007 追放
月模領へ帰還する当日の朝、今度こそは遅れまいと朝食後には宿を出て正門近くで時間をつぶしていたタイカは日波領都の正門前で商隊を待っていた。そこへ向かって五台ほどの馬車が近づいていた。先頭馬車にシゲオと護衛二人がそろって乗っている。
「おはようございます」
「ああ、おはようございます。山田亭をご利用されたようでありがとう御座います」
「ええ、本当に料理がおいしかったですね。ぜひまた利用してみたいです」
ビールと焼き鳥が本当に最高だった。嘘偽りのない感想である。
「そう言っていただけると紹介した甲斐がありますね」
気をよくしたシゲオは笑顔でどうぞと御者をしている隣の席に招く。さっそく馬車に乗り込み日波領から月模領に向けて出発した。
「そういえば今回スンリは来ないんですね」
「ええ、前回獣に襲われたので念のために留守番にしましたよ……」
目頭を押さえながら疲れた表情でそういう。もしかしたらトラウマを抱えておびえているのか、あるいは逆に留守番を嫌がり説得に苦労したのかひと悶着が予想された。
「なるほど。でも滅多に襲われることはないんですよね?」
「もちろんですよ。そうじゃなければ商売できませんよ」
護衛が二人しかいない事からも実際に襲われる事は少ないのだろう。その通りに復路は平和そのもので月模領に無事到着した。
だが、たとえ復路が平和そのものであっても月模家到着後こそが波乱の幕開けであることを知るタイカとしてはいささかも気分は高揚しなかった。既に日は傾いていたが重い足取りで離れにいき、汚れを落として着替えてから本邸へ向かう。
溜息をつきながら本邸の扉を開く。
「只今戻りました。つきましては結果のご報告にあがりたいので当主殿への面会を取りなしていただきたく」
玄関に待機していたメイドさんにそう告げるが、事前に対応を聞かされていたのだろう。
「魔力検査結果をこちらに提出くださいませ。後は私が責任をもって届けさせていただきます」
できれば直接手渡したいタイカであったが有無を言わさない態度のメイドさんである。こちらが一方的に我を通そうとしても迷惑にしかならない上にトウジの心象も悪くするだろうと予想された。
「わかりました……。ではこちらを届けて頂くようお願いします」
◆
トウジは非常に厳しい表情でタイカの魔力検査結果に目を通していた。私室ということもあり既に寝巻に着替え晩酌している。
(魔力の測定値はゼロだと……。だが、前日に魔力測定器は故障していてタイカが検査を行う直前までメンテナンスをしていた、か。この結果では内部的にはなにも変わらんだろうな。だが、事情が伝わっていない外部には一定の説得力には成りうるか……?)
だが、備考欄には機械の故障の懸念があるため再度検査を受ける事を推奨していた。こっそりと自前の魔力測定器である程度の魔力値は予想出来ていたため、再度受けても事態は改善しない事は明白だった。おもむろ二回にわたって最悪な魔力測定結果を披露する羽目になるだけだろう。どうしたものかと悩んでいた寝所から声がかかる。
「結果は出たご様子ですが、いかがでしたか?」
結果はほぼ予想出来ているためか、問いただすカヨの表情は実ににこやかであった。
「想像通りだ。だが、魔力測定器が直前まで故障していたらしい」
「なら納得いくまでやりなおしますか?」
「……いや。不要だ」
少し悩んだ挙句、再度の魔力検査はしない方針とした。
「月模家の名を落としまする。早々に処分いたすべきでしょう」
お前が気にしているのは自分の名声であろうとはトウジの思いだ。だが、その責任の一旦はトウジにもあった。タイカが生まれた直後に魔力検査をした結果、姑を含め幾人かが産後の不安定なカヨに対して愚痴の数々を言い聞かせ、カヨの実家にまで話が行ってしまった。その時にここまで拗れるとは思わず対応を誤ってしまった結果である。
「早まるな。対応はこちらで決める」
難しい状況であった。放っておけばカヨは独自に動くだろう。一時言い聞かせたとしてもすでに抑えがきかなくなっているカヨはいずれタイカに対して害意を向けるはずだ。今までは魔力検査を受けるまではと抑えていたが、今の様子では家にタイカを置いておくと取り返しのつかない事態になる予感がした。また、分家の人間や家臣にも動揺が広がっていてなんらかの対処をする必要に迫られているトウジだった。
(他家へ養子に出すか……?いやダメだ。この魔力測定値では受け入れてくれないだろう。最低でも再度の検査は要求される。検査結果が変わらない以上は大きすぎる貸しを作ってしまう。ならば蟄居させるか……?しかしそれではカヨが害意を抑えるとは思えん。ならばいっそ追放してタイカ自身の才覚に委ねるか…………)
「……月模家の名を取り上げ追放とする。異論は許さん」
暗にカヨに勝手に動くなと釘をさす。
「ええ、ええようございます!」
カヨは喜びを表す。追放後の足取りさえ掴めれば暗殺者を送ることなど容易な事だった。
◆
早朝タイカの寝泊りする離れにメイドが一人やってきた。なんでも朝食後に当主の執務室に来るようにとの事である。何かしらの沙汰がある事は予想できていたので務めて平静に対応する。
「分かりました。直ぐに向かいます」
こうして呼ばれたという事は最悪の暗殺という手段は回避できたのであろう。裏で動くやつはいるかもしれないが月模家が支援しての行動はなくなったのでまずは一安心である。
あとはいくつか予想される沙汰の内容について思考をめぐらすが内情を把握できていない以上は限度があるなと思い直す。まずはトウジからの話を聞いてからでなければいかんともしがたかった。
そうこうしている内にトウジの執務室にたどり着いたタイカはノックしてドアを開ける。部屋の奥にある執務机にトウジ一人だけがいた。
「……来たか。魔力検査結果の件についてだ。決定事項を伝える」
「はい。覚悟はできております。お聞かせ下さい」
覚悟については嘘である。内容次第では逃げ出すだろう。恐らく今の物言いでは現状維持の沙汰はないであろう。ならば追放だろうか?そうであれば良いなと思う。伊達にオメガオの影響は受けていない。自由に出奔できるならそれを楽しむのもいいだろうと考えていた。だが、それ以外だと暗殺や自害、幽閉など耐えがたい予想しか出てこなかった。さすがにそれを受け入れるつもりはない。
「只今より月模の家名を名乗る事は許さん。すぐに準備をはじめ本日中に当家を出ていくように」
ほっ、と安堵する。
「……かしこまりました」
そして辛いですと言わんばかりの鎮痛な面持ちで受諾する。
「一つ確認をさせてください。皆はこの決定に納得しておられるでしょうか?」
トウジも馬鹿ではない。この質問の意図が追放では温いと感じ、さらなる行動におこす人物はいないかを確認している事に察しがついた。
「おおむね納得しておる。だが、カヨは辛いようだ」
やはりかと思いはするが、どうしてもその動機に思いあたる節がない。おそらく面子やプライドといった類に起因するのだろう。それを事前に話し合い解決できなかった事を悲しく思う。
「……そうですか。早急に準備に取り掛かりますので、これで失礼いたします。……それからこれまで育てていただき、ありがとう御座いました」
軽く頭を下げる。
「……これを持って行け」
茶巾袋を机におく。中には旅費が入っておりしばらくの生活には困らない額であった。
「お気遣い感謝いたします」
選別を受け取り部屋を出ていく。それを見送ったトウジは頭を抱え本当にこれでよかったのか自問自答していた。
◆
しかし本日中とは急であった。昨日日波領から帰ったばかりであるから当然着替えなどは本日洗濯する予定であったので持っていく服がないのである。支度金を受け取っているので途中で買ってもいいがあまり無駄遣いはしたくなかった。
そこへリュウヤが一人、荷物を持ってやってきた。
「家を出るそうですね」
「ああ……そうだね。今までもそうだったけど、今後も月模家をたのむよ」
「こちらを」
持っていた荷物を渡してきたので受け取った。中身は着替えのようだ。
「数は少ないですが、大荷物を持っていくのも大変でしょう。……最後に選別です」
これにはぐっと来てしまった。少し距離を置かれているなと感じていただけにこのような気遣いを見せられると自然と涙腺も緩くなってしまう。
「ありがとうなッ……」
涙をこらえているとリュウヤは更に語る。
「……俺は嫡子となってからいつも兄上と比較されていました。なんでもそうです。お前はもっと月模家にふさわし男でなければならないと。なぜ魔力のない兄上より勉強で後れを取っているのかと。剣術は流派は異なりますが、交流試合などもしたことがありません。止められていたからです。万が一にも負けることがあってはならないからと。そう思われていたんです。……符術でもそうでした。兄上の描く符術は原本とは異なるものも多いですが、どこか見ていてゾッとするようなものも多かった。ヒラノブさんなどはそういったところに目をかけていた気がします」
えっそうだったのとは素直な思いだ。そんな話は聞いたこともなかったし目に見える範囲でそんな様子も見られなかった。
「兄上は稽古事に着手するのが二年も遅れていたのに、いつの間にか追いつかれ、また引き離したと思ってもすぐ後ろにせまっていた。ずっとそのプレッシャーに耐えてきました。今日それから開放されます」
「……なんていうか、うん……そう」
しょんぼりしているタイカに向かってふっと笑いかける。
「兄上は周りが言うほど、魔力がなかろうとも無能でないのは俺がよく知っています。……今後張り合いがなくなりますが、どうかご壮健で」
「ああ!この程度なんてことはないさ!……それよりも気を抜いていたらアヤに追い越されちまうぞ。張り合いがなくなるのは早いんじゃないかな?」
「そうですね。でも負けませんよ」
微笑みながらリュウヤは来た通路を戻っていった。
◆
正午前には準備が整ったタイカは昼食前に出発するつもりでいた。トウジからカヨの事を聞いていた為、なるべく早くに領外へ出る必要性を感じたからだ。また、街道を通れば追跡も容易であろうし、どこへどうやって行くかと思案する。
コンコン
離れの扉を叩く音に振り返りどうぞと声をかけた。そこには俯いたアヤが立っていた。目元が少し赤く腫れている気もする。
「……兄様、もう出発されるのですか?」
「……ああ、急にきまってさ、ごめんな碌に話す時間もとれなくて」
アヤも状況を把握しているのだろう。止めようとはしなかった。
「必要になるかと思い、いくつか符術の媒体をご用意しましたのでお持ちください」
そういって懐から封に入った媒体を取り出した。受け取ったそれは結構なボリュームがあった。媒体の価値についてはつい先日学んだばかりであるため、これが結構な額になることを知っていた。
自分のお小遣いから買ったのだろうか?あるいは身体強化も自然と出来ていた妹であるから符術の媒体作成でいまだ習っていない最後の仕上げの魔力込めも出来るのかもしれない。自分で作ったんだろうか。また、符術の媒体を書くために必要な道具一式もそろっていた。
「こんなに……助かるよ」
「いえ、不要なものは道中の路銀に変えてください」
少しの沈黙の後、アヤから予期しない確認が飛んできた。
「兄様、はじめてお会いした時のことを憶えているでしょうか?」
妹が生まれるころには既に離れに隔離されていた。その時期は本邸に足を運ぶことを許されていなかったタイカである。必然的に評定のある日しか会う機会はなかった。
「ああ、憶えているよ。評定の後父上にわがままを言った日だろう」
「その前の年、お庭でのことです」
「……」
少し違ったようだ。これはあれか、散歩中に見かけた時に少し話をしてみようと自分が一方的に話し掛けていた時の事だろう。特に表情を崩さずにリアクション一つ取ってもらえなかったのでまさか憶えているとは思わなかった。
「……もちろん憶えているよ」
「あの時の私は誰も信頼していませんでした。嫉妬や追従、それに独善的な正義心ばかりを目にしていました。そんな時です。兄様は私に他人を信用できないのか……と。でも人はそうゆうものだから自分から関係を改善しようとしなければずっと変わらない、それどころかもっと酷い悪意や無関心に晒されてしまうよと、そう教えてくれました」
たしかにそういった内容の会話をした記憶はあった。自分が兄だと言ってもアヤからの反応はなく警戒されているのだと思った。だから妹からの信頼と関心を得たくてそのようなことを話していた。
「その時には何も思いませんでしたが、翌年父様にお稽古のお願いをしに行く兄様を見たのです。ご自身を取り巻く環境を変えようとしている様子をみて、その時から兄様は信頼してもいいのだと、今でもそれは変わっておりません。月模の名を名乗れなくても兄様はずっと私の兄様です」
「そうだったのか……。ありがとう、すごくうれしいよ」
家族や周囲の人間との関係を改善しようと必死になっていた、その結果が今回の追放であった。もしかしたら最悪の結末を回避出来ていたのかもしれないが、それはそれとして目に見えた結果に結びついてはいなかった。だが、確かに実を結んでいたことを知って胸が熱くなる。
そっとタイカの手を握り宣言する。
「私は母のようになりたくはありません。上級魔術士をめざしとう御座います」
上級魔術士になるためには高等魔術学院に通い上位の成績を残す必要があった。多くとも年に数人しかなることは出来ないがその分権利についても破格であった。いろいろあるが、貴族の制限を受ける必要がなくなる事がある。国でも重要な戦力となる上級魔術士が貴族の利害関係に縛られることを防ぐ目的だ。
だとするならアヤは月模家を決別する道を歩むのだろうか。あるいは言葉通りに母のように姫として他家に嫁ぐだけの人生はいやだという事だろうか。いずれにしろ、決意の表明であることは間違いない。アヤも変えていこうとしているのだろう。最後にその姿を自分に見せたかったのかもしれない。
「ああ、アヤならなんでも出来るさ!」
アヤの手を握り返す。