005 魔力検査1
十五才になったタイカは気付いてしまった。そろそろ正式な魔力検査を受ける日が近づいている事実に。これまで剣術や符術の稽古が楽しくて熱中するあまり完全に失念していた。朝食時に符術について語っていたら乳母殿に指摘されて気付いた恰好だ。
「そろそろ魔力検査ですね。そしたら符術に魔力を込めて完成させられますよ」
「あ、ああ、そろそろでしたか……」
魔力検査への対策を一切していない事を思い出し先程まで符術を語っていた時の勢いはもうない。といっても魔力検査事体はどうにもならないのでその事後対策が主となるのだが。
高精度な魔力検査器は国の専売品で厳重に管理しているため、貴族といえども所持している家は少ない。そもそもそこまで精度の高い結果を求める必要性もないので月模家でも低品質な魔力検査器でこっそり検査するに留まっていた。そのおかげで幸いにもタイカは下級の魔力回路持ちなのだろうという勘違いを受けていた。
ところが十五才になると貴族の子弟は義務として国からの正式な魔力測定を受ける事になる。これは高精度の魔力測定器が使われているのでタイカが実は下級どころか魔力回路自体を持ち合わせていない事がバレてしまう可能性があった。
そうなると今ですら肩身の狭い思いをしているタイカであるが、より待遇が悪化する懸念があった。なにしろ魔力回路は昆虫や植物ですら全ての生命が所有しているものである。そんなものであるから下手をすると異端扱いされて命の危機すらあるのだからたまらない。そうならない為にも基礎知識や剣術、符術などあらゆる技術について必死に学んでアピールできる材料をそろえてきたタイカであるが、正直なところ剣術、符術のどちらも弟妹であるリュウヤとアヤに一歩劣る結果となっている。唯一の救いは基礎知識や算術に関して生前のアドバンテージを生かす事が叶いリード出来ている状況だ。もっとも貴族として期待されているのは獣やモンスターへの備えである為、それらはあまり重要視されていない。教育を受けた庶民から優秀な人材を登用すればいいからだ。
「やっかいなのは母上だろうな……」
当主トウジとの関係はある程度の改善しているが、母親のカヨとはこじれたままだ。何しろ昼食を本邸でとるようになった翌日から顔を合わせないように別室で昼食をとるようになっていた。当然話す機会もないので改善しようもなかったというのもあるが、そもそもタイカにはなぜカヨがあそこまで自分を毛嫌いするに至ったのかが分からない。
トウジに話を通しておくべきだろうか?魔力がなくとも裏で月模家を支えたいのだと涙ながらに事前に訴えておけば最悪の結果に対して予防することが出来るのではないか?
「よしっ!やれる事は全部やっておくか」
朝食を食べ終えたタイカは符術の作業部屋に足を運んだ。まずはヒラノブに相談してみよう。そう考えて何時ものように作業部屋に向かっていると幾人かが忙しなくしていた。軽く会釈して通りすぎると目の前からヒラノブが一人で歩いてきた。
「すまんが今日は中止だ。俺が急遽帝都に出向く事になった。明日以降は別の人に任せるが今日は間に合わない」
「帝都ですか?どうして突然……」
「わからんが帝都にある高等魔術学院の特別講師に推薦されたらしい。そこで来月から半年ほど授業を受け持つことになってしまった。まるで準備なんて出来てないんだがな。なので準備出来次第帝都に向かうから今日は中止だ。好きな事でもしてろ」
「……そうでしたか。ヒラノブ先生なら教え方も上手なので適任かもしれませんね。大変でしょうが準備がんばってください」
タイミングが悪かった。かなり急いでる様子だったのでわざわざ時間を取ってもらうのも憚られたのでそのまま見送ることにした。別の人に頼むかと考えるが頼れる人がいないのが問題だった。当主のトウジと直接つながりがあり、ある程度の親交をもっている人物といえば弟妹の二人だろうか。いささか寂しいタイカの交流事情である。また話の内容が情に訴え泣きつくことだ。それを二人にさらけ出す事を思うと兄としてはいささか気が重くなる。
「うーん……」
「何をしているんですか、兄上」
リュウヤがお供を従えて歩いてくる。お供をしているのはアキトだ。
「ああ……、ヒラノブ先生から今日の稽古は中止だと聞いてね。どうしたものかと考えてたんだ」
お供の少年達、特にアキトとは相性が悪いらしく未だに距離を置かれている。ひょっとしたら後を継げない長男と仲良くすることで出世コースから外されたり、なんらかの不利な立場になることを警戒しているのかもしれない。彼らの親とは何度か顔を合わせたことがあるタイカは親からの影響もあるかもなと思いめぐらす。
「おいお前……」
アキトが何か言おうとして言い澱む。その表情は何かを思いついたようにニヤリとしていた。
「……リュウヤ様はやく行きましょう」
お供の相変わらずの態度であるが、リュウヤは不審そうにしてはいたが特に咎めるでもなくつまらなそうに肯定して去っていった。
取り付く島もなかった。数年前まではもう少し話せていたのだがいつからか態度が硬化させていった。ひょっとしたら嫡子としてプレッシャーがあるのかもしれない。だとしたら申し訳ない限りだった。
それならアヤに頼むかと考えるも居場所が分からない。
「明日道場行く時でもいいか。今日は仕方ない、一人で柳水流の道場に行くか」
その足取りはあまり軽快ではなかった。オメガオからは三年ほど教えを受けたがまた世界をみるぞと言って旅立ってしまった。その後は師範代から手ほどきを受ける事になったが、一部の親族同様に自分への態度が他と異なるのだった。
五年前にオメガオと分かれた日のことを思い出す。
◆
「嬢ちゃんは問題ねえ。何かあっても自分の中で解決できるだろう。このまま進んでいけ!」
オメガオは自信満々にアヤを褒める。自慢の弟子なのだろうその表情は得意げだ。
「兄貴の方はあんま才能ねえからなあ。特に周りの雑音を気にしすぎるんだよ。だがまあ、嬢ちゃんに喰らいついていけば下手な事にはなんねえだろ」
くつくつと笑いながらオメガオはタイカの頭をガシガシとなでる。力強い腕に頭ごと振り回されながらタイカはしょっぱい表情を向けていた。
「……そりゃどうも」
「くくっ。しょげるんじゃねえよ。才能ねえとは言ったがよ、成長してからものをいうのは努力と経験だ。おめえはこれからなんだよ」
タイカは停滞していると感じていた。アヤと比べて、いや自分が期待する成長速度にすら達していない自分に思い悩んでいた。魔力回路を持っていない分、十五才で魔力を使った身体強化の訓練が始まれば今後さらに差は広がっていくだろう。間違った努力を積んで時間を無駄にするわけにはいかなかった。
「もっとオメガオ師匠に教わりたかった。俺にはどんな努力が必要でしょうか」
「好きにすりゃあいい。おめえみたい奴が最短距離で目標に向かっても最低限のものしか得らんねえぞ」
黒い男が聞いていたら無駄な努力だと冷笑しそうな事をいうオメガオに、だけどそっちの方が自分には合っていそうだとタイカは無理やり笑った。希望もなく剣を振っていたらそれこそ無駄な努力になりそうだった。きっとオメガオもそう思ってのアドバイスだろう。
「わかったよ!すぐにアヤにも、師匠にも追いついてやるさっ」
コクリと頷くアヤとは反対にオメガオはムリムリと首を横に振る。
「期待しちゃいねえが選別にくれてやる。多少は助けになんだろ」
荷物と一緒に地面に置いていた一本の小汚い刀をタイカに渡した。受け取るタイカは再度のしょっぱい表情だ。
「そんな顔してんじゃねえっ!こんなんでも割と名刀なんだぞお!」
オメガオからもこんなん呼ばわりされた刀に銘は無かった。忘れたのかもともと無いのか、どちらもありそうなオメガオだ。そんな刀はかなり厚重ねに作られており如何にも頑丈そうである。仮に名刀でなくても受け流しを得意とする柳水流の実戦で役立つ事に疑いはなかった。また実家ではたとえ元服しても刀を貰えなかっただろうタイカはその気遣いがうれしく貰った刀を握りしめる。
「ありがとう御座いますッ!」
深く頭を下げたタイカを見てオメガオは照れくさそうにじゃあなといって街を出ていった。
◆
翌日にタイカは正門前でアヤを待っていた。道場への道すがらトウジへ面会を取りなしてもらおうとの算段である。そのお目当ての人物が珍しく小走りで近寄ってくる。
「おはよう」
「兄様、おはよう御座います」
いつもとは違い風呂敷に包んだ小荷物を抱えての登場だ。
「どうしたんだ、届け物か?」
「いえ、まあそうですね。兄様宛てです」
どうやらタイカ宛ての荷物らしい。だがタイカには身に覚えのない荷物を訝しがりながらも表面上は笑顔で対応する。
「そうなんだ、なんだろう。この場で中身をあらためた方がいいのかな?」
「はい。なんでも日波領で魔力測定を受けるための書類と交通費などが入っているそうです」
「……そうなんだ」
少し嫌な予感がした。魔力測定は既定路線のイベントであるがその荷物が道場へ行く直前に渡されるのはどうなのだろう。帰ってきてからでは駄目だったのだろうか。
風呂敷を解いていく。中から書類が数枚と旅費が入った茶巾袋が出てきた。風呂敷と茶巾袋をアヤに持ってもらい書類のほうに目を通す。どうやら四日後に日波領の領都にある役場で魔力測定が開かれるようでそれに参加してこいとの事だ。また、移動ルートや役場への地図が添えられており、それを見て厳しい顔になる。今日の正午に街から日波領都へ出発する商隊へ合流して移動するように指示されていた。
「まじか……」
「兄様、もしかして何も聞いてなかったのですか?」
アヤが驚いた顔で確認してくる。
「ああ、いつ……決まってたんだ?」
「私は昨日の朝に伺いました。兄様への言伝は既に頼んだいたと聞いています」
あまり感情を出さないアヤにしては珍しく怒っている様子だ。
「……仕方ない。もう手違いの原因を探している時間もない、直ぐに準備しないと。届けてくれてありがとうな」
「……いえ。お急ぎ下さい」
タイカは急いで風呂敷に荷物を詰めなおすと別れを告げて離れに戻っていった。
◆
タイカは商店街に向けて全力疾走していた。生前から旅をしたことがなく、何が必要なのかわからず準備に時間がかかってしまった。通りを抜けた先には馬車が十台ほど待機しており護衛と思しき冒険者が二人こちらを警戒して見ていた。その集団に手を振る。
「ずいぶんとギリギリでしたね。もう出発しようかと話していた所なんですよ」
呆れ顔をした商人が嫌味の一つも言ってくる。またその横では商人の娘だろうか同年代の少女もぷりぷりしている。それはそうだろう。出発が遅れれば予定の町までたどり着けないかもしれない。遅れれば護衛二人に払う日当も増えていく。予定を狂わす訳にはいかないだろう。それでもギリギリまで待っていてくれたのは、おそらくこちらの魔力検査をしにいくという事情が伝わっていたからだろう。
「ほんっとうにすいませんでしたッ!」
誠意を込めた射角九十度のお辞儀である。これには商人達もビックリした。何しろこの街を治める貴族家からの依頼で待っていた人物であったからこれほど素直な謝罪が出てくるとは思ってもみなかった。
「あ、ああ、今後は気をつけてくれればいいんだ」
馬車はどれも荷物を大量に載せており空きスペースはない。その為、先程の商人シゲオが御者を務める横に相乗りさせていただく形での出発となった。商人を挟んで反対側には娘であるスンリも座っている。
「すごい荷物ですね。商品は米ですか」
月模領での一番の特産品は符術の媒体だ。しかし、媒体ならこれほど荷物は嵩張らないので米ではないかとあたりをつけた。
「うちは米だけじゃなく味噌やら調味料も含めて食料全般ですね。もっとも少量なら符術の媒体も扱っていますよ。あれは売り手市場なのであればあるだけ高値でさばけますからなあ」
「へえ。そうなんですか?」
スンリはシゲオの影からひょいと顔をだす。
「そうよー!媒体を作れる符術士はいつも不足しているんだから!」
「そうだね。その辺は君の方が詳しいんじゃないのかね?生産量とかは増やしたりしないのかい?」
こちらへ探りをいれてくるシゲオである。
「みんな頑張って作ってますよ」
「ははは、やはり秘密ですか!」
「ふん、意外としっかりしているのね」
秘密なのではなく秘密にされている側のタイカとしてはあいまいにそうですねとしか言えなかった。
そもそも原本が一般公開されている符術の媒体ならば街で生産されている量の方が圧倒的に上だ。にもかかわらず月模家の生産を聞いてきたという事はやはり秘匿している符術の媒体の方が商人的には稼ぎがいいのだろう。思い返してみると街の魔道具店では一般的な符術の媒体は置かれていても、月模家が生産する符術の媒体は目につく所には置かれていなかった。
「月模家で作ってる媒体って街じゃ見たことないんですけど」
「ああ、威力もそうだけど値段もお高いからね。月模家としては稼ぎ頭の商品は他領に売って外貨を稼ぎたいんじゃないかな。ひょっとしたら窃盗対策で店頭には出してないだけかもしれないけどね」
そんな話をしていると先頭車両の方から怒鳴り声が聞こえてきた。なんでも獣がでたとか。荷物を積んだ馬車で逃げ切ることは出来ないからか急いで馬車を止めて迎撃態勢をとるように護衛から指示が飛ぶ。
「獣は一匹だ馬車を密集させろッ!戦えねぇ奴は中央に集めておけ!」
戦闘馬車のほうを伺うと体高1メートルはあろうかという巨大な犬がこちらへ向かっている。生前の記憶にある超大型犬よりもさらに一回り大きいのではないかと思える巨体に顔が引きつる。前衛の護衛はすでに武器を抜いており、弓持ちの護衛は獣に狙いを定めていた。
「タイカ君武器は?」
「大丈夫です」
オメガオから貰った刀を持ってきていた。シゲオは頷き自身は短槍を準備してスンリを連れて密集した馬車の中央に向かう。最悪の場合は馬車を盾にしながら槍で応戦する構えのようだ。タイカは懐から手ぬぐいを取り出し手汗をぬぐってから刀を腰に差して辺りを見渡す。
(もし馬車の方へ獣が来たら刀じゃ狭くて応戦できないな)
護衛達の戦闘を見ているとうまく連携が取れているようで、大した被害もなく獣へダメージを与えていた。前衛の男がシールドバッシュを喰らわすと獣は大きくのけぞり、そこへ間髪入れずに矢が飛来する。
ギャウッ
「よし!ナイスだ」
後ろ足に矢が刺さった獣は唸り声をあげながら後退していくが体を覆う剛毛と分厚い筋肉に阻まれそこまで深く刺さってはなさそうだったが動きは鈍っていた。
そんな様子にこれはいけるぞと全体の空気が弛緩した所へ横合いの雑木林から同型の二体目が突貫してきた。止めを刺そうと一人突出していた前衛の男はギョッとする。
「チッ!おい!あっちを牽制してくれッ!」
「わかってる!」
弓持ちは射程外からも矢を射て獣の足を鈍らせていく。
手負いとはいえ目の前の矢傷を負った獣もまだ油断ならない状況だ。どちらにも対応できるように盾を構えながら後退してみせる前衛に対して手負いの獣が二体目と連携するように襲い掛かかろうとする。いまだ少し距離のあいている二体目よりも手負いの方を先に処理すべきだろうと判断した弓士がとっさに矢を放つが、前衛も同じく手負いの方へ対処に動いてしまっていた。
「くっ!」
とっさに射線が被さり弓士は狙いを外すもそれに動揺した前衛は防御に追われてしまった。遠目からも護衛二人の焦る様子が見てとれた為か馬車からいくつもの小さな悲鳴があがった。--そこえ。
--印地
ブオンと空気を切り裂く音と共に打ち出された石ころが二体目の獣の腹を打ちぬく。そこには手ぬぐいの両端を持ち、石を挟んで投石しているタイカの姿があった。柳水流の多様な武器術の一つだ。さらに密集した馬車から体を出して二発目、三発目と投石を続ける。それを厄介に思ったのか二体目の獣がタイカに狙いを変えて突進してくる。
(来たッ!もうやるしかないぞッ!)
護衛は手一杯であったし、商人達から援護を期待するのも酷であろう。タイカは覚悟を決めて抜刀する。柳水流の攻撃は主に二つ。飛び違いによ斬撃か、受け流しからのカウンターだ。魔力による身体強化を習っていない身としては、あの超大型犬然とした獣に飛びかかろうとは思わない。刀を下段に構え、少し悩んでから腰を落とした。足が居ついて動けなくなるリスクよりも的を小さくして狙いを読みやすくしたかったからだ。
そして、いよいよ獣が目の前に迫ってきた。