侵略
「緊急招集…?」
朝、いつものように出勤すると既に来ていた隊員達がザワついていた。
「おはよう、クリスタル。さっきサバナ国部隊の侵略が国境で確認されたらしい」
カイルが神妙な面持ちで告げる。
「国境の部隊達は無事なの!?」
「兵力は3分の1程減っているらしい…」
「そう。私達も参戦するのね」
「恐らくね。王宮広間に集まって陛下を含めて作戦会議だ。行こう」
サバナ国は大半が熱帯気候で国民達の特徴といえば、とにかく体が丈夫で肉弾戦に非常に強いが魔導に関しては全くと言って良い程脆弱だ。
更に我がビード国との国境は標高の高い山脈で仕切られている為、雪原地帯となっており、わざわざサバナ国が攻めてくる事は無かった。両国は友好関係では無かったが緊迫情勢と言う事もなく、お互い無干渉状態だった。
長い会議を終えてクリスタルは宮殿の中庭に出た。既に太陽が沈もうと空をオレンジ色に染め上げている。
「初めて、人との実戦だな」
ジークが声を掛けてきた。
「はい。正直、気は進みませんが…居住区まで侵攻される訳にはいきませんから」
「……今なら魔導騎士団を抜ける事も出来るぞ?」
「ジーク隊長?」
「いや、済まない。お前は魔導騎士にプライドを持って務めていると言うのに…必ず生き延びろよ」
「はい!ジーク隊長も…え!」
ジークの長くたくましい両腕にクリスタルは引き寄せられた。グッと力を込めてクリスタルを抱きしめたが直に開放する。
「……では明日に備えてしっかり休息するように」
まだ何か言いたげな表情だったが、ジークは踵を返して立ち去って行った。
(びっくりした。気合みたいな物かしら)
全身にジークの鍛えあげられた硬い躰と抱きしめる力強さが残った。
ジークの躰の余韻に浸っていると近くの木陰からサブリナが現れた。先日、訓練場にアレクと訪問してきた時以来だ。
「こんにちは。サブリナ様」
「!」
一応声を掛けてみたがサブリナは酷く驚いた顔でクリスタルを見ると無言で立ち去ってしまった。
(挨拶ぐらい返してくれてもイイのに)
後に続くようにカイルが現れた。
「あら」
「!クリスタル!どうして…」
「?帰る前に一息ついてただけよ。何をそんなに焦ってるの?まさかサブリナ様と何かしてたのー?」
「いやいや!たまたま後ろを歩いてただけだよ!」
「分かってるって。冗談よ。あの、サブリナ様が私達と会話するなんて想像出来ないよ。…それより顔色が良くないわ」
カイルには珍しい病を患っている幼い娘が1人いる。太陽の光に当たると皮膚が焼けただれてしまう為、日中は暗い室内で過ごしている。成長するにつれ、外に出たい欲求が募り最近は毎日の様に泣いて過ごしているそうだ。そんな娘と妻を置いて戦地に赴くのは辛い事だろう。
「早く帰って家族と過ごしなさいよ。暗くなってきたし、私も帰るわ」
「うん…そうだね」
明日の出征の話題は敢えて触れずに2人は肩を並べて歩き出した。
「あ……」
宮殿の入り口で月明かりを浴びて幻想的なオーラを漂わせたアレクが立っていた。ブルーは肩に待機している。
「クリスタル……」
カイルはクリスタルとアレクに無言で会釈すると足早に立ち去った。
「クリスタル。明日は君も出発するんだね」
「はい」
「……健闘を祈る」
「ありがとうございます。ご期待に必ずお応えいたしますのでご安心ください」
さすがのアレクもテンションが低い。だが、てっきり「行かないでくれ〜」と泣きつかれるかと思っていたので少し困惑する。
「本当は……」
か細い声でアレクは続けた。
「行って欲しくないんだよ?でも、僕が好きになったクリスタルは、男共が躊躇していた巨大な召喚獣に率先して立ち向かう勇敢な女性だ」
「それは…アレク様が襲撃された時の事ですか?」
「そうだよ」
薄っすらと儚げにアレクは微笑んだ。
「それまでも何度か護衛をしてくれていたのは知っていた。正直、第8王子の僕を葬ろうなんて輩は居ないだろうと考えてたから、君は見栄えで起用されたのだと思っていた。すまない」
「………」
「だが、あの時、他の護衛達が足をすくませているなか、瞬時に対応した君の勇敢さと誇りが僕の心を虜にした」
「………」
「それから積極的に交流を持つと、あの戦う姿とは真逆で実に愛らしいこと!ああ!クリスタル!やっぱり行かないでくれぇぇぇ!」
感傷的に話している内に感情が高ぶってしまったアレクは最後にはいつものハイテンションで叫びだした。静かに肩でくつろいでいたブルーも驚いたのかバタバタと羽ばたいている。
「クリスタル!出発前に口づけを交わさないか!?」
「はぁ?!暴走し過ぎです!」
「では!ハグだけでも!」
「明日の準備もありますので失礼させて頂きます!」
「クリスタルぅぅぅぅ!!!」
クリスタルは背中にアレクの絶叫を浴びながら家路についた。
まだ陽も上がらない薄暗い早朝。ビード国の魔導騎士達は国境遠征の為に集まり出した。
国境までは魔導力をエネルギー源とする魔石を乗せた飛空艇で移動する。大型の母船1隻を、1人乗りの小回りの効く小型飛空艇が囲む陣形で進軍する。
「おはよう、カイル。眠れなかった?」
クリスタルが自分の乗る飛空艇の魔石の点検を終えたところでカイルが姿を現した。
今朝のカイルは昨日より顔色が悪い。気分も優れないのか、いつもの笑顔も見られない。
「クリスタル…コレを持っててくれないか」
カイルは大き目の袋を手渡してきた。ズシリと重みがある。
「なに?…非常食??それに防寒布…これは…地図?」
同じような物は緊急事態に備えて各飛空艇に既に積まれているのでクリスタルは怪訝な顔でカイルを見た。
「国境付近は極寒だから。……地図に幾つか印が付いてるだろう?ソコは、もう使われていない古い休憩所だ。もし、はぐれる様な事があったらソコに避難して」
「有り難いけど、縁起の悪い事言わないでよ。まあ、最悪に備えるのは良い事だから積んでおくわね」
遠征に不安があるのだろうか。少しでも緊張を解してあげたいとクリスタルは明るく微笑んで荷物を受けとった。
「あと……ア、アレク様が呼んでいたよ。母船の近くにいた」
「はぁ、また?忙しい時に…もう!行ってくるわね!」
「うん…」
カイルは俯いたままクリスタルと目を合わせない。今にも倒れてしまいそうだ。後ろ髪を引かれる思いで彼女はアレクの元に向かった。
アレクはジークを含む数人の幹部達と立ち話をしていた。鳥は夜の散歩から未だ帰ってきてないのか姿がなかった。
「ん?クリスタル?」
自分の元に駆け寄って来る彼女を見つけて、彼も走り寄って出迎える。
「出発前に会えて良かった」
「おはようございます。どうされました?」
「あぁ、出発前に皆に声を掛けておきたくてね。国のために……命を掛けてくださるんだから」
命を掛ける…今回は魔物の討伐や護衛などとは違う。人間同士が命をかけて争わなくてはならない。
「クリスタル…」
アレクはクリスタルの両手の指を自分の両手で包みこんだ。振り払おうと力を込めたが、アレクも力を込めてソレを許さなかった。
「僕も一緒に行って君を守りたい。だが、僕には僕の使命があるからココを離れる訳にはいかない。約束してくれ。どんな形であろうと必ず帰ってきてくれ」
「勿論そのつもりです。ビード国は必ず護ります。アレク様、ご安心ください」
「君に神の御加護がありますように」
そう言うと、アレクはクリスタルの両手を掴んだ自分の手を持ちあげて彼女の手に柔らかな唇を押し付けた。
「!」
思いもよらない不意打ちの行動にクリスタルは声が出せず手を引っ込めるだけで精一杯だった。
「な、ななな…」
顔を真っ赤にして狼狽えるクリスタルをアレクは愛おしそうにニコニコして見つめる。
クリスタルに顔を近づけて自分の片頬を指でトントン突いた。
「僕にも加護をおくれ」
「む、無理です!スミマセン!!準備がありますので!」
動揺して意味もなく謝ってクリスタルは走り去った。
「あー走ったら暑いわぁ。カイル!準備オッケー?」
顔の火照りを誤魔化しながらクリスタルは自分の飛空艇に乗り込もうとする。
「あぁ…」
「カイル…家族が心配なのね。なら、必ず元気に帰ってこないとダメよ?気合い入れて!」
「あぁ…クリスタル、すまない」
カイルは目を潤ませながら弱々しく答えて血の気の無い顔で自分の飛空艇に乗り込んだ。
クリスタルも乗り込み準備が完了すると、程なくして出発の銅鑼の音が響き渡った。
国境の紛争地帯まであと少し。緊張からクリスタルの鼓動が早まってくる。
「それにしても嫌な天気だわ。こんな日に限って吹雪いてるなんて」
視界も悪く飛空艇も気を抜けば強風に煽られそうになる。
「ん?カイル?」
並走していたカイルの飛空艇がクリスタルを追い抜いていく。
「違う…こっちのスピードが落ちてる!」
魔石への魔導力が足りないのか、クリスタルは操縦桿の下の蓋を開いた。
「何で?!」
この飛空艇を飛行させるには、両手で抱える程の大きさの魔石が必要なのにクリスタルの目に飛び込んだのは片手の平ぐらいの小さな魔石だった。
「どういう事?!ちゃんと点検したのに…!!」
魔導力を石に送りながら操縦桿でフラつくのを必死に抑える。その努力も虚しく飛空艇の失速は止まらず遂に下降し始めた。
窓に激しく吹雪が打ち付けながら、真っ白な地面がクリスタルに迫って来る。
「いや!!いやぁぁぁぁぁぁ!!!」
クリスタルの意識は途切れた。