生真面目美形上司は耐え忍ぶ恋をしているようです
「私が指導係ですか?光栄です!」
魔導騎士としての日課の訓練中、クリスタルはジークに呼び出され新しい職務を任命された。
指導係は、その名の通り隊員達を訓練時には指導し、ミッション本番では部隊を指揮する事になる。実力が伴わなければ就くことの出来ない役職なので任命されると言う事は出世への第一歩とされている。
「詳しい内容は訓練が終わってから話す。準備が整い次第、俺の部屋に来てくれ」
「承知しました!」
必要な事だけ述べて颯爽と立ち去るジークの背中を眺めながら、クリスタルは大きく1つ深呼吸をする。
(一気に責任が重くなるな…でも認めて貰えたんだ!)
新しい環境になる事への不安と期待で何とも言えない胸の高鳴りを感じながら気合を入れ直し、再び訓練の輪に戻った。
「お待たせ、カイル」
カイルとは任務で良くペアを組むので、自然と訓練も一緒にする事が多い。ジークに呼び出されるまで2人でハードな筋トレに勤しんでいた。
「ジーク隊長、何だったんだい?」
カイルは何気なく聞いたのだが、クリスタルの背後でトゲのある冷たい声がした。
「指導係に任命されるんだってよ。女は得だよなぁ!先輩方に可愛がってもらえて。なぁ?」
クリスタルより2期先輩のゴツい隊員が周りにいた隊員に同意を促すようにわざとらしく声を張り上げる。数人の隊員はニタニタと目で合図を送り合い声を出さずとも同意の意思を表したが残りの隊員達は争いに巻き込まれても得は無いと聞こえぬフリで訓練を続けた。
先程までの心地良くむず痒い気分が一気に暗く影を落とす。怒りにクリスタルの心臓は早鐘を打ち始めるが何と言い返せば良いか思い浮かばない。そんな自分に悔しさと情けなさを覚える。
「おぉ!やっとか!君は実力も然ることながら毎回真面目に任務に取り組んでたもんな。指導係は適任だと思うよ」
気まずい空気を察してか、カイルは妙に明るい声でクリスタルを称賛した。彼女の実力に嫉妬する隊員達の視線に押しつぶされるかと思ったが、一転して空気を切り替えてくれた彼にクリスタルは心底感謝した。
「ありがとう。でも、まだ候補に挙がっただけで詳しい話は後で聞く事になってるの。ちゃんと決まったら報告するわね。さあ、続きを始めましょ」
「はぁぁ!謙虚であられます事で」
せっかく話題を切り替えたというのに先輩隊員が再び野次をとばして来る。落ち着きを取り戻していたクリスタルは流石にひとこと言い返してやろうと先輩の方を振り返った。
「!!」
「ごきげんよう。クリスタル♪」
ゴツい先輩の後ろに別の生き物なのかと目を疑ってしまう程に綺麗な顔立ちと立ち姿のアレクがクリスタルの視界に飛び込んできた。頭には相変わらず青い鳥が乗っかっている。今日は鳥以外に見事なブロンドの髪を顎の辺りで愛らしくカールさせたスレンダーな小柄な令嬢、サブリナも彼の横に控えていた。
「アレク殿下!」
クリスタルを筆頭に訓練場にいた隊員らは一斉に跪き頭を垂れた。流石に国王陛下のような威厳とまでは言えないが、やはり王族。アレクが姿を現した途端、場の空気が一瞬で張り詰める。
「皆さん、楽にしてください。お邪魔しているのは僕の方だ。魔導騎士達の日頃の訓練の様子を見学させて欲しい」
落ち着いた上品な声色が響き渡る。クリスタルと戯れ合う時と違い完全なる王子様モードだ。しかし、アレクから楽にするようにと言われたものの、皆、訓練に戻るタイミングが計れず微動だにしない。
「………」
どうした物かとアレクが難色を示すと、動き出したのはクリスタルだった。
「では、失礼して訓練に戻らせていただきます」
そう言って彼女が立ち上がるとワラワラと他の隊員達も立ち上がり各々の訓練に戻った。
(ふぅ、助かった)
「クリスタル、気にするなよ。君の実力は本物だから彼奴等に格の違いを見せつけてやれ」
「ふふ、私だけの実力じゃないよ。いつもカイルの助けがあるから。だから正直1人でやっていけるのか不安なんだけど頑張らなきゃね」
「そんなに褒めたって何も出ないぞ」
カイルが気遣ってくれたお陰で暗く影を落としていた嫌な気持ちが一気に軽くなり、お互いに軽く握った拳をコツンとぶつけて笑顔で励ましあった。
「あー、クリスタル。ちょっとこちらへ」
クリスタルのホワホワと温まっていた心が一気に冷める声が彼女の耳に届いた。
「……ちょっと行ってくるわね」
引きつった笑顔でカイルに断りを入れて小走りにアレクの元に向かった。
「どうかなさいましたか?殿下」
「君、あの隊員と仲が良いんだね」
「はい。良く任務でパートナーを組む事が多いので。気も合いますし信頼出来る同僚です」
「プライベートで会うこともあるのかな?」
「いえ、機会があれば食事でもしながら話しが出来たらと思いますが…彼のお子様が病気を患っておられるので、そう気軽には誘えません」
「ほう!妻子がいるのか!」
カイルが家庭を持っていると分かるとアレクの機嫌はあからさまに良くなった。そしてクリスタルの耳元に顔を近づけてコソッとささやく。
「訓練姿も凛々しくて素敵だよ…イテテッ!」
アレクが頭を動かしたことで鳥がバランスを崩してバタバタと羽ばたきながら彼の頭に爪を立ててしがみついている。
「………」
クリスタルはアレクの甘いささやきに反応せずチラリと傍に控えているサブリナの様子を伺った。彼女はアレクのお妃候補の1人と噂が高い貴族令嬢だ。彼女の他にも数人、候補者の名は挙がっているがアレクへのアプローチはサブリナが群を抜いている。そして、王子の妃と言う立場欲しさと言うより純粋にアレクに憧れているようだ。
「今日もサブリナ様と救出された鳥をお連れなんですね」
アレクが自分を無視して女魔導騎士にコソコソと何かをささやくのを目の当たりにして、明らかに不機嫌オーラを発していたサブリナだったが、自分の話題が出た事でそのオーラを慌てて掻き消しニッコリ愛らしい笑みをたたえた。
「ずっと一緒さ。あ、でも僕が寝る時間になると何処かに飛んで行って、目覚める頃には帰って来てるんだ」
「暗い夜でも飛べるんですね。名前は付けられたんですか?」
「うむ。ブルーだ」
(そのままんだな)
「…あの、ご用件は…」
アレクに名指しで呼び出され親しげに話し掛けられていると、気にかけていない素振りで聞き耳をたてているであろうサブリナ嬢と嫌味な先輩隊員の存在が居心地悪い。
多分、いつものおふざけで冷やかしにでも来たのだろう。王子からフランクに接してもらえる事は非常に有り難いが今は止めて頂きたい。そんな想いから少し突き離した冷たい態度をとったクリスタルにアレクはいつもの調子で再び耳元に形の良い唇をよせる。
「君の美しい顔を見にきたんだよ。パーティ以来会えなかったから寂しかった。会えてうれしい。ハニー」
周りに聞こえないような囁やきだったが、サブリナ嬢が嫌悪を帯びた視線をクリスタル投げかけた。近くで訓練しつつ聞き耳を立てていた嫌味な先輩達が、また、ニヤニヤと目配せし合っているのも見えてしまった。カイルに軽くしてもらった心が再び重く苦しくのしかかって来た。
そうなってしまったら急激に感情が墜ちていく事を止められず一瞬で目頭が熱くなり、涙が1筋溢れてしまった。
「クリスタル!?」
アレクは先程までの王子様モードを忘れてクリスタルの涙に動揺して素っ頓狂な声を出してアワアワしている。
(しまった!)
クリスタル自身も自分の涙に驚き、慌てて制服の袖口でグイッと両目を擦ると「失礼します!」と見られまいと顔を背けたまま走り去った。
「アレク様、あのクリスタルと言う魔導騎士ですが…」
走り去るクリスタルの後ろ姿を眺めながらサブリナが口を開いた。
「次の魔導騎士団の指導係の候補に挙がったらしいですわよ。先程、ジーク隊長にお会いした時に聞きました」
「え?そうなのか。すごいじゃないか」
「……先日のドラゴン生誕パーティでの彼女…胸を強調したドレスでジーク隊長にエスコートされてたではありませんか。あの隊員とも嫌に距離が近かったし、アレク様への態度も馴れ馴れしくて無礼ではありませんか?ああいったタイプの女性は、男性は自分の好きに操れると思い込んでる方が多いですわよ」
「確かに見目麗しい女性だ。あのオッパ…ん゙ん゙!ドレスも良く似合っていた。でも女性らしい見た目で勘違いされちゃうんだね。何度か魔導騎士達のミッションに同行して彼女の仕事ぶりは知っている。真面目だし実力も間違いないから護衛に時々ついてもらっているんだよ。僕が此処に来た時も訓練に戻らない隊員達を動かしたのは彼女だった。指導者の素質があると思う。それとも君は、色香に惑わされて自分の命を危険に晒すなんて事を僕がするとでも?」
アレクは優しい口調だが静かな怒りを湛えた視線でサブリナを捕らえた。
「い、いえ!そのようなつもりは…!差し出がましい事を申しまして申し訳ございません」
「ん、解ってくれれば良いんだ。さ、僕等がいつまでも此処にいると騎士達も心が休まらないだろう。行きましょうか」
アレクが歩き出すとサブリナも大人しく後に続いた。そんな2人を隊員達は視界の片隅で見送った。
「ふぅ、あの2人やっと行ってくれたな。最後は何だか深刻そうな雰囲気だったけど」
「ああ、でも、あの鳥は何でずっと頭にとまってんの?」
「うん。何なんだろうな」
(アレク様に泣いたのバレたよね)
訓練場の裏庭の小さな花壇の前にクリスタルはしゃがみ込み止まらない涙を垂れ流していた。この場所はこの花壇しか無いので水やり以外に人が来る事が滅多にない。
(はぁ、気分が上がらない。もう、とことん落ち込もう。私が男だったら、あんな事を言われないのに。真面目に働いてるのに。アレク様が皆の前であんな事するから…でも本当は実力じゃなくて皆の言う通り私が女だから…)
クリスタルは小さな花を見つめながら溜め込んでいた後ろ向きな負の感情を一気に出してみた。
「何をしている?」
「!!」
考え事をしていたせいで人の気配に気づかず突然声を掛けられてクリスタルは飛び上がった。
「ジーク隊長!あの、スミマセン!少し休憩を頂いていました」
慌てて涙を拭ってうつむいてクリスタルはジークと目を合わせないように足早に立ち去ろうとした。
ジークは両手で持っていた水やり用のジョウロを投げ捨てて横を通り過ぎようとするクリスタルをたくましい片腕で抱きかかえるように受け止めた。
「何を泣いている」
「や、スミマセン!あの、ちょっと嫌な事があって落ち込んでただけで…もう大丈夫になりました!」
努めて明るく答えたものの顔の泣き腫らした跡を見られるのは耐えられないので両手の平をジークにむけて顔を隠しながら腕から逃れようともがく。
「…指導係の事で誰かに何か言われたのか?」
ずばり言い当てられてクリスタルは観念してもがくのを止めた。
「何を言われたのか知らんが、俺が指導係に選ばれた時も周りの嫉妬は凄かったぞ。嫌味を言われるし、イジメのような事もあったな。だが、そんな事をする奴等は所詮小物だ。今となっては騎士団から跡形もなく消えて行った」
「本当ですか…?」
「ああ。そんな奴らに屈せず惑わされず突き進んだから今の俺がいる」
自分の状況と気持ちを理解してくれた人がいる。それだけでクリスタルの気持ちは驚くほど早くスッと晴れた。
泣き腫らした顔を隠すのを忘れてジッとジークの顔を見つめていたクリスタル。涙で濡れた長いまつ毛に潤んだ黒目がちの大きなタレ目は愛らしいが、メリハリの効いた女性らしい体つきが相まって普段はクールビューティの彼女だが、子供のように泣き疲れて隙だらけのクリスタルを前にジークは心臓が高鳴るのを感じていた。
両手の指がクリスタルの細い躰を抱きしめたい衝動に駆られて不自然に動く。ポカンと薄く開かれた唇に吸い寄せられそうになる。
(もう、どうにでもなれ!)
ジークの心が叫んだ。
「……そんな訳だから誰に何を言われようと気にする事はない。あまりに酷いようなら俺に相談しろ。お前を応援している」
ポンポンと元気づけるようにジークはクリスタルの肩を叩いた。
「はい!ありがとうございました!早速、訓練に戻りますね」
クリスタルは目を細めて心底安心した笑顔をジークに向けると足取りも軽く立ち去っていった。
(はぁ…今はアイツに迷惑を掛けるだけだ)
ジークはクリスタルの肩に触れた自分の手を見つめて昂ぶってしまった気持ちを落ち着かせた。
「クリスタル!」
「!ア、アレク様!まだ居らしたのですか…」
「君の涙を見て理由も聞かずに帰れるものか。もう大丈夫なのか?」
アレクは相変わらず青い鳥、ブルーを頭に乗せたまま真顔でキラキラの王子様オーラを放ちながらクリスタルに駆け寄ってきた。
サブリナは一緒ではないようだ。
「先程はお見苦しい物をお見せしてスミマセン」
「何を言ってるんだ?どんな君も愛らしいよ。それより僕が調子に乗って訪ねて来たから…気を悪くさせただろうか?」
「いえ、そのような事はないのですが…でも、アレク様は人気者ですから皆の前で親密にすると嫉妬されてしまいます」
「……そうか、それは僕の配慮が欠けていたね。今後気をつけるよ」
ショボンと素直に落ち込むアレクの姿を前にして、クリスタルにイタズラ心が芽生えた。
「分かってくだされば良いんです。ダーリン」
「え!!」
不意打ちのクリスタルの言葉にアレクの顔がみるみる赤く染め上がる。
「な、ななな!えーと…」
普段クリスタルをハニー♡とイジる側のアレクが、逆にイジられてしまい異常に動揺している。いつもの軽い調子で何かしら反応してくると思っていたクリスタルまで、予想外の反応に動揺する。
「いやー…コホン。あーっと、そうだ!指導係に任命されるそうだね。おめでとう」
話題を変えてアレクはクールダウンを計った。
「はい。自分に務まるのか不安はありますが頑張りたいと思ってます」
「うむ、実力も然ることながら、いつも真面目に仕事に取り組んでいるからね。君なら充分務まるよ」
社交辞令だと分かっていても、アレクから自分を認める言葉を掛けてもらい更に気分も晴れて士気も高まった。
「ありがとうございます!では、訓練に戻りますね」
ホッとした優しげな笑みをアレクに向けてからクリスタルは場を立ち去ろうとした。
クリスタルの笑顔にポーッと見惚れていたアレクが歩きだそうとする彼女の腕を掴んだ。
「…!アレク様?」
「この場所以外で君に会う方法がないから、次からは別の場所へ招待しても良いかな?」
「え…はい」
今までのハイテンションでの軽い雰囲気でなく、真顔で迫られてしまい、いつもなら「遠慮します!」と断るクリスタルだが、心臓がギュッ締め付けられるような感覚に動揺して了承してしまった。
「そうか!」
途端に満面の笑みで、いつものハイテンションに戻ったアレクは、更にクリスタルの腕を引き寄せた。
「ねぇ、ハニー!さっきのダーリンって、もう1回お願い出来ないかな?」
「出来ません」
「えぇ!?」
「では急ぎますので失礼します」
事務的に挨拶を済ませてクリスタルは素早く踵を返して歩き出した。
「クリスタル!1回だけで良いから!…イタタッ!ブルー、止めなさい!」
クリスタルは背中でアレクの声を聞いていた。
(また鳥に頭でも突かれてるわね)
呆れながらも自然と口元がほころぶ。空気を読まない所があり困らされる事が多々あるが、何処か憎めないアレクとのじゃれ合いの時間。クリスタルは嫌いではなかった。