プロポーズ
白銀のドラゴンを前に、尻もちをついたサブリナは固まってしまった。
様々な思考が頭の中を駆け巡る。
そうこうしている内に、ドラゴンがぐるりと回転して、しなやかな長い尻尾で硝子の扉を叩き割った。
「いやぁぁぁぁぁ!!!」
森で襲われた時の恐怖がサブリナに蘇る。
必死にアレクの元まで走り寄ると、彼はサブリナを自分の背に庇った。
「何故こんな所にドラゴンが!!」
アレクは応戦の構えをとったが、素早く侵入してきたドラゴンは無慈悲にも鋭い爪を彼に振り下ろした。
「アレク様!!いやーーーー!!」
頭から胴体にかけて深くえぐられたアレクは悲鳴をあげる事もなくうつ伏せに倒れてしまった。
「嘘!嘘よーーー!」
アレクの背が視界から無くなり、再びドラゴンと対峙する事になったサブリナは、もはや恐怖で震え上がり体が動かせなくなっていた。
直ぐにサブリナを攻撃すると思われたドラゴンだったが、何故か唸り声をあげながらアレクに気を取られて彼の背中を鼻先で突いたり指をかじったりしだした。
「ひいっ………!」
サブリナはドラゴンを刺激しないよう静かに身を縮こませた。
「おい、サブリナ!」
「ひぃっ……!」
いつの間にかサブリナの肩に移動していたソロが、耳元で彼女に話しかけたのでサブリナは飛び上がって驚いた。
「オレの呪いを解け!」
「………」
ガチガチと歯を鳴らして震えながらサブリナはソロを見た。
「オレの魔導力ならドラゴンを追い払える!アレクも今なら治癒魔導で助けられるかも知れない!早く!」
ソロの声に希望を見出したサブリナは、震える手で彼の小さな体を包みこんだ。
ボソボソと消え入りそうな声で詠唱を唱えるとソロの体が発光しだした。
「うぅっ……!!」
小さな光の塊が少しずつ膨らんで行き、やがて目を開けていられない程の強い光を放った。
「………ナ!サブリナ!!」
体を揺さぶられながら名前を呼ばれて、サブリナは驚いて目を見開いた。
視界には、心配そうに自分を覗き込むショーンの顔があった。
「目が覚めた?」
「………え?」
サブリナは床の上で弟のショーンに抱きかかえられていた。
「………ドラゴンは?」
状況を呑み込めず戸惑いながら尋ねると、ショーンとは別の男の声が彼女の問いに答えた。
「いる訳ねぇだろ」
声のした方を振り返ると、そこには腰まで届く見事な青銀の髪の男が立っていた。見事な裸体の腰に、大きめのショールを巻き付けながらサブリナを睨みつけている。
「ああ、ソロ……あなたが追い払ったの?」
安堵してサブリナが微笑むとソロは鼻で笑う。
「だから、最初からドラゴンなんていねぇよ」
「は?」
「サブリナ、椅子に座れる?」
ショーンがサブリナに肩を貸しながら彼女を椅子に座らせた。テーブル越しの正面に人の気配を感じたので、視線を向けると、そこには美しく着飾ったアレクが座っていた。
「ああ!アレク様!ご無事でしたか!」
サブリナはアレクの胸に飛び込もうと椅子から立ち上がろうとしたが、ショーンがそれを制した。
「!何なの?」
苛ついた様子でサブリナがショーンを睨みつけると、彼は気まずそうに口を開いた。
「サブリナ……君は幻覚を見せられていたんだよ」
「え……?」
「また騙してしまって済まないね。サブリナ嬢」
今度はアレクが声を掛けた。
「恐ろしかっただろう」
サブリナを気遣う言葉を口にしているが、表情は硬く冷たい。
「……どういう事ですか。幻覚?」
「君が、自分の今後の事を不安に思って泣き出した時に幻覚を発動させたんだ。この石が光るのを見ただろう?」
アレクは耳飾りを指でつついて揺らした。
「この飾りに付いている魔石は幻覚魔導を増長する作用があるから、リアルだったろう?」
「それにしても!」
ソロが横から口を挟む。
「オレの呪いを解くために、クリスタル妹説とドラゴンの下りはオレたちが用意していたシナリオだったが、アレクとのラブシーンは笑えたな。サブリナ、あれはお前の願望なんだろ?魔石まで用意して」
ソロが馬鹿にしたように笑うとサブリナは顔を真っ赤にして俯いた。
「止めなさい。彼女の気持ちを茶化すのは」
アレクにたしなめられて、ソロは「へいへい」と少し拗ねて口を閉ざした。
「誰でも人を好きになれば、色々な欲や願望が生まれて当然だ。……しかし、サブリナ嬢」
アレクはサブリナを真っ直ぐに見据えて彼女に語りかけた。
「だからと言って、他人を犠牲にしたり傷つけてはいけない。君は、今回たくさんの人を傷つけ犠牲にした。」
「違います!誤解です!」
「ここにいるソロが全てを知っている。我が国の調査団は優秀だからね。彼の証言から得るものは大きいはずだ」
「待ってください!!」
サブリナが悲痛な叫びをあげたが、アレクは聞き入れる事なく立ち上がると部屋を後にした。ソロも後に続いたが部屋を出る前に1度立ち止まって中を振り返った。
サブリナの肩を抱いているショーンと目を合わせる。
「ソロ……もうダメなの?」
ショーンが涙声で言葉を振り絞った。
「そうだな。お前は素直で可愛いから、相手なんていくらでも見つかるさ。お前には散々振り回されたけど、今となっては良い思い出だ。楽しかったよ。じゃあな」
素っ気なく言い放って出ていくソロを、ショーンは黙って見送った。
「ほ、本当に大魔道士ソロ様だったんですね?!」
「ああ、そのようだ」
仕事が終わり、呼び出されたクリスタルは、アレクの部屋で人の姿に戻ったソロと対面していた。
「格好良くて驚いただろう」
ソロがドヤ顔で腕を組んでポージングする。
「はい!もっと年配の方を想像していたので、正直ビックリしました」
「いやぁ~久々に元の姿に戻れて開放感ハンパない!ちょっとナンパ……いや、散歩してくる!」
上機嫌で出ていくソロの背中にアレクが言葉をかける。
「王宮内で男女の色恋の問題は起こさないでくれたまえよ!」
短くため息をつくと、正面に座るクリスタルに「やれやれ」とでも言うように微笑みかけた。
「さて、クリスタル。君に確認しておきたい事があるんだが」
「何でしょう?」
「サブリナ嬢と君の元同僚のカイルについてだよ」
平和な空気が一気に凍りついた。
「ソロが証言すれば、サブリナ嬢が君にした事が明るみになって罪に問えるだろう。しかし、そうなると彼女に協力したカイルも罪に問われる。私は2人に罪を償って欲しいけれど、君はどうかな?」
アレクに意見を求めらたクリスタルは、最後に見たカイルの姿を思い出す。彼の私欲で自分の命を危険に晒された事は直ぐには許せないが、罪悪感に押し潰されたあげく娘の病気も治らない現実に絶望して心身共に憔悴しきった顔には胸が締め付けられる様な思いがした。
「彼の性格では、罪に問うてしまうと償う機会に恵まれて気が楽になるかと思います。なので、今回は許す事にして一生思い悩んでもらいたいです」
「……ふむ、君の考えは理解した。そうなるとサブリナも不問にしなければならないが……」
「カイルの為なら仕方ありません。彼には仕事で悩み落ち込んだり、女だからと仲間から嫌味を言われた時も味方になっていてくれました。たくさんの恩がありますので、今が返す時だと思っています」
「うむ!分かった!僕はサブリナ嬢を許すことが出来ないけど、君の大切な友人を想う気持ちを尊重して不問としよう」
「……殿下、感謝します」
「ただ、ドラゴンの森に入った事だけは、目撃者がいるから隠し通せない。これについてはドラゴンの森に『薬の素のキノコを無許可で採取する目的で侵入した』理由で罰金程度の処罰になるよ」
「それは…ありがとうございます!」
クリスタルは心底安堵した様子でアレクに頭を下げた。
「彼…カイルの娘さんの薬だけど、サブリナ嬢の言った事はあながち嘘ではないんだ。研究はかなり進んでいて、近いうちに特効薬が完成すると言われている」
「良かった……」
カイルは知っているのだろうか?
(近いうちに彼に会いに行こう)
「しかし、サブリナ嬢を何のお咎めもなしに自由にさせるのは心配だな」
「……正直、怖いと言う気持ちはあります」
「しばらく君には護衛を付けたいのだけど……」
「それは有難いお話ですが、一般人の私には大袈裟過ぎる気がします。アレク様にたくさん助けて頂いて、こんな事を言うのも何ですが、魔導騎士たるもの自分の身は自分で守らなければ」
いつもの頑なな様子はなく、やんわりとした口調でクリスタルはお断りした。
「そう言うと思ったよ。じゃあ、やっぱり僕のお嫁さんになるのが1番じゃないかな。それだったら護衛が付いていてもおかしくない」
いつもの調子でアレクはクリスタルに提案したが、すかさず言葉を付け足した。
「それには、まず、お互いの事を知らないと……だよね?」
「………?」
「君に見せたい物があるんだ。ついてきて」
アレクはクリスタルの手を取って強引に外に連れ出した。
外はすっかり暗くなっていた。アレクは部屋を出ると、扉の前に控えていた護衛からランタンを受け取り中庭にクリスタルを招く。
「足元に気をつけてね」
「何処にいくんですか?」
「スグそこの温室」
指差す方には植物が栽培されている大きめの温室があるが、真っ暗で外からは何も見えない。
アレクが先に中に入り、壁の装置を操作するとパッと明かりが点いて、様々な植物が姿を現したと。
「さあ、入って」
「お邪魔します……」
「ここの植物は、基本的には僕がお世話してるんだ」
「殿下がですか?」
「仕事で留守にしてしまう時なんかは、庭師の方にお願いしてるんだけどね。色々あるんだよ。観賞用の花、フルーツ、野菜、薬草」
中程に進みながらアレクは得意げに話す。
「そして、ココが特等席」
所狭しと植物が生い茂る中、ポッカリと空いた空間にはキングサイズのベッドが置かれていた。
「横になってみて」
「えっ、ここにですか?」
理由も分からずクリスタルは、取り敢えず言われるままに横になる。それを確認してから、アレクはベッドの横にある箱を開いて何やら操作すると、今度は明かりが消えて中が真っ暗になってしまった。
「………すごい……」
クリスタルは仰向けに寝転んだまま感嘆の声をあげる。真っ暗な温室の屋根から見えるのは満天の星だ。
周りに植物が生い茂っていて囲まれている為、森の中で寝そべって星空を眺めているようだ。
アレクが静かにクリスタルの横に同じ様に寝転がった。
「これが、僕の趣味。植物を育てる事と星を眺めること。よく、夜はここで静かに過ごしてる」
「そうなんですか。素敵ですもんね。この中は暖かいし眠くなりそうです」
「そうなんだ!1人でうたた寝なんて、しょっちゅうだよ」
「ふふっ」
「明日は、うちのシェフに料理を習う予定だよ。家庭料理」
「殿下が?どうされたんですか?」
「花婿修行だよ」
「え……」
クリスタルは思わず隣に寝そべっているアレクの顔を見る。
「掃除の仕方もメイド長に教えてもらおうと思ってる。仕事は恥ずかしながらコネを使って王宮で働かせて貰うとして、後は……生活に必要なスキルは何があるかな?」
「……何ですか?それ」
「ん?」
アレクは仰向けのまま目線だけクリスタルへ向けた。
「殿下には、料理も掃除も必要のないスキルですが……」
クリスタルが不思議そうに問いかけると、アレクは優しく微笑んで体を彼女の方へ向けた。
「君と夫婦生活を送るには必要不可欠なスキルだよ?王宮を出たら何でも自分でしないとね……何だか幼い子供みたいだな」
自分の言葉に自分で呆れ果てて、アレクはため息をつく。暗闇で月と星の光のわずかな光に照らし出されたアレクの美しい顔から、クリスタルは目が離せなくなっていた。
「アレク様、私……」
アレクの覚悟を聞いてクリスタルの胸が高鳴るばかりだった。今までの生活を捨ててクリスタルの水準に合わせるなど、言うだけなら簡単だ。果たして上手くいくのか。途中で投げ出してしまうかもしれない。
ノロノロとクリスタルは起き上がって正座をしてアレクに向き合った。
アレクもイソイソと起き上がった。
「返事は未だしないでくれたまえ?僕はYESしか聞き入れられないからね!」
「……アレク様が、そこまでする必要はありません」
「うわぁぁぁ!聞かないって言ってるじゃないか!」
アレクは子供のように両手で耳を塞ぐ。
「私は魔導騎士の仕事が好きです。しかし、アレク様を王族から除籍させてまで続けたいとは思いません」
「うぅっ……やはり僕の気持ちは重いかい?」
「アレク様に、そこまで譲歩させて、私が何も変わらないのは不公平です。魔導騎士団には、現場で動き回る他にも仕事は色々あります。現場にこだわらず何らかの形で関わっていければ有難いです」
クリスタルは真っ直ぐにアレクの顔を見つめた。いつもの彼女なら、アレクの顔を直視する事が出来ないけれど、暗闇が至近距離で見つめ合う事になっても恥ずかしさを半減してくれていた。
「アレク様の妃になっても仕事が続けられる道を一緒に探してください。料理と掃除は私が教えます。たまには二人きりで過ごす時間も欲しいですし。その時は2人で頑張らないと」
「クリスタル……それって……え?」
「アレク様……」
緊張でクリスタルの声は震えた。心臓が口から飛び出るのではないかと思うくらい早鐘を打つので涙が溢れてしまった。
「私をっ!……お嫁さんにしてくれませんか?」
可愛らしく愛を伝えたかったのに、涙がとめどなく流れてしまい、泣きじゃくりながらの告白になってしまった。
「え?……え?……え?!えええええ?!」
思いもよらない言葉に、アレクは一瞬ポカーンと口を開けて呆けてしまったが、事態を把握すると慌てふためいた。
「ククククッ!クリスタル?!」
はぁっと一呼吸置いてアレクはクリスタルの顔を覗き込んだ。
「僕の幻聴かもしれないけど……お嫁さんにしてって……言った?」
「うぅ……言いました」
涙を拭いながらクリスタルはハッキリと答えた。
「う……うおぉぉぉーー神よ!!」
アレクは大袈裟に両腕を広げて天を仰ぐと、その腕でクリスタルを自身の胸へ引き寄せた。
「夢なら覚めないでくれ!僕、起きてるよね?!」
「こっちのセリフです!こんなに素敵な方が求婚してくださるなんて……詐欺じゃないですよね?!」
2人で抱き合いながら暗闇で大騒ぎする。
「大好きなんだ。愛してる。大切にする。もう!伝えたい気持ちが多すぎて上手く言えないよ!」
アレクはクリスタルの髪を優しく撫でていた手を止めて、ランタンに再び明かりを灯した。
アレクの美しいブルーアイと視線が合ったクリスタルは、恥ずかしさで俯いてしまった。
「クリスタル……」
アレクは彼女の両頬を優しく包み込むと親指で唇を撫でた。
「いいかな?」
クリスタルは俯いたままコクリと頷いた。
アレクはそっと力を込めてクリスタルの顔をあげさせた。クリスタルは意を決して彼のブルーアイを見つめ返した。アレクは視線が合うと愛おしげに目を細めて微笑み、クリスタルの唇に自分の唇を近づけた。
クリスタルは肩をすぼめて緊張しながらも、彼の唇を受け入れた。
柔らかな唇が優しく押しあてられてスグに離れて、アレクは自分の額を、カタチの良いクリスタルの額にコツンと押し当てる。
「やっと……僕を受け入れてくれたんだね」
「はい……もう自分の気持ちを誤魔化しません」
「こんなに早く想いが叶うなんて……僕は世界一の幸せ者だ」
アレクは再び唇を寄せてきた。今度は優しくクリスタルの下唇を噛んだ後、舌でなぞって来る。驚いてクリスタルが唇を開くと、彼の舌がぬるりと深く侵入してきた。
「……んっ」
初めての感触に思わずアレクの胸を押し返そうとしたが、思い留まり、優しく舌を絡めて来る彼に、クリスタルはどのように応えれば良いのか混乱した……。
バンッ!!
温室内に大きな音が響き渡ったかと思うと、直に明かりが点灯されて明るくなった。
2人は驚いて唇を離し入口の方を見た。誰かがこちらに向かっている足音が響き渡る。やがて足音の主が姿を表す。
「ん?何してんだ?……あ、お邪魔しちゃったかな♪」
「………そうだね、ソロ」