003 お稽古1
大きな部屋の隅っこにタイカは一人ぽつんと座っている。部屋の中には座布団と一人用の小さな和机が並ぶようにいくつも置かれており既に半分近くの席が埋まっていた。
あれから六年が経過してタイカは七才になっていた。弟の他にも五才になる妹が一人増えていたがタイカにはその実感がまるでない。それもそのはずでどうやらタイカは離れで乳母に育てられているようで弟妹とはめったに会うことはなく、今日のように年に数回行われる評定後の親戚一同集められる時に限られていたからだ。
とはいえ自分から会いに行かなかったのかと言われればそうでもない。生前は弟の顔も碌に覚えておらず血がつながっている以外にはなんの関係も気付くことが出来なかった事に寂寥を感じていたしせっかくの第二の人生で繰り返したくはなかった。そこで本邸へ足を運んで会いに行ってみるも執事やメイドに見つかってしまうとあっというまに追い出されてしまった。とはいえ子供の特権だとばかりに素知らぬ顔して再度の侵入を数回試みた所で乳母が叱られているのを見てしまい流石に思うところがあって足が遠のいてしまった結果だ。
その弟妹はどちらも優秀な魔力量を持って生まれたようでトウジや母親のカヨに大層可愛がられているらしい。そう乳母が愚痴っていた。どうやら乳母は自分が育てているだけあってそれなりの愛情を自分に注いでくれているようで感謝するばかりだ。
横を向けば弟妹がそろって上座の方に座っていた。どちらも整った顔立ちをしていると思うのは決して身贔屓ではないはずだ。弟のリュウヤは嫡男として育てられている為か、かなり厳しい教育を受けているらしいが良い成績をのこしている頑張り屋だ。たまに自分と会話するときにはその関係性を内外に示すためか毅然とした口調で接してくる。妹のアヤは人見知りで大人しい性格だろう。去年一度だけ散歩中に会話する機会に恵まれたのだが、その時には自分が話しかけるだけで返事は帰ってこなかった。少し残念に思うも、年に数回顔を合わせるだけの兄なんて他人と変わらないだろうから仕方がないのだろう。
リュウヤは胡坐をかきながらつまらなそうに斜め前方に正座している少し年上とおぼしき少年と話をしているが、少年はたまにチラチラと妹のアヤを見ていた。そのアヤは特になんの感情も表に出さずに静かに座っている。
タイカはしばらく弟妹を観察していたが、実の両親について考える。このままの関係を続けていてもきっと良い事は何もないだろう。改善していかなければいけないと強い危機感を感じていた。前世は何もしなかった。徐々に減っていくお見舞いの頻度に気付きながらも耐えていた。あるいはわがままの一つでも言っていれば変わっていたかもしれないが、それすらしなかったので興味が無くなっていったのだろう。その結果が病院に押し込め放置される結果に繋がっていった。
今生でも同じことを繰り返すのは嫌だった。なんとかして信頼関係を構築したかったタイカはこれからある提案を両親にしてみようと決意していた。
自分が今の状況にあるのはまず間違いなく魔力検査のせいだろう。魔力回路がないのだからいい結果を出せるはずもない。それならば魔法以外で自分の能力を示そうと考えた。何かしら高い能力を示せればもう一度自分に興味が向くのではないかと考えたのだ。貴族のあり方を考えれば魔力回路を持たない自分が嫡男になることはないのだろう。それでもいい。せめて月模家の一員として認めてもらえればと思ったのだ。
すでに去年から乳母に頼んで様々な書物を本邸から持ち出してもらい目を通していた。幸いなことに乳母が文字を読めたため特に困ることはなく、算術や一般教養ならば書物だけで十分に学べた。だが剣術などは師がいない変な癖がつきそうだったし、符術については道具が必要になるので諦めていた。だからそれら二つの教育を提案するつもりでいる。
そんな時だ。廊下から大勢の足音が聞こえてきた。みながそちらに注目すると襖が開き当主のトウジと配下達が入ってきた。先ほどまで雑談していた人達もみな自分の席に戻ってゆき姿勢を正す。トウジは上座へ妻のカヨはリュウヤの隣へ座った。メイド達がぞくぞくと料理を運んできており大人たちへは酒をついで回っている。酒がいきわたった頃合いにトウジが咳ばらいをし注目を集めた。
「みなご苦労であったな。おかげで今年も順調に領地を運用することが出来たぞ。今夜は無礼講であるからな。楽しむといい」
トウジが盃を持ち上げると皆が続いた。それ以降は自由に食事をしたり席を移動しては好きに会話を楽しんでいる。また、トウジの周りには順番に人が入れ替わり酒を注ぎながら挨拶をしていく。一通り挨拶が終わる頃合いを見計らっていたタイカは緊張していた。それもそのはずだ今まで碌にトウジと話をしたことがないのだ。なんて呼んだらいいのかすらわからない。
ええいこうゆうのは勢いだと勇気を振り絞り立ち上がる。いくつかの視線がタイカに集まる。トウジの席に近づくにつれてその数は増えていった。周りを確認する余裕はない。手や脚は震えていた。トウジの席まできて正座をし、定形の挨拶をする。先ほどまで観察していた人たちの見よう見まねだ。タイカの位置からは見えなかったが、その様子をカヨは怒りの形相で見ている。リュウヤは兄の処遇を聞いていたため、えっ?まじでいくの?といった困惑顔だ。そしてアヤはめずらしく興味の視線を向けていた。
タイカは頭を下げて事前に用意していた言葉を吐く。
「ち、父上、本日を良き日として迎えられおめでとう御座います」
「うむう。それでなんじゃ?」
タイカはほっとする。とりあえず父親であることを認知はされているようだ。タイカは顔をあげ、まっすぐにトウジを見つめるがトウジの方は少し視線を逸らしたまま聞いていた。
「はい。お願いしたいことが御座いまして参りました。私に剣術と符術について学ぶ機会を頂きたく存します。お許しくださいますでしょうか?」
それに対して答えたのはカヨだった。苛立たし気に早口でまくしたてる。
「タイカさん、このような場所でする話ではないでしょう。わきまえなさい」
そもそも親子であるのにこのような場所でなければ言葉を交わす機会がなかったのだ。タイカは唇を噛み黙る。ここでそれを言っても拗れるだけだと分かっているからだ。その代わりにトウジに目を向ける。それに対してカヨが何も言わないのは単に体面を気にしての事だった。言わないだけで形相はより悪化していたが……。
トウジとしてはその願いを受けてもよかった。むしろ自分の口からそれを言いに来たことに感心すらしていた。実はトウジとしてはここまで積極的にタイカを冷遇するつもりはなかったのだ。だが、妻のカヨが強硬した。カヨは厳格な良家で育った姫だった。そして正妻として嫁いだ月模家で生んだ長男が魔力検査で低い結果を出したことから姑からのお小言が増えていった。それだけではなく実家からも落胆される始末である。その事でカヨの精神は一時期かなりまいっていた。それによりタイカを一時的に距離を取らせることにしたが、その間にリュウヤとアヤが生まれた。二人ともこっそり行った魔力検査は良好で、その時にトウジはもう大丈夫だろうとタイカを本邸に戻そうとしたのだがカヨにとってタイカは自分を責め立てる元凶に等しく顔を見た途端に癇癪をおこしてしまった。それに辟易としてタイカを病弱だと偽り、離れにおいやったまま現在まで来てしまった。どうしたものかと考える。
そんな中で別のところから声があがった。
「よいではありませんか。私も丁度お稽古を始める所ですので兄様もご一緒にどうでしょうか」
アヤからの提案だ。タイカにとっては意外だった。いつも懇親会の席では誰かと会話することもなくカヨの隣で聞き役に徹している姿しか記憶にない。おもむろ声を聴くのもはじめてだったので思わず振り向いた。そこにはいつも通り無表情のアヤの姿があった。隣ではリュウヤが興味深そうに眺めている。
トウジは咳払いする。このまま黙っていたらまたカヨが口を挟むだろう。そうなれば意固地になったカヨを退けるのは困難だと思ったのだ。その為、即座にアヤからの提案にのろうと決めた。
「うむう。タイカの健康もよくなっておるしそろそろよかろう。共によく学ぶのだぞ」
「はい!ありがとう御座います」
タイカは深く頭を下げた。カヨは気に入らなかったのか無言で席を立ち部屋から出て行ってしまった。
◆
タイカは翌朝本邸に呼び出されていた。あまり本邸に足を運んだことのなかったタイカは他人の家に上がった時のような嗅ぎなれない匂いを感じていた。それでも和洋折衷な様式の屋敷をワクワクしながら指定された場所に向かって歩いていく。ここかな?と突き当りの部屋の前で足を止めた。コンコンとドアをノックして開く。
「失礼します」
部屋の中には既にトウジ、アヤ、それから評定の場で見かけたことのある青年が一人いた。応接室のようで一人用のソファが二つ、テーブルを挟んで向かい側に二人用のソファが置かれている。タイカは促されて空いているアヤの隣に腰かける。チラリと青年の方を見る。顔は知っていても今まで紹介されたことがないので名前も知らない。だが今更はじめましてと挨拶するのもどうかと思い沈黙する。生前含めて人と話す機会が少なかったのでタイカのコミュニケーションスキルはそれほど高くない。
「えっと、こちらの方は……?」
「ヒラノブだ。今後君たち二人の教育を担当させて頂く事になった。符術については直接私が教えることになるが、剣術については街にいくつかの流派があるので君たちに選んでもらう事になる。今日はそのために集まってもらった」
月模家はかつて符術で功を成した家だった。一族の中に符術の専門家は多くいた。ヒラノブもその一人で二十才にして月模流符術の師範代にまでなった天才だ。だが剣術についてはそれほどではないのだろう。外部から人を招いていくつかの道場が開かれているのでそちらへ丸投げするようだ。
「あ、はい。タイカです。よろしくお願いします」
タイカはヒラノブに軽く会釈して挨拶をする。トウジは軽くうなずいた。
「顔合わせは済んだな。俺は仕事があるのでこれで席を外すからあとはヒラノブに任せるぞ」
そう言ってトウジは部屋を出て行った。この為にわざわざ時間を取って同席していたのだろうか。意外と周りに気を使っているのだなと感心する。
ヒラノブは目の前の二人に向き直り説明をはじめる。
「さて、剣術についてだが街にある道場の流派について説明しよう。一つ目は竜王流。竜の一撃のように初撃で敵を屠ることを旨としている超攻撃的な剛剣だ。対人よりも格上の魔獣やモンスターを敵として想定している。月模家からも多くが師事しているしピジャン国でも一番大きな流派の一つだ。二つ目は柳水流。複数の武器を扱う流派で素早い動きと受け流しを多用する。剣術というよりかは総合武術だな。扱う武器の多さや後の先をとる技が多いから習得の難易度は高いだろう。このどちらかになるがどうする?」
その二つなら考えるまでもなかった。
「柳水流でお願いします」
タイカには魔力回路がなかった。どの流派も魔力による身体強化を前提として技が組み立てられているが竜王流は特にそれが顕著だ。自分が会得するのは困難に思えたのだ。それならば身体強化がなくともカウンターを狙っていける柳水流のほうが合っているだろう。
ヒラノブもタイカの魔力測定結果について聞いていたので、まあそうだろうと納得する。
「私も柳水流に致します」
アヤはチラリとタイカの方にやった目線を戻して柳水流の選択を告げた。女子の多くは柳水流を選択するのでこれにもヒラノブはそうだろうと納得である。そして二人とも不相応に竜王流を選択しなかった事にほっとした。
「あい分かった。私はこれから柳水流に話をつけてくるので今日は解散だ。明日からは符術について教えていくので朝の鐘二つ目に集まるように」
そういうとヒラノブも部屋から出ていった。タイカは明日から訓練が始まることにようやく実感が湧いてきてウキウキしながら立ち上がる。
「俺達も戻ろう。明日からがんばろうな!」
「兄様はなぜお稽古のお願いをなさったのですか?」
「ん……?」
なぜか疑問を呈された。アヤは未だにソファに座ったままこちらを見上げている。答えを聞くまでは居座るつもりのようだ。
しかたなくタイカはソファに座りなおして少し考えてみる。答えは出ているが上手く伝えられる自信がなかった。
「なんでか……か。俺はさこれまで何もしてこなかったんだ。あ、いや勉強はしたぞ。でも勉強して知識を増やして、それで何もしなかったんだ。それが原因でどんどん人とのつながりが薄くなってさ。……結局人は利己的で、自分に利益がないと振り向いてもらえないんだ。親が子に愛情を注ぐのは将来の自分のためで、他人との信頼関係はお互いに利益があるからこそで。俺には魔力がないからさ、今のままじゃ誰の役にも立たないから手を差し伸べてもらえないんだ。そんな現状に見限ってこのままでいたら、きっと……後悔すると思うんだ」
実際に前世では後悔して死んだ。みっともなく泣いて叫んで、結局救いなんてなくて死んだ。どうせ助からないと斜に構えて自分から手を差し伸べる事を怠って、勝手に悲劇の主人公ぶって社会の外にいることを自分で選んだ。やりたいことがあるなら親に泣きつく事だって出来たはずだ。情に訴えてわがまま言って好きな事をして、それで楽しかったありがとうって感謝の言葉を伝えいればもう少しは楽しい人生だったかもしれない。
二度とそんな後悔をしないように考えた結論が自分の存在価値を相手に認めさせる事だった。魔力がなくても他に能があれば、それを生かす場さえあれば自分を求める人は出てくるだろう。その為にまずは親にわがままをぶつける事が第一歩だと思ったのだ。
「兄様は人の役に立ちたいのですか?」
相変わらず感情の読めない表情でアヤは問い返した。
「……いや。それはただの手段でさ、本当に欲しいのは……目の前にあるものなんだ。でも手を伸ばさないと届かなくて、だから俺の口から伝えないとダメだと思ったんだ」
「私には分かりません」
「はは……悪い。自分でも整理できてなくて伝わりずらかったね」
「いえ、兄様のおっしゃる事はなんとなく理解は出来ます。分からないのは、なぜ兄様がそんな考えをもっているかです」
ギクッとした。タイカが転生者である事を隠している。黒い男にバレるといいことがないと忠告されていたし、何より生前の自分を知られたくないと思っていた。そんなタイカをアヤはまっすぐな瞳で見つめていた。タイカは適当にごまかして目を逸らし今度こそ退室しようと立ち上がった。全てを見透かされそうで恐ろしかったからだ。
部屋から出たら既に昼近くになっていた。思ったより長く話し込んでいたらしい。タイカの食事は離れに用意されているのでそこで分かれる。
「じゃあ。また明日」
「はい」
アヤは軽く手を振りながら去っていくタイカの背中を見ながら少し考えていた。