009 魔獣
『でも魔法使えない俺じゃクンマーと契約するメリットないね』
『?!!』
別にタイカは意地悪で言っているのではない。今までの経験から信頼関係を築くためには利害関係か好悪感情のどちらか一つが互いに無ければいけないと思っている。いまタイカはクンマーに対して好悪の感情はどちらもない。ならばメリットが見出せなければ付き合うつもりはないタイカだった。
だからお前の存在意義を俺に示して見せろと暗に言う。
『そもそもおかしい話じゃないか?魔力があると見えない妖精とどうやって契約するんだよ。俺みたいに魔法を使えない奴しか捕まらないんじゃないか?』
『それはねー魔力溜りの地脈がある場所で人間が儀式をするんだよ。運が良ければ気の合いそうな妖精が契約してくれるよ』
どうやら人間の方が不特定多数の妖精にオファーを出しているだけらしい。そこで契約が成立すると『以心伝心』でなんとなく伝わるらしい。
『なら本当に、魔力がないと契約しても意味がない……?』
心底ガッカリしているタイカである。気付いたら契約が成立していてそれが何も益するところがないのである。詐欺もいいところだった。
『ま、まってよ、そんな目で僕を見ないでー!ちょっと考えるからー!』
クンマーが何かないかと悩むがそう簡単に解決策は出てこない。自身のレーゾンデートルに疑問を抱いてしまったクンマーはきぇええと叫びながらジタバタしている。風呂敷の上で暴れるのは勘弁してもらいたい。せっかくアヤから頂いた大事な符術の媒体が散らかってしまうのは避けたかった。クンマーを手の甲でペシッとはたいてどかすと風呂敷の中身を整理して結びなおす。
『…ッ!まって!タイカは符術の媒体をつくるんだ?!』
『……ああ、まだ魔力込めは習ってないし出来ないけどね』
そこが問題だった。タイカには魔力回路がないので当然ながら媒体に魔力込めすることは出来ない。符術を教えていたヒラノブもまさかタイカの魔力がゼロとは思っていなかった為に今まで確認することなく教えてきてしまっていた。なのでタイカとしては作図だけして他者に魔力込めをしてもらう、そんな分業制の未来を思い描いていた。
『その言葉が聞きたかった!!』
風呂敷を結ぶ手が止まる。その顔には青筋が立っているがそんな事はお構いなしにクンマーは自己アピールする。
『僕はエーテル体だからね!道具にも魔力を込められるもんね!それを使って媒体を作ればタイカでも魔力込めが出来ちゃうよ!』
「なにい!?ほうとうかっ!」
クワッと目を見開き声に出して叫ぶと地面に転がるクンマーを救い上げた。タイカの掌の上でよろよろと起き上がったクンマーは自らのレーゾンデートルを再構築したおかげもあり実に誇らしげだ。そのドヤ顔は見る者の劣等心をおおいに刺激して邪心をあたえる事は間違いなかったであろう。だが、日頃から劣等心に刺激を受け続けていたタイカはその程度で邪心を抱く事はなかった。まぁ、多少の不快感は避けられなかったが無事に信頼関係を結ぶことが出来たのである。
◆
翌日も相変わらず森の中を進んでいたがその足取りは軽い。符術の媒体を作れるかもしれないと判明したためだ。ここでは作業机も無いし何よりも悠長に媒体を作っていられる状況ではないため早く迷宮都市まで行って試したかった。しかし当初の見立てよりも時間がかかっており出来るなら今日中に山の麓までたどり着きたい。
『街から見るよりも随分と遠くにあったんだなぁ』
『ああ、タイカにはそう見えたかもねー。人間は知らないだろうけど僕ら妖精は空から見てるから知ってるんだ!僕らのいるこの大地は丸いんだよ!だから山の麓が地面の裏に隠れて見えなかったんじゃないかなー』
地球では紀元前には地球球体説は唱えられていたし、三角法を用いた影の測定で誤差数パーセントで地球の大きさを測定出来ていた事を知っている。現代の義務教育やコンピュータなんてなくてもよく学び高い知性をもっていれば紀元前でそこまで出来るのだ。この世界でもそういった学者達がいても不思議はない。
クンマーをちらりと見ると得意げに胸を反らしている。
しゃべり方に反してそこまで馬鹿ではない様子を見せるクンマーだ。自分の知らないこの世界の知識を色々持っているかもしれない。それをこの世界で発見されているかも分からない学説を持ち出して下手に指摘をしてもいい気はしないだろうし今後の関係に良い影響をだすとも思えなかった。
『……詳しいんだな、すごいぞ。それで、あとどの位の距離があるんだ?』
『んーーーわかんね』
『……』
クンマーは感覚派なので自分が飛んでいけばどの位かかるかは正確に分かっている。だが、人間の使う距離の単位でいくつかなんて分からないし、タイカの進む速度でどの程度かかるかも分からなかった。
『……なら、獣の類が近づいてたら教えてくれないか?』
『はーい!』
寝っ転がるクンマーを乗せた風呂敷を背に担ぎながらひたすら森を進んでいく。日が暮れた頃にようやくレアドゥリア山脈の麓までたどり着く。野生の獣は魔獣も含めて基本臆病であり、積極的に人間を襲いに来ることはない。だからだろうか、ここまで襲われることなくこれたのは僥倖だろう。
本日も道中にカエルを確保していた。保存食はレアドゥリア山脈越えのために温存しておく方針である。カエルを食材に変えていくタイカの手際は昨日より幾分かこなれた様子だ。クンマーも昨日、足を一本貰って食してからは気に入っていた。鳥を少し淡泊にした感じで味は申し分ない。タイカには骨が多く食べづらいと感じたが小さいクンマーならば可食部は十分にあったであろう。
焚火に辺りながら特製スープを堪能して温まったタイカは人心地つく。
『さけ?さけは飲まないの?』
ゴクリと喉を鳴らし--だが、ちらりと山の方を見る。レアドゥリア山脈越えも予定通り進めるとは思えない。ビバークする時のことを考えて買ったウイスキーである。タイカの生命線ともいえた。また、山頂から景色を眺めながらウイスキーを飲む自分を想像する。--なんとしても山に入る前に飲み切るわけにはいかなかった。
『クンマーは呑兵衛だな。これは山で温まる為に買った大事なお酒なんだ。今日は飲まないよ』
説得を試みる。しかし『以心伝心』によりそれとは別に伝わってくるイメージがあった。クンマーは宇宙の真理を考察するような表情でしばらく考える。天秤が傾いたのであろう。
『なら仕方ないね』
思いのほか素直なクンマーに訝しがりながらも、街についたらクンマーの活躍次第で符術媒体を売って生活費を確保できるだろう。そうしたら好きなお酒を買ってやるからと励ましながら半ば自分にも言い聞かせていた。
そんな時である。正面の森からなにか気配のようなものを感じた気がした。さっと腰を浮かせ刀に手を添える。ほぼ同時にクンマーも反応をみせた。
『なんか来てるねー』
タイカに注意を促しつつもクンマーは驚愕していた。妖精の感覚器官はエーテルで自由に拡張できたため、人間のそれよりもずっと高い精度を誇っていることを知っていた。目を閉じていても周囲の状況を的確に把握できるほどである。そんなクンマーとほぼ同時に反応をみせた理由を考察する。
(魔力を視てるのかな……?目だけじゃないねー。耳や鼻、五感全てで魔力を検知できてる、そんな気がするなー)
『ああ、なんかヤバイ気がする……。何が来てるか分かるか?』
『熊さんだよ』
『熊か……料理や食事の音は聞こえてるはずなのにわざわざ寄ってくるなんてな……よっぽど腹すかしてるのか?』
『んー。なんか怒ってるっぽいよ』
『なんかしたかな……』
熊の習性として自分の獲物を横取りされると異常な執着心をみせて襲い掛かって執拗に追いかけてくる事がある。だがカエルを捕まえただけのタイカに心当たりはなかった。
そこへ……。
グルルルルッ
30メートル先の木の陰からのっそりと出てくるその熊は体長3メートルほどもあった。体には羽毛が生えていて背中から頭頂部までは固そうな鱗で覆われていてワニの様な縦長の瞳孔が月明りを反射して光っている。姿かたちは熊なのだが、もしかしたら爬虫類から進化した生物なのかもしれない。--収斂進化。全く別の生物でも環境に適応した結果、同じような形質や機能を獲得することがある。生前の世界でも同じような事例はたくさんあった。サメは魚類でイルカは哺乳類なのに双方とも海中で進化した結果似たようなフォルムをしていた。
『こいつ爬虫類だよな……。変温動物じゃないのか?それとも魔力で身体強化とかすれば夜でも活動できるのか?』
タイカは目の前に現れた熊の様なフォルムだが爬虫類にも見える魔獣を不思議そうに観察する。
『よく知ってるねーそれで合ってるよ』
『ならこいつ魔獣かっ!」
魔獣とは種族として固有の魔法を使える獣のことだ。獣との違いはそこだけである。つまりあの巨体と腕力を誇る熊が魔法まで使って襲ってくるのだ。
『どんな魔法を使うんだ?』
『んー音響魔法だったかな?でっかい音出して威圧するんだ』
かなり厄介なのではないだろうか。防ぐ手段が思い浮かばない。常時耳を抑えていては必要な音まで聞こえなくなる。だが、音響魔法が発動してからでは耳をふさぐのは間に合わないだろう。
『事前動作とかあるのかな?吠える時にしか使えないとか』
『それも正解ー!』
徐々に近づくにつれ魔獣の全貌がハッキリと見えてくる。腹の辺りに傷跡があり血が流れている。
『……手負いか』
おそらく縄張り争いに負けたのか手負いであった。だからこそ人間を避けずに向かってきたのだろう。気が立っているらしくもう戦闘を避けることは出来ないだろう。焚火を挟んで正面に熊が来るように立ち位置をかえる。その矢先、熊を取り巻くオーラが喉元に集まってくるのが見えた。とっさに耳をふさぐ。
カ” ア” ア” ア” ア” ア” ア” ア”
それでも完全には防げずにタイカは足元がふらついた。叫んでいる途中から既に突進の準備をしていた熊は、おそらく必殺のコンボなのだろう。猛然と突進してくる熊に恐怖しながらもタイミングを測る。
受け流しを得意とする柳水流ではあるが、体格差もありまともに受け流せないだろう。ならば焚火に突っ込むなり、避けた一瞬にしか勝機はない。そのはずであったがあっさりと当てが外れる。
熊魔獣の全身にオーラがめぐり、身体強化された瞬間、さらに加速した。まずいと思い横に飛びのいて回避するが、その振るった爪に左腕を裂かれてしまう。
「ぐあっあ”!」
左腕の服は避け、血がドクドクと流れている。動きはするが浅い傷でもない。その痛みと恐怖でパニックになりかける。熊は突進の勢いもあってか正面の木の幹に突っ込み体勢を崩していた。一撃で仕留めそこなった経験が今までなかったのだろう続く攻撃への意識は低かった。
『タイカ、大丈夫?』
クンマーの声が聞こえてはいたが『以心伝心』で会話するほどの余裕はない。荒い息をしながら刀を構える腕は震えていた。そんなタイカの目の前にクンマーは飛んできて真っすぐと見つめる。
『僕の見立てじゃ互角かなー。ちゃんと視てれば僕のようにいろいろ見えるよ。だから大丈夫だよ』
自信満々に笑いかける。『以心伝心』でクンマーの自信がそのまま伝わってくる。何かの暗示に掛ったようにスッとタイカの心は落ち着いていく。タイカはひとつ深呼吸した。さっきまでの恐怖は無くなっていた。冷えていく頭に次々と情報が巡っていく。全てが見えた気がした。
--<鳥瞰>
タイカには今、鳥の目線から眺めるように360度すべての景色がはっきりと見えていた。あらゆる五感から周囲の獣、木、草などから発する魔力を情報として検知して目に見えない範囲まで正確に把握していた。またその情報を適切に処理して小さな未来まで予測出来る気がした。--今起き上がって、吠える。
タイカは刀を口で咥えて両手で耳をふさぎながらそのまま確認もせずに後ろに走った。叫び声が聞こえるが背を向けてきちんと耳を塞いだおかげで音響魔法の影響を受けていない。そのまま気によじ登っていく。
先ほどと同様に突進してきた熊は木を見上げて嗤った気がした。熊は木登りが非常に得意な生き物だ。この程度の木なら簡単に上ってしまうだろう。実際にひょいひょいとよじ登ってくる。タイカはそんな熊から逃れるように太い枝の先の方に移動していった。これ以上は逃げられない位置まできて熊が手を伸ばした瞬間、地面に飛び降りた。
今度はタイカが木を見上げて嗤う番だった。熊はけっして木から飛び降りない。野生下では怪我をして狩りが出来なければ死に直結するからだ。本能に従い、上るのとは打って変わって拙いのっそりとした降り方をする。タイカは刀を頭の横あたりまで持ち上げて陰の構えにとる。熊を見上げ、そいつのタイカがいる左腕が下がった瞬間--タイカは垂直方向に大きく跳んだ。それは柳水流が得意とする飛び違い斬撃だった。
--袈裟斬り
熊はひどく緩慢な動きであった為狙い通りの剣筋で、熊の羽毛に逆らわない角度から侵入した刃先は首の動脈を見事に斬り裂いた。
タイカは着地して直ぐに距離を取って下段に構えて残身をとる。熊は地面に落下して暴れていたが手負いだった事もあり体力は少なかったのだろう、しばらくしたら動かなくなった。
ガアァ……
ようやく動かなくなった熊を確認して気が抜けたのか倒れこむ。
「はぁああーー勝てたーっ!!」
『おおー!勝ったぞー!僕のアドバイス通りだー!』
クンマーも勝利を喜び倒れた熊の腹の上でポンポンと跳ねている。
勝利の余韻も引いていき冷えた頭で刀を見る。今まではただの武器としか思っていなかった刀だが今は不思議と自分の体の一部であるような感覚を覚えていた。今なら自在に刀を振れる、そう確信出来るのはこの刀がやはり名刀だからなのか自身が一つ上の領域に足を踏み入れたからなのか。
(どちらにせよ、俺は強くなってる……!)
これ以降からタイカは急速に力を伸ばしていく。今までどこか魔力がなく身体強化も出来ない事からる劣等感を持ち続けていた。それがたった今取り除かれ自分なりのやり方で強くなれるという確信を持てるようになったのだ。
それが嬉しくてこぶしを握り、小さくガッツポーズをする。
「……いやっ!痛い痛い!痛ってえええっ!」
だからだろう、裂かれた腕の痛みが急に思い出された。放置していたら化膿する危険もあったので直ぐに水であらい、風呂敷から薬を取り出して振りかけた。それから治癒の符術媒体を探す。たしかアヤに貰った媒体の中に入っていたはずだ。
お目当ての媒体を手によしっと思うも発動しない。
「あ、あれ、おかしいな……。媒体をこう……かざせば発動するんじゃないのか?」
媒体をもってあれこれするも一向に発動の気配を見せない。そんな様子を眺めていたクンマーから貴重な情報が伝わる。
『それ動かすには魔力ながさないと』
『えっ?符術って使うのにも魔力いるの?そうゆうのって媒体に詰まってるんじゃないの??』
符術の大家である月模家、そこから直接教えを受けたはずのタイカであるがまったく知らなかった。
『トリガーにするだけだからちっこい魔力だよ。ちっさ過ぎて使えない人なんていなかったんじゃないかなー!』
『……』
またしても新しい発見だ。どうやらタイカは符術を使うことも出来ないようだった。
『まーまー。魔力流すだけだから僕でもたぶん出来るさー』
『おお……!頼む!やって下さい!!』
素直に頭を下げて頼むとクンマーは熊の腹からジャンプして右腕にとまった。そこからちょいと右手で媒体をつつくと符術が発動する。出血が止まり傷口がはっきりと見えるようになる。うねうねと蠢いていて傷口はそのまま塞がっていきキレイに治っていた。
『どお?』
クンマーは傷が完治したのを確認し、それでもタイカに確認する。その顔は得意げだった。
『うおおおお。すごいな……!やぱり持つべきは思いやりのある妹だなあ』
しみじみと感じる。
『えっ?!僕だよ?!』
ガーンとでも書かれていそうな表情で訴える。
『わかってるよ。クンマーもありがとな』
わかればいいんですよと言わんばかりに嬉しそうにクンマーは飛び回り始めた。