り出て逃げ去った。今、魔王がこの国を支配下に置こうとして魔物を従えてスパトーシャを奪いにこようとしている」

「このままでは、魔物は目に入る全ての人々の命を奪い、作物が豊かに実る我がスパトーシャは荒れ地と化すだろう。」

サルジバ将軍は、ガルディアンもわかっていると知りつつ状況を説明し,ガルディアンに強く訴えた。

「ガルディアンよ、勇者の誉を見せてくれ。何としてもスパトーシャを守るのだ」


 ガルディアンは王命を承り謁見の間を後にすると、国の運命がかかる王命の重圧に身震いした。その後は使命感からくる戦闘意欲が身体中から湧き上がってくるのを感じた。スパトーシャの景色を目に焼きつけるようにゆっくりと歩いた。それから幼なじみでもあり信頼できる側近でもあるサイラスに会いに行って、王命を受けたあらましを伝えた。サイラスは自分に課せられる役割をよく心得ているので話は早い。サイラスに明朝、兵と馬を集める段取りを任せ次に預言者サリの所に向かった。


 サリは色白の若い男である。ガルディアンを出迎えたサリは、ガルディアンが来るのを待っていたかのようにうやうやしく一礼をし、おもむろに口を開いた。

「ガルディアン様、お待ちしておりました」

ガルディアンに椅子をすすめると、サリは自身は立ったまま再び口を開いた。

「魔王が起きだす兆しがあったのですね。ガルディアン様とスパトーシャ軍は明朝、お発ちになられると存じます」

「私は今夜からガルディアン様がお戻りになられるまでスパトーシャの勝利のために祈りを捧げ続けます。ガルディアン様がお戻りになられる時は、スパトーシャが守られた時でございましょう」

「さすがサリだ、言わなくてもわかるか、相手が魔王だとわかっているとはな」

「はい」

短く答えたサリに

「して、魔王の急所は?勝利はいずれの手に?」

と、たたみかけるようにガルディアンは問うた。

ガルディアンの問いにサリは表情を変えることなく、落ち着いて答えた。

「急所は、、、わかりません。見えないのです」

予想もしていなかったサリの返事に驚いてガルディアンはサリの表情を凝視した。これまでサリが、わかりませんと答えたことはただの一度もなかったからだ。

「そうか、では勝利は?」

そう問うガルディアンの目を無言で真っ直ぐに見据えたまま、サリはゆっくりと答えた。

「わかりません。見えないのです」

少しの間、沈黙が時間を支配した。

そして、ガルディアンが沈黙を制した。

「ハッハッハ、そうか、正直者だ!それでこそ、信頼できる預言者だ!」

入って来た方にカツカツと靴音を立てて歩いていくと、両開きの扉を開け放ち夜空に向かい声高らかに宣言した。

「必ず、魔王に勝利するぞ!」


 翌日の夜明け前、ガルディアンはスパトーシャ軍勢50万の軍勢の先鋒に立ち、森に向かって出陣した。地響きと馬の足音や装具と軍勢の雄たけびやら何やら、うなりが響き渡った。

「お下がりください、ガルディアン様。前に露払いをおいて御身をお守りください」

と、懇願するように言うサイラスであったが、ガルディアンは聞こえないかのように、速度をあげて突進していく。

 ガルデイアンを先頭に、何重もの層になった軍勢が進んでいく。ガルディアンを頂点に三角形に広がって進む軍勢、その前方には魔王の黒い塊のような軍勢がいる。魔王の軍勢は、もやもやと自在に形を変えながら、スパトーシャ軍の対面から向かって来る。

 30分もすると、双方の顔がはっきりと見えるほど近くなった。正面から兵がぶつかり合う戦いの瞬間がやってきたのだ。ガルディアンの周りでは、魔物と兵が血みどろの闘いを繰り広げている。

 「魔王はどこだ!まかせろ!」

ガルディアンは叫びながら自軍と魔物が戦う戦場をかき分け、魔王めざして突進する。

 ついにガルディアンと魔王との対決が始まると、ガルディアンはあらん限りの力で持てる技を繰り出し続けた。魔王はするするとガルディアンの攻撃をかわし、横から、上からあるいは地を這うように攻撃してくる。

 魔王が地を這って攻撃してきたとき、ガルディアンは、真上に飛んだ、その時、急にサリの『見えないのです』という言葉が脳裏に浮かんだ。ガルディアンは、魔王の動きを見るのではなく、全身で魔王を感じようとした。本能のままに動くのが勝てるチャンスだと強く感じたガルディアンは、魔王に向かって渾身の力を込め、スパトーシャの未来を賭けた一撃を放った。

 

 しばらくして、黒い塊になって動かない魔王を見下ろし、ガルディアンは勇者の雄たけびをあげた。

「第38代勇者、王命によりここに魔王を征伐……」

高らかに勝利の宣言をしたはずだった。しかし、宣言は途中から聞こえなくなった。ガルディアンは自分の発した声が聞こえなった瞬間、身体に、特に耳に大きなダメージを受けたのかと思った。そして、腹部に違和感を感じて視線を腹部に移した。そこで、ガルディアンは自分の腹部から胸部にかけて黒い大きな塊が突き刺さるように張り付いているのを見た。

「魔王よ、仕留めたぞ!しかし、相討ちか……」

そう言うと、意識を失っていくガルディアンであった。


 ガルディアンの意識が遠ざかる時、天から赤みを帯びた黄色い光が筒の様に降りてきてガルディアンを包んだ。歓声をあげてガルディアンに近寄ろうとする兵は、光の壁にはじき返されてなす術がなかった。そして、光が天に戻っていった後にガルディアンの姿はなく、


 

 スパトーシャで魔王との戦った時から、どれほどの時間がたったのだろう、目覚めた勇者ガルディアンは、先ずそう思った。身体全体にだるさを感じ、深い眠りについていた感覚がある。魔王を確かに倒した手ごたえを身体が覚えている。スパトーシャは救われたはずだ、もう魔王に支配されることは無い。ガルディアンは心の底から安堵した。言い表せない喜びに包まれながら魔王とは相討ちだったことを思いだした。ああ、自分は死んだのだと思いながらも、記憶があり確かに意識があると思うと不思議な気分になった。

 

 意識がさらにはっきりしてくるとガルディアンは、自分がどこにいるのか知りたいと思ったが全くわからない。それまでに来た事がない場所にいるのは確かだ。先ず、自分がいる大きくはない部屋を見渡し、思った。ここはどこだろう。見た事もない部屋だ。部屋には広大な農地が見渡せるテラスに出るガラス張りの扉がない。外が見えないのでスパトーシャかどうかもわからない。部屋にあるのは小さなドアが一つ、そして、窓が一つだ。徐々に覚醒してきて思いだした。そうだ、魔王と戦ったのだった。ガルディアンは、息を大きく吸って自分の腹部をじっと見て触れてみた。傷が無くなっている。ガルディアンは、一瞬、ほっとした表情を見せたが、傷が無くなる不思議な現象に、これは夢かもしれないと考えた。頬をつねったり叩いたりして、痛みを味わって、ようやく夢ではないと思えたとたんに不安に襲われた。自分は生きているのか、死んだのか。もしや、手当を受けた後、邪教にでも幽閉されたのか。考えても考えても状況がわからないガルディアンは、落ち着いて部屋を観察し、外の気配や音から状況を知ろうと考えた。

 

 ガルディアンは、四角い部屋のドアの対面の壁に背中を預けて、部屋の中を観察し、吟味した。見たこともない機械があった。部屋の壁には人の写真が張ってある。ガルディアンは写真を絵だと思った。絵の中の女性は女騎士のような恰好だが、顔は笑顔で身体は柔らかそうで闘志が伝わってこない。ガルディアンは不思議な気持ちで絵を眺めた。そして、食べ物と思しき袋や飲み物の入れ物が部屋のあちこちにあり、乱雑だ。見ていると頭が痛くなってきた。居心地の悪さがこの上ないのだ。先ほどから、もしや、閉じ込められたのかもそれないという疑念が頭から離れない。そして、今、それは確信に変わりつつある。きっと、閉じ込められたのだ。邪教徒に連れて来られたのだろう。秘術を使う邪教は、何をしてくるかわからないではないか。そこに考えがたどり着くと、急に危機感に襲われた。そして、緊張した。勇者たるガルディアンは知恵をしぼり、勇気を持って行動し状況を打開しなければならないのだ。死は恐れないが、諦めてはいけないのだ。


 慎重に部屋の中を歩いた後、ガルディアンは武器を探し始めた。引き出しを開けたり、そっと両開きの扉を開けてみたりした。衣類や紙類の間に光る物を見つけ、近づいて手に取った、剣ではあるが切れ味は悪そうだ。それでも武器が見つかったことに安堵し、見つけた武器を大事そうに身体の脇に置いた。


 そして、耳をすまして外の様子をうかがっていると、静かで人の気配がしない。数時間経った頃、ガルディアンは、また部屋の中を見渡し、今度はゆっくりと部屋にある物に触れてみた。四角い板のような物が机の上に立てかけてある。そっと、触れてみた。何だろうと触っているうちに急に四角い板のような物が光った。ガルディアンが驚いて後ずさりをしながら、板の様な物を見ていると、壁の絵と同じ女性が浮かび上がり、しかも、動いている。実際の人ではないので、機械が動いたのだろうという感じはしたが、驚いてしばらく見入ってしまった。

 

 その後、ガルディアンは、ようやく着ている服が自分の物ではないことに気が付いて、また混乱して考え込んでしまった。そして、顎を撫でた時、違和感を感じた。あわてて両手で顔全体を触ってみると、いつもと違う感触だ。鼻が小さい、低い。顎に肉がついていて、顔全体がフワフワだ。違和感に包まれて、腹部に手をおろすと、鍛えられた筋肉を全く感じないではないか。ガルディアンはへたりこんで考えこむしかなかった。


 かなり時間が経って、ガルディアンは思いだした。人の話には聞いたことはある。転生した人間が存在するとか、、もしや、この私が、転生したのかもしれない、いや、そんなことがあるものか。と、そこまで考えると、ガルディアンは頭を抱えて、半ば倒れるように寝込んでしまった。、


                  (2) 

 ガルディアンは、少し眠ると目を覚まし、勇気を持って外に出てみようと思い立った。勇者たるもの、ここで何もしないで朽ち果てては、勇者の名折れだという強い自負心がガルディアンの胸に湧き上がってきた。さっき見つけた武器を持ち、慎重にそっとドアのノブを回し、内に引っ張ると開いた。部屋の外を覗くと廊下が数メートルあり、その先に階段があるようだ。足音を立てないように部屋を出て階段に近づいていくと、階段の真ん中に、トレーを持った女性が立っている。ガルディアンの姿を見るなり

「ギャーアアア、びっくりした、高史、高史、出てきたのね!」

という甲高い声が響いた後、消え入りそうな声で

「高史が、出てきた、高史、本当、高史」

つぶやくように、泣き声でぶつぶつ言っている。ガルディアンは

「ご婦人、どうされたのだ、わけを話してみよ」

と、言った。

それでも、ただ泣きじゃくりながら、「出てきた」と繰り返すばかりの女性に、ガルディアンは警戒心が解けていくのを感じた。武器をズボンに差し込み

「よければ、鏡を拝借させてはもらえぬか、できるだけ大きい方が良いのだ」

と、頼んだ。ガルディアンは一刻も早く鏡を見て自分の姿を確かめたかった。

「母親にご婦人とか、拝借とか、言うのね。

高史、出てきたのね。良かった。

あ、鏡ね、下がるわ、後から来て、階段、気をつけてね」

と言いながら、後ずさりする女性の後ろからついていくと、洗面所に大きな鏡があった

ガルディアンは、鏡に映った人間の姿をどれほどの時間眺めていただろう。


やがて、ガルディアンはそっと右手を挙げてみた。鏡の中の人も右手を挙げる、左手を挙げると左手を挙げるではないか、ガルディアンの中で、疑いが確信に変わった。この鏡に写る人間が自分の姿なのだ。私は転生したのだ。この男に転生した!ガルディアンは平常心を保つのがやっとという程のショックを受けたのであった。しかし、見定めなければならない、自分の姿をしっかりと見なければならない、と、せっぱ詰まった気持ちで鏡をゆっくりと見つめた。

 なんだこの目は、トロンとして覇気がない。鼻は低くて存在感が薄い。顎は二重顎で顔はでっぷりとした丸顔というか、つまり、太ってしまりがないのである。髪はボサボサで、もつれるというか絡んでいる所もある。無精髭がなおさら薄汚い印象をかもしだしている。そこまでじっくりと顔をみたガルディアンは、胸から腹部にかけて鏡に映る範囲の身体を確認した。やはり、しまりがなく太っている。ガルディアンは、これが自分の姿だと思うと情けなくなった。しかし、受け入れるしかない状況なのはわかっている。

 

 しばし放心状態の後、鏡の前から離れようとするとき、女性が浮き浮きした声で言った。

「テーブルで食事しましょう。待って、高史の好物を作り直すわ。」

そう言うと、また涙を拭った。

ガルディアンは、テーブルに先に座っていた男性に、おそるおそる、しかし、はっきりした声できいた。

「して、あちらが母上なら、そなたが父上か?」

と聞いた。

「そうだ、私は父上だ。今はそういう言葉を使うゲームにはまっておるのか。なんだ、おもちゃの剣まで持って、いったいどんな遊びなんだ」

と、独り言のように言い、興味津々でガルディアン、ではなく、高史の顔を見つめた。

見つめられたガルディアンは、視線で負けないようににらみ返した。父上だという男性は、穏やかな表情で敵対心はないようだ。

女性が母親だというのなら、女性が作る食事に毒は入ってないだろうと考え、空腹に支配されたガルディアンは、高史として食事をとる決心をして食卓についた。

「母上、いただきまする、これは、この食事は、これは何であるか」

母親は、

「なぜ聞くのかしら。まあ、いいわ。久しぶりだものね。あなたの好きな、ポークチャップよ。冷めないうちに食べてね」

「高史、私たちも一緒に食べていいかしら」

と上目遣いに、高史を見ながら聞いてきた。

不思議なことを聞くと思いながら、

「どうぞ、お召し上がりください」と答えたのであった。

母親は、

「お父さん、一緒に食べていいって。早く一緒に食べましょう」

そして、三人で食事を始めた。両親にとっては久しぶりの高史との食事であり、高史ことガルディアンにとっては、初めての三人での食事だった。

「高史、美味しい?」

そう聞く母親に、高史より先に、返事をしたのは父親だった。

「久しぶりなんだ、とにかく、あれだ、静かにしてやったほうがよくないか」

食事が終わろうとする頃、高史は、おそるおそる聞いてみた。

「先ほどは、階段で大きな声をだされたようだが、理由を伺いたい」

母親は、また泣きだしてしどろもどろで何を言っているか要領を得ない。それを見た父親が口を開いた。


「そりゃ、高史はひきこもりなのに、出てきたから」

母親は、父親のほうじろりと見た。

「そんな言い方、もっと、他に、あるでしょう」

と言ったが、父親は気にしない。当の高史は

「引きこもりとは」

父親に質問した。気を使った母親が、いち早く発言した。

「部屋から出てこない人を、世間ではそう言うのよ、気にしないで」

と答えたが、父親は動じもせず

「そうだな、仕事をしないのでニートとも言う」

母親は、そわそわと、お茶を取り替えた。


 そんなこんなで、高史は出された食事をすっかり平らげた。そして、食後、高史は父親に話しかけた。

「父上、髭剃りを拝借したいのだが」

「拝借って、洗面所にお前のがあるだろう。髭を剃るのか、そうかそうか」

と嬉しそうに顎をなでた。その後、気が付くと後ろから父親が鏡を覗き込んでいた。

高史が

「用を足したいのだが、」

と言うと、父親は壁に手をやり、パチッと音をさせた、そして、洗面所の横のドアを開けて

「どうぞ、用でも、何でも足してくれ、灯りも点け申した。このゲームの言葉は難しいな」

と言って、去っていった。

髭を剃り終えた高史は、トイレのドアの前に立ち、しばらく便器を見つめて言った。

「この、美しい曲線の壺は何と言うのだろう、ここに、して良いのだろうか」

「どうぞ、流しておいてくだされ」

父親は振り向きもせずに答えた。

高史は、流すとは、なんだろうとトイレ内を見渡しすと、流すと書いた所に丸い突起があったので、触ってみた。突然、大きな水音がして、壺の中に水が流れ出した。どんどん水が入ってくるのに、溢れない、魔石を仕込んであるのだろうと思いながらトイレという部屋を出た。

 髭を剃り、見たこともない壺で用を足すと、どっと疲れがでて、部屋に戻ろうと両親への挨拶もしないで階段のほうに向かうとき、両親は咎めもせず、止めもしなかった。そして、後ろから、話し声が聞こえてきた。

「やっと高史が自分の部屋から出てくる日がきたわ。」

すすり泣きながら言う母親に父親は

「良かった、しばらく様子をみよう」

などと言っている。


 高史は部屋に戻ると、早く点検したいと気になって仕方がなかった身体を、細かく調べた。点検というのがふさわしほど、細心の注意を払って確認した。足のサイズが小さくなっているが、足幅は太くなっていた。太ももは柔らかく太い。腕も同じだ。腹は腹筋のかけらもない。高史は、ここまでたるんだ肉体なのか、呆れるやら落胆するやらで気分が落ち込んでしまった。

  しかし、しかしだ、私は勇者ガルディアンである。このままではいけない。この身体のままではあんまりだ。体力をつけて筋肉を作ろうと考えると、自信がわいてくるガルディアンであった。この身体の持ち主は、どういう生活をしていたのだろう。身体がたるみ過ぎている。思いを巡らせていると、この身体の持ち主の魂は、いったいどこへいるのだろう、と高史ことガルディアンは初めてこのたるみきった身体の持ち主のことが気になった。しかし、わからない。とにかく、高史として生き延びなければならない。それからのことはその後で考えよう。どこまでも前向きになろうとするのであった。


その後、高史は、今のところ命を狙われる心配は無さそうだという安心感と満腹感から、眠ってしまった。




(3)

 朝の光で目が覚めた高史は、昨日からの出来事を思い返し、高史として行動しなければ命が危ないかもしれないと思った。それには、高史のことを知らなくてはならない。この部屋が高史の部屋で、部屋に居て外にでなかったようであることと、高史の両親の顔しか、まだわからない。高史はとりあえず、わかることから知って行くことにした。

 

 改めて部屋を見ると、見たこともない物が多くある。不安と好奇心の混じった目でもう一度部屋を見まわした。すると、机の上に、本のような物がある、いや本だ。タイトルは

【マジカル☆メモリアルっ!】とか

【佐々木さんちの優雅なメイド様】とか

【召喚されたら王女様のペット!?? …男子高校生の健気なお犬様ライフ…】である。

高史は、タイトルを普通に読めているのに気がついて叫んだ。

「字が読めた。元の身体の持ち主の字を読む能力はまだあるようだ。」

字が読めるのは、生き延びるのに有利だと、高史は少し安堵した。

それにしても、こんなにたくさんの本があるとは、この肉体の元の持ち主は、なかなか勉強家なのだろう。中身がガルディアンの高史は、誇らしげに胸を張った。そうか、勉強をするために部屋で過ごしていたのか、それで体力を落としてしまったのだな、、などと独りよがりな解釈をする高史であった。

 

 一階では、高史の両親がテーブルを挟んで向かいあって座っていた。テーブルには三人分の朝食の用意が並べられている。二階から聞こえてくる叫ぶような声を聞いて、母親と父親は顔を見合せた。やがて父親が口を開いた。

「ゲームでもして何か言ってるのだろう。昨日は一緒に食事ができて良かった。また、出てくるよ。気長に待ったほうがいい」

母親を慰めるような口調で言った。

母親は、だまってうなずいて、朝食をトレイに乗せ始めた。

「ご飯を届けてくるわ」

そう言うと、高史の好物のゼリーも乗せて階段を上がっていった。そして、部屋の前に食事を置くとすぐに一階に戻った。


 高史は、部屋の外で音がしたような気がして、そっとドアを開けてみた。すると、食べ物のトレイが置いてある。そうか、朝食は部屋でとるのかと解釈し、トレイを部屋の中に入れた。しばらくして、一階のトイレに行ってみたが誰もいなかった。高史は部屋に戻り、アルバムを見つけては、しばし見入ったり、引き出しの中にある使い込んだ筆箱や手帖など、丁寧に見ていると、時間があっという間に過ぎていった。女性の絵が動く板は、朝、起きると暗くなっていたが、高史がごそごそして、板の前にある楕円形の物に手があたると、また明るくなって女性の絵が出てきた。高史は、なんとなくどこかに触れると動くようになっていると体験的に感じ取った。その後、開き戸をあけると、布のかたまりが飛び出してきた。かたまりを広げると衣類のようだ、どうするるか思いつかないまま、また衣類を元の場所に押し込んだ。


 そうしていると、昼ごろ、部屋の外で声がした。

「あら、トレイをまだ出してないのね。高史、トレイを出してちょうだい、お昼のパンを持ってきたわ」

という母親の声だった。

高史が、食べ終えた食器の載ったトレイを持ってドアを開けると、母親はパンが乗ったトレイを交換するように出した。

高史は

「ごちそうになった」

そう言うと、母親は涙声で

「まあ、いや、うん、お礼なんて、もごもご」

涙声でわけのわからない返事をして去ろうとした。

高史は、急いで

「先ほどは出かけておられたのか」

と、聞くと

「え、ああ、クリーニング屋さんに行ってたの、何か用事があったの」

優しい声で答える母親に

「して、クリーニング屋とは」

「洗濯屋よ、うさぎクリーニング」

「洗濯をする人間がいる店なのだな」

「そうよ。お父さんが仕事に行くから途中まで一緒にいったの、いなくてごめんね」

「いやいや、謝られることではござらん。父上は仕事をしておられるのだな」

「そうよ、仕事してるじゃない、今日も行ったわ」

「私は今日は、部屋で過ごす」

噛み合うような噛み合わないような会話をして、母親は名残惜しそうに一階に下りて行った。


 高史は、パンを一口食べた。丸くふくらんだパンの中に柔らかいクリームが入っている。この家の食べ物は何でも美味しいと感心しながら、もう一つのパンをかじった。クルミとチーズが混ぜこんであるパンだった。添えられ温かい茶色い甘いお茶と一緒に食べると、至福の美味しさだった。

 パンを食べて、また部屋をごそごそしてると、表紙が堅くなった古そうな手帖を見つけた。表紙に学生証と書いてあって、開くと小さな顔が目に飛び込んできた。昨夜鏡で観た顔に似ている。同じ人かもしれない。高史の顔のようだ。まだ若い顔。自分は今、この顔から年をとった顔をしていると思うと、複雑で切ない感情が湧き上がってきた。

 眠気に襲われるがまま眠ってしまった高史は、目が覚めてどれくらいの時間寝たのだろうと思い、一階に行って時間を聞いてみようと思い立った。一階に行こうと思ってから、なかなか身体が動かない。今まで、考えたことは直ぐに実行に移してきたのに、母上に怪しまれないか、高史ではないと悟られる不安が、広がってきている。高史だから命を狙われないのだと、ここで強く自覚した。しかし、ここで気おくれしていてはいけないと勇気を出して、一階に下りていった。


 母親は、テーブルの横のソファで動く絵を見ていた。高史は無言で絵が動く箱に見入った。声も出ている。人が話して居たり、地図がでてきたり、急に顔が大きくなって食べ物を大きな口に突っ込んだりしている。言葉がわかっても理解できなかった。未知の物を見た不安てしばらく身動きできなかった。高史に気がついた母親は、嬉しそうに

「あら、どうしたの、いえいえ、お茶でもいれようか」

と、泣きそうな表情で笑顔を作って言った。

高史は、絵が動く箱のことを聞こうかと思ったが、うかつに聞いては行けない気がした。この箱はここでは当たり前に動く箱なのだろう。高史の部屋にある黒い板と似ている、武器では無さそうだから、大丈夫だと思って静かに返事をした。

「いただきます」

入れてれもらったお茶を飲みながら、部屋を見渡すと、壁に時計があった。

時計をじっとみている高史を見て、

「高史の部屋に前にあった時計よ。使うのなら持って言っていいよ。他にもあるから」

と言って時計を持たせてくれた。

母親は、そっと言った。

「夕食は、どこで食べるの」

ただ、食べる場所を聞かれていると思い、しっかりと返事をした。

「部屋で、食べます」

高史には、がっかりして涙ぐむ母親の顔は見えなかった。



 部屋に戻ると高史は、寝ていたベッドの布団をめくってみた。大きな枕を見てあやうく声をあげそうだった。ふわふわとした大きな枕には、きらびやかで胴体を覆うだけの衣装をまとった少女が、はみ出そうな大きさで描かれていた。高史は、驚きと、戸惑いと、好奇心が交錯するのを感じた後、

「なんと、不謹慎な」

と、つぶやき、枕を足元に裏向けに丁寧に置いた。もう一度少女を見たい欲望は勇者の自覚に抑え込まれた。部屋が散らかっているのが気になりだした高史は、本をきちんと積み重ねて、床の物を集めた。どう考えてもゴミと思われる物はまとめた。そうしている間に部屋が暗くなってきたので、父親がトイレを明るくしたのを思いだして、壁のスイッチを押して見た、部屋が明るくなると、高史は、ひとりでつぶやいた。

「これは、母上か、父上が魔石を持っておられるのか、ここまで操れるとは素晴らしい」

その後も、あれこれ、部屋を探索した。



 夜になって、父親が帰ってきた一階では、母親が、

「今日、高史が二回も下りてきたのよ。一回目はあなたと一緒に出てた時で、高史に会えなかったの。でも、お昼にパンを届けたとき、話をしたのよ。出かけてたのかって聞いてくれたの、クリーニング屋さんのこともね」

「そうか」

そっけない返事の父親に、たたみかけるように言った

「今日は部屋で過ごすってわざわざ言ってくれたの。その後、昼過ぎにまた下りてきたの、今度は私とお茶を飲んだのよ」

「そうか」

「で、時計を持ってあがったわ、でも、夕食は部屋でとるって、でも、良いよね、二回も下りきたのよ」

「そうか」

始めは、喜々として話し始め、嬉し涙を見せていた母親だが、後の方はしんみりした口調だった」

父親は

「まあ、話ができて良かった、良かった」

と言い、母親はやっと思いだしたかのように

「あなたのことも言ってたわ。仕事に行ったかとか」

「そうか、え、そうかそうか」


こうして高史の家の夜は更けて行った。


                     (4)

 翌朝、高史は目覚めるとすぐに一階に下りて行った。母親は朝食の準備をしていて、父親はいなかった。

「もう、用事をしておられるのか」

高史の声に振り向いた母親は、驚いて目を見開き

「おはよう、てっきり部屋で、いえ、一緒に朝食を食べましょう。お父さんはもう仕事に行ったのよ」

と、断りにくいように、言葉を選んで言った。

「はい、いただきまする」

ここ数日、少しでも高史と話をしている母親は、高史に話すとき、少し気楽になっていた。

「変な言葉だけど、まあ、その言葉でもいいわ」

気楽になったとはいえ、母親には高史のたいそうな言葉遣いを咎めることは、できなかった。

高史は

「この後、どこかに出かけるなら同行を所望するのだが」

母親は

「え、ええ、ええ、一緒に、ええ、行きましょう。スーパー・フード屋に行こうと思ってたの」

高史は、スーパー・フード屋が何かはわからなかったが、ここで聞かなくても行けばわかると思い

「はい」

とだけ答えた。


 食事の後、母親が、外に行くなら、着替えないといけないというので、服を選んでもらった。母親はいぶかりながらも、頼られた事が嬉しいのか、いそいそと衣類をより分けて、服を取り出した。高史はどんな服でも異存はない。

「まあ、少し片づけないとね、洗濯物もあるわね」

母親は独り言のように言った。

その後、家の入口で 高史は、前に置かれた靴を履いたが紐が垂れている。

「母上、紐が垂れているのだが」

高史が言うと、母親は素早く靴ひもを結んだのであった。


 高史はいよいよ外に出た。初めて見る光景が広がっていた。青々と地平線まで続くはずの空は、多くの建物にさえぎられ、高史の家の両隣にも、道をはさんで向かいにも家が建っている。道は土でもなく、石畳でもない。グレーの道が延々を続いている。高史があたりを見まわしていると、ブーンと音がした。魔獣だ、魔獣が家の前を走り抜けた。そして、斜め前には鉄柱の先が赤や緑に光る物がある。馬ではない車輪が二つある乗り物に人が乗って走っている。高史の想像を超える光景だ。高史は呆然と立ち尽くすしかなかった。


 母親にうながされて、あたりを見渡しながら後を付いて歩いた。高史は母親と一緒なら危険はない筈だけど、緊張は解けず、だまって母親の後を歩いた。呆然としているうちにスーパー・フード屋とやらに着いたようだ。


 スーパー・フード屋の敷地と思しき囲いの中には魔獣が並んで止まっている。魔獣と魔獣の間を通って建物に着くと、看板には【スーパー・フード屋】と書いてある。高史は、楽しそうな母親の後ろから中に入った。中に入ると、目に入ってきたのは、たくさんの種類の野菜と果物が積んである夢のように豊かな光景だった。スーパーの部屋は広く、棚が何列もあって、肉や魚もありそうだ。高史は、これほどの食料の蓄えを見たことがない。スパトーシャにスーパー・フード屋があれば、どの季節も飢え知らずで過ごせると思った。スーパー・フード屋を見た驚きは、家を出て町を見た驚きと相まって、高史は頭がぐるぐる回った。

「ここは・・・」

通路をむうち、高史は思わず、母親に話かけてしまった。

「ここは」

「そうなのよ、前はお菓子売り場だったのに、野菜と果物の売り場に変わったのよ。お菓子は向こうにあるわ」

と、母親は、高史がお菓子を欲しがっていると思ったようだった。

やはり、あの植物は果物と野菜だったのか、それにしても初めて見る物が多いと思い、売り場と言うからには、ここは買物をする場所だとわかったとき、高史はこの世界を少しわかったような気がして自信がわいた。

「母上、菓子を買い求めようと思う」

そういう高史を、母親は菓子売り場に連れて行った。

「欲しい物を入れて」

というので、通路の右にある、【6か月から口の中で溶けるマンマクッキー】と書いてある箱を籠に入れた。絵は小麦粉を焼いた物のようだったから、それならいいと思って入れたのだ。母親は、ちらっと籠を見て、動揺を隠すように、

「他にもほら、ポテトチップとかチョコレートとか買いましょう」

と、どんどん籠に入れた。高史は買うというからには、通貨を払う筈だが、どこで払うのだろうと思ったが、成り行きが見えない高史は

「はい」

と答えるしかなかった。

後は、あれこれ籠にいれる母親の後をついていった。人がならんでいるレジがお金を払う場所のようだった。高史は、母親に言った。

「大変恐縮なのですが、持ち合わせがございません、建て替えをお願いしたい」

母親は

「そうでしょうよ。わかっているわ。働いていないんだから持っていないでしょう」

と言って、四角いカードをなにやらごそごそ機械に当てた。すると、店の人はありがとうございましたと言って、籠を渡してくれたのだ。重そうなので持つのを手伝うと、母親は嬉しそうに高史に礼を言った。母親の礼を聞きながら、この身体の持ち主はどうして働いていないのだろうと思った。


 家に戻ると、高史は、外を見るという目的を果たした達成感があった。今、見てきた建物や道路とスーパーの光景を思いだし、驚きの余韻を引きずったまま、母親に声もかけないで部屋に戻った。しばらくすると、母親が、ドアの外から声をかけてきた。

「高史、お菓子を持っきたわ、それから、洗濯をするから服を出して」

というので、ドアを開けて

「お気遣い、ありがたい。して、どの服を洗濯していただけるのであろうか」

と言ながら、服の入った開き戸まで行けるように、ドアを開いた。、母親は

「入っていいのね。久しぶりだわ、この部屋」

と言い、服を引っ張り出して広げ始めた。泣きながら洗濯する服を分けている、たたむ服の他は横にまとめている。高史が、

「どうして、泣かれるのだ。手伝おう」

と言った頃には作業は終わっていた。


 母親が、洗濯ものを抱えて部屋を去った後、高史は涙の意味を考えてみた。考えてもわからないが、悲しみや絶望ではなさそうだと判断した。持ってきてくれたお菓子と同じ空の袋や箱があるので、ごみと判断し捨てることにした。1階に持って下りて

「ゴミはどうしたものかな」

と言ってみた。母親は

「あ、それは、こっち、この袋を持って行っていれて」

と言いながら、柔らかい袋をさしだした。

「して、今日は、あのうさぎクリーニングという店から洗濯女を呼んだのですか、、見当らないが」

と言うと、母親は、驚いた顔をしたあと、おどけて

「私が洗濯女でございます。今日はたくさん洗濯しますわ」

と、笑顔で言った。

「なんと、母上が洗濯女だったのか、いや、洗濯女が父上の奥方になられたのか。それは失礼つかまつった」

「まあ、そうだね」

そう答えた母親に、高史は

「あれだけの服を一人で洗濯なさるとは、手伝ってしんぜよう」

手伝いを申しでた。すると

「あはは、ありがとう。大丈夫よ。もう洗濯は始まっておりまする。夕方には乾きまする。心配無用だぞ」

と、高史の口調をまねたつもりで言って、座ったままのんびりしている。

高史は、魔石の力だろうと想像した。

「そうだ、高史、お昼にしましょう。そこで待ってて」

母親の言う通りに、そのまま二人で昼食を食べた。初めての食べ物だったが、美味しく感じた。

その後、母親にもっと遠くに行ってみたいと言った。

「ごめんね、高史、今日は、洗濯もあるし、暗くなるし、明日にしてね」

明日になると気が変わるかもしれない息子の機嫌をとるようにいう母親に、高史は

「謝られることではない、明日、よろしく頼みまする。私は今日はこれで」

と部屋に戻った。夕食は当たり前のように、母親が部屋に届けてくれた。


 部屋に戻ると、光る板が気になりだした。板の周りを触っていると、また女性の絵が動きだした。しばらく見つめていると、頭の中が広がるような感じがして、キーボードに手を伸ばした。字が読めた時のような感覚が蘇った。この機械をいずれは使える予感がした。しかし、その日はそこまでだった。新しい物と、新しく知ることだらけの1日だった。スーパー・フード屋で調達したお菓子に手を伸ばし、ポテトチップという物を口に入れた。高史は、私好みだ、とつぶやき、手が止まらなかった。お菓子は緊張をほぐすのか、少し気持ちが和らいだ。明日も頑張ろうと思う高史であった。




                           (5)

 翌日、高史は目が覚めた時、一瞬、自分がどこにいるのか見失っていた。昨夜の記憶をたどろうとすると、夢の記憶が蘇ってきた。高史は夢を見たのだ。


 夢の中の高史は、大きな声で、

「うるさいな、くそばばあ。いちいち言わなくていいんだよ。腹が減ったら食べるから、だまって食事を置いていけ」

母親のすすり泣く声が、小さく聞こえる。

「うっとおしいババアだ、まったく、対戦、良い所だったのに、クソッ。ババアのせいで負けたじゃないか、クソッ」

カチカチカチと音がする、夢の中で高史は、両手で機械を操り、黒い板に向かって指を動かしている。黒い板には、男が数人いて、妙な服を来て戦っている。高史はいらだちまぎれに、こまかく指を動かしている。


 この身体の持ち主の記憶を夢で見たのだとわかった高史ことガルディアンは、その夢を思うとやるせない気持ちになった。だが、悪態をついたのは私ではない、私がとった行動ではないと、高史ことガルディアンは強く自分に言った。そして、今後、両親には礼節をもって接することが大事である、と決心したのであった。


 「ああ、高史。おはよう、かあさーん、高史がいるぞ」

一階に下りて座っていると父親が来て大きな声で言った。そして、高史に向き直り、言った。

「今日は土曜だから、母さんは寝坊してる。高史がいるなら起きてくるさ」

直ぐに、母親は起きてきた。

「起きたのね、高史。今日は、お父さんと出かけるのはどうかしら、ねえ、お父さん」

と言う声は、明るかった。父親は

「わかりました」

と答えた。

朝食の後、父親が先に家を出た。

高史が外に出ると魔獣が家の前に止まっている、そして、中に父親がいるではないか。

「父上は魔獣を持っておられたのか」

と言うと、母親がやってきて

「魔獣ではなく車でござるよ。どうぞ」

おどけて言いながら車のドアを開けた。

母上の言葉は変だと思いながら、車の中に座ると、父親が肩から腰にかけて幅広のベルトを伸ばしてくれた。

「シートベルトしないとな」

と言った。シートベルト、それは何だろう。聞きたい衝動を抑えて父親の真似をしてシートベルトをした。

「どこへ行こう、まあ、ドライブでもするか」

高史は気になっていたことを聞いた。

「私は仕事をしなくても良いのでしょうか」

父親は、

「ああ」

と言ったきり、しばらく無言だったが、道の端に車を止めて言った。

「そうだな、良くはない。仕事をしてみる気になったのか」

高史は、

「父上も働いておられるし、私も働きたいと考えております」

父親は

「そうか」

また、間があった。

「どんな仕事がしたいのだ」

高史は言った。

「身体を使う仕事は得意です」

父親は

「どの仕事も身体は使うからな」

「そうだな、落ちついて仕事を探しなさい」

「働くなら服がいるだろう。明日、母さんと三人で買いに行こう」

「それでいいか」

父親は、これだけいうのに数分かかった。

そして、車を走らせた。高史は車から見える風景を見逃すまいと熱心に見つめた。


 翌日、三人でスーツランドにスーツを買いに行くことになった。朝食をすませると、父親の車で出かけた。スーパー・フード屋と同じような作りの建物に車を止めて、建物の入口に立ったとき、高史は驚きのあまり叫んでしまった。

「ああ。ここはなんという場所だ。すばらしいギルドだ」

母親は、慌てて高史をうながした。

「何を言っているの、さ、行きましょう。リクルートスーツがいいかしら」

興奮冷めやらぬ高史は

「いやー、広い広い」

「父上ここ全体がギルドなのですね。どなたが作ったのですか」

大きな声で言う高史を恥ずかしがった母親は、うつむいてしまった。

父親が、言いにくそうに口を開いた。

「家ではそれで良いが、外では謹んでくれないか、声が大きい。ゲーム言葉はよしてくれないか。母さんが恥ずかしがる」

絞り出すような父親の言葉は、後のほうは聞き取れないほど小さな声だった。しょげている両親を見て、高史は言った。

「悪いのは私なのでしょう。これからも教えてくだされ、いや、教えてくださるとありがたい」

高史が悪いようなのに、どうして、両親は遠慮がちな態度なのだろうか。高史は、夢を思いだした。何となく、感じたのは、両親が高史を気遣っているとういうことだ。高史の気持ちがあれ以上すさむことがないように、接しているのだろう。今後は、私が、言葉遣い気をつけないと母上が恥ずかしいということを肝に命じよう。親切な母上に恥ずかしい思いをさせてはならない。これまで、何も指図しなかった父上は、母上の気持ちを察して文句を言われたのだろう。


「さ、あっちだわ」

高史の気まずい思いは、とりなすよに言う母親の声に救われた。

高史は、初めてのスーツを試着し、両親の勧めるままにスーツを二着とカッターシャツやネクタイを買ってもらった。帰りの車では、母親が嬉しさ半分不安が半分で言った。

「久しぶりのスーツ姿、見違えたわね。散髪も行きましょう」

父親は

「そうだな、次の土曜に、ハロージョブまで車で送って行こう」

高史は、それまでの一週間でもっとこの世界を知ろう思ったのであった。


 一週間の間に高史は、

冷蔵庫というものを知り、

テレビというものを知り、

シャワーと言うものを知り、

携帯電話というものを知り、

電子レンジを知り、

洗濯は魔石ではなく洗濯機という機械があることを知った。

部屋のパソコンも徐々に使えるようになっている。

 母親が外出するときには一緒に行って外の様子を知った。

守るべき信号を学習し、

レジは並ぶものと知り、

コンビニも行った、

郵便局にも行った。

子供が集まって勉強をする学校というものを知った。

病気の治療をする病院も知った。

 

 そして、土曜の朝、朝食の後、母親が、身分証明に必要だからと健康保険証を渡してくれた。

父親がハロージョブまで送ってくれる車の中で、

「高史も運転ができるといいな、急がなくてもいいけど運転免許をとるといい」

と言い、続けて言った。

「今日は言葉に気をつけろよ」


 こうして、ハロージョブの前で車を降ろされた高史は、しっかりとした足取りで建物の中に入って行った。入ると大きく首を回して部屋の中を見渡した。左手に受付カウンターがあり、奥にはパソコンを置いた机が並んでいる。対面で話をしている机もある。受け付けは空いていた。どうぞと呼ばれてカウンターに行き、

「仕事を紹介してください」

と言っった。ハロージョブで仕事を探すまでのことは、受付の人やフロアにいる人が、教えてくれた。高史は機械で探すよりも、人との面談を希望した。

 「どんな仕事を探していますか。今までの職業経験は。資格は何がありますか」

と、面談担当から質問攻めにされて、高史は一瞬戸惑ったが、戸惑ったままでは仕事はもらえないと思いなおし、

「どんな仕事があるかわかりません。経験は無い、ことはない、です。屋根を直したことがあります。資格は健康保険証です。どんな仕事でも紹介してください」

高史が言うと、面談の相手は

「えーと、先ず、健康保険証は働くための資格ではないです。運転免許証もないのですね。それでは、経験不問の仕事を探してみましょう」

と言って機械で探してくれた。高史は、面談の相手が頼もしく思え、明日からでも働くぞという気持ちで、探してくれるのを待っていた。しばらくすると、何枚か紙をわたされた。

「これが、あなたの条件にあう仕事です」

と、言われたので、高史は

「明日から働きます」

と、言った。すると、にっこり笑って

「では、実際に働くまでの流れを説明します」

と言われた。説明を受けても、応募先が決められないので、高史は一度家に帰ることにした。帰る時は電話をするようにと渡されていた携帯電話で、父親に電話をして迎えに来てもらった。


帰りの車の中で、高史は、父親に報告した。

「今日は、仕事が決まらなかったのです。申訳ござら、申訳ございません。ハロージョブでは言葉遣いは気をつけたのでうまくいきました」

「今日、決まるとは思ってなかった。謝らなくてもいいさ。いくつか、仕事を探してくれただろう」

と、父親は聞いてくれた。高史が、

「はい、10枚も紙をくれました」

と答えると

「そうか」

とだけ、父親は言った。




                 (6)

ハロージョブに行った日、高史は、ぐっすり眠った。朝は心地よく目が覚めたが、意識の奥に引っかかる記憶があるような感覚があって落ち着かない気持ちになった。何か思いださなくてはいけないことがあると感じて記憶をたどってみた。すると、ふいに、夢を思いだした。勇者ガルディアンだった時の夢だ。命を下すスパトーシャ国王レオダニアス8世の引き締まった顔、名君サルジバ将軍の理知に満ちた表情、側近のサイラスの戦場での巧みな動き、そして、頼りになる預言者サリ、気持ちをひとつにして戦った人たちの姿を夢で見たのだった。そうだ、私は我がスパトーシャ王国を守るために戦ったのだ。そして、魔王からスパトーシャ王国を守り切った。私は国を守った誇り高き勇者なのだ。命に代えてスパトーシャを守ろうとした。だが、今、失ったと思った命が、この場所でこの高史の身体に宿っている。私は与えられた命を全うしなければならない。高史として生き抜くのだと、改めて強く思った。高史ことガルディアンに今の境遇を憂う気持ちはない、それよりも、国を守ったことの充足感が大きかった。

 

 高史は、ゆっくりと起きだして一階へ下りて行った。父親が食卓についていて、先に口を開いた

「おはよう高史、これならやってみようという仕事は、あったかい?」

「あの紙では、仕事の内容がわからないです。資格とか経験とかきかれました」

高史がそう言うと、

「そうだな、資格か、なるほど、それなら、先ずは運転免許をとりに行ったらどうだ。免許があればできる仕事が増えるかもしれないし、教習所にいくと外の空気になれるだろう」

父親は、運転免許をとることを勧めた。母親も賛成し、高史は仕事が見つかるなら、それが良いと思えた。それに、高史は魔獣のような自動車を操ってみたいと思った。自動車で走ることを想像すると、スパトーシャで馬に乗って風をきって走ったことを思いだしたが、心の奥に追いやった。思いだしてみても元の姿に戻れるかどうかさえわからないのだ。愛する国が、愛する人たちが無事なこと以上の幸せはないと思えた。


 こうして、高史は数日後から、自動車教習所に通うことになった。その数日間で、高史は一人でコンビニに買物に行き、散歩する道を覚えていた。ある日、高史が散歩をしていて、公園に差しかっかった時、大きな犬をつれた中学生が近寄ってきた。犬が高史に近づいてクンクンと鼻を鳴らすのを、飼い主の中学生は、犬を止めようとしないばかりか、

「おじさん、僕の犬は可愛いですよ。ほらほら、何もしませんよ」

と言って犬を高史に近づける。犬は高史の匂いを嗅ぎまくる。高史が後ずさりすると犬も前に出てくる。高史は犬を蹴るのが正しいと対処だと思ったが、テレビで犬への暴力は罪とか言ってたのを思いだして、様子をみた。

すると、飼い主である中学生は、

「今日は犬が近寄っても、おじさんは吠えないんだ。前は犬みたいに、キャイーンあっちいけいけって吠えたよな、くそ犬、とか言ったよな。俺の犬はくそ犬じゃないんだよ、ほらほら」

と、犬を高史に近づけて、からかった。高史は、この身体の前の持ち主は、前に会った時に犬をこわがって悪態をついたのだろうと思った。犬をこわがった高史は、今はどこにいるのだろうと、ちらっと思った。しかし、自分は今は高史であるが勇者だ、運命を受け入れてここで生き抜こうと気持ちを新たにした。

高史は、後ずさりするのを止めた。そして、犬の顔をじっと見た。しばらく気合を入れて犬と見合った。ついに犬が視線をそらし、しっぽを垂れた。そこで、高史は言った。

「そうだ、それで良い。犬は犬らしくするのだ」

犬の飼い主である中学生は、しっぽを垂れて後ずさる犬を見て、犬に怒りながら去っていった。


 その日の午後、高史は母親にスーパー・フード屋へ買物にいくから荷物をもって欲しいと頼まれた。スーパー・フード屋までの道には中学校がある。運動場の金網の外側に歩道があるので、金網の近くにいると歩道を歩く人と運動場にいる人との距離は,近い。高史は母親と並んで話をしながら、歩いた。

「今日は一緒に夕食を食べましょう。お父さんも早く帰ってくるわ」

「はい、そうします」

「じゃあ、たくさん買物をしなくちゃ。持ってね」

「はい、もちろん持ちます」

そんな会話をしていると、高史と並んで歩いていた母親は、少し歩調を緩めた。

満面の笑顔には涙がにじんでいる。そして、急に大きい声で言った。

「こんな日がくるなんて、本当にうれしいのよ、でも、無理はしないでね」

「はい」

高史は、深い意味がわからないので、そう答えるのがやっとだった。


 金網の内側の運動場では、冬真に転生した高史が教材を片付けていた。冬真こと高史が、聞き覚えのある懐かしい声のほうに目をやると、母親が見えた。その横には自分の身体を持った男が歩いている。二人で並んで向こうから歩いてくる、あれは誰なのだ、中身は冬真なのか。大声で呼び止めそうになったが発すべき言葉が見つからなかった。数日前、ガルディアンが高史に転生した時に、高史は中学校教師である登坂冬真に転生したのだ。誰に何をいう間もなく、中学校教師としての生活が始まった。冬真の容姿に文句はなく、体力もある。そして、先生と尊重されて悪い気はしなかった。しばらく様子をみてから、元にもどる方法を探ろうと考えていた矢先に、母と自分の姿をした男を見たのだ。

母の笑顔を見て、無性に腹がたった。なんだ、あんなに偽物にあんな良い顔をするなんてと腹がった後には、やるせない気持ちがこみあげてきた。そこに、女生徒が二人やって来た。

「先生、逆立ちできるんですか、うふふふ」

鉄棒にもたれかかりながら、女生徒の一人が言った。その後も、三人でとりとめのない話を続けては笑い声を立てている。冬真は女生徒に合わせて笑いながらも、内心は、この金網の向こう側を通っていった二人のことで頭が一杯だった。


 数日後、高史は教習所に通い始めた。教習所の送迎バスで何度も会ううちに顔見知りになった男に、話しかけられた。

「俺、沢井です。よろしく。仕事で運転免許がいるんだけど、教習所の費用分、給料はあがるのかなあ、あはは」

「え、費用、、、。こちらこそ、よろしく」

高史は、数日前のことを思いだした。母親が手続きをよく知っていて、代行してくれたのだ、そのときに費用の話になって、高史は、一人前の男としては、働いて教習所の費用を自分で払いたいと言ったのだが、母親は免許を早くとった方が良いと譲らなかった。


 沢井とは、よくバスで一緒になった。ある日、沢井は帰りにラーメンを食べようと高史を誘った。沢井の後をついて行って、カウンターだけのラーメンに入った。すると先にカウンターに座っていた高史と同年代の二人が、高史に挨拶をした。

「やあ、久しぶりだな。どうしてるんだ。家からでた出たのか、少しは働けよな。俺らなんか毎日頑張ってるんだぞ」

と、一人が言うともう一人が

「そう言ってやるなよ、労働のあとのラーメンは特に美味しいって、高史には、まだわからないだろうから、あはは」

高史は

「こんばんは、ひ、ひさしぶり。す、すいません」

沢井は、きっとした表情になって二人を見て言った。

「俺、高史さんと友達なんだけど、美味しく食べたいから黙ってくれますか」

丁寧ではあるが、押しの強い言葉で二人を黙らせると、沢井は笑顔で高史の方を見た、

「謝る事なんて何もないですよ、俺は、チャーシュウを食べてから麺を食べる派です。チャーシュウの味をフルに目いっぱい味わいたいからですよ。あ、それと、この店、ウーロン茶があるのは良いですね。そうだ、今日は僕の好きなボクシングの試合がある・・・・」などなど、沢井はとりとめのない話を、柔和な笑顔で話続けた。

帰り道、沢井は、

「あの人たち、少しいじわるな感じがしたのに、どうして謝ったんですか」

と、きいてきた。高史は

「僕が働いていない間も働いておられたんだなと思ったら、悪い気がしました」

沢井は、呆れたように

「謝らないほうが良い、と俺は思うけどね。ハハハ」

と言った。

それから、スーパー・フード屋の前に差し掛かった時、アルバイト募集の張り紙を見つけて、沢井が、高史に応募するよう勧めてくれた。

「仕事が何でもいいならやってみればいいかも」

「家から近い職場って良いこともあるよ」

高史は、沢井が高史が社会に出やすいように言ってくれているという気遣いを感じた。


 


 


                 



                    (7)

 スーパー・フード屋のアルバイト募集の張り紙を見てから、一週間後、高史はスーパー・フード屋で働いていた。教習所があるので、週に三回の勤務だ。高史は一生懸命仕事を覚えた。陳列棚の品物が売れたら、補充したり、入荷した荷物の梱包を解いて仕分けしたりするのが主な仕事だ。

 少し仕事に慣れてきた頃、中年の男性がレトルトカレーの箱を持っているバックに入れるのを見た。高史は、万引きを見つけたら報告するように言われていたので、近くにいた主任に報告した。そして、主任と一緒に中年の男性に近づくと

「この人です。商品をそのバックに入れました」

と、高史は大きな声で言った。

すると中年男性は、逃げるそぶりを見せたので、高史はすばやく取り押さえた。

主任は困った顔をして、高史に持ち場に戻るように言った。

その後、店の中で、指摘してはいけないとか、泥棒呼ばわりしたりしてはいけないとか、力で制してはいけないと言われた。その日、高史は釈然としない気持ちのまま帰宅した。

父親に、その日のことを話すと、父親は

「万引きは、品物を持って外にでてから声をかけるって、テレビで言ってた。そうだな、逃げたら追いかけたくなるだろうが、怪我でもさせたら大変だからな。しかし、高史はがんばったんだな」

高史は、ここでは、物を取った人でも叩いてはいけないことを学んだ、人権というものがあると知った。

スパトーシャでは、泥棒は、殴られて捕まえられる。そして体罰が当たり前だ。ここでは、体罰はいけないと知った。


 

冬真は、元の自分である高史の姿をした男と母親を見てから、何となく落ち着かない日々をすごしていた。その日、いつものようにバスケットゴールを生徒と一緒に運動場の端に寄せようとしていた時、バスケットゴールが冬真の横の生徒の方に倒れかかってきた。とっさに生徒を押しのけたが冬真はゴールの下敷きになってしまった。ゴールの支柱が劣化していたのだ、病院に運ばれた冬真は意識を失っていたが、徐々に回復するだろうという医師の見立てだった。冬真は、しばらく入院することになった。


 見舞いに来た、友人たちは

「あの、自分が一番って奴が、生徒を助けるとは、人間ってわからないもんだな」

「俺が結婚するとき、その給料で結婚するのかって言ったんだ、冬真のやつ」

「俺には、彼女、美人過ぎるだろう、お前とは釣り合わない。俺の容姿なら美人が似合うけどさ、って言ったんだ」

「俺が成績一番取った時、勉強ばかりしてても魅力が増すとは限らないからな、って言った、冬真のやつ」

と、口々に冬真の過去の発言を並べ立てた。だが、もうひとりは、笑いながら言った。

「それ、並べて聞いてると、嫉妬の発言みたいだな。ハハハ。けど、生徒を守ったんだから良い奴だったんだ。なんか上から目線の所があると思ってたけど、許してやるか。アハハ」

そんな話をしながらも、冬真の回復を待っている友人たちであった。


 スーパーで万引き事件があってから、そう日が経たない日のことだ。高史が留守番をしていると、泥棒が入ってきた。泥棒は一階の窓から入ってきた。二階で物音を聞いた高史は、そっと一階に下りて行ったが、泥棒に見つかった。驚いた泥棒は自分より身体が大きい高史を見て何も取らないで玄関の方から逃げていった。

外出から帰ってきた両親にその話をすると、父親には、どうして追いかけたり警察に通報したりしなかったのかと言われた。それでも母親は、怪我をしないで良かったと言い、父親もまあ、そうだ、と同意した。家に入った泥棒は、何も取っていなくても犯罪になるそうだ。人の家に無断ではいるのが罪なのだという。言われてみればそうだと思ったが、高史は頭の整理に少し時間がかかった。スパトーシャとは違うことが多いのだと改めて知ると、スパトーシャが深く恋しくなった。だが、国を救ったことを誇りに、ここで生き抜かなくては、と自分に言い聞かせた。そう考えることで自分を振るい立たせる高史ことガルディアンであった。

そして、ここでは、強くなることの他に世の中のことを知ることが力になるだと、うすうす感じだした。


 高史は、スパトーシャでは考えられないくらい食糧が豊かなこの場所に暮らすのは幸せな筈なのに、考えることが多いのだと思った。スパトーシャの、地平線まで見渡せる広大な土地、空と大地の境界線がなだらかな弧を描いている。そこに沈む夕日の美しいこと、そんなことを思いだしながら、高史は思った、本当はもっと思い出したい事がある、けれども、思い出してもどうにもならないから思いだそうとしなかった、逃げていたのだ。それでも、胸の中から湧き上がってくる思いの方が強かった。高史は、恋しさのあまり思い出をたどりはじめてしまった。思い出のなかには恋人アテカが居た、アテカを思いだすのはつらい事だったが、彼女の幸せを願うことぐらいはできると思いなおした。

 魔王との戦いの前に、恋人のアテカとほんのひと時を過ごした。預言者サリに会う前に、サリの姉であるアテカに会いにいったのだ。アテカの住まいはサリの住居の離れにあった。アテカの肩にかかる栗色の豊かな髪、しなやかな肢体を包むドレープの美しいこと、ガルディアンを見据える瞳、物を言う瞳、アテカの毅然とした美しい姿は瞼に焼きついている。アテカはあの日、言った。

「ガルディアン様はスパトーシャの、そして、私の誇りです。どうかご武運を」

短い言葉にアテカの気持ちが集約されていた。アテカは、必ず帰って来いとは言わなかった。言えなかったのだ。命を賭しても国を守る勇者に、何があっても帰って来いとは言える筈がない。

ガルディアンは、アテカが自分が戻るのを熱望しているのを知っている。そして、同時に、ガルディアンが勇者としての働きを全うすることを望んでいるとわかっている。それらを承知の上で、ガルディアンは穏やかな口調で言った。

戻ったら、アテカ殿のご両親にご挨拶をしよう。」

「はい」

それだけで、通じる二人であった。

その後、ガルディアンは、翌日の魔王との対決に、集中したのであった、


 高史の身体に転生した直後は、スパトーシャを恋しく思う日がくるとは思いもしなかった。どの場所でも勇者として生きる覚悟が支えだったから、高史として生きようと決めていたのだ。この家では両親の配慮は心地よく、食糧は滞ることなく調達できる。仕事を探すギルドは良くできている。生命を脅かされる戦いは、起こらないだろう。そんな日々の中で、すべてにおいて美しく厳しいスパトーシャを恋しく思いだした。そして、生まれて初めて、感傷的な気持ちになった。



 その頃、アテカは、勇者ガルディアンの肉体が眠るベッドの横で、祈りを捧げていた。魔王との戦いの場所からガルディアンの姿が消えて、三日目に森の入口に倒れているガルディアンを、アテカが見つけた。サリと共に家の裏の小屋に寝かせて目が覚めるように祈っている。眠りっぱなしだったガルディアンが、その日は、うっすらと目を開けた。

アテカは

「お目覚めですね。気分はいかがでしょうか。で、あなた様はどなたでございましょう」

、静かに問うた。ガルディアンの身体をした男は、心細げにつぶやくように返事をした。

「ここはどこですか、ぼくは登坂冬真です。家で寝ていた筈なのにこれは夢なのか」

男の返事を聞くと、たまらないような切羽詰まった声でアテカが叫んだ。

「やはり、ガルディアン様ではないのね、ガルディアン様はどこなの?」

急に語気を強め詰めるアテカの横に、いつのまにか預言者サリが立っていたそして、アテカの肩に優しく手を置いた。アテカの言葉が耳に届いたかどうかわからないまま、冬真は、また眠りについたようだ。預言者サリは、諭すように言った。

「姉上も、この男がガルディアン様ではないと気がついておられたのですね。しかし、この男に問うてはなりません。

魂を暴走させてはならないのです。ガルディアン様が戻ってこれなくなるといけませんから。この男の魂を穏やかにしておきましょう。そして、祈り続けましょう」

「サリ殿。そなたもガルディアン様が戻られるよう祈っていたのですね」

と言うと、アテカの目から大粒の涙がこぼれた。預言者サリは、

「姉上、祈りましょう」

そういうと、香をたいて、不思議な香で部屋を満たした。


                 (8)

高史の肉体に宿っているガルディアンは、高史としての生活に慣れつつあった。慣れてくると気持ちの余裕がてくる。気持ちの余裕ができてスパトーシャを思いだすことが増えてきた。高史は、教習所での勉強はおもしろく、車の扱いを知るのは世界が広がるように思え、好奇心が満たされる心地良さを感じていた。車を運転して町を走ることを想像するだけで気分が高揚した。

 送迎バスの中の短い時間でも、沢井と何度も顔を合わせうちに、だんだん打ち解けてきた。沢井との他愛ない会話から知る事が多かったし、楽しかった。


 また、高史はスーパーでは仕事を覚えるのに熱心だった。高史として生きる以上は、高史としてできるだけのことをしようと思って仕事には一生懸命取り組んだ。漠然とした気持ちではあるが、高史として、良い人間になろうとした。


 そんなある日の夕方、高史は部屋にいると急に頭がくらくらしてきた。頭がくらくらしながら、高史の記憶とガルディアンの記憶が、頭の中で交錯した。めまいがして、少し横になろうとすると、そのまま倒れて意識が遠のいていってしまった。そして、夢を見ているかのように、スパトーシャを駆けた記憶や、高史の家がある町の風景がとりろめなく頭をよぎった。自分は誰なのだろうと思った瞬間に深い眠りについてしまった。どれほど眠ったのかわからないが、徐々に目覚めた。身体の感覚が戻ってきて、五感が戻ってきた。すると、独特のスパイシーな香りが身体を包み込んでいるのがわかった。ああ、懐かしいスパトーシャの匂いだ。自分はスパトーシャに戻ったのだろうか。自分が元に戻っていることへの期待がこみ上げてくるなか、一方では、恋しいスパトーシャの夢を見ただけだと思おうとする自分がいた。元に戻れないのに期待するのは辛いと知っていた。

 

 暫くして、いつまでも続くスパトーシャの香りを確かめようと、目を開けた。すると、そこにはこの世で一番会いたかった顔が見えた。アテカがいたのだ。ベッドの横に立っていたアテカは、目を開くと、ベッドの脇にひざまずいて言った。

「よく戻られました。ガルディアン様。お待ちしていました」

と、美しい声で静かに言った

ガルディアンは、もう高史ではなかった。肉体も魂もガルディアンであった。だが、この状況を確認し、気持ちを落ち着けるには、しばしの時間が必要だった。

「ああ、アテカ、無事で何よりだ。まだ、私は少し混乱してるようだ」

と言った。アテカは

「承知しております。ゆっくりお休みくださいませ」

と言うと、懐かしいスパトーシァの木の実で作った、土の焼き物茶碗に入った温かい飲み物をベッドの横に置いた。

ガルディアンは、流れる涙を拭おうともせず、そのまま横たわっていた。


 ガルディアンは、気持ちが落ち着いてくると、一瞬、高史は戻ったのだろうかと気になった。戻って母上と穏やかな日々を過ごしてくれと願うしかなかった。数時間後、気持ちを切り替えて、起き上がり、大きな声で、預言者サリを呼んだ。

「サリ!そこに控えておるか」

預言者サリは直ぐに部屋に入ってきた。

「サリ、今、ここに勇者ガルディアンが戻ったぞ。そなたの祈りが通じた。大儀であった」

「ありがたいお言葉です。アテカと祈っておりました」

「わかっている、しかし、アテカが女として祈るのは、それはそれ。そなたが我がスパトーシャの未来を見据えて祈るのとは、意味が違う。私は国の為に生きる第38代勇者ガルディアンであるぞ。さあ、広場に民を集めて生還の挨拶をしよう準備してくれ」

ガルディアンはそういうと、スパトーシャの勇者として人前にでる為に着替え等、準備を始めた。

  

 ガルディアンの魂が高史の肉体に入っている時に、スパトーシャでガルディアンの肉体に入っていた冬真は、ほとんど意識が無く、預言者サリの家の離れでベッドに横たわったままだった。アテカと、預言者サリに守られて眠っていたのだ。その冬真はガルディアンが元の肉体に戻ると同時に 冬真の魂は元の肉体に戻った。冬真は目を覚ますと、病院にいて、自分が入院していることを知った。冬真は自分が入院した経緯を思いだせないので、見舞いに来た友人から生徒を助けようとして怪我をしたことを聞いたのであった。そればかりか、それまでの数週間の記憶も無い。冬真自身も周囲も、頭を打ってせいで記憶が飛んだのだと考えた。冬真は、そのまま、元気になって退院し、元の生活に戻っていった。生徒を助けた教師として生徒や父兄から人気を得た。友人たちの間では、高慢な冬真の発言は反感を買うことがあったのだが、今は、

「また、冬真が羨ましがって、強がりを言っているよ」

と、軽く聞き流されるようになった。冬真は中身は変わっていないのに、周囲の人たちから良い扱いをされて気分の良い日々をおくる送るようになった。ただ、冬真が失った記憶は戻らなかった。


 冬真の肉体に入っていた高史は、事故の後、意識を失って入院していたが、急に自分の部屋で目が覚めた。高史は自分に戻りたいと思っていたものの、急なことで戸惑った。高史は、良くも悪くも急な環境の変化には弱いのである。高史は冬真になりきっていたのに、急に戻って、嬉しさと安堵が一番にあったが、何か不安なことがあるような気がして、気分が落ち込みそうになった。そうだ、高史に戻ったら外にでれない。高史は外に出られない生活なのだと、少し窮屈に思った。しかし、高史は出られないのではなく出たければ出れば良いだけの話だと気が付いたが、そう簡単ではない。高史は、考えるのが面倒になって、成り行きでいいや、と結論をだしてしまった。考えても結論は出ないのだ。そして、部屋を見渡すと、部屋がきれいになっていたので、軽い違和感を覚えた。そうか、自分の身体を乗っ取ったあいつが掃除したのか、と思った。そして、なんとも言えない安心感に包まれた。あいつから身体を取り戻したのだ。良かった。自分の部屋は居心地が良いものだな。あいつや本当の冬真はどうなったのかな、そんなことはどうでもいいや。ああ、良かった、もう、巻き込まれないぞ、と思う高史であった。やはり、どこか受け身な考えをする高史であった。


 高史は、しばらく、部屋で過ごした後、一階に下りていった。

「今日のご飯さ、トンカツがいいんだけど」

と 母親に言ってみた。母親は目を見開いて高史を見たあと満面の笑みで言った。高史を誘った。

「トンカツね、いいわよ、じゃあ、一緒に買物に行きましょう」

高史は、以前なら面倒だと思ったであろうが、一緒に行こうと思えることが自分でも驚きだった。

「行こう、荷物を持ってやるよ」


 スパトーシャでは、第38代勇者ガルディアンは、民衆の前に雄姿を見せつけ健在を示した。すぐそばには側近サイラスが控え、国王レオニダス8世代理でサルジバ将軍が列席している。第38代勇者ガルディアンは、

「皆の者、第38第勇者ガルディアンは健在である。魔王を打ち取ったことをここに報告する。

この先も、力を尽くして国を守ろることをここに誓う!」

勇者ガルディアンが高らかに宣言すると、広場は歓声に包まれたのであった。


 その後の日々、勇者ガルディアンは、以前と同じように訓練と国境警備に余念が無かった、そして、雲ひとつない晴れたある日、謁見の間で、国王レオニダス8世から命を授かっていた。

「第38代勇者ガルディアンに命ずる。我がスパトーシャの国境を脅かす者を成敗せよ」

勇者の正装で謁見の間に現れた勇者ガルディアンは、

「第38代勇者ガルディアン、しかと承りました。命に代えても国境を守ります」

厳しい表情で、命を賜ると、以前と同じように、サルジバ将軍から細かい指示を受け、側近サイラスに準備を命じた。


 翌日、国境には勇者ガルディアンが率いるスパトーシャ軍の姿があった。側近サイラスは意気揚々と勇者ガルディアンに従っている。戦場である国境に近づくと、敵はスパトーシャの国境の見張りを倒し、今にも国境を超えて来ようとしていた。敵は農作物を略奪しようとしていたのだ。戦いが始まると、敵の中には命を惜しんで逃げ帰っていく者が出始めた。国境の柵を超えて逃げる敵に対して、意外なことに勇者ガルディアンは刀をふり降ろさなかった。逃げようとする敵は深追いしなかった。側近サイラスは怪訝そうに勇者ガルディアンを見たが、何も言わないで勇者ガルディアンに従った。

 

 以前なら、勇者ガルディアンは、逃げて行く敵を追って首を撥ねていただろう。しかし、そのときの勇者ガルディアンは、命のやり取りは少ない方が良いと感じたのであった。

 その一方で悪態をついて国境を犯して略奪しようとする者には躊躇なく刀をふり降ろした。ここでも、ガルディアンは以前とは変わっていた。以前なら、敵の命を奪うと雄たけびをあげて喜んだものだ。そうやって自軍の指揮を高めたものだ。しかし、ガルディアンは、命のやり取りをしなくても解決するということがあることを、高史の世界や高史の父上から学んでいた。それでも、今のスパトーシャでは、国境を守らなければ食糧どころか命まで奪われるのだ、勇者ガルディアンは、敵の首をあげると、深く厳しい表情をたたえるようになった。険しい顔で、声を張り上げる。

「第38第勇者ガルディアンここにあり!

 スパトーシャを守り抜くのだ!」

名実共に一回り成長した勇者ガルディアンの姿は、スパトーシャに広がる草原に神々しく輝いた。


                                      完


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NEETの定義は 否定:Not 雇用:Employee 教育:Education 訓練:Traning 僕も親のスネをかじっていた時期があって それでも、高史くんのように ハローワークに通っていた…
第一話、楽しく読ませていただきました。 自身の筋力を失い 高史の日本語読解能力が身に着く辺りが面白かったです。 転生した人間が居るって箇所が気になったのですが 現世に生きる者が、日本などに転生したあ…
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